29、崩落始末
重くてだるい気分で薄目を開けると、すでに空はかなり明るくなっていた。
「うわっ! やば!」
ベッドから転がり落ちるように抜け出て、立てかけてあった棍を手に、
「あれ?」
そこでようやく、自分が寝ていたのが救護所の医療テント内だと気づいた。
昨日、現場から運びだされて、ここに寝かされたんだろう。気が付けば、二の腕や足の辺りに包帯が宛がわれている。
「気が付いてなかっただけで、ケガやってたのか」
多分、剪定序盤に突出したあたりだ。蟲や動物の体液だけじゃなくて、俺も出血してたんだなあ。
「小倉さん、もう起きてんだ」
ハイエナの彼が、片手にトレーを持ってやってくる。すでにケガは問題ないらしく、包帯も取れている。
「現場はどうなってる?」
「今は、外に飛び出た蟲やらアラシシを、散発的に狩ってるとこ。午後からは罠地帯を焼き払って、森の周囲に監視の櫓と壁を建てるってさ」
どうやら、緑獄崩落は落ち着き始めたらしい。
この後、監視用の壁と櫓が建てられたら、外周から薄皮をはぐように、資源を採取していくことになる。
そして、ある程度の危険性が下がったら、以前のように一般に開放する森が仕上がるというわけだ。
「今日は一日休みだってさ。昨日と立場が逆になったね」
「悔しいけど、しっかり休んで治すことにするよ」
「それなら、まずは飯食って、だな」
持ってきてもらった食事を受け取り、俺は気になっていたことを問いかけた。
「肉獄の方は?」
「今朝がた、駆除再開だって。あっちは緑獄よりも労力すごいから」
「みんな……大丈夫かな」
あっちには紡や鈴来、瞳がいる。それに、Aチームのみんなや大川さんもだ。強いのは分かっているけど、実際の崩落を体験した後だと、心配が先に立つ。
「甲山組と山本工務店は、向こうに回ったって。さすがに前線じゃなくて、警戒や補助要員らしいけど」
「……タフだなあ、ガタイの違いもあるだろうけど」
ハイエナの彼は仕事に出ていき、俺はスープをすすり、パンをむしりながら、ぼんやりと過ごしていた。
そんな俺の耳に、どこからか聞き覚えのある声が届いた。
『――ニュータウンFM、十時のニュースです』
テントの外で、誰かがラジオをつけている。
読み上げるのは楽山さんだ。
『はじめに、獄層崩落の状況をお知らせします。
――市街南部、緑獄崩落の対応は剪定を完了し、森の保全作業へ移行したと、インスピリッツとPの館による共同声明が発表されました。
現在、森の外周部において、害獣の駆除ならびに、封鎖作業が進行中です』
この放送を、乙女さんも聞いているだろうか。
森の保全が終われば、南方面に関しては、以前の通りに生活できるはずだ。
『続いて、肉獄崩落の状況です。
――午前十時現在、肉獄の『侵攻』は散発的になり、状況を考慮の上、掃討戦に移行すると、大川氏による宣言が行われました。
本日十三時より、焼夷弾による攻撃が予定されており、成果が注目されています』
緑獄と違い、肉獄は世界を汚染する存在だ。対処は完全殲滅、火や毒を使い、徹底的に滅ぼしつくさないとならない。
『あの、肉獄層の駆除に、『驚天』は使わないんですか?』
『結晶による爆破、質量による打撃は、忌まわしい肉を飛散させるおそれがある。驚天の威力は、大雑把に過ぎるのでな』
俺の質問に、大川さんは複雑な顔をして告げていた。
同じ理由でインスピリッツの『アルケミスト・ワゴン』も、獄層崩落には対応しない。
むしろ、その二台は『いざという時の箱舟』という意味合いがあった。
『それでは、現地の様子を中継でお伝えします――神崎さん、現場の様子はいかがでしょうか』
俺はベッドから跳ね起き、テントの外に走った。
ラジオを囲んで休憩する連中に、体をねじ込むようにして、耳をそばだてる。
『はい、こちら現場の神崎です。崩落から一夜明けた現在、肉獄の質量は、依然として東の荒野に居座ったままですが、開始当初より、勢力を弱めているように感じます』
以前と変わりない声。まじめなトーンで話しているせいか、印象は少し硬いけど。
『神崎さんは、昨日の肉獄防衛に参加されたとのことですが、あなたの目から見て、状況はいかがでしょうか』
『――はい。『奈落親王軍』の一番隊、二番隊、『インスピリッツ』の砲撃部隊が、効果的に対処していました。被害を最小限に食い止め、効果を上げる行動だったと思います』
緑獄はいわば勇魚獲り。昔の鯨漁みたいなものだったのに対し、肉獄はエイリアンVS軍隊の様相を呈していた。
『現在、肉獄の汚染による被害は的確に対処されています。今後は『塗りつぶし』を行いながら、完全消去を目指し、対応していく予定です』
『神崎さん、ありがとうございました。それでは、ここで一曲お送りします――』
流れてくるのは、古い古い、海外の曲だ。
歌詞の内容もわからないけど、刺激に疲れ切った頭には、このぐらいの距離感がちょうど良かった。
ふと見上げると、それぞれの獄層が、ひどく縮んでいるように見えた。
いや、本来はこのぐらいの大きさだったはずだ。少なくとも、俺がこの街に来た頃は。
「これが、モック・ニュータウンの日常か」
転生、ギルド、ダンジョン攻略、滞留更新、そして獄層崩落。
俺たちを急かすように、生かして殺すための、目まぐるしい流転だ。
『死にたくねえよ』
ネズミの同僚の言葉を思い出す。
あの時は、ただ聞き流した。
でも、今は。
「死にたくないなあ」
一度は自分で手放しておいて、大切だと気が付いて、あわてて惜しむ。
バカみたいだけど、それでもだ。
「ようやく自分の気持ちに、素直になったってトコ?」
だしぬけに、少女の顔が俺に近づいていた。
変わらない、それでもどこか変わって見える顔に、俺は思わず、泣いていた。
「……おかえり」
「ただいま」
柑奈は俺を抱き留め、俺も背中に腕を回す。
長いこと会っていなかった友人を、迎え入れるように。