第1章 第4話 魔獣の老舗
『堕落の魂魄』は、謂わば便利屋のような組織だ。
いや、そんなに規模の大きい団体じゃない。
屋敷の主人たる彼岸と、その従者の堕落。
他に数名、構成員がいる程度。
それらが集う『堕落の魂魄』の主な仕事は、多岐にわたる。
日常に溢れ返る依頼だったり、それこそ暗殺や密売といった汚れ仕事など、様々だ。
勿論、貪欲が依頼した護衛も対象となる。
承認した以上、貪欲を護る義務が生まれた。
貪欲に送られた刺客の凶刃を跳ね除けるのが、課された役目だった。
「邪魔しますよ」
外向きの顔つきになった堕落が老舗の暖簾を潜る。
星灯録教会、七芒冠の零花の強襲を退けた堕落は、古馴染みの女主人が経営する、近所の料理茶屋に向かった。
レネイストの首都、アリオンの郊外に店を構える個人経営の料理茶屋『蛇鶏王亭』だ。
『蛇鶏王亭』の外装や内装は、和風一色に染まる。
御客がいないのは、まだ早朝だからだろう。
風韻を漂わせた瓦屋根の伝統的な店舗だが、しかし外観から和風料理屋といった区別が難しかった。
何を取り扱う専門店なのか、断定しかねる。
言い方は悪いが汚ない。
正直、入りずらいだろう。
店舗の外壁から突き出た蒸気機関と、入口から屋根を覆うように張られた電光掲示板が原因だ。
女の平均身長を優に越える、高身長だ。
幽艶な美貌を覆うのは、チャイナドレス。
生地は蛍光の紫黒だ。
金色の蛇の紋様が刺繍される。
スリットから覗いた婀娜な太腿は、白濁じみる。
濡羽のストレートヘアーにはお団子カバーが被せられ、毛先にかけ藍緑色に発色。
深紅のつり目は、鷹の如き鋭さだった。
容貌は絶世。
成熟した色気がある。
毒牙のような危険が気配を纏う〈魔王〉だ。
障子を横にスライドさせ、堕落は個室に入った。
対面の座布団に腰を下ろす。
「大層な身分になりましたね、ローズさん」
堕落は品書きを手に取るが残念がる。
献立メニューが日替わりゆえに、口に合う好物がなかったのだろう。
とりあえず、品書きは座卓の上に置いた。
「年中、貧乏なお前よりは豊かだよ」
ぶっきらぼうに返事をすると、喉が乾いたのか、湯飲みの茶碗に入ったお冷を口にする。
堕落とは視線を合わせない。
ローズの目は笊蕎麦にあった。
空腹感はない。
だが、食事はローズの娯楽の一環だ。
「なるほど、確かにそうかもしれませんね」
堕落は貧しさを否定しない。
事実、そうだから。
『堕落の魂魄』に入る収益は、高額とは言えなかった。
「……」
そこに興味はないのだろう。
無関心なローズは、木製の箸立から割り箸をとり、それから蕎麦の玉を取る。
麺汁の入った蕎麦猪口に、蕎麦を浸した。
——ズルズル。
といった、小気味の良い音がたつ。
ローズが大層美味しそうに蕎麦を啜った。
一気にかきこむと、蕎麦猪口を座卓に置き、その口縁に割り箸を乗せる。
満足げに息を吐き満腹になったお腹をさすった。
胃は膨れ、もう入らない。
「相変わらず、食欲旺盛ですね」
普段、あまり食事をしない堕落。
ローズの食欲は興味深い。
それに何も返さず、一息吐いたローズは言った。
「何の用だ? 世間話をしに来た訳じゃないだろう」
背もたれによりかかる堕落は、コクリと首肯。
身体を休め、ローズも楽な姿勢をとる。
堕落は《異空間収納》から、黄泉灯アルスタラを取り出し、座卓に置いた。
「物騒だな、しまえよ」
ローズの眼差しは冷たい。
その物品が意味する事柄を理解したのだろう。
「『狂笑会』、聞いた事は?」
しかし、ローズの意思を無視し、堕落は勝手に話を進めた。
黄泉灯アルスタラはしまわれない。
「武器商人の組合だろ」
その程度、既知だ。
と、ローズは当然のように答える。
『狂笑会』は、裏の世界だと有名だ。
知らない訳がなかった。
「実はつい先程、その『狂笑会』に所属する商人から、ある依頼をされました」
それは、貪欲から頼まれた護衛のこと。
旧知の仲とはいえ、依頼人の名は明かさない。
「星灯録教会の刺客から身を守れ、か?」
実際に物事を見たかのように、ローズは先回りをする。
表情には出さないが、内心堕落は驚いた。
同時にある矛盾に気が付いた。
堕落が聞いた話だと、貪欲の命を狙うのは『狂笑会』だ。
襲撃された時も不思議に思った。
星灯録教会が絡むのは、何故か。
「違うのかよ」
いや、ローズの指摘は正解だ。
どうやら、何もかもお見通しらしい。
「いえ——」
その通り、と続けようとした堕落。
しかし、新たに来店した御客により会話は中断された。
いや、それは御客にはならない。
望まぬ敵襲だ。
邪魔臭い座卓が取り除かれ、蕎麦猪口は畳に落ち割れる。
残った麺汁がぶちまけられた。
個室なのが、唯一の幸い。
今の所は、被害は最小限だ。
「面倒ごとを持ち込んだな、堕落」
大方、つけられたのだろう。
ローズは億劫そうに溜め息をついた。