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グルメな冷遇妻ちゃん

過激ではないですが腐った食べ物と嘔吐の描写があります

 実家の伯爵家よりも、否、正確には伯爵家でコリーナが割り当てられていた部屋よりもよほど広くて上等で清潔な、しかし十分過ぎるほど年季が入ってどこかもの淋しく手入れはされていても使用はされていなかったと分かるような離れに押し込められた時に、コリーナはかつての“私”を取り戻した。


 “私”、折木雪輝(おれきゆき)は令和の日本で会社員をしていた女だった。

 給料はそこそこだが勤務時間はなかなかよく短めのホワイト企業に勤め、グルメが趣味だったので無料のパズルアプリやRPGソシャゲ、無料で読める漫画や小説なんかをよく普段使いの娯楽としていた。

 雨の日の通勤で、濡れた駅の階段を降りようとした時に肩に誰かが勢いよくぶつかって転がり落ちたところまで覚えている。

 

 ぞっ、と宙を舞った恐怖とあの痛みを思い出して自身の両肩を抱いた。

 死の瞬間を思い出した異常にきょどきょどと視線が彷徨い様々な思考が浮いては消える。

 寒さではなく震える体をかき抱いて少しでも冷静になれるよう、コリーナは細く深く息を吸っては吐いた。


 雪輝ではなくコリーナの人生に思考をずらそうと、この16年を思い返す。

 コリーナは、アントル伯爵家の子女だった。

 コリーナの母は産後の肥立ちが悪くて死んだという。そして喪が明けると同時に生母の実家から縁を絶やしてはいけないと母の従姉妹の女性が嫁いで来たのだ。

 後妻の継母はコリーナを疎んじていた。正確には、アントル伯爵家も実家のことも恨みに思っていた。

 理由は知らない。けれど、時折「貴女の母親さえ死ななかったら」とこぼしていたから、継母にとって不本意な結婚だったのかもしれない。

 もしくは、死んだコリーナの母と余程折り合いが悪かったか。


 とにかくコリーナは継母に疎まれて冷遇されていた。

 継母は魔女であり、その権威をありがたがった実父はコリーナの冷遇を見ないふりしていた。

 魔女とはこの世界で尊ばれ、敬意を集め、畏れられる種族である。

 強い情熱と信念を持った魔力ある生命体が生まれ持った種族を脱ぎ捨て次の位階に上がることで魔女または魔法使いとなる。

 そんなちっぽけな伯爵家からしてみれば何でもできる筈の魔女の継母がどうして家に縛られてちっぽけで無力なコリーナをいたぶる事に精力を出しているかなんて分からなかったけど、とにかくコリーナは生家の伯爵家で冷遇されていた。

 そして、9歳の頃から家にいる養子の義兄に家を継がせるからと会ったこともない相手に嫁がされたと思えばろくに目も合わせずに「君とは契約結婚だ。不自由ない暮らしを約束するが一般的な幸せは諦めてほしい」と言われて離れに押し込められたのだ。


 雪輝は、この世界を知っている。

 書籍化もされたネット小説の『契約結婚だけど旦那様はお優しいです』の世界だ。

 前世の記憶はともかく、小説の世界? 馬鹿馬鹿しいけれどコリーナとしての人生で継母エリーゼの魔法を一身に受けてきた身としてはありとあらゆる不思議が有り得ないことではないと感じられる。

 ネット小説『契約結婚だけど旦那様はお優しいです』は、生家で虐待された伯爵令嬢コリーナがヒーローのダグラス・ヴァルツ子爵家に嫁入りするところから話は始まる。

 ヴァルツ子爵家は先代からの成り上がりの家で貴族社会での血筋というカードがほしい。

 そして、アントル伯爵家では私コリーナは跡取りにするわけにもいかず、継母エリーゼの妨害でマナーもなにもなっていないので他家に嫁に出すにも不自由する扱いにくい娘だった。

 そうして、『血筋だけでよろしいのでしたなら』と二束三文でコリーナは子爵家に売り払われていくのだ。

 作中ではこれからコリーナは婚家での冷遇にも負けず家の掃除をしたり使用人の真似事をしたりと、成り上がりのヴァルツ家にとってのプラスポイントである『細々と働く良い嫁』という評価を得ていく。

 そして見事、夫であるダグラスの溺愛を勝ち得ていざ、社交界に乗り込むのである。

 今までのコリーナの人生では謎だったことだが、継母エリーゼの恨みは小説内で明らかにされている。

 端的に言えば恋に関する恨みだった。

 エリーゼとコリーナの生母リーシェは従姉妹で幼馴染だったという。そしてリーシェにはラインヘルという兄がいた。彼がエリーゼの初恋で魔女としての情熱を捧げる相手だった。

 小説内でもエリーゼ達の過去は生者であるエリーゼとラインヘルの思い出としてしか語られない。

 それによると、エリーゼはラインヘルだけに好意を持っておりリーシェには関心がなく、しかし女姉妹を欲しがったリーシェからはしつこく「私達本当の姉妹のようね」と絡まれる。エリーゼとしてはリーシェは最愛のラインヘルの妹だからとあまり邪険にもせずにいるとラインヘルまでもがエリーゼを妹扱いしだした。焦るエリーゼが愛を告白するも、ラインヘルは「エリーゼのことは妹のようにしか思えない」と愛を拒絶する。エリーゼ大激怒。という流れだ。

 正直、母リーシェへの恨みは逆恨みと言っていいレベルだとは思うがそれが通じないのが魔女なのだ。

 小説終盤でエリーゼが自身の姪コリーナを虐待していたことを知ったラインヘルは、彼女に「君は狂っている……。とても人間とは思えない」と拒絶するのだが、それに対するエリーゼの返しが恐ろしかった。

 彼女は愛する人からの畏れに陶然とし、「そう、魔女は生きた災害なの。これでもうあなたも私を妹とは呼ばなくなるでしょう?」と言い放つのだ。

 ラインヘルの心を得ることから完全に脱線している。この破綻っぷりと恐ろしさが魔女魔法使いの所以なのだ。


 ぶるぶるとコリーナは震える。

 あんな今までの人生でも雪輝としての記憶でもトラウマまっしぐらな怖ろしい怪物に敵対するなどしたくない。

 よくも作中のコリーナは継母に対峙しようなどと思ったものだ。

 コリーナは案外箱入りでこの世界の常識に詳しくはないが、魔女、魔法使いは畏れ敬い遠ざけるものだということくらい知っている。

 前世で言うなら、刃物銃火器不所持が絶対の国で合法で高火力の銃を常に携帯している上に殺人を犯しても禁固刑に出来るか分からないような人物なのだ。

 人柄が良くてもなかなかお近づきになるには勇気がいるのにましてやエリーゼはコリーナを酷く疎ましく思っている。

 ぶるぶるテリブル。


 継母のことは一旦置いておこう。

 小説内ではコリーナと夫から今までの報復に動いていたが、嫁に行ったコリーナにエリーゼが積極的にちょっかいを出しに行く描写はなかったはずだ。

 もしかしたら、自分と同じように不本意に嫁がされたという事実でエリーゼの溜飲が下がったのかもしれない。

 小説内ではエリーゼはラインヘルを想って実らぬ恋であろうと生涯独身を貫くつもりだったのに、ラインヘルの命令によってアントル伯爵家に嫁がされたのだ。

 だから継母と実父の間には子がいないし、跡継ぎが養子の義兄になったのだった。


 そう考えるとこの子爵家に嫁がされた時点で逃げ切ったと言えるのではないだろうか?

 夫に溺愛されなければ夫はエリーゼに報復なんて怖ろしいことも思い至らないだろうし、別にダグラスからの愛もそこまで欲しいものではない。

 コリーナはその時そう高を括っていた。



「なにこれ……」

 目の前にはメイドが運んできたうっすらカビの生えたパンに所々傷んだ部分が見えるサラダとこちらも黒ずんだところにある野菜が浮いたスープとカチカチの干し肉。

 そうだ。子爵家では夫に気に入られないうちは冷遇されるのだった。

 一応小説のヒーロー、ダグラスを擁護するなら、彼自身もこのごはんを食べているというところである。

 この世界この時代ではカビまみれ以前のうっすらとしたカビや多少の傷みは『まだ食える』判定であり、庶民間では食べてよしとされていた。

 ヴァルツ子爵家では客人を持て成す家具には金をかけるが普段の食事に金をかけるなど言語道断な方針で、身内扱いで客人ではないコリーナにもその食事が出てくる。

 普通の貴族令嬢にこんなもの出したらその日のうちに実家に逃げ帰られて社交界の噂になっているだろう。

 小説内コリーナは継母エリーゼに焼いたネズミとか食べさせられていたのでカビパンくらいは余裕で食べていた。

 おずおずと手を伸ばしてパンを食べてみるが、反射的に嘔吐してテーブルと残りの料理が吐瀉物にまみれた。


 雪輝は白カビチーズとか青カビチーズとか納豆とか、そういう癖のある食べ物は食べられるが衛生面のキッチリした日本で育った人間らしくガチの腐敗のカビ食物を食べられるガッツは無かった。

 当然吐瀉物にまみれた食事を飲み込む勇気も嘔吐反射を抑える技術もない。

 前世読んでいた冷遇妻小説ではカビパンなんて皆余裕で食べていたのにこんなにもキツイのか、とコリーナはゾッとした。

 今日一日で前世一生分の悪寒が走っている。未来が暗すぎる。

 明日からどうしよう……。

 食事をとれなかったことを夫に叱責されるかもしれない。

 このまま飢え死にするのかもしれない。

 そう不安に沈み込むコリーナの頬を、ふわりと風が渦を巻いた。


 ◆◆◆


「コリーナ、これがカルメンのほん」

「コリーナ、これがカルメンのまほうどうぐ」


 小さな、コリーナの手首から肘までほどの体長の翅が生えてふよふよと浮いている生命体は、コリーナの主人である魔女のマダム・カルメンの使い魔だ。

 魔女の下僕として新参でこの世界の食材や魔法道具の使い道を詳しく知らない無知なコリーナに付けられた教育係であり、料理人としてのコリーナの助手だった。


 あの日、誰もいない筈の離れの部屋でつむじ風が起き、気がつくとそこには背の高く豊満な肉体を喪服に包んだ妙齢の女性が立っていた。

 黒いヴェールから燃えるような赤毛を溢し真っ赤な唇をのぞかせた女性はカルメンと名乗り、自身を魔女だと言った。

 魔女や魔法使いに強い恐れをもつコリーナはひええと怯えたものの、カルメンは穏やかに、コリーナを買いたいのだと告げてきた。

 カルメンは食を本分とする魔女なのだと言う。

 魔女が本分を持つのはコリーナも知っている。魔女、魔法使いには信念や根幹とも言えるものが三つあり、普通はその全ては詳らかにせず、しかし大抵は一つ二つ程度は明らかにしているのだった。

 継母のエリーゼは当然ながら恋を本分とする魔女として有名だ。

 カルメンは食の魔女で、コリーナを自分の料理人として雇い入れたいという。

 コリーナは確かに継母にいびられる過程で多少使用人の真似事もしたが、料理人などとんでもないという程度の料理しかできない。

 疑問符に埋め尽くされるコリーナの脳内を読み取ったように、カルメンは優雅に貴女の前世を求めているのだ、と教えてくれた。

 実はこの世界には転生者はそこそこの数いるらしい。

 大概は似たような世界から、それなりに成熟して根幹がしっかりとした世界からこの未熟な世界の不安定さを支えるために死んだ魂か記憶かが連れられて来るらしい。

 知りたかったら詳しいことを教えてくれると彼女は言ったが、世界の成り立ちやシステムに興味はなかったので丁寧に断った。

 そんなことより明日の身分だ。


 コリーナは知らなかったことだが、この世界には『魔女の下僕』という身分があるらしかった。

 魔女、魔法使いと契約に結ばれた主従関係。

 理不尽な奴隷契約ではなく雇用関係に近い。

 前世の感覚だと食客が近いだろうか。

 カルメンはコリーナを雇い入れて、この世界の食事を学んで異世界の食事を再現してほしいのだと言う。

 カルメンはまだ見ぬ食を作れる資質のある者があるとアラームが鳴る魔法を契約下の地域に施しており、それが反応したから契約の誘いに来たのだと言った。


 なかなか良い条件なんじゃないの? とコリーナは思う。

 魔女や魔法使いは怖ろしい。正直関わり合いたくない。

 けれど、彼ら彼女らが激情家であると同時に契約に真摯で純真であることはコリーナの人生でも前世の小説内でも語られていた。

 コリーナの前世はグルメで凝った手料理だって熟していた。レシピも大雑把にだが頭のなかにある。

 今日明日に料理を出せというのではなくて半年以上の勉強修行期間も教育係もつけてくれるという。

 たまたまコリーナが異世界の料理の記憶を持っていただけで。

 チャンスだ。

 コリーナの心は決まった。案外楽観的な女なのである。


「ぜひともお受けしたいです! でも、私ヴァルツ家に嫁いだ身ですのでいきなり失踪はまずいといいますか。今の主人を説得いたしますので!」

「まあ、それならわたくしも共に行くわ。貴女を見事買い上げて見せましょう」

 そうして、金貨二袋と魔女への貸しをもって私は魔女の下僕となったのだ。

 

  

 

 

よく冷遇妻ってカビの生えたパン食べてるけどお腹壊すよね…と思いました。

アンチテンプレ系のつもりで書かせていただきました。


コリーナちゃんのお話はまだまだ続きます。これからはコリーナちゃんが異世界知識で飯テロしていく予定

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― 新着の感想 ―
これは勝ち確! 冷遇夫に溺愛されるような話って、いつも腑に落ちないな〜と思ってるので、絶対こっちの方がいいと思います。
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