僕たちは見えない糸に縛られている
〜前書き〜
この世界はプラスとマイナスの力が同じになるように作られている。
誰かがそう言っていた。
例えばマイナスの力が50働いたとしたらプラスの力も同じく50発生する。
マイナスの力が70ならプラスの力も同じ分だけ70働く。
それによってこの世界の均衡は保たれていると。
一話 女子高生と定食屋
羽田深月(17)
私は学校が嫌いだ。
周りと足並み揃えなさい。普通になりなさいという暗黙のルール。
毎日が苦痛で仕方がなかった。
じゃあ普通になれない私はどうしたらいいの?
誰も教えてはくれない。
やがて不登校になった私は高校を中退することになった。
新しい場所で新たなスタートを切ろうと仕事に就こうとした。
けれど当然、中卒だと受け入れてくれる会社は少なかった。
しかし、そんなある日。
母親と一緒に行った定食屋が私の人生を大きく変えることになる。
"定食屋銀"
老夫婦が営んでいるお店だ。
このお店には子どもの頃から母親とたまに来ていた。
早くに祖父母が亡くなっていた為、深月にとってはこの二人は本当のおじいちゃんおばあちゃんのような関係にある。
銀二(店主)「そうかい、深月ちゃん高校を辞めちまったのかい」
母親「はい、なかなか働き口が見つからなくて・・・
私としてはバイトでも何でも構わないんですが・・」
蜜「あら、それならうちでアルバイトしない?ちょうど人手が欲しかったのよ」
銀二「そうだな、俺らも歳で体の自由が効かなくてな、あと二、三年したら店を閉めるつもりなんだ、だからそれまでで良ければなんだけど」
母親「え、お店辞めちゃうんですか?」
蜜「ええ」
深月「私、やりたい」
母親「あら」
蜜「じゃあ決まりね!明日から来てもらえるかしら?」
深月「はい!」
蜜「シフトは毎週決めてもらって構わないよ、自由に組んでいいからね」
銀二「そうそう、遊びの予定がある時は休みでいいし、体調が悪い時は無理せず連絡さえくれれば大丈夫だからね」
深月「ありがとうございます!」
自由に働かせてくれる二人に感謝をしつつ、深月は定食屋のアルバイトをスタートすることになった。
賄い付きなのでご飯代もかからないからありがたい。
こうして深月は閉店日まで定食屋でアルバイトを続けた。
閉店後、しばらくして銀二さんが亡くなり、その後を追うように蜜さんも亡くなった。
その後、深月は新たな飲食店で働くことになり、一年後には正社員として働けることになった。
学生時代、周りに馴染めず不登校になり中退した。
人より回り道を沢山した。
普通になりたくて、でもなれなくて苦しんだ。
私ってダメな人間なんだってずっと自分を責めてきた。
でも、それでもいいじゃん、そんな自分もいいじゃんって今なら思える。
そう思えているのはあの"定食屋銀"の存在があったから。
私は胸に手を当てて思い出していた。
もうこの街に"定食屋銀"はないけれど、
二人との温かい会話も湯気が立った美味しいご飯も私の心の中にまだ確かにある。
二話 母親とヤンキー娘
武田美夜子(31)
私には娘が一人いる。名前は未来。
けれど未来が産まれてすぐに気付いてしまう。
私はこの子を愛せないという事実に。
それでも育てなくてはいけないという使命感で28歳から31歳までの三年間はなんとか育児を続けてきた。
私が精神的に病み始めたのはその頃からだ。
最初は頭痛や吐き気から始まり、次第に鬱々とした感情に支配されるようになる。
そしてついには食事も喉を通らなくなり、栄養失調で入院する事になった。
心配した旦那が私に理由を聞いてきた。
武田篤人(31)
篤人「医者からはストレスが原因だと聞いたが、こんなになるまで何故何も言ってくれなかったんだ?」
旦那とは職場恋愛だった。妊娠をきっかけに私は退職をしていた。
意識がふわふわとしている中、私は旦那に本当の事を打ち明けた。
"私は娘を愛していない"
篤人「え、それは・・・いつから?・・」
美夜子「最初から」
旦那はそんな私に「母親は子どもを愛するべきだよ」、
母親なんだからしっかりしなよ」と言った。
その瞬間、私の視界は真っ暗になった。
そんなこと、私が一番よく分かってるよ。
私だってずっとそう思ってた。
だから誰にも本当の気持ちを言えなかった。
苦しかった。あなたにだけは受け入れて欲しかったのに・・・。
私はただただ「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」と謝り続けた。
私にはもう謝ることしかできなかった。
旦那はそんな私の様子に異常さを感じたのか何も言わずに立ち尽くしているだけだった。
結局、私の体調が回復した後に別居をする形となった。
旦那が娘を育ててくれている。
私は家を出て実家にも戻らずに一人暮らしを始めた。
なので離婚はしていない。
会っていない間も旦那とはメールや電話でやり取りをしていた。
それから12年後、私は未来と再会することになった。
未来が私に会ってみたいと旦那に申し出たそうだ。
旦那は最初は渋っていたが、その理由を追求され本当のことを話そうと決意し娘に打ち明けた。
その話を聞いてもなお、未来の意思は変わらなかったようで私たちは会う約束をした。
未来はどうしても私と二人きりで話をしたいらしく、会って早々に旦那は追いやられていた。
旦那は心配そうに何度か後ろを振り返っていたが、娘はカラカラとした笑顔で旦那にピースサインをした。
15歳になった未来は超絶ポジティブヤンキー娘に成長していた。
旦那からある程度の話は聞いていてはいた。
ウェーブ掛かった金髪ロングヘア、両耳にピアス、指にはピンク色のマニキュア、制服は着崩しておりスカートの丈も下着が見えそうなくらい短い。
今更母親ぶるつもりはないがさすがに変な犯罪に巻き込まれないか心配だ。
未来「美夜子!久しぶり!!」
未来はよっ!っと手を挙げて豪快に私の名前を呼び捨てで呼ぶ。
まるでずっと会っていなかった友達にでも会ったかのようだ。
それは私をバカにしているとか軽蔑しているとかそういった風ではなかった。
美夜子「ひ、久しぶりね、随分と大きくなったわね」
未来「まーね!なんてったって成長期だからね!!」
未来はどーだ!と言わんばかりにふんぞりかえっている。
美夜子「今日はどうして私を食事に誘ってくれたの?あの人から話は聞いているんでしょう?」
未来「うん、なーんとなく、私を産んだ人の顔が見たくなってさ、
でも意外だったな、もっと荒んだ口の悪い奴かと思ってたのに、
めっちゃ普通でびっくりした」
その口振りからは私に対する憎悪や憎しみなど全く感じられなかった。
美夜子「あなた、私を恨んではいないの?私、あなたを捨てたも同然なのよ?」
未来「えー?別に恨んでないよ、産んだからって可愛いとは限らないっしょ!そうゆーケースだってあるんじゃん?」
美夜子「(ぽかん)」
美夜子を未来のパワーに圧倒され口が開いたまま固まった。
未来「いやー娘がこんなになっちゃって美夜子も困っちゃうよね!ははは!」
美夜子「・・・そんなことないわ、立派に育っているわ」
未来「そ?でもさ、私はあんたのこと、お母さんとは呼ばないよ、これからも名前で呼ぶ、私のことも娘として見なくていい、その方があんたも気が楽でしょ?」
美夜子「え、えぇ、そうね・・・」
未来「だからさ、これからは友達として時々会おうよ!」
未来の突拍子もない言葉に固まる。
美夜子「え・・・」
未来「バイト先に歳上の上司がいるんだけどさ、あ、年齢詐欺ってんの秘密ね、
んで、フツーにタメ語でいいって言うから話してたら友達みたいになったんだよね、
名前も呼び捨てでさ、
だから美夜子ともそういう関係でいいんじゃね?って!」
美夜子「わ、分かったわ、あなたがそれでいいんなら・・・」
未来のペースにハマった私はその話をすんなり受け入れていた。
未来「よし決まり!あ、別に無理に親父と繋がり持たせようとかしないからそこは安心してよね!」
美夜子「え、ええ」
しばらく話をした後に解散し、私は一人で街を歩いていた。
なんだか拍子抜けしたわ。
まさか自分の娘があんなに明るい子に成長していたなんて・・・。
正直、見た目には驚いたけれど元気に生きていてくれて良かったわ。
そんな風に思う資格はないけれど、それでも正直安心したのは本当だった。
それから月に一度、二人は食事に出かけるようになった。
旦那はその事については未来から口出ししないでと強く言われているらしい。
こうして私たちは親と子としてではなく友達として会って話をする、そんな仲になっていた。
互いの悩みを相談し合うまでになっていた。
未来は旦那には聞けないような恋愛や料理の話をよく聞いてきた。
元々、料理については旦那とメールでやり取りをしていたのだけど。
意外にもそうすることで互いの関係は上手くいっていた。
旦那も最初は渋々送り出していたそうだが、一年経った今では普通に送り出すようになったとか。
私がしたことは許されることじゃないし、私は母親としても人間としても失格だ。
けれどそれでも私は未来と旦那とも縁を切らずにいられていれるし、平穏に暮らせている。
旦那と仲が良いわけではないものの、険悪な雰囲気にはなっておらず、未来とも時々会って話をするくらいの関係性にはなっている。
おそらくそれは、私のマイナスな部分を娘のプラスな部分が遥かに凌駕しているからだと思う。
神様がいるのなら「ありがとう」とそう言いたい。
三話 サラリーマンと捨てられた犬
ある冬のこと。
水見宏人(27)
俺は何の取り柄もないただのサラリーマンだ。
実家はあれど一人暮らし。
高校を卒業してから8年間、同じ会社で働いている。
最初の3年くらいはただ闇雲に突っ走っていたから自分のことなんて見えていなかった。
だから自分が精神的におかしくなっていることに気付いていなかったのだ。
会社のルール、ノルマ、人間関係。
それだけじゃない。
男なら正社員として働くのが当然で、
将来結婚をして子どもを作るのは普通のこと。
だから稼ぎは大事だ。
しまいにはそれができなければ人間として価値がないだの半人前だの両親には散々言われてきた。
まるで見えない糸にでも縛られているみたいだ。
まぁだから一人暮らしを始めたのだがそれについては両親は気が付いていないだろう。
予想外だったのは一人暮らしになってからもその糸が解けることはないということ。
変だ。一人になっても俺は見えない糸に縛られ捕らわれている。
それは徐々に、しかし確実に心を蝕んでいった。
宏人「普通ってなんだよ」
気付けば俺は目の下のクマとともに山の中でポツリと立っていた。
目の前には大きな木、手にはいつの間にか購入していた縄、財布の中には縄を買った時のレシート。
後から不思議に思ったのは、この時の俺は首を吊ったら痛いだろうとか苦しいだろうとか、生きるとか死ぬとか、実家にいる家族のことや友人のことは何一つ頭に浮かんで来なかったことだ。
ただ首を吊る、そのことだけが頭の中を支配していた。
木に縄をくくりつけて首を掛けようとした。
あとは足を宙に浮かせれば俺は死ぬ。やっと全てから解放される。
仕事からも見えない糸からも・・・。
その時だった。
子犬「キャンキャン!!」
突然、どこから現れたのか分からない小さな柴犬が俺目掛けて猛スピードでジャンプしてきたのだ。
驚いた俺は地面に盛大に尻餅をついてしまった。
宏人「いってー・・・」
木にはまだ縄がくくりつけられていて俺が後ろに吹っ飛んだ振動でゆらゆらと揺れていた。
宏人「な、何だ!?え、子犬?なんで子犬がこんな場所にいるんだ?」
よく見るとその子犬の見た目はボロボロだった。
身体中泥だらけで毛がペタペタとしていて痩せている。
おそらく、この山に捨てられたのだろう。
宏人「こんなボロボロなのに俺を助けに来てくれたのか?お前の方がずっと酷い姿じゃないか」
その子犬はしゃがみ込んだままの俺の目の周りをペロペロと舐めてきた。
宏人「おい、くすぐったいって・・・何でそんな目の周りばっかり・・・あ、あれ?」
俺は気付けば泣いていた。
大粒の涙が幾度となく頬の上を流れていく。その度に子犬がそれを舐める。
子犬「クゥゥン・・ペロペロ」
宏人「ああ、そうか、俺はずっと泣きたかったんだな」
俺は子犬をそっと抱き締めた。
宏人「こんなに小さい体なのにあったかいなぁ・・・」
次の日。
宏人「俺!仕事辞めます!!」
あんなに曇っていた心が嘘のように晴れ渡った瞬間だった。
それから一か月後、引き継ぎを終わらせた俺は正式に仕事を辞めることとなった。
自然と辞める日が決まってからはストレスをあまり感じずに過ごすことができていた。
仕事最終日。帰宅。
宏人「ただいまー」
ユキ「キャン!」
宏人「おーユキ、今日も俺の帰りを待っててくれたんだな!」
あの日、雪が降っていた、だからユキ。
安易だとは思ったが他に思い浮かばなかったし、ユキと呼んだら嬉しそうにキャン!っと返事をしてくれたからまぁよしとしよう。
俺はユキを抱っこするとリビングへと向かう。
ソファに座り、ユキを膝の上に乗せながら話をする。
宏人「なぁ、ユキ、俺今日仕事辞めてきたんだ、と言っても分からないだろうけど」
ユキは首を傾げている。けれど、それが自分にとって嬉しいことだと分かるらしい。
なぜなら帰ってきた瞬間はブンブン振っていた尻尾がソファに座ったタイミングで落ち着いてきていたのに、
仕事を辞めたと言った瞬間にまたブンブン振り始めたからだ。
宏人「よーし!退職金も出たことだしゆっくり次の仕事探すぞー!これからは仕事はほどほどにして一緒に色んな場所に遊びに行こうな!」
ユキ「キャンキャン!!」
こうして宏人は2か月後に週休3日制の会社に就職。
休日はユキと二人でドライブを楽しんだ。
ユキは川で水遊びをするのが好きらしく、よく遊びに出かけた。
「可愛いですね」(年配の男性)
ユキと一緒にいると話しかけられることが時折あった。
宏人「はい!もう可愛くて困ってます笑」
俺はユキを抱えながら話をする。
「いいですねぇ、オスですか?」
宏人「はい」
「お名前は何て言うんですか?」
宏人「ユキって言います」
「ユキ君!いい名前ですね、勇敢そうな顔立ちしてます」
宏人「ありがとうございます、ユキは勇敢ですよ、
俺にとってスーパーヒーローなんで!」
「ほお、スーパーヒーローですか?それは何でまた」
宏人「話すと長くなるんで簡潔に言うとユキは俺が危ない時に救ってくれたんですよ」
「へえ!飼い主を救ってくれるなんていい子ですね!命の恩人、それでスーパーヒーローというわけですな」
宏人「はい!」
「ではありがとうございました、またどこかで」
宏人「はい、またどこかで」
ユキは褒めてもらえたのが嬉しかったらしくずっと尻尾を振ってこちらを見ている。
どこか自慢気な顔をしている。
宏人「いっぱい褒めてもらえて良かったなユキ」
ユキ「キャンキャン!」
ユキはぐりぐりと宏人のお腹に頭を擦り寄せた。
頭を撫でろというユキのサインだ。
宏人「はいはい笑」
宏人は優しくユキの頭を撫でる。
本当にユキは俺にとって神様顔負けのスーパーヒーローだよ。