優雅ではないメイドちゃんと不思議ちゃんお嬢様
「レイン聞いて! アルフリード様とリーゼルシア様とのご婚約が決まりそうなんですって!」
「まあまあ、王太孫殿下と公爵令嬢様をお名前でお呼びしてはいけませんよお嬢様」
きょろりと金の散ったアンバーの瞳をうごめかしながら密やかに、けれど興奮を抑えきれずに叫ぶシンシアお嬢様のゆるくウェーブがかった青紫の髪を梳りながら私は取り敢えず不敬を窘めることを優先した。
面識のない格上の令嬢子息をいきなり名前で呼ぶなんて無作法を自室以外ではしないと信じたいけれど、癖はいつ出るか分からないのだから注意するに越したことはない。お嬢様が不敬罪でチョッキンとされたら流石に寝覚めが悪いどころかかなり気分が悪い。
「ごめんなさい」と小さな手でもっと小さな口を押さえて謝るお嬢様。
その仕草の無作法の方は指摘しないことにした。私はマナー講師ではないし、丁度お嬢様の髪にコテを当ててカールをつける事に集中したかったから。
「ああ! 殿下とライリンヒ公爵令嬢がご入学した翌年にはゲームの『花散る前に誓いを』が始まるんだわ」
独り言にしては大きい声で、話しかけるにしては脈絡がなく唐突な言葉でお嬢様は言う。
いつものことだったから「さようでございますか」とだけ返事を返しておく。自分の発言に対する返しにあまり神経質ではないのがシンシアお嬢様の良いところだ。
あるいは、貴族令嬢としてはその無関心さ鷹揚さは欠点にもなりうるかもしれないとレインは思い至っていたが、仕える側としては主人が寛大で鷹揚なのは何も悪いことではないので差し出がましい口は挟まなかった。
レインはホークスピア侯爵領に生まれた平民だ。
物心ついた頃にはこの世界ではない場所で成人して働いていた記憶があり、そのおかげで計算が早く商売の取り引きノウハウも早く理解できたので幼い時分に農民であった生家から商人に奉公に出され、そこでも成果を出したことで正式に商会に雇われて教育を施されつつ働いていた。
そこにシンシアお嬢様のお父様である、現ホークスピア侯爵子息であり跡取りでもあらせられる若旦那様が噂を聞きつけ、シンシアお嬢様の世話係にと買い上げたのだ。
当時、というか今でもではあるが、シンシアお嬢様は精神が不安定な子供として侯爵家で持て余されていた。
不意に意味の分からないことを言ったり、教えていない計算式や貴族家の話をしたり、兎にも角にも不気味がられていた。
特別頭が良いのかと思えばよくぼうっとしているし、癇癪持ちではないが突飛な言動の多い娘に頭を悩ませ、同じ年頃で細々と気が利くと評判だったらしい私を側に置けば何かいい方向に変わるかもしれないという試行の一つだった。
結論から言えば、それはまあまあにうまく行ったと言える。
シンシアお嬢様の奇行は前世の記憶を持っていることが原因だった。
話を聞く限り、レインと同じか似たような社会構造、時代の世界らしかった。
平民の農家で家族が皆忙しくしており大雑把に育てられたレインと違って、貴族として多くの目があるなかで育てられたから他の子供との異常がよく目についたのだろう。
レインは自分にも奇妙な記憶があることはシンシアお嬢様にも若旦那様にも大旦那様にも誰にも言わなかった。
特にメリットがあるとは思えなかったからだ。
シンシアお嬢様はレインが自分の話を否定しないだけで十分満足そうにしておられたし、下手なことを言って狂人扱いされたらたまらなかった。
若旦那様には、「シンシアお嬢様の奇妙なお話は私がしっかりと聞いて、私だけに話してくださるようにとお願いしてみます」と言えばお嬢様の奇妙な行動は少しおさまったらしく私はシンシアお嬢様のお世話役、というか遊び相手のような不安定な立場のメイドになった。
お給金は他の下働きの下級メイドよりは上で侯爵家の皆様の身の回りを直接世話をする上級メイドよりは少し低いくらいのお金をいただいている。
私はそれに不満はないし、表向きメイド仲間達からも嫌味や不満を言われたことはない。
ホークスピア家の不思議ちゃんでありこのままでは家を繋ぐ立場のシンシアお嬢様の奇行を抑える係とはそれほどまでに望まれていたものらしい。
奇行に次ぐ奇言の不思議ちゃんなシンシアお嬢様だが、腫れ物に触るような扱いではあるもののあまり悪口などは聞いたことがない。
主家の悪口など言語道断なのは勿論当然だが、それ以上にどうもこの世界の人間はお人好しが多いというか懐が深い印象がある。
まあ、理由は分からないがお嬢様が傷つかないなら良いことだ。
なんのかんのと中身も外見も可愛らしく良い子なシンシアお嬢様がレインは好きだった。
私がついていけない貴族社会でお嬢様が平和に過ごせますように。
綺麗に巻いてハーフアップに整えた髪に美しく化粧も施して、お茶会に参加しにいくお嬢様の今日の幸せを祈って私はうなじに秋薔薇の香水を吹きかけた。




