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天啓ー死への道ー

作者: 車の光
掲載日:2026/01/01

 私は夜半、車のライトに死を見出した。事故が起きるのではないかと思えるほどに車と私の程は近かった。車の中の彼はどのように私を見たかは分からぬ。

 ただ私が気付く前にはブレーキを踏んでいたことは確かであった。美しい北摂の静寂なる夜の住宅街。世はこの地を高級住宅地とて持て囃したる場所なれば周りも良き人ばかりであり街中でいきなり怒鳴られたり睨まれるようなこともなかった。今回の車の人も睨んだりすることはなく、我と互いに申し訳なさそうにしながらその場を立ち去って行った。

 しかし、私はあの接触しそうなほどに近くなった車のライトは私に西方浄土か三途の川か、はたまた無間地獄か分からぬがそういった死後の世界なるものを私に明瞭に示唆していた。そこは美しき花園ではなく、また逆に鬼どもの人を咎めたる場所にもなく、ただ光に包まれし場所であった。ただ光が我を包んでいたのであった。

 あの不思議な空間はあの世界にはどのような光景が広がっているのであろうか。夜でも昼でもなく、山でも川でも里でも街でもない。ただ光のみがそこに漠然と存在する空間。楽園でもないただの単調とした世界である。あれこそ人が最も恐れている世界である。自己の喪失。それは他者からの絶対的な断絶にこそある。だとすれば死というものは周りに他者というものは介在せずに光のみが自身を包んでいる。そのような世界では自身の自己を観測することは不可能なのだ。すると自身の事故は観測されないがために永久的に滅亡してしまうのだろう。

 この自己の喪失の感覚。それこそは経験しない限り永久的に実在を感じることが不可能なのである。しかし、その経験をしてしまえば、この人間の俗世から侵犯の世界、エロティシズムな神の世界に永久的に放り出されることになるのだ。それは他の内的経験とは決定的に異なる体験なのである。その神の世界はウパニシャッド哲学ではブラフマンとアートマンの同一化に先にあるものであると説明され、『エロティシズム』では禁忌の超越の先に存在するものと説明されている。ならば私はあの光にどのように近づけばよいのだろうか。

 風呂場で考えた。お湯と外気の境界を見ようとした。しかし、そこにはただの境界のみが介在しておりそれが同一化することなどはなかった。夜に考えた。我の想い人に性という圧倒的なる侵犯ーすなわち性交渉という暴力ーを行った。しかし、このエロティックな内的経験の中には決して光の世界は顕現しなかった。ただ頭がさえるようになっただけであった。

 あの光の世界。私はあの向こう側にある世界に執着していた。この執着はまるで広大な砂漠の真ん中で、街も道も見えない砂漠でただ一人、呆然と突っ立っているようなものであった。その砂漠で浮浪者のようにふらつくことしかできないのだ。さまよえるユダヤ人の如くただ目的地も知れぬままにふらつくことしかできないのであった。

 雪国で考えた。極度の寒さはいずれ自身と細胞膜を挟んだ外気との気温差を同じにするのではないか。そうなれば私を包む境界線というものは消失して、いずれは色も形も境界線も存在せず光のみがただそこに存在するような世界に辿り着けるように思った。しかし、そこではエロティックな変革。つまり、俗なる世界から聖なる世界への移行こそありはしたが、それ以上のものは存在しなかった。光の世界に辿り着くことは無かったのだ。最終的には寒さのあまりに低体温症を引き起こし、病院で一か月ほど入院して、危うく単位を落とすところであった。

 しかし、雪国の薄暗い空の下である一つの確信をした。それはこの光の世界は聖の世界であり、その世界の極限的なものであるということである。あの光でのみ築かれた美しい世界は禁忌を超越したその先にある世界なのだ。その禁忌を極限的に超越する方法は何か。それは死なのである。

 死とは禁忌の侵犯の中で最も強烈なものだ。その強烈な内的経験を経てしか辿り着けない世界が存在することは感覚的に感じていた。その感覚が提示した唯一の道こそが死であったのだ。破滅。それは最も恐ろしいものである。殊に死というものは人間が最も忌避するものである。それは死とはエロティックで聖なるものだからである。つまりはこの死という結論は必然的なのであった。それは我が彼の聖域を侵犯した時からこの結論は決まっていたのだ。

 苦しみの中で死ぬことが恐らく最もあの領域に近づく行為なのだろう。そう思い立ったら意外にも行動は早かった。愛すべきあの女とも別れ、向こう岸に持っていくものを鞄に詰めた。新幹線で北方に向かい、函館近辺で新幹線が途切れると特急でさらに北方へ。そして、北方の場所も分からぬ原野まで行った。原野を吹く風は痛いほど寒く、それは快楽でもあった。

 その死の階段を下り堕ちる男が一人。彼は地獄の底に堕ちていく。暗く険しき、道を一人転げ落ちて行く。その先の快楽を目指して・・・。

 一応言います。これは自殺を推奨するものではありません。自殺というのは神と人間の関係性を破壊させる徹底的な罪であり、それを推奨する気など私にはさらさらありません。そもそも人生というのは何十年もあるわけですからその中の一瞬のために死ぬなんて最も愚かな者であります。ただ、天啓のように自分の脳内から直接的に浮かび上がってきたストーリーを、その言葉のつなぎを懸命に書き写していただけであり、自殺をするなんてことは原則として尊ぶべきことではありません。いわんや人の作品に影響されて自分を、自己を、この先の将来を殺すということはなおさら尊ぶことなぞできないでしょう。決して、決して自殺をしようなどという馬鹿なことをするのはやめてください。そんなことをする愚か者は無間地獄に落とされて、生よりも、死よりも辛い体験をすることでしょう。それに自殺というのは人間の良いところも悪いところも見つめてその両方を愛するという人間の生の本質から逸れる行為に他なりません。

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