22、おぞましきプロファイル
はっきり言って、俺は部屋に入ったことを後悔した。
結構広めの空間には、きつい酢のような臭いが立ち込め、金属でできた手術台のようなものが三台ほど並んでいる。
一応、きれいにはしてあるんだけど、タイルの床や手術台のいたるところに、何とも言えない曇りが消えずに残っている。
壁際の棚には、薬品や金属でできたごつい手術道具のようなもの。それと、明らかに模造人や魔物から切除したらしい、パーツの一部が薬剤漬けになって瓶に浮かんでいた。
そんな光景の中、デスクの前でふんぞり返って座る、太ったキツネ。俺たちには椅子も出す気はないらしい。
「そっちの、いかにも常識人ぶった、つまんなそうな奴は?」
「小倉孝人さん、わたしが属している冒険者パーティのリーダーです」
「キミ、獄層に入りたいって言ってたもんね。でも、こんなので大丈夫? ホライゾンかローンレンジャーにでも入ったほうがいいんじゃ?」
なんでそこでローンレンジャー。解散したの、三か月以上前だぞ。
もしかしてコイツ、めちゃくちゃ世間にうといタイプか?
「別に俺の性格とか、アンタが世間知らずのマッドなキャラとかはどうでもいい。ほしい情報があるんだ。それさえよこしてくれれば、つまんないネズミはさっさと消えるよ」
「キミの新しい上司、だいぶ気が短いね。こんなんで、ホントに大丈夫?」
「ご心配には及びません。わたしは、わたしが信じるべき人を信じますので」
しおりちゃんが取りなしてくれたけど、嫌な印象はぬぐえない。
世間に背を向けて、象牙の塔でしこしこ自己研鑽するカルトの連中に、礼儀とか愛想を期待するつもりもないけどさ。
「そっちが提案してくれたとおり、さっさと消えてもらおうか。何を教えればいい?」
「報酬は」
「キミからはなにも欲しくない。チケットだの結晶だの、どうとでも融通が利くし」
「孝人さんは気兼ねなく、必要な情報を要求してください。交渉はわたしが」
ここは俺が知らない力学が働いていて、それを知らないものには手も足も出ない。
おとなしく、先達であるしおりちゃんの力を借りて、俺は自分のするべきことをだ。
「魔機人の体に宿った、転生者の情報が知りたいんだ。名前は阿部藜、向こうではアイドルのストーカーをやってて、その被害者が、俺の仲間である神崎柑奈だ」
「……そりゃすごいな。ジョウ・ジョスに願ってきたのか、それとも単なる偶然か。それで、その阿部なんとかさんは、今どこに?」
「Pの館から絶賛犯罪者扱いで、崩落終了後に対策して捕縛する予定だ。その追い込みのために、情報がいる」
太ったキツネはニヤリと笑い、ごちゃごちゃしたデスクをひっかきまわすと、一冊のノートを取り出した。
その太い指で木炭を握り、何事かを書き付け始める。
「なるほど、阿部藜、か。特徴的な名前だし、調べるのは難しくなさそうだ。そこまで分かってれば」
「それだと書きづらいだろ。よかったら、これ」
「あれ、鉛筆なんていつの間にできたんだ?」
「……俺のギフテッド。結構流通してると思ってたんだけどな」
キツネは笑い、軽く書き味を確かめてから、ぶっきらぼうに告げた。
「これ、あと三十本、それで手を打つよ」
「ついでに赤鉛筆でもつけようか?」
「スケッチ用の出せる? 筆記用のだとあたりが硬くて」
俺がひとそろえ分の色鉛筆を渡してやると、目に見えて相手の顔色が変わった。
「本体はつまらないけど、おまけは面白いな。名前は」
「小倉孝人、で、あんたのお名前は?」
「美作幹也、仕事は死者と話すこと」
いろいろツッコミたいけど、こういう人間と付き合うのは苦手だしな。
美作氏はスケッチブックらしいものと鉛筆を手に、立ち上がった。
「時間がかかるから、美雪ちゃんは集合場所に行きなよ。残りの時間で、このヒトと遊んでるから」
「わかりました。それじゃ、孝人さん、頑張ってください。崩落の後でまた」
はっきり言って、こんな奴と二人っきりでいたくはないけど、彼女にも仕事がある。
内心を押し隠して、しおりちゃんを送り出すと、キツネはこちらに気遣いもせず歩き出した。
向かうのは大図書館の方角だ。
「どうやって情報を見つけ出す気だ?」
「プロの仕事に素人が首突っ込むの?」
「……興味関心、後学のため、そういう理由じゃダメか?」
「別にボク、そういうの求めてないし、説明もめんどくさい」
取り付く島もないな、こいつ。
じゃあ、ちょっと方向性を変えるか。
「解剖写真の代わりにスケッチでも取る気か?」
「え? ああ、まあ、そうだね。一応、筆とか着色した木片とかを使ってたんだけど、思う通りに行かないんでやめてたんだ」
「元開業医、とかでもなさそうだ。どっかの研究員」
「詮索好きだな。ちょっと黙っててよ。大方そっちは画家崩れか、若いころに絵の道でも断念した社会人とかだろ、くだらない」
ド直球の一撃。ってか、ギフテッド見ただけでそこまで切り込んでくるか。
「こっちはそういうくっだらない事情を、山のように見てるんだ。そいつの持ってる『残念』で、大体の背景が分かるんだよ」
「悪かった。もう黙ってる」
美作氏はなんのリアクションも返さず、図書館の入り口を抜けた。
中に司書や係員の姿もなく、耳が痛くなるような静寂が漂う。
わき目もふらずに本棚の間を抜けたキツネが、隅に造られたドアの前で立ち止まる。
「神崎柑奈の死亡年は?」
「……さすがに、そこまでは聞いてない」
「じゃあ、こっちに来た時期は?」
「今から、三年以上前、だと思う」
歯切れの悪い俺の回答に、大げさな溜息。
キツネはドアを抜け、図書室よりも狭い資料室の棚の群れへと入り込んでいく。
「小倉さんは右の方の新聞をあさって、生前本名の事件が載ってるかもだから。ボクはボクで別件に当たる」
止める暇もなく、デブキツネは書棚の向こうへ消えた。
俺はと言えば、専用の棚やラックにぎっしりと積まれた、新聞とにらめっこすることになった。
「……地球の、日本の新聞か」
それは日本全国で発行されたものだったが、奇妙な点がいくつもあった。
索引用の付箋がつけられたページには、必ず死亡事故や事件が掲載されている。そのいくつかには『在住』とか『死去』とか『行方不明』という注釈が加えられていた。
「もしかしてこれ、今いる住民の資料なのか?」
だとしたら、あのキツネがいちいち取材してこれを集めた?
……いや、ないな。
あのだらしない体型、そんなまめなことをするタイプには思えない。おそらくは信者のヒトにやらせたんだろう。
「あ……あれ?」
そんなことを考えつつ、新聞をめくっていた俺は、一つの記事に目を止めた。
深夜の凶行。ストーキング犯により、女性が刺殺。
被害者の名前は、
「……まさか」
それは間違いなく、柑奈の死亡記事だった。
きわめて簡素な背景説明と、実際の殺害状況。柑奈はアイドル志望、という形で社会身分を解説されていた。事務所ともめたと言っていたから、この時期は契約が切れていたのかもしれない。
「ごめんな」
こんなことでもなければ、あいつの事情なんて知る気もなかった。あいつ自身喜ばなかったろうし、つらい思い出に決まってるからな。
そこで俺は、嫌なことに気づいた。
新聞のインデックスをたどって、ここ数か月に発刊されたものを探り当てる。
いくつかの地方紙をめくり、
「……ない、か」
俺の死亡記事は、どこにもない。嫌な話だけど、列車に飛び込んでの自殺、それなりにあるからな。よほど世間に影響がでなければ、こんなもんか。
「そっちは何か見つけた? それとも、ヒトサマの過去を覗いてニヤニヤしてた?」
「柑奈の死亡記事は見つけたよ。アカザの方はまだ」
「そっちはどうでもいい。ボクが見つけた資料のほうが有用だから」
二つの資料を所見台に移し、俺たちは結晶ランプの明りの下、内容を確認する。
そういえば、ひとつ気になることがある。
「この資料、なんで集めてるんだ?」
「言ったろ。ボクの仕事は『死者と語らう』ことだって」
「ここの住民の死んだ理由、それが何かの役に立つのか?」
キツネはあいまいに笑い、一冊の週刊誌を差し出してきた。向こうではあまり見ることのなかった、昔ながらのゴシップ誌だ。
「うちの宗教が勢力を伸ばした理由の一つ。救いを求めてやってきた、哀れな子羊。そういう連中に同情を示すため、背景情報をあらかじめ知っておくってわけ」
「新聞におくやみが載ってないヒトは?」
「こういう資料から、コールドリーディングのためのタネを取って、あとは口八丁さ」
見ず知らずのニンゲンに、いきなり自分の過去や死んだ原因を言い当てられれば、相手への畏怖が強まるよなあ。
こっちに来たころなら、何もわからずうろたえてるだろうし。
でも、
「入信して、ここを見られたらまずいんじゃないか?」
「そうなる前に大司教の『魔法』を見せて、衣食住を施してやる。そのあとで、世界の過酷さを知らせれば、献身的信者いっちょあがり、ってね」
「まさにカルトの手口だな」
俺の嫌みにも相手は一切反応しない。聞きなれているか、どうでもいいのか。
キツネはアカザに関する資料を、かなり探り当てていた。週刊誌だけでなく、いくつかの雑誌にも事件は載ったらしい。
「ネット時代で、こういう紙媒体に資料が残らないケースも多いんだけど、ジジババ共が大多数の間は、まだ何とかなりそうだ」
「ああ、連続特集記事になってるのか。ネットストーカー、ネットアイドルを殺害、ワカモノ文化に敵意と軽蔑しかない世代には、格好なゴシップのネタだろうしな」
阿部藜は、柑奈専門のストーカーではなかったようだ。
何人かのネットアイドルの卵や、地下アイドルに対して執拗なストーキングを繰り返していたらしい。
その中で、裁判所での証言について書いた記事に、目を引かれた。
「『薄汚い芸能界に染まるのを防ぎたかった』……なんだ、これ?」
「ストーカーが展開する、独自の世界観って奴だね。思い込みと過去のトラウマが煮詰まった、粘着質な癖さ」
「地下アイドルもネットアイドルも、芸能界と地続きとは思うんだけどな」
「そんな理屈が通るなら、ストーカーなんかになってないだろ」
美作氏の意見はともかく、アカザの行動原理は自分の好いた相手が『メジャーデビューするか』という一点を前提にしていた。
まだ芽の出ない新人、その中で気に入った相手を応援し、別人を装って自分以外のファンへ執拗な妨害を行う。
それでも人気が出て、何らかのメジャーシーンに出ようとした途端、ファンから強烈なアンチに変わり、誹謗中傷やリアルでの粘着行為を繰り返す。
「そのアカザって奴がここまで注目されたのは、神崎柑奈殺害の余罪追及で、そういう事実が明らかになったからさ」
「柑奈の前にも何人かに訴えられてるのか。被告の経済状況が困窮しており、損害賠償請求も成立しないため、接触禁止などの措置で対応した……ってマジか」
社会的弱者。両親はすでに他界し、本人は狭いアパートで派遣や日雇いなどで食いつなぎ、親戚とも交流がなかったとあった。
悲惨な境遇を忘れるためアイドルにのめりこみ、そのことだけが生きる意味、だったんだろうな。
「でも、なんで柑奈だったんだ?」
「たまたま、その時にお気に入りで、手を下しやすかったんだろ」
「偶然や衝動でニンゲンは行動する。事件に物語性を付与すれば、そういう単純な事実を見失うって?」
「なぜそうしたかなんて、ミステリ小説の中だけのお話さ」
だが、俺の意見は逆だった。
ストーカーは、自分の内的理論のみで動く。つまり、こいつの視界の全てが、どっぷり物語性まみれと言っていい。
なぜ柑奈だったのか、その理由は資料には書かれていない。
でも、別の側面からのぞくことはできる。
「資料で分かるのはここまでだな。あとはこっちで詰めるよ」
「探偵ごっこか。謎解き終わったら、報告しに来てくれるかい? できれば、そのアカザって奴と話してみたい」
「……まともな会話が成立するとは思えないけどな」
「サンプルは多いほうがいいから」
そういえばこいつ、時々妙なことを言い出すよな。
しおりちゃんも、アカザを『検体』呼ばわりしてたし。
「聞いてもいいか? 『コウレイ課』って、なんなんだ?」
「ボクが責任者をやってる、研究部門さ。交霊と降霊、その二つを研究してるんだ」
霊と交流し、霊を降ろす、その二つを研究してるからコウレイなのか。
キツネは脂肪でふやけた顔に、悪辣と言ってもいい表情を浮かべた。
「死者と語らい、魂のありかと形を探る。そして死者の蘇生を目指す。という触れ込み」
「……グノーシスってのは、魂の昇華を掲げてたんじゃないのか?」
「さあね。ボクにとってはどうでもいい話さ」
グノーシスという異端の中の、さらに異端か。
美作氏はアカザについての資料をまとめ、こっちに手渡した。
「中身は好きにメモしてっていいよ。終わったら適当に放って帰っていいから」
「部外者を好きにさせると、教祖様に処罰されるぞ」
「無理だよ。ボクだって『光の種子』持ちだから」
ここまで好き勝手にやってるんだ、何らかの能力持ちだとは思ってたけど、こいつもしおりちゃんや一宮さんと同じ扱いなのか。
一体、どんな能力――
「ほら、さっさとやることやって出てってくれ。君とお話しするのは、これでおしまい」
「……分かったよ。ありがとう」
鈴来とはまた違った、マイペースなアーティストか。
ともあれ、今後は付き合うこともないだろう。
俺は資料を書き写し、要点をまとめると、大聖堂を後にする。
外はすでに夜で、いつもの街の気配とは違っていた。
「崩落……か」
街を中心である塔は、いつもと違う光景になっていた。
夜だというのにほの明るく光り、その周囲には仮設住宅が立ち並んでいる。
反対に、周囲の街にはほとんど明かりが見えない。
さすがに夜遅くなっても、いくらかは明りをともす家やビルもあったのに。
「そういや、営業最終日の銭湯、入りそこなったな」
俺はいつも通りに北前通りへと戻り、ムーランの静まり返ったビルを見上げる。
入り口には鍵がかかり、入ることはできない。
装備や日用品は宿舎に入れてあるから、ここに戻る必要もないんだけど。
「必ず、帰ってくる」
俺は決意を刻み込み、立ち去った。