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変わらない想いの先に  作者: ミルハ


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19/19

響け、心の音色

夏休みの終わり——

市の大ホールは、吹奏楽コンクールの緊張と熱気に包まれていた。


重厚な赤いカーテンが静かに垂れ、天井のシャンデリアが舞台をやわらかな光で満たしている。


客席のざわめきに混じる、微かなチューニングの音。

金管の低い響き、木管の澄んだロングトーン。

緊張をごまかすような小さな笑い声が、舞台袖へと流れてくる。


クラリネットのパートリーダーを務める彩心は、舞台袖で静かに深呼吸を繰り返していた。


(大丈夫。みんながいる。私が崩れたら、全部が崩れる…)


胸の奥がきゅっと締まる。

それでも、表情は崩さない。


メンバーに落ち着いた声で最終確認を伝える。

姿勢や入りのタイミング、全体の息の合わせ方——


けれど、内心では、ソロパートへの緊張が波のように押し寄せていた。

手の中のクラリネットを握る指先が、わずかに震える。

それを悟られないよう、ぎゅっと力を込める。


「彩心、大丈夫だよ。いつも通りで。」

隣に立つ琴音が、そっと囁いた。


その声は、不思議なくらいまっすぐに胸に届く。

彩心は小さく息を吐き、ゆっくりと頷いた。


(そうだ。私は一人じゃない。)


震えは、まだ完全には消えない。

それでも——前を向ける。


***


——観客席。


慧と健人は並んで腰を下ろし、静かに舞台を見つめていた。

さっきまでのざわめきが、少しずつ小さくなっていく。


「本当に出るんだな、あの二人。」

健人がぽつりと呟く。


慧は視線を逸らさず、わずかに息を飲んだ。

「…初めて見る。彩心が楽器を吹くところ。」

声は落ち着いているのに、胸の奥は妙に騒がしい。


やがて開演を告げるブザーが鳴り、ホール全体がすっと静まり返った。

咳払いひとつ響きそうなほどの静寂。


ゆっくりと幕が上がる。


照明が舞台を照らし出し、整然と並ぶ吹奏楽部の姿が浮かび上がった。

黒い制服、揃えられた譜面台、張りつめた空気。


慧の視線は自然と彩心に吸い寄せられた。

普段の笑顔や照れた仕草とは違う、堂々とした立ち姿。

初めて見る楽器を構えるその表情は、凛としながらも美しく、胸をぎゅっと掴まれるような感覚が走る。


(…彩心、こんなにかっこいいんだ…)


自分の手のひらに汗が滲むのを感じ、慧は少しだけ握りしめる。

耳に届くのは、客席のざわめきと呼吸。


舞台上の空気が張り詰める。

彩心は深呼吸を一つ、指先を軽く握り直す。

これから奏でる音に向けて、胸の奥がわずかに高鳴った。


張り詰めた静けさの中、彩心の心臓の鼓動と、慧の胸のざわめきが、そっと重なる。


***


演奏が始まる。

力強いマーチがホールに響き渡り、やがて繊細なバラードへと流れ込む。

天井に反射する音の波に、空気そのものが震えるようだった。


琴音は仲間と呼吸を合わせ、澄み切ったクラリネットの音色でメロディを支える。

その堂々とした演奏に、健人の視線は自然と釘付けになる。


(月城、いつも元気なのに、演奏だとこんな落ち着いてるんだ。なんか、いいな…)


クラリネットは、楽曲の中で温かくも力強い響きを奏でる。

彩心は緊張を抱えながらも、その一音一音に想いを込めた。


——そして、迎えるソロ。

すっと立ち上がり、スポットライトを浴びる。

客席の視線が一斉に注がれる中、彩心は迷わず吹き出した。


一音目は、凛とした光のように空気を切り裂いた。

緊張で震えていたはずの心は、音に乗せた瞬間に不思議と落ち着いていく。

流れる旋律は澄み切っていて、伸びやかで、まるで彼女の魂そのものが歌っているようだった。


力強くも繊細な音色がホールに響く。

クラリネットの音が会場を包み、観客の息を呑む。


まるで隙のない演奏。

普段の彩心からは想像できない集中力と確かな技術が、旋律に乗ってホールに広がる。


「…すごい。」

慧は無意識に口をついていた。

その瞬間、彼の瞳は完全に彩心の音色に奪われていた。


演奏が終わると、大きな拍手がホールに響き渡った。

彩心は楽器を抱きしめるように胸に下ろし、小さく息を吐く。

胸の奥に、小さな誇りが芽生えていた。


吹奏楽部は静かにステージを後にし、舞台袖へと退場していった。


***


——ロビー。

ガラス窓に夕陽が差し込み、会場を出る生徒たちの笑顔を柔らかなオレンジに染める。

彩心と琴音はクラリネットをケースにしまい、緊張の糸がほどけたように笑いながら話していた。


慧と健人がロビーで二人を待つ。


「彩心。」

慧が一歩近づき、まっすぐに彼女を見つめる。

「…本当に、感動した。あんな演奏するなんて思わなかった。すごかった…」


その言葉を聞いた瞬間、彩心の胸にじわりと熱が広がった。


演奏中は、自分の音でいっぱいいっぱいで。

ブレスも指もリズムも、ただ必死に追いかけていただけだった。


今になって、ふと実感する。

(そういえば…慧、私の演奏、ちゃんと聴いててくれたんだよね…)


嬉しさが、ゆっくり胸に満ちていく。

同時に、どうしようもない照れが込み上げてきて――

頬が熱くなる。


(嬉しいけど、恥ずかしいな…)


震える声で「ありがとう」と答えるのが精一杯だった。


慧は少し間を置いて、さらに言葉を重ねた。

「彩心の音色…俺、すごく好きだ。」


その一言に、彩心の頬がふわっと緩む。

(嬉しい…慧に、そんなふうに言ってもらえるなんて…)


込み上げてくる嬉しさに耐えきれず、思わず両手で頬を覆ってしまう。

「だめ…嬉しすぎる…」と小さく笑いながらも、隠しきれない照れが声に滲む。


耳まで熱くなっているのが、自分でもわかる。


そんな彩心の様子を見て、慧は小さく笑った。

そして、そっと手を伸ばし、愛おしむように彼女の頭を撫でる。

「ほんとだよ。」


優しく髪に触れるその手のぬくもりに、彩心の心はまたじんわりと満たされていく。


健人も茶目っ気たっぷりに笑いながらも、真剣さを交えた声で言う。

「いや〜マジで格好よかったな!俺まで緊張したわ。」


琴音もにこやかに声をかける。

「彩心、ほんとにすごかったよ。」


健人は照れ隠しのように、ぼそっと口にした。

「…まぁ、月城も悪くなかったな。」


「悪くなかったって、何よそれ!」

琴音は頬を膨らませて抗議するが、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。


健人は少し視線を逸らし、今度は真剣な口調で続ける。

「いや…正直、すごかった。吹奏楽って、こんなにも胸に響くものなんだな。」


その言葉に、琴音の頬がほんのり赤く染まる。

「…なによ、篠原のくせに。でも、ありがとう。」

小さな声で返す横顔は、どこか誇らしげだった。


夕陽がロビーのガラスを黄金色に染め、遠くのホールからは次の団体の演奏が微かに漏れ聞こえる。

琴音と健人は少し離れた場所でじゃれ合い、彩心と慧は自然と手を取り合って会場を後にした。


熱気と旋律の余韻はまだ胸の奥で鳴り続け、夏の記憶として確かに刻まれていった。

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