第1章 第6話 対等の取引
首都アリオンの僻地に爆音が轟いた。
その発生源、音源はファリエル。
自爆行為だ。
辺り一面、爆発により発生した水蒸気に包まれる。
それに隠れ、ファリエルは消え失せた。
単なる水蒸気じゃない。
ぴりっ、と肌を刺すようなむず痒い感覚。
そこにファリエルはいない。
堕落は静かに瞳を伏せる。
気配を探った。
何処に潜もうが見逃さないよう。
臭いはしない。
しかし、そこに——。
堕落の真上に、微かな気配が。
瞬間、前触れのない殺意の奔流が襲いかかった。
——ドバァァァァァ!
土砂の如き電気配線の激流に、堕落はのまれる。
否、それは避けた。
放射線状に広がった電気配線の上に足をつける。
——クフフフ。
それから不気味な笑い声を聞いた。
魔力が阻害され探知はままならない。
「なかなかに粘りますねぇ」
——粘る。
多分、ファリエルは自爆により、堕落を仕留める算段だったのだろう。
しかし、それは不発に終わった。
ファリエルの声音に焦りはない。
なにも、感じない。
腹の中が読めない。
何を考えどうする積もりなのか分からず気味が悪かった。
「まぁ、構いません」
ファリエルが余裕綽々に言う。
不自然に水蒸気が晴れた。
特定を急いだが、ファリエルは見つからない。
一方的に用件だけを告げられる。
「今日は挨拶に来ただけですから」
——また近いうちに。
と、そんな意図的に仕組まれた再会を示唆する。
その場に焼け焦げた狂戯符ゲウニムを置き、ファリエルは去った。
「もう帰りましたよ」
堕落は深追いする気はなかった。
『蛇鶏王亭』に来たのは、ファリエルと死合う為じゃない。
「なんなんだ、あいつは……」
内装は壊されたが、店主は無事のようだ。
ローズは戦いが不向きだ。
戦闘が始まった瞬間、店舗の奥に隠れたのだろう。
「さぁ?」
と、すっとぼける堕落。
大仰に肩を竦めながら続けた。
「私が知るわけないですよ」
とは言ったが、それは嘘だった。
先刻、ファリエルはこう明かした。
ベルザの眷属だ、と。
その真名にローズは覚えがないのだろうが、堕落は違う。
「まぁ、何にせよ先んじられたのは、少々面倒ですがね」
座卓に置きっぱなしにした筈の黄泉灯アルスタラがあった卓上を横目に見る。
しかし、それが無かった。
大方、ファリエルが持ち去ったのだろう。
「女神の眷属は随分と手癖が悪いようだ」
ベルザは星灯録教会教皇の真名だ。
その眷属となると、ベルザが造り出した人工生命体、通称〈神人族〉。
〈神人族〉は神じゃない。
人智を超えた〈神族〉のような能力を最大限に引き出せる種族だ。
とはいえ、その底力は他種族を圧倒する。
神の祝福を受けた、その人体は伊達じゃなかった。
「誤魔化すな、堕落」
ローズは嘘が嫌いだ。
話を逸らされた事に語気を強める。
——はぁ。
と、堕落が溜め息一つ。
知りうる限りの情報を共有させた。
「彼は星灯録教会教皇、ベルザ・ヴォルドリフスの眷属ですよ」
それから堕落は目的を推察する。
ファリエルの動向に関する持論を言った。
「此処を襲ったのは、黄泉灯アルスタラの回収が主目的かと」
断言するのは早計だが、あながち間違いとも思えなかった。
黄泉灯アルスタラは、ベルザから授けられた神具だ。
それを奪われたままなのは、損害に繋がるのだろう。
「つまり、なんだ? 私は巻き込まれただけか?」
一通り話を聞いたローズは不機嫌そうになった。
ありありと不満の色が目に浮かぶ。
「そうとも言えますね」
いや、そうとしか言えない。
そもそも、堕落が『蛇鶏王亭』に来なければ、こんな事態にはならなかった。
被害を被るのは堕落だけに抑えられた。
その程度、予想は出来ただろう。
なのに、わざわざ堕落は『蛇鶏王亭』に赴いた。
「お前……」
ローズの態度は明白だが、手は出さない。
それよりも、聞きそびれた事柄を尋ねる。
「何の用で来た」
さっきは丁度、ファリエルに話を中断された。
今度は堕落も真剣に答える。
「貴方に調査をお願いしたい」
そう頼むと、ローズは目の色を変えた。
ローズは情報屋だ。
表の顔は、料理茶屋の女主人だ。
しかし、裏の顔は異なる。
ローズが扱う情報は、国家機密に該当する代物や、街中に溢れる噂話だったり、と様々だった。
「ふざけるな」
一瞬、仕事を全うする顔になったローズだが、大事な商売道具を壊された事実を思い出す。
堕落が思うより、怒りがあるようだ。
「店がこんな有様なのに、了承出来るか」
実際、裏家業に店舗の状態は関係ないだろう。
単純にローズの機嫌の問題だ。
ローズとは堕落も付き合いがそれなりに長い。
扱いは手慣れたもの。
だから、堕落はこう言った。
「いいのか? 拒否するなら『狂笑会』に貴方の居所を流すが」
それを突きつけられたら、ローズは拒めない。
チッ、と露骨に舌を打った。
「欲しいのはどんな情報だ」
明らかに文句を言いたそうだが、これも商売だと割り切る。
客人に接する態度とは程遠い粗暴なまま、ローズは聞いた。
ローズに嫌な顔を向けられ、しかし堕落は寧ろ微笑む。
「いえ、情報はいりません」
「あァ?」
先程と主張が違う。
堕落は微笑みを見せながら続けた。
「冗談ですよ」
本当は情報の収集を頼みたい。
そう真摯に訴えかける。
「……」
しかし、ローズにその冗談は通じない。
いや、平常時なら苦笑されたかもしれないが——。
何分時期が悪かった。
ローズは無表情だ。
感情は測れないが、心情が穏やかじゃないのは分かる。
それを物ともせず堕落は口を開いた。
「貴方にある遊女の情報の収集を頼みたい」
戯けながらも、堕落は要求する。
傾聴したローズは憤るよりも不思議がった。
「遊女?」
つまりは、娼婦だ。
それを探せという事なのか。
——えぇ。
と、一度首肯した堕落は内容を語り出す。
「先日、首都アリオンの花街にある最高級遊郭『魎娜の坩堝』から、一人の花魁が消えました」
まだ、話の全容は見えない。
遊女が失踪した事例は、別に珍しい訳じゃなかった。
堕落が固執する理由はないが——。
「その花魁の名はサヨ、身請けの話もありました」
《異空間収納》から髪に刺す竹製の飾りを取り出す。
豪奢じゃない。
しかし、精緻な装飾がされた、簪だ。
値打ち物なのだろう。
それは、サヨの持ち物。
「だが、サヨは昨夜突然、姿を消したようです」
言い方が曖昧だ。
事実の確認がないようにも聞こえる。
「よう?」
それがローズは気にかかった。
簪を弄びなら、堕落は苦笑いをする。
「私も他人から聞いた話ですからね」
実際に堕落が見た訳ではない。
と、そういう事らしい。
「実はこれを私に依頼したのは、その『魎娜の坩堝』の楼主なのですよ」
楼主は謂わば『魎娜の坩堝』の実質的な管理者。
それから締結を結ぶ関係にある。
便利屋を生業とする『堕落の魂魄』は、その捜索の依頼を断る理由はなかった。
「なら、お前らが探せばいいだろう」
それが、道理だ。
ローズには関係のない事柄。
協力する要因が見当たらない。
突き放された堕落は、しかし首を横に振る。
「貴方も無関係とは言えませんよ、ローズ」
どういう意味だ、とローズが先を促す。
堕落は顎に手をやり、出来事を思い出すように言った。
「今日の早朝『狂笑会』の武器商人、貪欲が『堕落の魂魄』に護衛の依頼をしに訪れました」
その事はローズも初耳だったのだろう。
興味あり気に片眉を動かす。
「しかし、その依頼を彼岸様が承諾しようとしたとき、星灯録教会の者に強襲されたのですよ」
それに関する隠し事は何もない。
ありのまま屋敷が破壊された事や、襲撃した零花を捕縛した事を語った。
「襲撃者は捕らえましたが、不可解な点が目立ち、私は疑問に思いました」
貪欲を狙うのは『狂笑会』だが、襲った張本人は星灯録教会の手の者だった。
幾つか憶測は考えたが、どれも確証に至らない。
「単純にその貪欲とやらが、星灯録教会から恨みを買ったんだろ」
そう思うのが妥当だ。
これは堕落も思いついた。
『狂笑会』は組織の在り方から鑑みるに、敵を作りやすい。
その延長線上に、貪欲の暗殺があろうと然程驚きはしない。
貪欲は『狂笑会』の中の重鎮だ。
目の届かない『堕落の魂魄』に行った、その機会を星灯録教会が前々から画策した、とそう邪推する事も出来る。
しかし、堕落の結論は違った。
「いえ、ならば零花を送り込むのは、流石に過剰戦力過ぎます」
星灯録教会教皇直属暗部、七月花の幹部、七芒冠の零花は序列の高い暗殺者だ。
貪欲に対抗する能力はない。
もっと、低い序列の者だろうが暗殺は叶った。
それこそ『堕落の魂魄』に来る途中に実行すれば、堕落とも戦闘せずに終わっただろう。
『堕落の魂魄』に訪れた貪欲に、お供はいなかった。
単身だったわけだ。
無防備な貪欲を狙わなかったのは気になる。
「それに、現在の星灯録教会は絶賛『狂笑会』と抗争中です、組織の最高戦力たる七芒冠を戦闘能力皆無の武器商人の殺害任務にあたらせるとは考え難い」
『狂笑会』は、武器商人の集まりだ。
中には戦術に長けた者も在籍する。
七芒冠の零花が欠けるのは、星灯録教会に痛手となるだろう。
「それが、遊女の失踪と関連があるのか?」
会話の途中だが、堕落の説明に飽きたようだ。
ローズは壊れかけのカウンターに座りながら欠伸を零す。
「さぁ、それは私にも分かりませんね」
——ただ。
と、堕落は剣呑に目を細め伝えた。
「サヨが最後に取った客が、貪欲だったのですよ」
下町の娼婦ならいざ知らず『魎娜の坩堝』の花魁ともなると話は変わる。
高位の貴族だろうが、易々とは買えない。
無論、貪欲もそうだ。
『狂笑会』の重きをなす人物だが、しかし流石にサヨと接するのは難しい。
「冷血な武器商人様も、艶美な女人には目がないわけだ」
皮肉たっぷりにローズは毒づいた。
色々と含みがあるような言い様だが、深い理由は聞かない。
堕落は淡々と確認を取った。
「『魎娜の坩堝』の花魁、サヨの捜索依頼受けますよね?」
と、了承以外の選択肢は用意しない。
拒否は認めない積もりだ。
——あぁ。
と、ローズは投げやりに手の指を泳がせる。
「どうせ断れば、お前に消されるしな」
それに言葉は返さない。
堕落は満足そうに爽やかに笑った。