表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
変わらない想いの先に  作者: ミルハ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/29

変わらない想いの教室

今日は卒業式。


まだ冷たい風が頬を刺す、三月の朝。

校庭の桜は固い蕾のまま、じっと春を待っている。

それでも空気のどこかに、季節が確実に動き出している気配があった。


体育館には、ざわめきとすすり泣きが交じり合う。

壇上で校長の式辞が終わり、最後の合唱が響き渡る。

何度も歌ったはずの旋律が、今日はやけに胸に沁みる。


制服の胸元には、真新しい花飾り。

白い花びらが、静かに揺れていた。


「…終わっちゃったね。高校生活、楽しかったな…」

式を終え、琴音が涙を滲ませながら笑う。


「うん…本当に楽しかった。一生、忘れない。」

彩心も頬を濡らしながら答える。

言葉にすると、途端に本当の“終わり”になる気がして、少しだけ怖かった。


「これから、それぞれの道だけど…頑張ろうな!」

健人が明るく笑い、二人の肩を軽く叩く。

その力強さが、頼もしくて、少しだけ救いになる。


教室へ戻ると、黒板いっぱいに色とりどりのチョークで寄せ書きが広がっていた。


「ありがとう」


「最高のクラス!」


「また会おう!」

文字の一つひとつに、笑い声や涙の跡が滲んでいる。


彩心はそっと黒板に手を伸ばす。

指先で、ゆっくりと文字をなぞる。

チョークの粉が指に付く。


楽しかった日々の匂い。

放課後の笑い声。

何気ないやりとり。

すべてが、ふわりと胸に蘇る。


男子が苦手で、恋愛なんてしないと思っていた自分。

慧と出会い、笑われたあの日から始まって――

気づけば、彼は掛け替えのない存在になっていた。

そして、もうすぐ遠距離になる。


胸の奥がじんわりと温かくなる。

その温もりに、ほんの少しだけ切なさが混ざる。


「この寄せ書きの前で、三人で写真撮ろうぜ!」

健人の声が、しんみりした空気を破る。


「いいね!」

琴音が笑顔を取り戻す。


シャッターが切られる瞬間。

彩心と琴音は、少しだけ寂しげな笑み。

健人は、いつも通りの満面の笑顔。

その一瞬が、時間ごと閉じ込められたみたいに、鮮やかに刻まれた。


「みんなで頑張ろうね!」


「うん!」

涙混じりの声が、教室の空気に溶ける。


やがて一人、また一人と帰っていく。

ざわめきが遠のき、教室は静けさを取り戻した。


「卒業したって、私たちはずっと親友だからね?」

琴音が彩心の手をぎゅっと握る。

その手は少し震えていた。


「当たり前でしょ?離れても、私たちの絆は変わらないよ。」

彩心も力を込めて握り返す。


「何かあったら、いつでも連絡してこいよ。すぐ駆けつけるからな!」

健人の言葉は、ぶっきらぼうで優しい。


「ありがとう、篠原。心強いよ。」

そう言いながら、彩心は少しだけ目を細めた。


やがて琴音と健人も教室を後にする。

扉が閉まる音。


教室には、彩心ひとり。

さっきまで確かにあった温度が、ゆっくりと薄れていく。

本当に、終わったんだ。


机、椅子、黒板、窓から差し込む光。

すべてが、いつも通りなのに、もう戻れない。


彩心は窓の外を見る。

校庭の桜の蕾は、まだ固く閉じたまま。

けれどその内側では、きっと静かに、春の準備が進んでいる。


(私たちも、同じだよね。)


寂しさの奥に、小さな希望が芽吹いているのを、感じていた。


***


——そのとき、静かな教室の扉がゆっくりと開いた。


「…慧。」


振り向いた先に立っていたのは、別のクラスの卒業を終えたばかりの慧だった。


廊下の光を背にして、少しだけ照れたように笑う。

「入ってもいい?」

その声は、どこか遠慮がちで、でも柔らかい。


「もちろん。」

彩心は涙で赤くなった目をこすりながら、笑みを返す。 


慧は教室に入り、ゆっくりと歩いてくる。

足音がやけに響く。


彩心の机の横で足を止め、隣に腰を下ろした。


しばらく、言葉はない。

窓の外で風が鳴る音だけが聞こえる。


「寂しいね…」

ぽつりと彩心が言う。


「…うん。」

慧も短く答える。


たったそれだけで、胸がいっぱいになる。


沈黙が重たいわけじゃない。

むしろ、心地いい。


何気なく——

彩心は、そっと慧の肩に頭を預けた。


ほんの少しだけ体温が伝わる。

慧は一瞬、目を瞬かせる。


「…どうしたの?」

戸惑いを隠しきれない声。

けれど、その響きは優しい。


彩心はくすっと小さく笑う。

頬がほんのり赤い。

「こうしたくなっただけだよ。」


それ以上の理由はいらなかった。


慧の胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。


肩にかかる重み。

髪の微かな香り。

触れているはずなのに、壊れそうなくらい繊細で。


「…そっか。」

小さく息を吐く。


やがて、自然な動きで慧の手がそっと彩心の肩に触れる。

包み込むというより、そこにあることを確かめるように。


「…なんて可愛いんだ、本当に。」

ほとんど独り言のような呟き。

静かな教室に、溶けていく。


彩心はその声に安心して、肩の力を少しだけ抜く。


遠く離れてしまう未来は、もうすぐそこにある。

それでも今は、ここにいる。


(守りたい。)

慧の胸に浮かんだのは、大きな決意でも、劇的な言葉でもない。


ただ——

(離れても、ちゃんと隣にいよう。)


肩越しの温もりが、言葉よりも確かな約束になっていた。


***


肩に頭を預けたままの時間が、静かに続く。

慧の鼓動が、肩越しに伝わってくる。

それに重なるように、彩心の心臓も少し早く打っていた。


離れたくない。

その想いが、言葉にならないまま胸の奥で膨らんでいく。


「慧…」

掠れるような小さな声。


慧が顔を上げると、彩心の瞳がいつもより深く潤んでいた。

笑っているのに、どこか泣きそうな光を宿している。


「…何?」

優しく問いかける。


彩心はほんの一瞬、視線を落とす。

唇をきゅっと噛み、息を吸う。


そして——


「キスして…」

それは甘える声というより、何かを確かめるような、震える願いだった。


慧は一瞬、目を丸くする。


「…え、ここ、教室だよ?」

そう言いながらも、その声は強く拒む響きではない。


彩心は少しだけ困ったように笑う。

「今、誰もいないし…」

そして、もう一度。

「…お願い。一瞬だけ…」


“一瞬だけ”という言葉が、慧の胸を強く締めつける。

もうすぐ、離れる。


触れたいのは衝動じゃない。

記憶に残したいからだ。


慧はゆっくりと息を整える。

そして、そっと彩心の頬に触れた。

指先に伝わる温もりが、やけに愛おしい。


「…一瞬だけ、ね。」

低く、少し震える声。


彩心の瞳をまっすぐ見つめる。

逃げない。

ごまかさない。


ゆっくりと距離を縮め——


唇が、そっと触れ合う。

短い。

けれど、確かな温度。


時間が止まったような静寂の中で、互いの鼓動だけが鮮明に響く。


それは甘さというより、“約束”に近いものだった。

離れても、消えない。


唇が離れる。

彩心は小さく息を吐き、満ち足りたように微笑む。

その笑顔に、慧の胸が締めつけられる。


次の瞬間。

慧は堪えきれず、彩心を強く抱きしめた。


「…彩心。」

その名を呼ぶ声は、想いを押し殺した震えを含んでいる。


彩心もまた、慧の胸に顔を埋める。

制服越しの体温が、やけにリアルだ。


卒業という別れの季節。

それでも今この瞬間だけは、世界は二人のものだった。


離れても、この温もりだけは忘れないと、互いの胸の奥で、静かに誓っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ