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第5篇 猫又、付喪神、無課金アバター

『ええ、それもそうね』


 三毛猫の毛利さんの提案に、松子さんと呼ばれた市松人形は、ぽん、と小さな手を打った。

 さっきまでぷりぷりと怒っていたのが嘘のように、その表情はすっかり出会った時の上品で明るいものに戻っている。


 ……何とも切り替えの早い人だ。

 私も見習った方が良いのかも知れない。


『では、改めて。まずは私からね』


 松子さんが、お盆を机の隅に置き、ちょこんと正座し直した。


『私の名前は松子。松さんでも、お松とでも、呼びやすいように呼んでちょうだいな』


 おほほ、と着物の袖で口元を隠して品良く笑う。その仕草には、どこか年長者らしい貫禄があった。


『見ての通り、古い市松人形でね。付喪神つくもがみ、というものなのよ』


 付喪神……。


 確か、古い道具に魂が宿ったという、あれだよね。おばあちゃんの家で読んだ昔話の絵本に出てきたっけ……。


『生まれたのは岐阜の方でねぇ。そうそう、空襲の時は本当に大変だったわ。持ち主だった〝きえちゃん〟と一緒に、防空壕の中で真っ暗な空を見上げていたのを思い出すわねぇ』


 空襲……?


『あら、ごめんなさい。なんだか、あなたを見ているとあの子を思い出しちゃって。つい、昔話が長くなってしまったわ』


 おとぎ話だと思っていた存在が、目の前にいる。

 そして、その小さな人形は、私なんかよりもずっとずっと長い時間を、この国で生きてきたんだ。


 その事実に、私はただ言葉を失った。


 私を落ち着かせるために自己紹介をしてくれたというのに、事態はますます分からなくなってきた。


 市松人形が付喪神で、戦前から生きていて、今は私の先輩で……。


 ?????


 何とか理解しようと頭を捻っていると、今度は三毛猫――毛利さんが、コホン、と一つ咳払いをして話し始めた。


 さっきまでの面倒くさそうな態度とは打って変わって、背筋を伸ばして座り直している。その堂々とした佇まいには、どこか武道家のような威厳があった。


 なぜだろう。親戚の、山形のおじいちゃんを思い出した。

 あの人も剣道の師範で、普段は好々爺なのに、道着を着るとスッと空気が変わる人だったなぁ。


 そういえば、ここ数年は会えていない。今度、警察官になったことを報告しに行こうか。きっと、喜んでくれるだろう。


 そんな風に、私の意識が現実逃避しかけた、その時。


『俺は毛利。見ての通り、ただの猫じゃねぇ。猫又だ』


 低く、よく通る声だった。


 いつの間にか尻尾が二つに増えている……。

 あれ? 最初からそうだったっけ?

 一本だったような気もするし、いや、二本だったような気もする。


 ……駄目だ、さっきまで混乱し過ぎてて分からない。


『庄戸市の猫どもは、大体俺が取り仕切ってる。お前さんがこれからやる仕事のイロハは、俺がしっかり教えてやるから安心しろ』


 そうやってピシッと締めると、クイッと顎をしゃくって、私が今日初めて出会った職員、けれどまだ一度も言葉を交わしていない、あの生気のない男に、自己紹介を促したのだ。


 全員の視線が、向かいのデスクに集まる。


 男は、相変わらず無表情で日誌にペンを走らせている。

 その代わりに応えたのは、彼の左手にはめられた狐のパペットだった。


 パペットは、まるで「仕方ないな」と肩をすくめるような仕草をしてから、口を開いた。


『……こいつは守屋もりや まなぶだ。人間の形が必要な時は、声をかけるといい』


「あ、はい、どうも……」


 ん?

 自分のことを話しているはずなのに、ものすごく他人事のような……というか、人間をモノ扱いするような言い方に、私は強烈な違和感を覚えた。


 腹話術……にしては、何かが違う。

 人間の声とは響きが異なるような……。


 もしかして、本当にこのパペットが喋っているのか?


 私の思考を遮るように、松子さんの甲高い声が飛んだ。


『ちょっと守屋くん、あなたもう少しちゃんと自己紹介しなさいな。歩美ちゃんも困ってるじゃないの』


 ぶっきらぼうな息子に説教をする母親のように、彼女は腰に手を当てていた。

 そして、いつの間にか「歩美ちゃん」と名前呼びになっている。距離を詰めるのが早いなこの人……。


『いつまで続く契約かも分からんのだ。これくらいで構わんだろう。以前も、特に問題はなかった』


 パペットはそう言うと、ぷいと顔を背け、これ以上話すつもりは無いと態度で示した。


 以前も……?


 ということは、私の前に誰か前任者がいたんだ。

 そして、その人はもう辞めちゃったってこと……?


 急に、足元が冷えるような不安がこみ上げてきた。


 私の心境を察したのか、松子さんが「あの子はねぇ……」と、フォローするように口を開いた。

『なんて言ったら良いのかしら。神様の、その、分け御霊の、さらにその写し身の……』


 難しい言葉を並べようとして、上手い表現が見つからずに腕を組んで「うーん」と唸っている。

 そして、何かを閃いたように、ピッと人差し指を立てた。


『アバターよ! アバター!』


『神様のアバターみたいなものでね、大元の御本尊はすっごく偉い方なのに、性能の悪い無課金アバターで地上に派遣されて、拗ねちゃってるのよぉ』



 松子さんの言葉に、パペットが何か物申したげにピクッと動いたが、反論するのも面倒になったらしい。すぐに興味を失ったように、またそっぽを向いてしまった。


 付喪神に、猫又に、無課金アバター。


 折角、自己紹介をしてもらったというのに、私の頭の中の謎は、ますます増えるばかりだ。


 この部屋に来て、まだ一時間も経っていない。

 なのに、どっと疲れた……。


 私は、湯呑に残っていたお茶をぐいっと飲み干し、誰に言うでもなく、心の中で呟いた。


 お父さん、お母さん。


 社会人って、本当に、大変なんだね……。

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