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女神の戯曲~堕落に灯る翡翠~  作者: 橘澪
第1章:レネイストに眠る虚無の巫女篇
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第1章 第0話 Opening

 それは、初め虚無だった。

 動作をする為の肉体が無ければ、喜怒哀楽を示す感情もない。

 唯、そこに延々に存在するだけ。

 第三者の視点から見れば、それは——。

 靄のような、滑らかな形状の漆黒の珠に見えたのかも知れない。

「……」

 それは、静かに黙考する。

 意思はない。

 自我はない。

 感情はない。

 自身が黙考を行う、ということすら、それは知る由もなかった。

「……」

 どれだけの時間が経っただろうか。

 一年、十年、百年——。

 いや、或いは千年、一万年。

 それだけの年月が経とうとも、思考を停止させる事はなかった。


「……」

 黙考の開始から、数億年が経った頃——。

 それは自身以外、つまりは外界の存在に意識を向けた。

 この行動は初と言える。

 興味や関心があった訳じゃない。

 別段、理由や思惑もない。

 唯、何故だろう。

 磁力のような抗えない力に引き寄せられるように、それに視覚といった感覚はないが、外界にいるだろう未知なる生命体、即ち生物に意識を向けた。

「……」

 ——パチパチパチ。

 と、その世界では暖炉と呼称させる暖房器具の火の中に、薪なる物体が弾ける光景が、それの視界に飛び込む。

 それは、生誕の瞬間から、虚無だ。

 故に、何も知識がない。

 しかし、虚無であると同時に、渇望があった。

 渇望する虚無の、それ。

 それは、世界のありとあらゆる知識を貪欲に吸収する。

 際限はない。

 吸収、学習——。

 その繰り返しだ。

 作業をするかのような、淡々とする事務的な手法だった。


「……」

 どうやら、この暖炉のある部屋は。

 〈人間族〉といった生物が住まう住居のようだ。

 と、それは認識する。

 それは、吸収済みの知識から〈人間族〉の言葉を瞬時に理解、それから取得。

 膨大な言語の数々が、脳髄に蓄積された。

「……」

 目を横に動かす。

 部屋の情報を精査する為である。

 視線の先に、ある代物を見つけた。

 ——Reneist diary.

 そう、表紙に黒い達筆で書かれた、それは誰かの日記帳だろうか。

 何処からか吹いた冷風により、表紙が捲られる。

 それは日記帳に目を走らせた。

 描かれるのは幼い少女、メア・レネイストの夢想。

 最悪の結末(バッドエンド)の出来の悪い、稚拙且つ悪趣味な御伽噺だった。


「……」

 黙読の後——。

 それの心は揺らいだ。

 物語の最後、最悪の結末(バッドエンド)に悲哀の気持ちを抱いたから、ではない。

 その悲惨な最悪の結末(バッドエンド)が。

 面白い、と。

 それから、愉しい。

 と、興味を覚えたからである。

 だが、しかし。

 ——つまらない。

 そう、エピローグの結末の物足りなさ。

 悲惨さが足りない、と思った。

 けれども、これは所詮御伽噺、空想上の作り話だ。

 現実にあった話じゃない。

 物足りないのは当然だ。

 文句を垂れようが、どうにかなるわけじゃない。

 ——ならば。

 と、それは。

 一つの解に辿り着いた。

 このReneist diary、の最悪の結末(バッドエンド)

 それの結末を、自身がもっと面白いように彩れば良いんじゃないか。

 ——と。

 実話じゃないのなら。

 少女が作った夢物語だと、そうのたまうのなら。

 その御伽噺を体現すればいい。

「……ふふっ」

 それは、まだ見えぬ最悪の結末(バッドエンド)を。

 戯曲の未来を思い描き、密かな嗤いを零したのだった。



 ♱



 ——レネイスト。

 そんな世界があった。

 星の真名だ。

 レネイストは、理想郷(シャングリラ)とは程遠い、暗黒世界(ディストピア)

 〈人間族〉が道具を手に畑を耕しながら、それから技術を発展させた、未だ尚〈神族〉が人の世に、その御姿を表す世界だ。

 太古の昔、まだ〈人間族〉が族に分類される以前の時代に現界した〈神族〉メア・レネイストが創造したのが、このレネイストだと下界には伝わる。

 レネイストに於いて〈人間族〉に限らず、その他の種族に、人権は無い。

 〈神族〉の命令は、絶対。

 拒否の声など、口にした途端に、神罰が下される。

 そんな〈神族〉——。

 神、と敬称され畏怖される、超次元的な存在が人々を支配する、自由が露欠片もありはしない、災厄の世界。

 それが、レネイストだ。

 レネイストに国家は、一つしか存在しない。

 ——ヴァミリド神教国。

 女神ベルザを信仰する宗教団体、星灯録(せいひろく)教会が母体となり実権を握り、潔白と慈愛を冠する完全無欠な宗教国家である。

 レネイストにおける、星灯録教会の影響は正直計り知れない。

 星灯録教会の教皇、その人の命令一つにより、世界が動き変転する恐れがある程に、権威は絶大だった。


「投降しろ」

 相対者に有無を言わさない容赦ない通告がされる。

 しかし、相対する少女は薄い笑みを見せた。

 余裕な表情だ。

 戯ける少女が、手に持った死体を放り捨てる。

 ——少女。

 そう、言うにはあまりに妖艶だった。

 然れど、あどけなさが滲み出る。

 女神と形容されようが、違和感が感じられない。

 眉目秀麗な容姿。

 顔の造形(パーツ)一つ一つが、完璧な——。

 いや、完璧過ぎる。

 それゆえ、優美さよりもある種の不気味さが優った。

 中空を静かに見据える蒼氷の瞳は、まるで星屑を散りばめたかのよう。

 それに、切れ長だ。

 銀雪の玲朧な長髪は、膝下まである。

 〈人間族〉の耳とは違い、先端が尖り長かった。

 装いは、軍服。

 ズボンタイプだ。

 瑠璃の花が模された結晶の如きイヤリングが、両耳朶にある。

 軍服を押し上げる双丘は、巨大じゃない。

 だが、貧しいといったわけでもなかった。

 丁度良い大きさだ。

 その少女は、いや本当にそれは少女なのか。

 もしかしたら、偽りの姿なのかもしれないが——。

 少女の真名が呼ばれる。


「聞こえなかったのか、メア・レネイスト。投降しろと言ったのだよ」

 再度、勧告するその人物は。

 性別がどちらだろうか。

 声音から女のような気もするが、男の声にも聞こえる。

 中世的な声音だ。

 白衣を纏い、下半身は緋袴に覆われ、典型な巫女装束に見える。

 しかしながら、顔を見た瞬間、それらの印象は瓦解する。

 狐のお面だ。

 それも、悪辣に嗤った薄気味悪い面だ。

 声の主は、星灯録教会、教皇直属暗部の執行人だった。

 執行人の職務は、単純明快。

 教皇の意向に背いた反逆者の粛清だ。

 ならば、命を狙われるメアは——。

 そう言う事なのだろう。


「無論、聞こえたさ」

 言葉の刃を向けられようが、メアは笑う。

 素直に応じる気はないようである。

 直後、光が瞬いた。

 否、それは。

 ——光。

 などと言う、陳腐なものではない。

 閃光だ。

 執行人が発動させた《魔法》——《魂を凍らす聖なる光(フラルリウズ)》だった。

 瞬いた時間は、一秒と少々。

 メアが《魂を凍らす聖なる光(フラルリウズ)》から逃れる隙はない。

「だけど、それに従うかはまた別問題だよ」

 ない筈なのだが、メアは。

 神経を逆撫でるような言い方をする。

 声は執行人の背の裏から聞こえた。


「馬……」

 ——馬鹿な。

 と、言う暇もないうちに、執行人の首は胴体から落ちた。

 いつ抜いたのか。

 メアの右手には、傘が携えられる。

 骨組みは、重厚な作りだ。

 持ち手は太い竹。

 装飾はない。

 無地の和紙が貼られる。

 暁灯瑠傘(きょうひるさん)アルランレイブ。

 メアの愛用する、番傘だ。


「つまらないね」

 死体を無造作に蹴り飛ばすと、メアが暁灯瑠傘(きょうひるさん)アルランレイブを《異空間収納(ディートファスト)》にしまう。

 ——ピカッ。

 と《魂を凍らす聖なる光(フラルリウズ)》とは、また違った強烈な白光が、メアの周囲を鮮明にさせた。

 メアのいる、そこは。

 星灯録教会の本山、大講堂だ。

 講堂内部は瓦礫の山が積もり、激しい戦闘があった事が窺える。

 異彩硝子(ステンドガラス)が張られた窓の外は、静まり返る講堂の中と比較すると、かなり騒々しかった。

 戦闘の音ではない。

 稲光だ。

 バケツを返したような、土砂降りの雷雨が降り注ぎ、暗紅色の暗雲が天蓋を覆う。

 地上を睥睨するのは、真紅の禍々しい朧月だ。

 まるで巨人の瞳のようだった。

 そんな外界に——。

 メアは悠然と足を踏み出す。

 天上を見上げ、さながら世界を支配した〈魔王〉のように悪辣に。

 然れど、全部を魅了する女神のように妖艶に。

 歪な笑みを湛え『女神の戯曲』の開幕を告げた。

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