大切だから、恋じゃない
放課後、部活を終えた帰り道。
夕陽がグラウンドに長い影を落とす中、慧は思い切って健人に声をかけた。
「なぁ、お前、最近彩心ちゃんと話してないんだってな。」
健人は視線を地面に落とし、答えづらそうに「ああ…」とだけ返す。
足元の砂利を軽く踏む音が、沈黙の中でやけに大きく響いた。
慧は少し間を置き、でも熱を帯びた声で続ける。
「なんでだ?彩心ちゃん、寂しそうにしてたぞ。正々堂々と勝負だなって言ったのはお前じゃないか。勝手に身を引くのは無しだぞ。」
健人は小さく息を吐き、肩をわずかに落とす。
夕陽に照らされた横顔は、少しだけ影が強くなり、瞳が揺れているのが見えた。
しばらくの沈黙。
遠くでボールが弾む音や、部室から帰る足音が聞こえる。
健人がようやく口を開く。
「…自分でもよくわからないんだ。」
声に少しだけ震えが混じる。
「彩心のことは大切だ。守りたいって思う。でもさ、お前と一緒にいる彩心を見ると…お前に幸せにしてもらえたらいいなって、そう思うんだ。」
その告白に、慧は胸がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
目頭が熱くなる。
息を整えるために、思わず視線を逸らす。
言葉にしようとしたけれど、何も言えなかった。
健人は深く息を吸い、夕陽に目を細める。
「でも、お前に言われて気づいたよ。俺、ちゃんと彩心と向き合わないといけないって。」
慧は言葉にせず、大きく頷いた。
「明日、彩心に自分の気持ちを伝える。自分の気持ちを確かめるためにも…」
健人の拳がぎゅっと握られる。
夕陽に透ける手の影が、静かに震えていた。
慧はその背を見つめ、親友の覚悟をしっかりと受け止めた。
彩心を幸せにしたいと思う反面、健人を傷つけたくないという複雑な想いが交差していた。
***
翌日、部活の前。
健人に呼び出された彩心は、久しぶりの声に少し戸惑いながら、グラウンド脇の砂利の敷かれた通路を歩いた。
足元で砂利が踏まれるたび、ザクザクと音を立てる。
その音が、緊張で高鳴る胸の奥に小さく響いた。
「ど、どうしたの…?」
彩心の声は風に少し震え、手のひらがじんわりと熱を帯びる。
膝の裏もわずかにこわばった。
その原因は、目の前で真剣な表情を向ける健人だった。
圧のある視線に、思わず身を縮めてしまう。
健人はポケットに手を突っ込み、一瞬空を見上げてから、ゆっくりと言った。
「俺…お前のことが好きだ。」
一瞬、風が止まったかのように静かになった。
彩心は驚きで息を呑んだ。
日差しが彼女の瞳に揺れ、光がその驚きをそっと包む。
胸の奥がぎゅっと締めつけられ、心臓が耳の奥でどくどくと響いた。
しかし、健人は、地面を見つめながら言葉を続ける。
「でもな…今こうして言ってみて気づいた。俺の“好き”は…恋愛感情じゃない。」
「え…」
彩心の表情が揺れる。
恋愛感情じゃないと告げられたはずなのに、不思議と胸の奥にはどこかほっとする温かさが広がった。
「お前が倒れたときに思ったんだ。大切な存在だから、守りたいって。」
言葉を探すように、健人は短く息をついた。
「…でも、それは、妹を想うような気持ちに近いんだ。」
健人は真っ直ぐ彩心を見つめ、目元まで柔らかな笑みが揺れた。
陽の光がその笑顔を照らす。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
その瞬間、彩心の目に涙が溢れた。
「なによ…散々私のこと避けてたくせに…今さらそんなこと言うなんて…ずるいよ。」
声を震わせながら、彼女は両手で顔を覆った。
息を吸うたびに胸が少しずつ軽くなり、心の中で小さな波紋が広がるのを感じる。
避けられていた間の寂しさが、少しずつ溶けていく。
「篠原の気持ち、ちゃんと届いた。ありがとう。」
彩心は涙を拭い、微笑む。
笑顔はまだ少し震えていたが、心の奥に安堵が忍び込んでいた。
そして、少しだけ冗談めかして言う。
「でも、一つだけ。…何が“妹”よ!そっちの方が弟っぽいでしょ?」
「…は?どう考えても、お前の方がガキだろ?」
健人も笑い返す。
砂利を踏む音に混じる二人の笑い声は、久しぶりに軽やかで、心地よく通路に響いた。
(やっぱり…篠原とこうして笑いあえるの、嬉しいな。)
彩心の胸が小さく跳ねる。
嬉しさと安堵で、胸の奥がふわりと温かい。
健人は笑顔で言った。
「彩心、お前、幸せになれよ。」
その言葉に、彩心の胸の奥がじんわりと熱くなる。
(幸せ…私にとっての幸せって、誰といることなんだろう。)
健人の背中を見送りながら、心の中に浮かんだのは——
あの人の穏やかな笑顔だった。
***
彩心に想いを伝えたその日の部活終わり。
夕陽がやわらかく差し込むグラウンドは、いつもより少し赤みを帯び、長い影を落としていた。
慧は健人の横顔をじっと見つめる。
その口元に力が入るのを、わずかに呼吸が詰まるのを、言葉にする覚悟を測るように見守った。
沈黙の中で漂う熱気と静けさが、二人の間に微かな緊張を作り出していた。
健人は慧に告げた。
「…俺、彩心に想いを伝えた。後悔はない。」
吹っ切れたような笑顔が混ざるその表情は、肩の力がすっと抜け、心が軽くなった清々しさを帯びていた。
「そっか…お前がそう言えるなら、俺も安心したよ。」
慧は健人の顔を見て、小さな安堵が胸の奥で広がるのを感じた。
健人は少し間を置き、真剣な眼差しを慧に向ける。
「…次は、お前の番だな。」
その言葉に、慧は言葉を失い、思わず夕焼けの光に目を逸らす。
胸の奥がざわつき、小さな覚悟がうずくのを感じた。
健人は続ける。
「お前は知らないかもしれないけど、あいつ、けっこう人気あるんだ。俺のクラスでも、気になってる奴けっこういる。」
「…そうなんだ。彩心ちゃん、可愛いからな…」
慧はわずかに眉を寄せ、戸惑いを隠せない。
胸の奥で小さな焦りが跳ね、知らず拳がぎゅっと握られた。
健人は軽く息をつき、視線を真っ直ぐ慧に戻す。
「ぼやぼやしてると、他の誰かに連れていかれるかもしれないぞ。」
慧は言葉を失い、思わず足に力を込める。
砂の感触が少し沈むのを感じ、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
健人は視線を落としつつ、少し照れくさそうに笑みを浮かべて告げる。
「あいつは、俺にとっても大事な奴なんだ…放っておけないんだよ、昔から。」
笑みをそっと引き、視線を真っ直ぐ慧に向ける。
声には、確かな熱が込められていた。
「だから、お前が幸せにしてやってくれ。」
その言葉に、慧の胸に小さな火が灯った。
迷いはもう許されない
——そう静かに悟った。
夕陽に照らされる二人の影が、長く伸びてグラウンドの上に揺れる。
慧は深く息を吸い込み、自分の決意を確かめるように立ちすくんだ。




