17、アイドルを追って
いきなり開示された情報に、ちょっと理解が追い付かない。
同時に、柑奈との会話が、脳裏によみがえってくる。
『アイデンティティの危機。追いすがってきた過去と、酷いバッティングしたの』
『どうにか振り払えた、とは思うんだけど。その後しばらくは、生きてること自体がどうでもよくなってて』
『そう……だね。多分もう、大丈夫の、はずだしね』
俺がそのことを告げると、北斗は頷き、ゆっくりと杖をついた。
「詳しくは掘り下げませんでしたが、神崎さんの過去に、大きなトラブルがあったのは、ある程度把握していました。向こうとこちら、合わせてです」
「……ああ、引き抜き大好きっこって伊倉さんが言ってたの、ほんとなんだなぁ」
「そういうのは後にしてください。ともあれ、推定容疑者はその阿部藜、ということにしておきましょう」
「なんでだよ! どう考えても、そいつが犯人じゃん!」
いきり立つ紡をなだめると、慎重そのものの探偵役を促した。
「予断を持つと、そいつじゃなかった場合に取り返しがつかなくなるから、だろ?」
「その通りです。それじゃ瞳、その阿部藜について、尾上さんの評価と、事件の顛末について聞かせてくれ」
「わかった」
それは、柑奈がこの世界に来てすぐのことだった。
ムーランに入って、彼女は新しい生活を築こうとした矢先のこと。
「その頃、柑奈はムーランでも時々歌ってて、結構人気もあったんだって……でも、そのアカザって奴が」
何をどう間違ったのか、向こうで柑奈の命を奪ったそいつが、機械の体をまとって、再び現れた。
機体に実装された『擬態』の機能を使い、生前よりもはるかにしつこく、陰湿なストーキング行為が繰り広げられた。
柑奈は衝撃を受け、擬態さえできないほどに消耗したという。
「それで、乙女さんがいろいろ手を尽くして、そいつを追い払った、みたい」
「みたいって、なんでそんな、あやふやなんだよ」
「対応したのがコウヤさんで、ちょうど三か月目くらいに『もう大丈夫だ』って言ったんだって」
たった三か月追っ払った程度で、そんなザルな判断しやがったのか、あいつは。
「なるほど。考えうる限りの対処をされたようですね」
「現に被害が出てるってのに、その評価はおかしいだろ」
「滞留更新期限ですよ」
再確認される、この街の絶対的なルール。
すべての住民は三か月ごとにプラチナチケットを支払わないとならない、そうしなければ壁外に追放される。
「相手は痛みを感じないであろう魔機人で、擬態を使いながら潜伏、被害者への接触を繰り返す、悪質なストーカーです」
「そうか。つまりコウヤは」
「阿部藜の滞留更新を妨害し、街そのものが敵になるように仕向けたわけです」
事実、アカザのストーキングは止まり、文城との出会いもあって、柑奈は精神を回復させていたわけだ。
でも、そうだとすれば、なおさらわからない。
「今までずっと潜伏してきた奴が、なんでこのタイミングで出てきたんだ?」
「おそらくは、例のラジオ放送。そこで彼女が歌を披露したことがきっかけ、でしょう」
「柑奈がアイドルとして復帰するからって? どこでそんな情報を……」
『ちょっと藍さん! あたしには直接キクんだから、いきなりはやめてってば!』
そういえばあいつ、ラジオ放送を直接受信できるんだったな。そのアカザってやつも魔機人なら、同じことができて当然。
そして、その放送範囲は街の全域だ。
街のどこかで息をひそめてた、最悪のストーカーに餌を投げ与えちまったってことか。
「そもそも、Pの館は何してんだよ。普段から滞留更新怠った奴、絶対許さないみたいなツラしてるくせに」
「それはこれから、直接聞きに行きましょう。瞳?」
「コウヤさんを探して来いって?」
無言で頷く北斗と、即座に姿を消す瞳。
「なんかさー、北斗と瞳、立場が逆じゃねー?」
紡の言葉に、俺も苦笑する。
自由に動けない猟犬の顔を持つ参謀。
どこまでも自由な、ネコの顔を持つギルマス。
「適材適所、ということです」
「むしろ子猫と遊んでる飼い主、って感じだな」
「行きましょう。ここからは裏取りと、事件への対策です」
俺たちの揶揄ににこりともせず、北斗はなすべきことに歩みだした。
「結論から申し上げれば、我々の不徳の致すところです。申し訳ない」
サングラス越しに、しゃあしゃあと言ってのけるゴブリンP。
豪勢な応接室で向かい合いながら、俺はたっぷりと、嫌みと悪態をオブラートに包んで投げつけてやった。
「君臨すれども統治せずも結構ですが、せめてアクアリウムのビオトープぐらいは、きちんと管理してもらいたいっすね。何年この街でPやってんすか?」
「ここぞとばかりのツッコミ、まことに耳が痛いですね。今後はこのようなことがないよう、留意させていただきます」
「問題は今、この時に、どうしてくれんのかって話してんですが」
まるで、すねた子供のように、Pはそっぽを向いた。
え、なにその顔。
「申し訳ございません」
「いや、だからさ」
「ただいま、運営側から直接の対処を行うことは、出来かねます」
「別に、柑奈を助けてくれるとはハナから期待しちゃいねーよ! そのアカザって違反者を摘発しろって言ってんだ!」
奇妙な沈黙が、部屋の中を支配した。
いつもなら平然と、こっちの心を見透かして、大物感たっぷりで応対するくせに。
この奥歯にものが挟まったようなリアクションは。
「そもそも、阿部藜なる人物は、Pの館で捕捉できていない。そうですね?」
北斗が切り込み、目の前のゴブリンは、観念したように両手を広げた。
っておい、その態度。
自分たちのシステムに致命的なエラーがあるって、認めてるってことじゃないか。
「Pの館に接触したがらない転生者、自身のギフテッドを申告しない転生者、こういう連中は時々現れるんです。とはいえ、通常ならそれは許されない」
「……その通りです。ですが、我々の目から逃れるものが、ときおり現れる。そして、長期に生存する場合があるのです」
「魔機人、ああ……そういうことか」
擬態をして姿を隠し、食事や寝床の必要がない。メンテナンスの問題を除けば、Pの支配から逃れられる可能性がはるかに高いわけだ。
「もしかして、メカのパーツを、この館で独占してるのって」
「魔機人が潜伏する可能性を減らすためです。共食い修理されては、機能不全による弱体を狙えませんので」
そしてPは、一冊の書類をこちらに示した。
違反者一覧という、簡素な表題のついたそれを。
「ブラックリスト、って奴か」
「街の運営開始時点から、現在に至るまでの違反者の名簿です。対処済みのものがほとんどですが」
大半は魔機人で、機能不全による確認停止や、違反者追討部隊による排除という文字が並んでいる。そんな中で、逃亡中の注意書きがわずかにあった。
磨平周も、逃亡中になってるな。塔への無断侵入が問題になってるってことだろうか。
「正直、ここまで長い潜伏を可能にした逃亡者は、阿部藜だけだと言えるでしょう。我々の部隊では、彼女を捕捉することはできなかった」
「完全に姿を隠す気になったら、ってことなんだな」
「魔機人は生命体ではないので、魔法による感知も、効果が薄いのです」
俺はPの状況説明を聞き、状況を理解する。
「つまり、人員が獄層対策に取られている現状、普段から労力をつぎ込んでも探せなかった違反者を、どうにかする能力はない。って言いたいのか」
「恥ずかしながら、その通りです」
誰からともなく、ため息がもれた。
そのアカザって奴、相当な知能犯なのか、あるいは行き当たりばったりの奴なのか。
いずれにせよ、柑奈と町に起こったあらゆる状況が、ストーカー野郎を利する結果になったわけだ。
「ミスターP、質問が」
「どうぞ」
「正式に、Pの館による阿部藜討伐クエストを、発令することは可能ですか?」
北斗の前振りに、Pは薄く笑ってこちらを見つめた。
「公に、逃亡者を殺害する権利が欲しい、ということですか?」
「それもありますが、相手の動きをけん制するためでもあります。相手の警戒心を引き上げて、逃亡先を絞るためです」
「神崎柑奈を誘拐した相手が、阿部藜である証拠もないのでは、承認できません。すべてが茶番で、指名手配犯であるとでっち上げた者を、勝手に殺す可能性もあり得ますので」
「そんなことするわけないだろ! なんでそんなこと言うんだよ!」
声を荒げる紡を、北斗が片手で制する。
それから、軽く杖で床を突つく。二度、三度と、何かを刻むように。
「では、阿部藜という存在が潜伏中であり、住民を加害する可能性のある逃亡者である、という情報を、Pの館名義で周知する許可を、いただけますか」
「……ええ? それ、さっきのお願いと、何が違うんだ?」
「そして、『阿部藜』を殺害した場合、その申告を、証拠とともに正式に申告します。その一度だけを許可していただきたい」
持って回った言葉に紡が首をかしげ、俺は隣のシェパードの駆け引きに感心する。
Pの言い分は『こっちが勝手に誰かを殺人によって排除する前例』を作らせたくない、というものだ。
同時に俺たちは、激やばのストーカーとの交戦を想定しなきゃならない。初めから殺す気で動く必要があるのに、街のルールははっきり言って邪魔だ。
「いいでしょう。すべて許可します、書面に起こしましょうか?」
「もちろんです」
「ちょっと待った」
手柄を横からさらうみたいで、ちょっと気が引けるけど、せっかくだからな。
「この一件が明らかに、街の運営にひびを入れる行為だってのは、承知してるだろ? ミスターP」
「単刀直入に行きましょう。不始末のしりぬぐいをする代わりに、何らかの報酬をというわけですね?」
「神崎柑奈のスペアパーツ、一体分の購入権。それと、アカザの逮捕か排除に協力した奴に、報酬をつけてくれ」
ゴブリンPは笑い、秘書らしいゴブリンに書類を書き起こさせ、こちらに差し出す。
俺は隣に視線を流すと、北斗は静かに頷いた。
俺の名前と、パッチワーク・シーカーズ名義で、密約を締結させた。
「ずいぶんと謙虚な報酬要求でしたね」
館を出ると、北斗は俺を横目で見た。
「無償で一体分よこせ、でも良かったけど、あんまり高く積み上げると、交渉自体がなしになりかねなかったからな。掟破りの放置は問題だけど、俺たちに特権を与えるほどでもないって感じだったし」
ボディの入手自体は楽山さんにお願いしてるし、代金はあのヒト持ちだしな。
そんな俺たちの前に、肩で息を切らした瞳が唐突に姿を現す。
「だ、だめ……街中の酒場とか、二十一階にも行ってきたけど、どっこにもいない……もぉー、コウヤさんのばかぁ! なんで肝心な時にいないのぉーっ!」
「ありがとう、瞳。それで十分だよ」
「どうしたの? もしかして柑奈が帰ってきた!?」
Pとの交渉を話すと、瞳は北斗を真正面から見つめた。
「北斗、わたし、孝人たちに協力するから。柑奈を見つけて、アカザって奴をぶっ飛ばすまで帰らないよ!」
「これは彼らの問題だ。一応報酬は出るが、リスクに対するリターンは皆無に等しい」
「困ってる友達助けるのって、めちゃくちゃでっかいリターンでしょ!」
「今朝、あと十日前後で崩落が起こるという連絡が入った。俺たちもじきに、肉獄の担当部署に詰める必要がある」
「それは……わかるけど。でも……」
瞳の気持ちはとてもうれしい。でも、今回ばかりは北斗の言い分が正しい。
相手の能力もわからないし、そもそも柑奈がどこにいるのか、どうやって探せばいいのかも――。
「二日間だけだ。避難所が封鎖されるまでの間なら、彼らの捜索に協力してもいい」
意外な北斗の言葉に、その場の誰もが驚き、注目する。
シェパードは表情を変えず、ぼそりと告げた。
「瞳の件で、世話になりましたからね。あくまで、捜索の手伝いまで、ですが」
「ありがとう、北斗」
「時間がありません。今ある総力をつぎ込んで、一気に捜索を進めましょう」
「で、でもさ、総力って言ったって、街のどこにいるかもわかんないんだぜ? 文城やしおりに手伝ってもらったとしても……」
弱気な紡の言葉に、その胸を軽く小突く瞳。
それから、彼女は背中を向けた。
「ごめんね、北斗。わかってるけど、わかってたけど、あんな風にされるの……嫌だったから」
「その言葉、みんなにも言ってやってくれ。俺たちはカンタービレで待ってる」
「うん。それじゃ紡、孝人、また後で!」
再び姿を消した瞳を見送る間もなく、俺たちは動き出す。
カンタービレの屋上に設けられた、ラジオ局を目指して。