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第2篇 市松人形とパペット

『あ、あの~....どなたかいらっしゃいますか~?』


 薄暗くかび臭い廊下に立ったまま、どうしたらいいものかと迷っていた。

 だが、肌が粟立つような、妙にソワソワ、ゾワゾワとする感覚に背中を押され、沈黙したままの重い扉を開けることにした。


 ギィ....と軋んだ音を立てて開いた先は、がらんとした、人のいる気配の感じられないオフィスだった。


 けれど、よく見るとそこには奇妙な「生活感」が満ちている。


 机は全部で6つ。


 一番奥の、課長席らしい重厚な机の上には、なぜか古びた福助人形が一体、こちらをじっと見ているかのように鎮座している。


 その手前には、古い刑事ドラマに出てきそうな黒電話と……巨大な猫用の爪とぎが置かれた机。


 隣には、大量の充電ケーブルがタコの足のように伸び、小さな和風の座布団がちょこんと置かれた机。


 そして、私の席であろう空席の向かい側には、書類一枚なく、ただ狐の顔をしたパペットだけが肘掛けに引っかかっている机があった。


 その隣の机は、なぜか全体が黒く湿った泥のようなもので汚れており、隅っこにゴシック調のフリフリしたレースの切れ端が落ちている。



「........」


 時間はちょうど正午に差し掛かる頃だ。

 もしかして、昼休憩でみんな出払っているのかな?


 確かに、庄戸署の近くの商店街には美味しいインドカレー屋さんだったりパン屋さんがあるから、それもあり得るかもしれない。ほら、混まないように休憩時間を他の課とずらしてるとか!


 うん。きっと、そうだよね。


 ....そう。


 ....じゃないよねぇ。


『し、新人の田丸です....ごめんください....』


 前途多難、なんて言葉はこのためにあるんだな。

 まさか本当に使うときがあるなんて....いきなり躓いてしまった。


 新人歓迎のドッキリ....なわけないよねぇ、この感じ。


 どうするのがいいのかなぁ、出直すのがいいのかなぁ。

 いやでも、たまたまお手洗いのタイミングなだけだったら....。

 どうしよう、私が勝手に判断するのはまずいよね?


 じっとりと滲む汗で、おろしたてのシャツが背中に張り付いて気持ち悪い。

 もう一度だけ、と祈るような気持ちでオフィスを見回した。


 さっき見たときと、全く同じ光景....


 .....いや




 いた。


 男。


 ボサボサの髪に無精髭。

 こけた頬に、眼鏡の奥には生気の無い瞳。


 ────ヒュッと息をのむ。


 喉元まで出かかった叫び声を、無理やり口を閉じて蓋をする。

 浅い呼吸を何度か繰り返す。


 男は、じっとこちらを見ている。

 そして、その左手。


 さっき、椅子の肘掛けにかかっていたはずの、狐の顔をしたパペットが、いつの間にか男の手に収まっていた。


『....』

 何も言わない。

 まるでこの男自身がマネキンとか、そういった類のものであるかのように。


『し、新人の田丸です!!よろしくお願いします!!!』


 半ばパニックになりながら声を張り上げる。

 舌がもつれる。

 視線が定まらない。


『....』


 心臓の音が耳元でうるさい。

 額には玉のような汗がぽつぽつと浮かび、口の中はカラカラに乾いていた。


 どうしよう....どうしたらいいんだろう....。


 何も出来ず、石のように固まってしまっていると。


『あら? あらあらあら? もしかしてお客さんかしら?』


 鈴を転がすようによく通る声だった。

 上品なマダムのようでもあり、けれどどこか少女のようにも聞こえる、不思議な響きが、突き当りの扉から聞こえてきた。


『は、はいッ!! 新人の田丸ですッ!!!』


 今度こそちゃんと聞こえるように、力の限り声を張り上げた。


『!!!!』

『まぁ! 新人さん!? あらやだ、今日からだったのね! ごめんなさい、すぐに行くわね~!』


 明るい声に、張り詰めていた空気がふっと緩む。

 良かった....話の通じそうな人が、ちゃんといたんだ。


 安心してそちらに意識を向けている間に、目の前の男性職員は私への興味を完全に失ったようだった。いつの間にか分厚い日誌のようなものを取り出し、無心で何かを書きつけている。


 何が何やらさっぱり分からないけれど、とりあえずさっきまでの重苦しい空気をもう味合わなくて済む。

 その安堵感で、一気に全身の力が抜けていく。


「はぁぁぁぁ....」


 それまで必死に溜め込んでいた息を、私はようやく大きく吐き出すことができた。

 助かった。あの声の主を待っていれば、きっと大丈夫だ。

 私が突き当りの扉に期待の視線を向けたと、その時。


 カラカラカラ....。


 軽やかな音を立てて、古そうな木の扉が横にスライドした。


 ....


 ........


 誰も、出てこない。


「え? たしかに『すぐ行くわね』って....


 私が再び困惑していると、さっきと同じ声が、すぐ近くから聞こえた。


『ごめんなさいねぇ、ちょっとお茶を淹れてたものだから。新人さん、田丸さんだったかしら?』


 近く? どこから?

 慌てて周囲を見回すが、そこにいるのは相変わらず無心で日誌を付けている男性職員だけだ。


『あらあら、キョロキョロしちゃって可愛いわねぇ。こっちこっち。下よ、下』


 した....

 言われるがまま、恐る恐る視線を自分の足元へと落としていく。


 そして、私は見た。


 デスクの足元、その影の中。


 黒髪のおかっぱに、真っ白な陶器の肌。

 ガラス玉のような瞳の一体の市松人形が、ぱちりと一つ、瞬きをした。


「.....ひっ」


 今日何度目か分からない、引きつった悲鳴が私の喉から漏れた。

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