24、獄層崩落(その二)
それは、緑獄迎撃班に配置されてすぐのことだ。
『みなさん、今回は緑獄崩落迎撃班に参加いただき、ありがとうございます!』
緑獄迎撃班の総括役になった倭子さんが、図解入りで説明してくれた。
これから起こる災害が、どんな風に進行するかを。
『ここからは、一日から数日の誤差はあっても、必ず崩落は起こります。できる限りの下準備は行いますが、完全に安全な作業になることはないと、肝に銘じてください』
再度の警告。俺たちが立ち向かう事態が、想像以上に困難になるという証だ。
『南の緑獄崩落への対策で、重要なことは二点! 街への被害を最小限にすること、そして、最大限の恵みを確保することです!』
他の獄層崩落は、単純な迎撃や襲撃への対処だけを考えればいい。
しかし、南の緑獄崩落は『剪定』と呼ばれる作業を必要としていた。
『緑獄崩落と、その後に生成される森は、食料、飲料水、建築や武器防具の素材、医薬など、多岐にわたる素材の入手手段となります。特に食料は、この街における需要の三十パーセントをまかなうほどです』
実際、南の森はこの街のインフラと言っても過言じゃない。あそこで収穫される木卵やアラシシの肉が、食堂や売店を支えているのは、身をもって体感していた。
『ですが、あまりに森の領域を広げてしまえば、街にエネミーが侵入し、安心して生活することが困難となります。そこで、森の拡大規模をこちらでコントロールし、次の崩落まで資源を維持するのに必要なのが『剪定』なんですね!』
ほかの獄層であれば撃滅だけで済むところを、生かさず殺さずに扱わないといけないってことなわけだ。
『ではここから、具体的な撃退と剪定の計画についてご説明します!』
それは、夜明けのほんの少し前のころ、だったと思う。
なぜか目を覚ました俺は、せせこましいタコ部屋に集まった、ヒトの群れを眺めた。ほとんどの連中が寝ていたけど、俺と同じように体を起こして様子をうかがう奴がいる。
なんだろう、体が震えている?
「余震だ」
誰かが言って、寝ていたやつらも少しづつ体を起こす。ここにいる連中は交代要員で、半分くらいは見張り台にいるはずだ。
これまで遠雷のようだった音が、明確に地鳴りのような響きになって、壁や床を揺らし始めていた。
『崩落警報! 崩落警報! 二層の振動が目視可能レベルになりました! 撃退要員は待機エリアに即時移動してください!』
俺たちは武器をひっつかみ、そのまま外へと走り出す。防具を脱いでいたやつが、もたもた着替えているのを、誰かがどやしつけている。
だから、寝るときも着てろって言われてたろうが、しょうがねえな。
待機エリアには見張り台についていた連中もそろっていて、それぞれがしゃがみこんで何かを待つ姿勢だ。
「みなさん! 対『崩落地震』の態勢は必ず取ってください! 目を閉じ、耳を押さえ、口は開いて! 顔は地面に近づけて!」
インスピリッツのヒトが必死に叫ぶ。この話も、倭子さんの説明にあった奴だ。
『崩落の瞬間に起こる、最初の災害が『崩落地震』です。推定質量数百万トンともいわれる、とんでもないレベルのものが落ちてきますから、衝撃波とかもすごいです! なので対ショック姿勢は忘れずに!』
そんなもんが落ちてきたら、普通に街の大半が壊れそうだけど、森自体に含まれる『生態系』が自壊を防ごうとする結果、そうなるらしい。
俺たちはそれぞれ地面に膝をついて、いつでも崩落が起きてもいいように身構える。
その間にも、森の上まで張り出した緑獄層から、細かい『かけら』が降り注ぎ始めた。
いや、あれは『かけら』なんてかわいいもんじゃない。
「で、でけえ……」
防衛に使った大木の杭、それよりもなお太い蔓のようなものが、地面にたたきつけられて、大蛇のようにうねる。
そのたびに、腹に響く強い振動。
「どんどん、落ちてくる……っ」
怯えた誰かが悲鳴に近い声を漏らし、降ってくる数が次第に増えていく。
土ぼこりが上がり、視界の先が煙っていく。
その音に刺激されて、南の森で何かがざわめく。とはいえ、崩落が来る前にめぼしい動物は狩りつくしているから、飛び出してくるものはない。
『緑獄層観測班から連絡! 緑獄層に裂開を確認! 繰り返す、緑獄に裂開確認!』
驚いて空を見上げるが、こちらの側からはまだよくわからない。その代わり、外周の端の方で、落下物が加速度的に増えていく。
「頭ァ下げろバカヤロウッ! もう落ちてくるぞ!」
騒音にも負けない親方の怒声。
みんな頭を下げ、崩落に備えた、その時。
――――――――――――!
俺の頭上で、世界が、音を立てて、裂けた。
雷、爆発、噴火、爆弾。
そのどれでもない異常な破壊音が、地面に伏せた俺の背中にねじ込まれる。それは不可視の図太い指で、骨と肉をえぐりとるような振動。
世界をかき混ぜる躍動、それが一瞬だけ、やんだ気がした。
「え…………ぅっ!?」
周囲の空気が重くなる。背中の方へ突風が抜けていく。
上から降ってくる質量の『手』が、
俺の体を押さえつけ、
「――――!?」
何かを叫んだ気がした。
その言葉が、根こそぎ奪われる、音。
いや、音なんてレベルじゃない。
世界そのものが、津波になって押し寄せる。
閉じた目の裏で視界が白く染まり、手足がしびれて息が詰まる。
風にあおられ何かがなぎ倒され、遠くのどこかで、建物が崩れていく衝撃。
一秒? 一分? 五分くらい?
視界と耳が、ようやく機能を再開し、
「う、げ、げへっ! ぐへえっ!」
巻きあがる砂塵が口の中に入り込み、咳き込む。鳴き声や悲鳴が群集のあちこちから漏れて、それをなだめる声や、指示が飛ぶ。
「顔上げろ! すぐ次が来るぞ!」
「全員、隣にいる奴を見てやれ! お互いに無事を確認しろ!」
「ケガしたやつ、鼓膜をつぶした奴はいったん下がれ! それ以外は待機だ!」
俺は耳をこすり、手足を見て、それから隣に転がっているヒトを見た。
外傷無し、脈もあり、倒れた姿勢からすれば、衝撃で気絶した感じだ。
「すいません! ここに倒れたヒトが!」
「まだ交戦前だ! そいつ引っ張っていったん下がれ!」
俺よりも、がたいのでかいイヌ科だけど、こういう時の背負い方は教わってる。肩から腰へ斜めに抱え、たすき掛けするみたいにして――。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
全身の毛が逆立って、背筋が痺れる。
振り返れば、そこには黒々とそびえる、巨大な山があった。
俺が今まで見ていた、穏やかでこじんまりした森は、跡形もなく消え去っている。
こずえは空を覆いつくほどの高さに。
その面積は、街の外周を覆うほどの広さに。
崩落してきた緑獄層、その一部でしかないのは、理解しているつもりだった。
でも、こんな、バカみたいな代物が、一瞬で!?
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
アギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
ヒイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアア!
黒々とした、異形の山が哭き叫ぶ。
吹き荒れる咆哮、押し寄せる波動が、こっちの心を滅多打ちにしていく。
それは、宣告のように思えた。これから俺たちを、跡形もなく貪り尽くすという。
武器を取り落とし、膝をつくヤツがいる。
悲鳴を上げて腰を抜かすヤツがいる。
背負いかけたヒトの重さで、俺もその場にへたばりそうになった。
その時、
ドオンッ!
空で、何かが破裂する。
次いで、バチバチと弾ける閃光。
明るくなっていく空で、いくつもの爆発が弾け、
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
張り巡らせた罠の、はるか先で、叫ぶ背中があった。
あれは、親方だ。
普段の仕事では着けたことのない、ごつい重武装の鎧と、身の丈を越える長尺の武器を二本も背負っている。
「うわあああああああああああああああああああああああっ!」
その隣に、同じく鎧を身にまとったクリスさんの姿がある。手にしたハンマーも、大ぶりのごつい代物に変わっていた。
『叫んでください! 怖いなら! 怖くなくても!』
それは防衛陣地の後ろ、さっきの花火を打ち上げた場所で、武藤さんが身に着けていたような大ぶりの動甲冑に身を包んだ、倭子さんの声。
『ここまで来たら、やるしかないですよ! 負けて引いたら、全部終わり! でも、進んで押し返せば、私たちの勝ちです!』
そして、彼女も叫ぶ。
前線に立つヒト達が列を組んで、腹の底から声を出す。
武器を鳴らし、足を踏み下ろし、黒々とした森に、堂々と挑戦していく。
「う……お、おおおおおおおおおおおおっ!」
俺も、声を上げる。
いきなりで、すぐに息が切れて、もう一度息を吸い込み、叫び直す。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
脳の奥にしみこむ、強烈な高揚感。それまで感じていた恐怖が、意識の片隅に押し込められて、こめかみがじんと痺れる。
その時、背負っていた体が、大きく身震いした。
「う、うるせえ……」
「え……あ、ご、ごめんっ」
「な、なんで背負われてんの、オレ」
俺はそいつを地面に降ろし、改めて聞いた。
「気分の悪いとか、どっか痛いとかは?」
「なんか、気ぃ張りつめすぎてたみたいだ、わりぃ」
おそらくハイエナの模造人は、照れくさそうに笑うと、武器を確かめ鎧の留め具を締め直した。
それから立ち上がって、大きく吠える。
俺も構えて、叫ぶ。
へたばってたやつも、泣きべそかいていたやつも、腰抜かしてたやつも。
みんなが前を向いて、声を上げていく。
いつの間にか、森と俺たちの声は、等しくなっていた。
大きく見えていた森が、少し小さく感じる。
そっか。鬨の声って、こういうもんなのか。心を鼓舞して、目の前の敵に負けないためのもの。
『上出来です! 緒戦は互角! でも、ここからが本番ですよ!』
いつの間にか、森が吠えるのをやめていた。
それどころか輪郭が、大きく揺れて膨れて、こっちに向かってくる。
『緑獄迎撃班――行動開始!』
総大将の声に、俺たちは一斉に動き出す。
俺にとって、生まれて初めての、災害との戦争が、始まった。