第1章 第7話 花弁の円卓
星灯録教会は、この世界レネイストにある宗教団体の中で最大の組織だ。
その強大な組織を取り仕切り、頂点に君臨する者こそが、星灯録教会の教皇だった。
教皇の権力は大国の元首でさえ、簡単には口出しを許されないうえ、こと神都アリオンでは教皇の意思が絶対の命である。
それに対する反駁は当然のことながら認められず、もしも反目しようとする賊が現れようなら、即座に粛清されるだろう。
その役目を担うのが、教皇の直属の暗部である七月花だ。
七月花には七つの下部組織があり、それらを統率する者達は七芒冠と呼称された。
神聖な清らかな気に満ち溢れた、その円形状の空間は七月花の最深部だ。
天井は吹きさらし。
そこから降り注いだ黄蘗色の月影は、ベールのようだった。
現世と隔絶したその空間は、どうやら白夜らしい。
陽が沈まない。
空間の中央には大きな円卓が据え置かれ、その円卓の外周部に七脚の椅子が並ぶ。
それらはベールに覆われ、内の三席に着座する人物の輪郭は朧げに揺らめき、だが容貌は確認出来なかった。
残りの四席は空席だ。
月光の照射はない。
その黄蘗色に瑠璃の煌めきが混ざる。
正体は上座の背後、壁面に掛けられた懸垂幕の刺繍。
精緻だ。
瑠璃の絹糸に縫われたそれは、地面に膝をついた女神のような人物。
胸元に両手を握り、瑠璃色の花を包み込む。
悲哀、嬉笑、その判別はつかなかった。
どちらともとれる顔色だ。
円卓を支配するのは、静寂。
そこに人の気配はなかった。
しかしながら、その凍り付いた静けさに音が響いた。
人がいないというのに声が聞こえる。
それは明らかな話し声だ。
独りじゃない。
対話するのは、円卓に座った人影だ。
「あの失敗作が壊されたようじゃないか」
一体、何処の誰を指し言っているのか。
しかし、声音から特定の人物に対する侮蔑が滲み出ていた。
「仕方ありませんよ、そもそも彼女の性能は低いのだから」
あまり期待をする方が間違いだ、と対面する者は言う。
肩を竦めると、持論を続けた。
「元々、我ら星灯録教会の魔工学の技術は高いとはいえないでしょう」
星灯録教会が誇るのは、その信徒の数と構成員の質だろう。
《魔法》を利用した工学技術の進歩は、あまり期待出来ない。
「それは、ベルザ様に対する不敬だぞ」
三者三様、三角の線を描き出すように座った者達。
その一角をなす、それが諭すように口を挟む。
「別にそんなつもりは微塵もありませんよ、三花」
相手の真名を口にし、否定するように言い返す。
此処にはいない存在を見下す少年、それから指摘をする壮年、そこに割り込むのは女性的な声音。
それに、と反論を続けた。
「私はただ、事実を言ったまでですよ」
何の問題があるのか。
そう言いたげに本音を語る。
はぁ、と溜め息を吐いたのは三花だ。
「それが不敬だと分からんのか、一花」
怒りというより、それは呆れだった。
こういう応酬をするのが初めてじゃないのだろう。
もう聞き飽きたとばかりに、一花に呆れ返る。
それと同時に、内心僅かながらに心配もした。
七月花は星灯録教会の内部に位置する組織機関であり、教皇の命令が厳守だ。
ゆえに、教皇の意向に背けば、たとえ七月花の首魁である七芒星だろうと粛清の対象だ。
「無駄でしょ、その爺に言い聞かせたって」
それに直様三花は返答する。
少年に指摘されるのは気に食わなかったのだろう。
「お前は黙っていろ、四花」
一花には向けなかった怒気を直接見せる。
そのときだった。
一陣の風が右から左に吹き、椅子を覆うベールが捲れ上がる。
中身が晒された。
壮年の男は顔面に笑みが張り付いた様相の、しかしそれ以外は身体的な特徴がない。
身に纏う祭服が豪奢な位だろうか。
高位の聖職位にいるのだろう。
そこら辺にいそうな平々凡々な容姿だ。
口調が荒々しいが、性別は明確な容貌の三花。
相手を自然と威圧するかの如き鷹のような眼光は鋭い。
まだ垢の抜けない、どこかあどけなさの残る可愛らしい雰囲気の顔貌が台無しだ。
梳かすのも面倒だったのか、栗色のショートボブはぼさぼさだ。
背が高いわけじゃない為、暗紅色のメイド服の裾の先から短い足が揺れる。
ナイフを使った暗殺を得意とするのだろう。
手足の至る所に携帯が可能な刃物の装いがあった。
〈天使族〉は天界の遣いとされるが、堕ちたそれは稀に変質する。
それが四花。
四花は〈堕天使族〉だ。
金色のマッシュショートヘアーは雅やか。
頭頂に乗るのは、王冠だ。
顔の造形美が人外だった。
背に生える本来の白翼は、しかし堕天した弊害により片翼が変色。
白と黒の色合い。
天使とは異なる、また別種の美麗さだ。
絵に描いた王子様のような容貌である。
爽やかな柔らかい笑顔を湛え、演出服のような純白のフロックコートを着こなし、赤いマントを羽織っていた。
「はいはい」
と、四花は適当にあしらう。
そんな舐めた態度を、しかし三花は憤らなかった。
「そもそも、お前がしっかりと調整を行っていれば、貪欲を殺れていただろう、一花」
目下、関心を向ける先はそこだった。
四花には構っていられない。
「それは、もう終わったことでしょう」
星灯録教会の教皇、ベルザ・ヴォルドリフスから七月花に下命された『狂笑会』の武器商人、貪欲の抹殺。
それを完遂するために、貪欲の元に刺客を送り込んだのだが、しかし。
任務は失敗に終わった、とそう監視役から報告が入った。
「それより私達が危惧しなければならないのは、彼らですよ」
暗殺の続行が困難になった原因は既に分かっていた。
一花がそれを告げる。
「『堕落の魂魄』と、そう名乗る便利屋の邪魔さえなければ、問題は生じなかったのですから」
その俗称を耳にした四花が片眉を上げる。
興味をそそられたのか、子供じみた表情で聞いた。
「それってさ、薄汚い悪魔共を救済してるとかいう、頭のおかしい連中のこと?」
四花も『堕落の魂魄』の詳細は知らない。
なんとなしに耳に挟む、その程度のもの。
「あれ、悪魔共の間で流れてる都市伝説じゃないの?」
四花はそういう認識だった。
その浅知恵を馬鹿にはせず、一花は苦笑する。
「まぁ、間違ってはいませんよ」
『堕落の魂魄』は、公の組織じゃない。
神都アリオンに住まう民は、殆どの人がその存在を知らないだろう。
四花が知らずとも仕方がない。
「しかし、訂正するなら彼らは実在しています」
さも、実際に一花は見たことがあるように言った。
四花の興味心が深まる。
若干前のめりに口を開いた。
「ふーん、それで?」
口調は素っ気ないが、話の先を促す。
四花よりも結論に辿り着いたのは三花だった。
「つまり、その『堕落の魂魄』が障害なわけか」
難しい話が三花は嫌いだ。
無駄な議論は省き、早々に武力で解決したい。
「えぇ、貴方は話が早いので助かりますよ」
短気な面が多々ある三花。
しかし、こういった場合には好都合だ。
「私達七月花に於いて、ベルザ様の勅命は絶対厳守です」
一花もこれ以上、話を広げるつもりはない。
姿勢を正すと、これからの方針を固めた。
「ゆえに、貪欲の抹殺は確実にしないといけない事項だ」
それには、もう既に一度失敗してしまっている。
まだ、ベルザの耳には届いていないだろうが、時間の問題だ。
次はない。
これが最後の機会。
「だけど『堕落の魂魄』がいるんでしょ?」
と、欠伸をしながら他人事のような様相の四花。
緊張感の欠如に、三花は最早怒りすら湧いてこなかった。
「えぇ、なので虚無の巫女を調整し、それを『堕落の魂魄』にぶつけましょう」
それは、諸刃の剣。
少しでも手順の踏み方を間違えれば、星灯録教会諸共滅ぶかもしれない。
危険性が非常に高い、安易に選択出来ない手段。
しかし、一花はそれを用いると決めた。
「いいのか? あれは、首輪が外れれば制御出来ない怪物だろ?」
虚無の巫女、その狂暴さを三花は知っていた。
だから、あまり推奨はしかねた。
「大丈夫ですよ、三花」
しかし、一花は笑った。
心配は無用だとばかりに。
「私にはベルザ様の御加護がありますから」
それを言われたら、星灯録教会の信徒ならば閉口するしかない。
両手の指を組み、一花は柔和な笑みを深めた。