26、獄層崩落(その四)
「孝人! おつかれさま!」
思った通り、配給所には文城が付いていて、みんなにおにぎりを配っている。一緒にスープのカップとキャンディを受け取り、軽く頷いてその場を後にした。
ここでも、文城のギフテッドは圧倒的に役立っていた。食料のための倉庫が必要ない上に、瞬時に食料を生み出せる。
こういう鉄火場では、値千金だ。
俺はそのままC班の待機場所に行かず、救護所のあるテントの群れへと向かった。中には結構な数のケガ人がいて、目的のヒトを探すのに少し手間取った。
「あれ、そっちもどっかケガ?」
「気になったんでお見舞い。あと少ししたら東に行くよ」
ハイエナの模造人は、しっかりと包帯を巻かれた肩口を示して、苦笑する。
「今日は一日安静。明日以降、様子見て仕事に入れそうなら」
「確定じゃないけど、連中の足止めはうまくいったっぽい」
「そっか……くっそ……」
その顔には、少なくない悔しさが浮かんでいた。出足こそ落ち着いてたけど、あそこで不意打ち喰らって焦ってたからな。
「カッコつけて出てきたのに、しまらねえなあ」
「恋人に?」
「違うよ。同居人のダチ、すごくビビってたから『オレが守ってやる』って」
「なら、なおのこと良かったじゃん」
俺は後ろめたさを隠しながら、手にしていたキャンディを一つ放る。
「仕事もしたし、こうして生き残ってるんだ。あとは友達のところに帰って、無事な顔を見せてやれよ」
「……そうだな」
「出番はまだあるんだ。体直して、挽回すればいいさ」
見舞いを終えると、外に設けられたベンチに座って、スープをすする。
気持ちを切らすつもりはないけど、さすがにきつい。
開戦の恐怖と、鬨の声。
乱戦のさなかで見た、いくつもの光景。
「あ、いた。えっと、小倉さん」
気が付くと、ネズミの同僚がやってきて、俺に水のボトルを差し出した。
「東の方、なんとかなったそうだよ」
「え、そうですか。それじゃ、俺たちは?」
「森からの『追い出し』に参加するって聞いた」
『第一段階が終わった時点で、森はいったん落ち着きを見せます。でも、ここからが一番面倒くさいんですよ』
そう。崩落から漏れ出した暴走エネミーを倒しただけでは、単に上にあった獄層が地上に落ちてきただけだ。
中に存在している『地上にいてはいけないもの』を、狩る必要がある。
『第二段階は、いわゆる大物狩りです! 『インスピリッツ』『甲山組』『山本工務店』『EAT UP』の最高戦力を中心にした討伐! これが緑獄層の『剪定』、最大のクエストになります!』
剪定の討伐クエストには、俺たちC組は参加しない。追い出しと呼ばれる、森の中から出てくる小粒のエネミーを迎撃する人員に割り当てられていた。
その理由はやっぱり、小型で戦闘力を期待できない模造人だから。
もちろん、瞳みたいな例外もいるけど、身長や体格で出力は決まる。
「やっぱり、赤リボンは違うね」
「え……いや、俺の方はなんていうか、状況に場当たり的に対処した結果ですし」
「オレ、こっちには逃げてきたようなもんでさ。借金で首が回らなくなって、気が付いたら、ね」
隣に座り、うなだれる同僚。
だいぶ弱気になってるな。無理もないけど、さすがに今は止めさせなきゃ。
でも、どうすればいい。
「臆病者なんだよ、心底。そのくせ、変なところで意地張って。あきらかにオレって、流れ弾で死んじゃうタイプでしょ」
「…………」
「転生すれば、何とかなるなんて思ったけど、手に入れたもんも、心底くだらなくて」
言葉遣いや態度で、このヒトは見かけよりも歳食ってるのが分かる。本来なら俺よりも十歳は上な気がした。
向こうの生活で、後悔や愚痴や、やりきれないことも、いっぱいあったに違いない。
でも、
「すみません。そういうのは、やめにしませんか」
「……そうだよね。いつまでも愚痴ばっかり、オレみたいなクズには」
「もう、一回死んだんですよ。俺も、あなたも」
立ち上がって、彼に手を伸ばす。
「転生すると、前世の記憶を失うっていうじゃないですか。あれって、こういうのをやめるためだと思うんです」
「……やめるって、なにを?」
「過去の失敗や辛さを、蒸し返すこと」
確かに、前世の記憶や知識があれば、アドバンテージを取れるかも知れない。
その代わり、過去の失敗や恨みつらみ、逃れられない恥を、背負い込むことになる。
他人になった、なんて嘘をついてみても、結局は自分が覚えているんだから。
「持ち越した記憶や経験も、そんな重荷を抱えてたら、意味ないです。絶対に、過去は追いすがってくる」
「……君は、忘れられたのか?」
「今でも夢に見ます。生きてるはずの友達が、夢枕に立つぐらいには」
彼はためらい、悲し気に顔をしかめた。
「それでも、君はうまくやれてるじゃないか」
「『切り結ぶ、太刀の下こそ地獄なれ。踏み込みいれば、あとは極楽』」
それはコウヤに教えられた、剣術の基礎にして極意。
「恐ろしいときほど目をそらさず、その瞬間になすべきことだけを考える。生も死も、選択の先の結果に過ぎない。そう教わりました」
「それは君に勇気が」
「そうやって、最初の一歩を、ためらうんですか?」
俺は、彼の手を掴んで、引っ張り上げた。
だしぬけに立ち上がった彼は、呆然と俺を見た。
「俺にできるのは、ここまでです」
「え……」
ヒトに誰かを導くことなんてできない。きっかけを提示するのが精いっぱい。
そもそも、俺のは勇気じゃなく、出力を間違えた蛮勇と安い思い込みだ。
「仕事に行きましょう。難しいことを考えるのは、それからでいいでしょ」
「……うん」
「第一、愚痴を言うなら、もっといい場所がありますから」
俺はギルドのバッヂを示して、笑いかけた。
「次の休み、うちの店で一杯どうですか。愚痴は酒で洗い流すのが一番ですよ」
「……オレ……飲めないんだけどね」
「大丈夫。ノンアルもあります。一晩中付き合います」
「そっか」
彼は視線を落とし、それから笑いの形を作る。多分、こんなことでどうにかなるとは思えないけど。
「C班のヒト、全員集合してください! 追い込み班に合流します! 急いで!」
考える時間は終わりだ。
苦い思い出や至らなさへの自嘲は、仕事で埋め尽くすに限る。
ああ、こんなところでも、ブラック企業しぐさか。
「ほんと、救えねえよな。俺も」
やめようと思った愚痴をこぼし、走った。
帰ってきた現場は、明け方ころとは様相が違っていた。
森を囲うようにしていた罠には、無数のエネミーの残骸がへばりつき、そこに死体を食うタイプの連中が群がっている。
「本格的な駆除は後で行います! こっちに気を引かれた個体だけ迎撃して、警戒を行ってください!」
集められた連中は、大半が黄色か緑のリボン。命令通りに、罠地帯に残ったエネミーへの警戒に当てられた。
「気球が上がったら追い込み開始です! 森から中型や小型が出てくるはず! 盾持ちのヒトを中心に防衛陣を組んでください!」
今回は体の大きな連中との混成。しかも、さっきまでと違う別の任務もある。頑丈な檻や大きめな袋、回収のための荷車が用意されていた。
「各班は割り当ての入れ物がいっぱいになるまで、獲物の回収を! ここでのスコアはボーナスが付きます! 安全に気を付けて頑張ってください!」
第一段階では、大半のエネミーを駆除対象としてみていたが、第二段階は剪定と一緒に収穫を行う。
獄層崩落に入るまで、この街はリソースを吐き出し続けた。ここで、緑獄からの恵みを回収し、補填するわけだ。
「C班、盾準備!」
別の部隊から組み込まれたイヌ系やウシの模造人たちが、表面に鋲を打った盾を構える。同時に、いくつものねじ込み式の仕掛を、一気にひねった。
スクリューチャージ式の結晶防具。おそらくは、この場限りの使い捨て品だ。
盾持ちの背後に、俺たちも整列する。
小さい連中で、俺以外に赤リボンはいない。一緒に配属されるはずだったハイエナの彼がいないのがちょっと不安だけど、仕方ない。
『観測気球、離床開始!』
遠くから聞こえる倭子さんの声。同時に、森から距離を取った位置から、十基ほどの気球が空に舞い上がっていく。
同時に、完全武装した冒険者たちが森の中に入り、程なくして――
キキキキキキキキキキキキッ
耳をやする気持ち悪い音、そしてなにかが跳ねて、森の外へと飛び降りてくる。
それは、森そのもの。
「え……?」
いや、森じゃない。背中に木々を生やした、巨大なクモだ。
木の幹まで含めれば、ムーランと同じぐらいの高さ。
そのクモを挑発するように、数人の『勢子』が、武器を振り回し叫んでいる。
『園丁蜘蛛! 緑獄の深部でないとお目に掛かれないレアです! 背中に植わった植物に、非常な価値があります!』
その後ろから木々を吹き飛ばし、巨大に盛り上がった毛の塊が飛び出てくる。勢子をやってた連中が、巻き込まれて吹き飛んだように見えたけど、大丈夫なのか!?
『アラシヤマ! あれ一頭で、街の食肉三か月は賄えますね! 時々ものすごい電撃を放ってきますよ!』
解説の倭子さんのテンションが、かなりおかしくなってる。
無理もないよ。植物を背負ったクモが追加で二体、デカい毛むくじゃらが、さらにもう一体、森から出てきてるんだから。
『はい! 観測班からの報告で、大型エネミーはこの五体で打ち止めだそうです! 一安心ですね!』
いやいやいや、気楽に言わないで!
あんなもんを五体も相手にとか、さすがに無理でしょ!?
『後衛の皆さんに連絡です! 大型エネミーに刺激されて、中型と小型が一斉に散り始めたそうです! 推定二百越え、今回も大漁ですよ!』
大漁は大漁だけど、それはこっちでさばききれる量なのか!?
そんな不安に駆られた俺たちに、リーダーは苦笑しつつ、的確な指示を飛ばす。
「蟲は虫除けで退けて、すり抜けてきた奴と、アラシシを中心に狩ります!」
俺たちは支給された虫除け入りの球を手に、盾持ちの前に進み出る。
大地を揺るがしてやってくる、無数のエネミー。
その向こう側に、巨大な毛むくじゃらと、それより大きなクモが、周囲を駆け巡る狩人たちを威嚇する。
「今です! 投げて!」
一斉に球が放られて、大地に嫌な色の粘着物がべたべたと張り付く。途端に悪臭が放たれ、土ぼこりを上げて近づく連中の勢いが落ちた。
「盾役前に! 迎撃班と協調して圧をかけつつ前進!」
例のベタベタに蟲や一部の動物が足を取られ、その上を乗り越えてやってくる連中が見える。
そして、激突。
盾が強く輝き、いくつもの肉体がはじけ飛ぶ。
「迎撃班!」
俺たちは盾の前面に回り込み、ぶつかった獲物を、一斉に殴りつぶす。
本来なら、きれいに仕留めるほうがいいんだが、今はそんなこと考えてる暇はない。
「回収班!」
先端がカギになった竿が、死骸を回収して後ろに引っ込む。その間にも、エネミーは休む間もなく襲い掛かってくる。
「盾を先行させ、二人以上で当たって! とどめを刺したら回収班に任せて先へ!」
後はひたすら、無我夢中にやるしかなかった。
盾が敵を吹き飛ばし、それを殴り、背後に投げ飛ばしてさらに先へ。
無我夢中で結晶をリロードし、獲物を打ち砕き、次を求める。
撃破、リロード、前進、撃破、リロード、前進、撃破、リロード、前進――
「小倉君!」
急に肩を掴まれ、俺はようやく、我に返った。
同僚のネズミが、思う以上の力で引き戻している。
「後退だよ。もう、大丈夫だから」
気が付けば、俺は荒い息をついていた。全身が体液まみれになって、毛皮も防具もごわごわになっている。
棍を握りしめていた手が、硬く締まったまま、はがせない。
盾持ちのヒトがかばうように前に立って、気づかわし気に見下ろしていた。
「うちらだけ突出しすぎだ。ほかの連中は下がってる。アンタの処理がよすぎたな」
「え……あ、ご、ごめん、なさい」
「いいって。オレも調子に乗っちまった」
頭に血が上って、周りが見えてなかった。盾持ちのヒトがいなかったら、俺は。
警戒しながら後退する間、何とか指の緊張を解いて、武器を手放した。
「ほんとに、すごかったよ。倒し方も的確で、どんどん先に行って」
「駄目ですって。夢中で突出するヤツなんて、戦場で真っ先に狩られる首ですから」
気が付けば、リローダーが空になっている。棍に残ったのは残り二発。こんなことまで見失うほどに熱くなってたか。
中型や小型の波は、どうやら落ち着いたようだ。
残るは森の手前で争う、大物狩りのヒト達。
「え、もう二体も倒してんの!?」
毛むくじゃらの肉が一体、綱をひっかけられて引きずられていくのが見える。
クモの一匹も、最終防衛ライン近くに移動させられ、解体のやぐらが組まれていた。
だが、それ以上に、俺を驚かせたもの。
今まで俺が付き合ってきたヒト達の、本当の実力が、展開されていた。