30、最後の幕が開くとき
二層の獄層崩落から、五日後。
Pの館は、正式に崩落イベントの終息を宣言した。
警報発令から約三か月、避難指示が出てから解除までに、約二週間が経過していた。
肉獄の忌まわしい肉塊は、紡の魔法とインスピリッツの焼夷弾で、痕跡さえ残さずに焼却され、その後二週間ほどの観察を経て、立ち入り禁止が解除されるそうだ。
緑獄の方は、Pの館から特別クエストが頻発され、森の中の資源回収やマッピングが進められている。
聞いた話じゃ、緑獄崩落の後で冒険者人口が高まるらしく、甲山組と山本工務店が講習会や新人募集で忙しく立ち回り始めていた。
生活の場にしていた下宿も、今日で引き払う。
狭くて雑魚寝の木賃宿だったけど、がらんとした空間を見ると、切なさが込みあげるのは、なんでだろうな。
「それじゃ、またどっかで」
ハイエナの彼は荷物を背負って、軽い調子で去っていった。
それを見送った俺は、隣のネズミに声をかける。
「それじゃ、俺たちも」
「いや、オレは、そっちにはいかないよ」
彼は苦いとも、快いともとれる笑いで、首を振った。
「森の監視櫓に詰めることにした。うまくすると、インスピリッツに入れるらしくてさ」
「……そうですか。行きたいって言ってましたもんね」
「サブマスターさんのあれ、見ちゃったら、余計にさ」
分かる。俺もそうしようかと思ったもん。
俺たちは笑い、握手した。
「ムーランも、もうすぐ営業再開です。気晴らしに銭湯って手もありますから」
「ありがとう、小倉君」
彼は崩落の後始末で、熱心に働いていた。何か思うところがあったのか、愚痴より笑顔が多くなるのを見れたのは、素直にうれしかった。
俺は宿舎を出て、大通りに入る。
世間は以前の賑わいを取り戻しつつあった。
崩落の衝撃で傾いたり、潰れたりした店舗もあったけど、すでに改修か新築の予定が入っていて、家主たちの顔もそれなりに明るい。
『店舗や家屋の崩落があった住民は申請をお願いします。生活費と住居の修繕費用の一部負担、ならびに滞留更新一回の免除を行います』
崩落対応したヒトにはプラチケなどの報酬、被害を受けた一般住民には損害補填。
Pの館も、獄層崩落に関してはきちんと為政者っぽいことを行っていた。滞留更新については、マッチポンプ感あって、納得できんけどな。
「さすがに、『EAT UP』はまだやってないか」
ぱちもん通りの看板のような店は、今日もシャッターが下りていた。向こう一週間は南の森を担当して、食材の確保にあたる。
ただ、クリスさんの趣味のお店『ミシュリーヌ』は、明日ぐらいから営業する。
崩落でたまったストレスを解消する『ヤケ料理』だとか。
「クリスさん、めちゃ働いてたもんな。ゆっくり休……休んで、って言っていいのか?」
そのまま北前通りに向かいつつ、塔の方に目をやると、避難所はすっかり解体されてしまっていた。
ダンジョンの開放も明日から。とはいえ、崩落が終わった後はしばらく、攻略に入る連中も激減すると聞いた。
避難していた原住の模造人は、ずいぶん前に解放されている。
彼らのことについては、何も言えない。もし可能なら、Pとジョウ・ジョスを殴り飛ばすぐらいはしたいけど。
なじみ深い通りを歩き、俺はとうとうたどり着く。
「ああ……良かった」
鈴来の書いた店の看板も、古ぼけた壁も、ならず者連中に壊されて、改めて据え付け直したドアも、全部無事だ。
ノブに手をかけ、押し開く。
青銅の鐘が鳴って、中にいたヒト達が振り返った。
「孝人君! おかえりなさい!」
棚にお酒を並べ直していた乙女さんが、笑顔で出迎える。
「お疲れさま、孝人! 遅かったね!」
「援護班、大変だったって聞いたぞ! 無事でよかったな!」
テーブルを引っ張り出していた文城と、その反対を持っている紡。
「帰ってきたのか。事務所は手を付けてないから。あとでお前らがやっとけよ」
「ご苦労様でした! 今からお茶入れますね!」
柚木と明菜さんは、地下に降ろしていた食器を運んできていた。その後ろから、同じく箱を手にした鈴来と柑奈が続く。
「おにいさん! おかえり!」
「え、ちょ、おま、ぎゃふうっ!?」
「あー、うん。おかえり、リーダー」
手荒いヤギの歓迎を喰らいつつ、俺は改めて、柑奈を見た。
救護所で見たときも思ったけど、表情とか雰囲気が少し変わったな。その変化のいくつかは、ラジオの仕事もあるんだろうけど。
一番大きいのは、ボディがフルメンテされたことだ。
動きも滑らかになり、貼られている擬態も、だいぶクリアになった、気がする。
「それにしても、みんなよく無事で、帰ってきてくれたわね」
片付けと開店準備をいったん止めて、その場にいた面々で、お茶休憩をすることになった。
出された茶請けは、崩落対策の時に配布されたカロリーバーやキャンディしかない。とはいえ、今はどこの店もやってないし、ぜいたくは後でもいいだろう。
「森のヒトが出たんだって? 普通は緑獄の奥にしか出ないんだぜ!」
「うん。その辺りも聞いたよ。生半可なパーティだと全滅必至とか。だから、倭子さんの撤退命令、かなり的確だったってさ」
「倭子さんもそうだし、親方とか、クリスさんとか、山本さんとか、すごかったんだ! 僕のとこからは、あんまりよく見えなかったけど……」
結局、文城は前線には出ないまま、後ろで補給係を担当していた。できるなら、肩を並べて戦いたい気持ちもあったけど、友達が傷つくのを見るのも嫌だったしな。
「そういえば、紡はどうだった? 肉獄、心底大変そうだったけど……」
「やっぱり、犠牲者が出るのは、結構きつかったよ」
「割り切れとは言わないけど、引きずるのもよくないよ。あたしたちは、できることをするしかないんだから」
「分かってる。ありがとな」
頷き、決意を秘めた顔で、白いオオカミは茶をすする。
こういう時、紡は本当に見ほれる顔をする。
男らしいって言葉への見方が変わっても、こればっかりは好意を向けるしかないよな。
「瞳やAチームのメンバーは?」
「みんな元気だぜ! 最後には、俺と瞳のコンビネーションで、敵のボスを削りきったしな!」
「ボスって、そんなのいるんだ!?」
「肉獄には『ナーヴ』って、指揮官タイプの敵がいるの。それを潰すと、一時的に相手の力を削げるのよね」
ほんとに、肉獄は他の獄層と毛色が違うんだな。
聞けば聞くほど、エイリアンとか生物兵器みたいな趣だし、迂闊に手を出せないってのもよくわかるよ。
「そういや、孝人の方はどうだったん?」
「文城からとか、柑奈の取材は聞いてたんだろ?」
「本人じゃないと分かんないこともあるだろ! オレ、緑獄には基本関われないからさ」
いろいろあったし、嬉々として語るには重い経験だけど、俺は思い出せる限りの話をして聞かせた。
「山本さん、やっぱスゲーよな。完全結晶武器、ますます欲しくなってきた」
「倭子ちゃんも、張り切りすぎでしょ。あたしよりメカっぽいことしてない?」
アタッカー組は、各ギルドマスターの行動に感心し、
「聞いてるだけで胃が痛くなる……。俺、絶対、途中で死ぬ自信があるよ」
「本当に無茶しないでね、孝人君。お願いだから」
避難所組がため息混じりで評価を付ける。
そんな時、入り口の扉が鳴り響き、小柄な姿が入ってきた。
チョウゲンボウの模造人は、俺たちの顔を見て笑顔を浮かべた。
「お久しぶりです! 皆さん、お元気そうで何よりです!」
「おー、しおりもひさしぶりー!」
「お疲れ様です。ところで、孝人さん」
彼女は厚めの資料を取り出し、真剣な顔で告げる。
「ご連絡の通り、先行して対応策をまとめてみました。すでに柑奈さんにも打診済みです」
獄層崩落への対応は終わった。
今の俺たちにとって、重要な問題は、あと一つ。
「緊急会議だ。パッチワーク・シーカーズは『阿部藜』の対応協議に入るぞ!」