花火の下の葛藤
今回は「夏祭りの夜」慧視点バージョンです。
夏休みに入り、部活や補習で思っていた以上に忙しい日々が続いていた。
気づけば、彩心の顔を何日も見ていない。
毎日学校に通っていた頃のほうが、ずっと彼女に会えていた。
休憩時間に少し話せるだけでも、放課後に一緒に帰れるだけでも、それだけで十分だったのに。
メールでのやり取りや、電話で声を聞けるのは嬉しい。
けれど、画面越しでは足りない。
直接会って、笑った顔を見て、隣にいるぬくもりを感じたい。
会えない時間が、かえって彩心への想いを強くしていく。
そんなある日の夜。
「今度、お祭りに行かない?琴音と篠原も一緒なんだけど…」
受話器越しの少し遠慮がちな声に、慧の胸がふっと熱くなる。
「いいね。楽しそうだ…」
考えるより先に、言葉が出ていた。
(本当は、二人きりだったら、もっと嬉しいけど…)
そんな独占欲にも似た小さな願いが、胸の奥で静かに芽を出す。
けれど、それでもいい。
同じ場所に行けるだけで、きっと特別な一日になる。
***
――夏祭り当日。
ピンクと水色の浴衣の二人組を見つけた瞬間、胸が高鳴った。
振り返ったのは、やはり彩心だった。
(…なんて綺麗なんだろう。)
淡いピンクの浴衣が彼女の白い肌に溶け込むように映え、光の中でふわりと揺れる帯や髪飾りが視線を奪って離さない。
思わず口をついて出た。
「…今日、すっごく綺麗だよ。」
その言葉に頬を赤くして、恥ずかしそうに俯く彩心が、どうしようもなく愛おしい。
そのあとも四人で屋台を回り、笑い合う楽しい時間が流れた。
けれど、心の奥底では、やはり「彩心と二人きりになりたい」という気持ちが消えずにくすぶる。
(健人や月城さんに対して失礼だよな、俺…)
そんな気持ちを見透かしたかのように、琴音と健人は自然に距離を置いてくれた。
気づけば、彩心と自分だけ。
少し不安そうにきょろきょろする彼女を横目に、慧の胸は高鳴っていた。
「大丈夫。俺がいるだろ。」
優しく微笑みながら手を差し伸べる。
目の前にいるのは、誰にも触れさせたくないほどの彩心。
胸の奥で、彼女を自分だけのものにしたいという思いが静かに、しかし確実に膨らんでいく。
二人きりになれる静かな場所を探し、小道の奥に花火の光が見える隠れスポットを見つける。
「ここ、よさそうじゃない?」
「うん。」
彩心は小さく頷き、慧に向かってほっとしたように微笑んだ。
***
夜空に大輪の花火が咲き、光が一瞬、昼のように辺りを照らす。
その鮮やかな光が、彩心の横顔をやわらかく染め上げた。
「わぁ…」
目を輝かせ、無邪気に空を見上げる彩心。
その頬をかすめる光、わずかに揺れる睫毛、そっと開いた唇――
慧の目に花火は映っていなかった。
視線はただ一人、花火を見上げる彩心だけに注がれている。
(…花火よりも、彩心のほうがずっと綺麗だ。)
胸の奥が熱くなる。
鼓動が速まり、息が浅くなる。
気づけば、彼女から目を離せなくなっていた。
触れたい。
近づきたい。
そんな衝動に導かれるように、慧はそっと彩心の肩に手を伸ばす。
驚いたように揺れた瞳と視線が絡み合う。
そして――
自然に距離が縮まり、唇が重なった。
触れるだけの淡いキス。
一瞬、彩心の肩が小さく震える。
戸惑いながらも、離れようとはせず――
そっと、確かめるように慧の腕に指先が触れた。
その控えめなぬくもりに、胸の奥が熱くなる。
彼女の唇の柔らかさと、腕に伝わるぬくもり。
その両方が、慧の理性をゆっくりとほどいていく。
離れた瞬間、まだ互いの息が近い。
慧は少し息を弾ませながら、低く囁く。
「…もう一度、いいかな?」
そう問いかけながらも、答えを待ちきれない。
彩心の潤んだ瞳に吸い寄せられるように、再び唇を重ねてしまう。
今度は、さっきよりも長く、深く。
花火の音さえ、二人の高鳴る心臓の奥へと遠ざかっていくようだった。
***
「ん…」
彩心の小さく甘い声が、夜気に溶ける。
その瞬間、慧の理性は一気に揺らいだ。
(…やばい、落ち着け、俺…)
鼓動が早鐘のように打つ。
腕の中の温もりが、思考を鈍らせる。
ふと、友人の言葉が脳裏をよぎった。
『好き放題できるとか、最高じゃん。』
――あのときは、なんて軽薄な発言だと腹を立てたはずなのに。
なのに今、その意味を理解しかけている自分がいる。
(最低だ…彩心を大切にしたいのに、こんな気持ちが湧いてくるなんて…結局、俺もただの男子高校生か…)
溢れそうな衝動を押し込めるように、慧は思わず彩心を強く抱きしめた。
「慧…?」
不安を含んだ声に、はっと我に返る。
「ごめん…強く抱きしめすぎた。」
そう言って、そっと腕の力を緩め、少しだけ距離を取る。
「ううん、嬉しかったよ。」
頬を赤らめ、にこっと微笑む彩心。
その笑顔を見て、慧の胸に決意が芽生える。
やっぱり、彼女は大切にしなければならない。
自分の衝動で傷つけていい存在ではない。
まるで慧の迷いを感じ取ったかのように、彩心が照れながら言う。
「無理しないでね。遠慮しなくていいよ。…私、いつでも慧を受け入れるから。」
その言葉に、心臓が大きく跳ねる。
嬉しさ。
信じてもらえているという誇らしさ。
そして同時に、試されているような怖さ。
(…そんなふうに言われたら、本当に抑えられなくなるかもしれない…)
一瞬、熱を帯びた衝動が胸をよぎる。
けれど、慧は静かに首を振った。
「…ありがとう。でも、その言葉に甘えたら、きっと後悔させてしまう。だから、今はまだその時じゃない。」
そう言って、彩心の髪をそっと撫でる。
壊れ物に触れるような、優しい手つきで。
彩心の笑顔を守ること――
それが、どんな欲望よりもずっと大切だと胸の奥で強く誓う慧だった。




