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面倒で残酷な、あなた

 食後、アーチェスの私室に移動した。

 重厚で趣のある調度類。きらびやかさを抑えた色調を好む趣味に合わせて整えた部屋は、えんじ色が基調となっていた。

 サティは長椅子に寛ぎ、アーチェスは食器棚からユリを象った柄のグラスを二つと、果実酒を持ってきた。

 グラスを受け取り、注いでもらったそれを飲み干す。

 

「おかわり」

「はいはい」


 アーチェスは優雅に隣に腰を下ろした。服にたきしめられたジャスミンの薫りが漂う。他愛のない会話。

 酒が半分に減ったところで、サティはグラスを小卓に置き、切り出した。


「例の件は、どうなった?」

「ああ」


 アーチェスはグラスを一旦下げて、寝室に引っ込み、戻ってきた。

 手にはなめし皮表紙の厚い書物があり、これを無造作に差し出した。


「どうぞ。お探しのものだよ」

「見てもいいのか」

「あげるよ」

「えっ。いや、しかし、国宝級の希少本だぞ」

「たいしたものじゃない。あなたが望んだのだ、ただ素直に受け取ればいい」


 サティは頷いた。書物の状態は良く、表紙には金箔文字で書名が綴られていた。


 『ヒース碑文文書の全容・下巻』


 王宮図書館ではどうしてもみつからなかったものに、間違いない。


「僕の手元にある上巻では肝心の場所が掲載された地図がなくて、困っていたんだ。これでなんとか探し出せるかな。助かった。礼を言うよ」

「どういたしまして。母君の贈り物として進呈するものを探している、と言っていたね。どうだろう。私も参加させてもらえないか。役に立つかどうかはともかく、邪魔はしないから」

「でも仕事が忙しいだろう」

「外交大使なんて暇さ」

「暇なわけがあるまい」


 アーチェスは口を横に伸ばしたまま片頬を歪めた。


「それとも、迷惑?」

「迷惑なものか。この書物の翻訳だけでも一苦労なんだ。君が手伝ってくれるなら願ったりかなったりだ」


 サティの顔が綻ぶと、アーチェスの顔も綻んだ。


「……確か君はジレク公子と同い年のはずだが、君の方が線の細い分、若く見えるな」


 サティがそう言うと、アーチェスは微妙に目尻を吊り上げた。


「それは私に貫禄が足りないと、こう言っているのかな」

「二十六ぐらいで貫録なんてなくても別にいいじゃないか……この手はなんだ」

「おしゃべりはおしまい」


 サティはしっかり手に抱えた文書に眼を落して、一応、主張してみることにした。


「今日はこれを読みたい」

「そんな意地悪を言って、私を焦らしてどうするの」


 肩を抱き寄せられ、キスされる。


「手加減してくれ」

「それはあなた次第かな」


 アーチェスはひょいとサティを抱き上げて、寝室に連れて行った。

 小さなランプが部屋の隅にて鈍く光っている。

 サティはベッドに横たえられ、笑顔でのしかかられた。


「好きだよ」

「嘘つきだね」

「いいじゃないか、嘘でも。いまはそう言って、あなたを甘やかしたい気分なんだ」


 明灰色の細い髪を額に散らした端正な顔が迫り、唇が奪われた。

 ぐったりするほど貪られて抵抗する気力も失せた頃、顔が離れる。


「君は限度と言うものを――」


 サティはキッと振り仰いで言いかけ、そこに見つけた獰猛なまなざし。間近に停止したままのアーチェスの瞳は荒々しく、冴え冴えと凍り、そのド迫力にサティはきょとんとした。


「え。君、なにをそんなに怒っているんだ」

「私が怒る? まさか。温厚寛大なこの私が?」

「まあ……君はたいがい笑って、のらりくらりとしてはいるが、いまはなにか眼が恐いぞ」

「ふふ」

「……えーと、帰ってもいいか?」

「か・え・ら・せ・な・い・よ?」

「……わかったよ。話を聞けばいいんだろう。温厚寛大な君を怒らせるようなことを、僕がなにかしたのか?」


 サティが観念して訊ねたところアーチェスの手が持ち上がり、黙って頬の輪郭をなぞられた。そのまま襟元をゆるめられる。


「さきほどナジオン殿と話す機会があってね、聞いたんだ。あなたが誰とも結婚していないのは、秘密の本命がいるからだと。婚約者候補のジレク公子でもない、私でもない相手がいると。それはいったい、誰のことかな……?」

「兄上が、そんなことを?」

「素直に答えたくないなら、身体に訊こうか」

「やめんか、ばか」

「やめないね。見させてもらう」


 アーチェスがランプを手元に引き寄せる。

 サティは羞恥に顔が火照った。アーチェスの冷たい視線にすべてを暴かれるようだ。


「……痕はないね。よかった」

「なにがいいんだ」


 サティは喚いた。勝手に色々確かめられて、おまけに髪の匂いまで嗅がれた。


「あなたが私以外の男を相手にするなど、やはり面白くない。私が少し留守にしたからって、浮気はいけないな」

「浮気もなにも、僕は君の恋人になった覚えはないよ」

「恋人だろう」

「遊びさ」

「遊びだけど、恋人だ」


 瞼にキスを落とされる。

 サティはアーチェスの威圧に屈して、苦々しい口調で兄ナジオンの言葉を否定した。


「あいにく、本命なんていないよ。僕は好きでもない男か、僕のことを好きじゃない男と結婚する。ついでに言っておくけど、僕は誰とでも寝るつもりはない」

「よかった」

「でも相手は君だけじゃないし、君とのこの関係も、ただの軽い情事さ。本気じゃない」

「私だって、本気じゃない」

「うん、それでいい。僕は君のそんなところが気に入っているんだ。だから、君が僕に飽きたら、遠慮なく捨ててくれ。僕もそうする」


 否定も肯定もなく、アーチェスはサティの前髪を掻き上げて、眼をじっと覗き込む。


「結婚はいつするつもり?」

「まだ先さ」

「どれくらい」

「さあ……あと二人の婚約者候補が決まらないことにはなんともいえないな」

「仮にあと二人とジレク公子を合わせて、計三人の婚約者候補が揃ったときは、どうする気だね?」

「そりゃあ、三人の中で一番いい条件を提示してくれた相手を選ぶよ」

「私をまだ決まっていない婚約者候補の一人に選んでくれたら、あなたの望む以上の条件を提示するけど?」

「君はだめだ」

「どうして」

「僕好みの男だから」

「意味がわからない」


 アーチェスは首を振り、困り顔でサティを見つめた。


「私があなた好みの男だと、どうして婚約者候補にしてもらえないのかな」

「好きになったら困るだろう。さっきも言ったけど、僕が結婚する相手は、好きでもない男か、僕のことを好きじゃない男だ」

「あなたは私を好きではないのだから、婚約者候補に加えても別に問題ないだろう」

「問題あるよ。君のことは好きじゃないけど、遊び相手としては満足している。だから婚約者候補には加えない」


 アーチェスは溜め息を吐いて、サティを憎らしげに睨んだ。


「つまり、遊び相手ならいいけど夫にはしたくないと。その理由が、私を好きになったら困るから――と、これで理解は合っているかね?」

「うん、合ってる」

「しかし私は、君をそこら辺の有象無象の輩に譲るつもりはないのだが」

「だったら、有象無象じゃない男を君が選べばいい。ただし、僕の条件に見合うような男をね」

「あなたの夫になる男を私に選べとは……はあ、本当に残酷な人だ」

「明日の僕の見合いだけど、君も来るか?」

「待った。私が同席して、見合いがうまくいくとでも?」


 サティは眼を瞬いた。


「だって僕が相手を好きになる必要も、相手に好かれる必要もないからね。お互いに条件が整えばすんなりと婚約者候補におさまるんじゃないかな。君は相手が有象無象かどうか確かめられればいいんだろう? 一緒に来て、思う存分確かめればいい」

「見合いの席に恋人を連れていくとは、非常識だと思わないのかね」

「君は恋人じゃない。遊び相手だ」

「遊び相手でも、恋人だ」

「恋人じゃないったら。恋人なんて、恥ずかしいだろう」

「ええい、本当にややこしい人だな、あなたは」

「悪かったな」

「だが、そんなあなたが私は好きだ」

「また嘘をつく」

「嘘でも好きだ」

「あっははははははは。君はおかしな人だ」


 大口を開けて笑ったあと、サティは上目遣いでアーチェスを見た。


「一つ、訂正しておく」

「なんだね」

「さっきはああ言ったけど、ちょっとだけ嘘をついた。いや、嘘というか、見栄を張ったというべきか……とにかく、相手は君だけじゃないと言ったのは、嘘だ」

「は?」

「だから、要は僕の遊び相手は君だけだ。他はいない」

「……ジレク公子は?」

「公子は婚約者候補だから、婚約が成立するまで僕には触れられない」

「……秘密の本命というのは?」

「だから本命なんていないって」

「……本当に? あなたの心の中には誰もいない?」


 サティは黙った。


「……いるのかね?」


 一瞬にしてアーチェスの眼に殺気が帯びた。


「誰だ、言いなさい」


 不承不承という具合にサティは呟いた。


「……誰かは知らない。昔、一度会っただけだから」

「その相手が忘れられない?」


 サティはまた黙った。

 アーチェスは切なげにサティを見つめた。


「それを本命と言うのだよ」

「本命なんかじゃないったら」

「……そんな相手がいるのに、なぜ私に抱かれたんだ」

「拒めなかったんだよ。君が少し、彼に似ていたから」


 アーチェスは絶句した。

 サティは放心するアーチェスをどかそうと胸を押したものの、びくともしない。


「君がそんな顔をすると思ったから、言いたくなかったのに」

「私を身代わりにした?」

「違う。と言っても信じてもらえないだろうから、弁明はしない。だからこれでおしまいにしよう」

「……なんだって? おしまいにする?」

「うん。君から僕を捨ててくれ。遊びだけど、一応終わりのけじめぐらいはつけておかないと気持ち悪い。ずるずるした関係は好きじゃないんだ。って、うわっ」


 突然、アーチェスはサティを掻き抱いて激しいキスをした。


「私はあなたを捨てないし、関係を終わらせるつもりはない」

「……そうなのか?」

「不思議そうに言わないでくれないか。もういいかげん、私があなたを捨てられないことくらい、理解してもらいたいね。それよりも、もっと重要な話をしようじゃないか」


 サティはアーチェスの眼が捕食者のそれだったので、迷わず首を振った。


「面倒くさそうだから、嫌だ」

「ふふ」

「……その笑いはやめてくれ。わかったよ。話って?」


 アーチェスの冷たい微笑を前に、サティが嫌そうに訊く。


「私があなたの忘れられない人に似ているなら、身代わりでいい。婚約者候補の一人に加えてくれ」

「嫌だって言ってるのに、しつこいぞ。そもそも僕は君が彼に似てるからこそ、好きになったら困るから、婚約者候補にしないんだ」


 サティはけんもほろろに突っ撥ねる。

 ますますアーチェスは笑顔で凄んだ。


「つまりなにか? あなたの言い分をまとめると、私があなたの忘れられない人に似ているから、遊び相手ならいいと。だが彼ではないため、夫にはしたくない。その理由が私を好きになったら困るからで、彼以外を好きになるのが嫌なために、好きでもない男と結婚すると。もしくは好きになる必要のない相手、あなたを好きではない男と結婚すると。こういうわけかな」


 サティはムッとして反論した。


「僕は彼を好きだなんて一言も言ってないぞ。ただ忘れられないだけだ」


 アーチェスは笑顔を消してサティを睨んだ。


「余計に悪い」


 サティは怪訝そうに眉をひそめる。


「なぜ君が不機嫌になるんだ?」

「そこからか」


 アーチェスはがっくりとサティの肩口に突っ伏した。


「ああもう、本当になんて厄介な人なんだ、あなたは」

「……重い。潰れる。なにもしないなら退いてくれ、僕は本を読む」

「またそういう、つれないことを。あなたは時々ひどく可愛げがない」

「僕に可愛げなど求めるほうが悪い」

「嘘だよ。あなたは可愛い。やんごとなき身の上でありながら自由奔放なところも、面倒くさがりなところも、寂しがり屋のくせに意地を張るところも、全部」

「ぶつぞ」

「怒った顔も可愛い」

「この嘘つき」

「嘘つきは嫌いかな?」


 サティは「はー」とこれみよがしに溜息をついた。

 アーチェスは勝ち誇ったように、にこーと笑った。


「うん、溜息をつく顔も可愛い」

「それ以上言ったら、僕が君を捨てるぞ」


 サティが眼をギン、と据えて言うとアーチェスは降参して、そっと口づけてきた。


「もう黙るから、触れてもいいかな?」

「手加減を要求する」


 アーチェスは微笑んだ。


「だから、それはあなた次第」


 サティは溜め息を吐いて身を任せた。

 アーチェスの双眸に閃いた一抹の寂しさに、気づかぬふりをして。

 






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