夏祭りの夜
期末試験が終わり、待ちに待った夏休み。
学校に通う日々とは違って、彩心も慧もそれぞれ部活や勉強で忙しく、会う時間はぐんと減った。
その代わりに、夜はメールや電話でやり取りをすることが日常になっていた。
***
ある日の部活後。
音楽室では、譜面台や楽器ケースが並び、夏の夕方の光が窓から差し込んでいた。
彩心と琴音はクラリネットを片付け終え、ゆっくりと音楽室の扉を開ける。
廊下に出ると、夕暮れの柔らかい光が長く伸び、二人を包み込んだ。
夏の空気が少しだけ涼しく、心地よく肌に触れる。
琴音がぱっと明るい笑顔で彩心に振り向く。
「ねぇ、今度夏祭りあるじゃん? 慧くん誘って行きなよ!」
目を輝かせる琴音の言葉に、彩心は思わず頬を赤くした。
「あ…いいかも。」
(でも、慧と二人っきりは、まだ緊張するな…)
彩心は上目遣いで琴音を見上げ、少し照れくさそうに声をひそめて言った。
「琴音も一緒に来てほしい。二人っきりは緊張するし…」
琴音は笑いながら、「え〜、私、邪魔じゃない?」と首を傾げる。
彩心は、小さく手を合わせてお願いする。
「お願いっ!」
琴音は「うーん…」と少し考えてから、
「じゃあさ、篠原も誘って四人で行くのはどうかな?」
と提案した。
彩心もつられてにっこり笑う。
「うん!楽しそう!」
「自分から言っておいてなんだけどさ…なんかダブルデートっぽくない?…ちょっと悔しいかも。」
琴音は少し不服そうに、膨れた顔で呟いた。
彩心は思わずぷっと吹き出す。
「…たしかに。」
二人は顔を見合わせて、自然に笑い合った。
夏の夕暮れの光が、二人の笑顔をそっと染めていた。
***
そして、迎えた夏祭り当日。
夕暮れの神社の参道は、提灯の明かりに柔らかく照らされていた。
浴衣姿の人々が行き交い、金魚すくいの水音や、たこ焼きの香ばしい香りが夏の空気に混ざる。
彩心は淡いピンクの浴衣、琴音は水色の浴衣をまとっていた。
帯や髪飾りも、お互いに選び合ったもの。
鏡の前で二人ではしゃいだ思い出に、彩心は頬を緩ませる。
(初めての慧との夏祭り。でも、琴音や篠原もいるから緊張感も和らぐ…)
そう思った瞬間、背後から声がした。
「おお、気合入ってんなぁ。まさか浴衣で来るとはな〜。」
健人がからかうように笑った。
「当たり前でしょ!彩心と慧くんにとって初めての夏祭りなんだから。茶々入れないの!」
琴音が即座に健人の頭を小突く。
「いってー!外見だけ女らしくしても、中身は乱暴なんだよな…」
健人は頭を擦りながら、苦笑交じりに呟いた。
「うっさい!」
二人の軽妙なやり取りに、彩心も慧も思わず吹き出す。
笑いながらも、慧はそっと彩心に身を寄せ、低く囁いた。
「…今日、すっごく綺麗だよ。」
「あ…ありがとう…」
耳まで真っ赤になった彩心は思わず俯く。
目を上げると、制服ではないラフなシャツ姿の慧が新鮮に映り、胸が高鳴った。
***
四人は屋台を回り始めた。
ヨーヨー釣りでは、彩心がなかなかうまく釣れず、悪戦苦闘。
「ここはこう持って…」
慧がそっと手を添えると、彩心の心臓はドキンと跳ねた。
しかし、結局ヨーヨーは水に落ちてしまい、思わず「きゃっ」と声を上げる。
「残念〜」と笑う健人の隣で、琴音が得意げに3つも釣り上げる。
「見て見て!やっぱり私、こういうの得意!」
その無邪気な姿に健人もつい見惚れてしまい、慌てて目を逸らした。
次に、それぞれかき氷を買う。
甘いものが大好きな彩心は、思わず微笑みながらスプーンを口に運ぶ。
しかし、うっかりシロップが唇から零れてしまった。
慧はそんな彩心を見て、微笑ましそうにしながら、すかさずハンカチで拭ってくれる。
彩心は恥ずかしそうに俯く。
そのやり取りを見て、琴音も健人も顔を赤らめ、恥ずかしくて見ていられない様子だった。
健人はそんな甘い空気を変えようと、かき氷を一気にかきこむ。
「かき氷は、ブルーハワイが一番だろ!」
しかし、一気に食べすぎたのか、すぐに頭を抑えて「頭いてぇ…」と呻く。
「ばかね」と琴音が笑いながら突っ込む。
「うるせー!」と健人が反論すると、琴音は思わず吹き出した。
「篠原、あんたの舌、真っ青になってるよ!」
琴音の指摘に健人は慌てて口元を抑え、顔を赤くする。
そのやり取りに、彩心も慧も思わず笑ってしまう。
笑い声が絶えず、四人の距離は自然と近づいていった。
***
花火が始まる少し前、人混みの中で立ち止まったとき、琴音が健人の耳元にそっと囁いた。
「ねぇ、ちょっと二人っきりにしてあげようよ。」
「はぁ?なんでだよ…」
健人は渋い顔をするが、彩心と慧の様子を見て、内心では二人を応援したい気持ちもあった。
結局、しぶしぶ頷く。
「…わかったよ。」
二人は自然と彩心と慧から距離を取り、人混みに紛れて歩き去った。
***
「え、琴音たちはどこ…?」
彩心は少し不安そうに辺りを見回す。
その様子を見て、慧は落ち着いた声で囁く。
「大丈夫。俺がいるだろ…」
そう言って、自然に彩心の手を取る。
温かく、大きな手に触れた瞬間、彩心の胸はドキリと跳ね、鼓動がぐっと早まった。
視界のざわめきや提灯の光も、二人だけの世界に溶けていくようだった。
***
少し離れた場所では、琴音と健人が口げんかをしていた。
「なんで俺が月城なんかと二人っきりにならなきゃいけねーんだよ。」
不満そうに眉を寄せ、腕を組む健人。
「私だって、好きで一緒にいるんじゃない!彩心と慧くんのためでしょ!」
ぷんっと頬を膨らませ、そっぽを向く琴音。
浴衣の帯が少し揺れる。
ふと、健人は、琴音の横顔を見た。
頬を膨らませ、浴衣姿で夏祭りの光に照らされたその姿に、思わず胸がぎゅっとなる。
(…月城って、こんなに可愛かったっけ?)
視線に気づいた琴音が一瞬ドキッとし、慌てて横を向く。
「何?」と怪訝そうに声をかけるが、頬のほんのり赤い色が隠しきれない。
「い、いや…なんでもねーよ。それより、ほら、花火始まるぞ!」
健人は慌てて視線を逸らし、両手をジーンズのポケットに突っ込む。
その瞬間、夜空に大輪の花火が咲き、琴音の瞳が光を映して輝く。
「わぁ、すごーい!」
思わず歓声を上げる琴音の横顔を見つめる健人は、初めて見るその輝きに心臓の高鳴りを抑えきれなかった。
夏の夜風が二人の間をすり抜け、琴音の浴衣の裾をそっと揺らす。
その空気の中で、健人は胸の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
***
一方、彩心と慧は人混みを抜け、少し静かな場所で並んで花火を見上げていた。
「…綺麗だね。」
彩心が呟く。
花火の光が頬をほんのり染め、横顔をさらに柔らかく、美しく見せていた。
慧は花火には目もくれず、彩心の横顔だけをそっと見つめる。
その横顔に心を奪われ、低く柔らかい声で囁いた。
「…うん。でも、俺は彩心の方が綺麗だと思う…」
彩心は顔が熱くなり、胸の鼓動が速くなる。
慧の視線を直視できず、俯いたまま小さく呟く。
「け、慧…花火も見てよ…」
「ごめん。つい…」
そう言いながら、慧はそっと彩心の両肩に手を置き、自分の方へ向かせる。
彩心は無意識に視線を外せず、慧の真剣な眼差しを捉えてしまう。
その瞬間、胸の奥で高鳴る心臓の音さえ、遠くで響く花火にかき消されていった。
自然に距離が縮まり、唇が触れる。
淡く、短いキス。
戸惑いと温かさが入り混じるその瞬間、彩心は思わず息を止め、手をそっと慧の腕に触れた。
その指先から伝わる温もりに、慧もかすかに力を抜き、二人の間に静かで柔らかな鼓動だけが残る。
世界の音は遠くなり、花火の光が二人の影を優しく揺らす中、初めての唇の感触が心に深く刻まれていった。
慧が少し息を弾ませながら、小さく囁く。
「…もう一度、いいかな?」
潤んだ目で彩心が「うん…」と頷くよりも早く、慧は再び唇を重ねる。
今度は先ほどより深く、長く。
遠くで響く花火の音さえ、二人にはもう届いていなかった。




