12、突撃、模造の街の取材班
さり、さり、ざり、さりさり。
さ、さり、ざっ。
「あ……」
まただ、またこれだ。
体は動かない、目も開かない。
それでも匂いは正常に、何がそこにあるのかを伝えてくれる。
消毒液と、少し甘い薬液と、テレピン油の刺激。
「……う」
鼻に異物感がある。おそらく管が、体の奥深くまで差し込まれている。
勝手によだれがあふれて、こぼれていく。
絵筆を握っていた誰かが近づいてきて、俺の粗相を、丁寧に拭っていく。
香る、オレンジに似た匂い。
「やっぱり難しいな、ものすごく」
語る言葉に返事をしたかった。
でも、ここでの俺は、ただの肉だった。
「ちゃんとできてるのかさえも、分からないってのに」
そいつはまた、定位置に戻っていく。
ざ、さり、さりさり、ざり。
「褒めてくれなんて、言わないからさ」
ざりざり、さりさり、ざり。
「これが『ほんとう』かどうか、教えてくれよ」
意識が覚醒する。
引き戻される、遠ざかる。
その寸前で、俺の記憶は、忌まわしい一言を、再生していた。
『いらないよ。『嘘の言葉』なんて』
「やめろ!」
枕元の鈴来が、勢いよく飛び下がっていた。
いつもの、ムーランの下宿。窓の外は明るい。
体はなんの問題もなく動いている。
「ご、ごめん、おにいさん。もう、うち、やらない」
「え……あ、いや、いいって、気にするなよ」
「違う」
恐る恐る、彼女は描いていたものを俺に見せた。
それは座り込んで、遥か奈落の底を、鬱々と見つめる俺の姿だ。
「ロダンの『考える人』か。まあ、この頃、考えることが多すぎて、こうなるのも」
「違う。うちが絵、描く。そうすると、おにいさん、苦しそう。うなされてた」
俺は夢のことを思い出し、頷いた。
それは過去の、拭い去れない、決定的な裏切り行為だった。
「ごめんな、しばらくは止めといてくれ」
「辛いか? 病院、一緒に行くか?」
「大丈夫。ただの、夢だから」
そう、ただの夢だ。
夢のはずなんだ。
そうだよな?
「いただきまーす!」
その日の朝は、事務所にみんな集まって食べることになった。
紡やしおりちゃんも、呼び集める手間を省くために、ビルに寝泊まりしてくれていた。
そして、もう一人。
「そういえば、鈴来とご飯食べたことって、あんまりないよね?」
ミートドリアを食べつつ、上機嫌の瞳。
彼女のリクエストで、今日は文城の弁当が朝食だった。
「うん! 塔の上! ホライゾンのおやしき! あそこの壁、絵、書いた時!」
「そうそう! あの、青くてぐるぐるした、カッコいい奴ね!」
「ゴッホの『星月夜』か? 確かに、アリだとは思うけどさ」
「二十一階にお屋敷……やっぱトップギルドは違うなぁ」
俺はあっさり塩サバ弁当。
肉食系オオカミと肉食系ヤギは、どっちもニンニクぷんぷんのカルビ弁。三個目をモリモリと平らげていく。
「ギルド会館もそうだけど、ベースにはベースの、お店や娯楽施設があるんだよ。それと畑とか工場とかね!」
「味噌とか作ってんだっけ? なんでまた」
「モック・ニュータウンでは、魔界の毒素や病原菌が強すぎるんです。地上で問題なく活動できるのは、適応した一部の麹カビや酵母菌、酪酸菌だけですから」
おにぎりをもぐもぐしつつ、しおりちゃんが注釈をつける。その隣で、あえてフルーツジュースのみで済ませている柑奈。
文城はみんなの要望を叶えた後、オムライスを取り出して食べていた。
「無菌室とかも地上じゃ用意しにくいって聞くし、植物の品種改良するのでも、上でやらないとダメだって言うね」
「クリスさんの畑、塔からはみ出してるんだって、すごいよね」
いや待て、塔からはみ出す?
その疑問に、瞳はちょっと誇らしげに語ってくれた。
「塔の二十一階は、獄層とは直接接地してないの。大体三十メートルぐらい離れて、宙に浮いてるんだよね」
「おおー、不思議建築か。ってことは獄層侵入にはなんかゲート的なもんが?」
「エレベーターがあるよ。その途中で、獄層が喰い合うのが見れるの」
なるほど、これはいよいよ、直接目にして確かめてみないとな。
食事が終わり、それぞれがお茶を飲んだり、のんびり寝そべったりして、休憩時間を過ごす。
その様子を眺めつつ、俺はこの後の予定を話しだした。
「昨日はみんな、ラジオの電波チェック、ご苦労様。報告書をまとめてくれた、柑奈としおりちゃんにも感謝だ」
「電波自体は、この町全域で感度良好って感じ。ただ、エントツ街の方は、再稼働してから改めてチェックしないとダメかもって」
「結晶発電機との干渉な。そっちの対策は?」
「アンテナ中継やシールドとかで何とかなるって、藍さんが言ってたよ。そっちはプロに任せればOK」
受信範囲の確認は完了した。
その次は、
「楽山藍氏からの依頼は『受信環境の確認』と『中継ポイントとの送受信確認』だ。ニュータウンFMの初仕事が獄層クエスト中継になるそうだから、こっちのが本題だな」
「……現地で」「中継、かぁ」
神妙な顔で、紡と瞳が見つめ合い、ニヤリと笑う。
「ちょっと、カッケエとか思っちゃった、オレ」
「わたしも……なんか映画とかで、そういうのあったよね?」
「いやいやいやいや! ダメだって! 災害中継みたいなもんだからね!? その認識は改めなさいよ!」
「「はぁい」」
二人の気持ちもわかるけど、中継現場でどんな被害が出るかもしれないからな。最悪『放送中止』しないといけない事態が展開するかもしれないし。
「ところで、大変申し訳ないのですが、わたしは今日以降、パーティのお仕事を、お手伝いすることができません」
「グノーシスの仕事かい?」
「というより、避難所運営に協力するギルドの合同ですね。避難期間中、救護や炊き出しを行うんです。そのミーティングと、衛生関連の整備に回ります」
こっちの仕事は余禄みたいなもんだし、本題は崩落への対応。そっちの方が重要だ。
身支度を整えると、しおりちゃんは事務所の救急箱を軽く確かめた。
「何かあったら使ってください。それじゃ、みなさんお気をつけて。場合によっては、次にお会いするのは、避難解除後かもしれませんので」
「あ……し、しおりちゃんも、無理しないでね!」
「がんばれよ、しおり! 俺、絶対みんなを守るからな!」
紡の強い言葉に、しおりちゃんは笑顔で頷き、お辞儀と共に出て行った。
「あ、あのね、孝人。僕も、おてつだい、できないんだ」
「……ああ、そうか。緑獄の陣地造りだっけ」
「今回からは、僕も……避難所じゃなくて、戦いに出るから」
それは、少し前に相談したことだ。
今までの崩落の時は、文城は避難所で弁当を配ったりする程度の手伝いをやっていた。
だが、本人の希望で緑獄の後衛部隊を中心に、活動することになっている。
「親方も山本さんも、助かるって言ってたよ。食料の確保と管理の負担がなくなるだけでも、相当心強いって」
「うん。ほんとは、ずっと前から、言われてたんだけどね……」
「俺もラジオの仕事が終わったら合流するよ。気を付けてな」
「あー、そんじゃ、うちも行くー。準備係だし」
戦闘用の装備を身に着ける文城を見て、何かを思い出したのか、鈴来が立ち上がる。
「え、鈴来も防衛に回るのか?」
「この子、毎度戦闘部隊だよ。後衛だけどね」
「バケモノの顔に、福笑いの絵でも描こうってのか!?」
「違う。うちの絵の具、毒になる。昔の奴、出せる。えんばく、とか? バケモノ、ぶっかけて嫌がらせする! いっぱい貯めとく!」
鉛白、ジンクホワイト、そういうことか。
「カドミウムレッド、シューレグリーン、あるいは辰砂とか。そっか、古い絵のタッチを表現するなら、当時の絵の具も必要か。ってお前、それ手から出してるよな!?」
「うへへ、いまのところ、大丈夫ですだよ」
「ホント気を付けろよ! ……あと、さ」
今朝のことを思い出し、俺は意を決して告げた。
「お前の絵は、なんだかんだ、気に入ってんだ。これが終わったら、好きなだけ描いていいから、ちゃんと帰って来いよ」
「……分かった! おにいさん、大好き!」
「ぐふうっ!? だから頭突きは、やめろって……」
戦闘から縁遠そうなメンバーが去っていき、残された俺らは、それぞれを見かわす。
「ところで、柑奈や紡は?」
「あたしは肉獄の時、前線に回るよ。って言っても活動限界があるし、主に中距離の狙撃と、やられちゃった人の回収。肉のバケモノも、鋼鉄美少女はお口に合わないみたいね」
「オレはだいたいファーストアタック! 超魔法をぶちかませる、数少ないチャンスだからな! それと、終盤の押し込めとか!」
「わたしも紡と同じぐらいに実戦投入だね。仲良くなったのも、肉獄の時だったし」
なるほど、この三人が顔見知りなのはそういうことか。
「お前たち三人なら、一緒に冒険に出ても大丈夫そうだよな。柑奈も瞳も、紡の炎には対抗策があるし」
「冗談でしょ。アレを対抗策って言うリーダーの頭、マジでお花畑パラダイス?」
「わたしも避けられるだけだし、紡と一緒は、かーなーり不安だなー」
「な、なんだよお前らー! そんな風に言わなくてもいいだろー!」
俺たちも身支度を整え、事務所を後にする。
一階に向かうと、ウサギの柚木とシャムネコの芥川さんが、みんなを率いて荷物整理に追われていた。
「乙女さんから伝言、今日から避難所に詰めるから、こっちには戻らないってさ。俺たちも店の養生やって、酒とか食料を運び出し終えたら、そのまま避難する」
「銭湯の営業するって聞いたけど?」
「避難期限の前日はな。ムーランの営業自体は昨日で終わったんだ」
そう言えばバックバーには酒のビンは一本もないし、イスやテーブルも部屋の隅に積み上がっている。
日常の象徴だった場所が、こういう風に片付けられるのは、かなり来るもんだな。
「お前らも事務所の窓とか道具とか、大丈夫なのか?」
「地震があるんだっけ。落ちてきたときに」
「しかも二重崩落だからな。割れ物は厳重に保護しとけよ」
「ありがと。なる早でやっとく」
通りに出ると、見慣れた街の商店も、結構な店舗でシャッターを下ろしたり、木枠や板を打ち付けて備えに入っていた。
「YO~ぐもーにーん、世間は気ぜわしい感じだねぇ。これこそ師走、ネコもシャクシもボーズもみんなも、ケツに帆掛けて、尻尾を立てろってな!」
そんな中、楽山さんはいつもの気楽さで、へらりと笑っていた。
「大分、面子が減ったみたいだけど、みんな獄層対応かい?」
「ですね。ていうか、思ってたより動き早いですね。もう少し余裕があるもんかと」
「あー、そいつはね。肉と緑の二重崩落ってのは、この街の、トラウマみたいなもんだからだよ」
なんとなくは察していた。
大川さんの『肩慣らし』に始まって、演壇の倭子さんの表情、Pの強硬な姿勢。
いつもの『モック的な振る舞い』を捨てた、本気の対応。
「折角だ、今日はみんなに街頭インタビュー、やってもらっちゃおうかね」
彼は、足元に積まれたごつい機材や、ラジオを指し示す。
「題して『獄層崩落直前特集、住民の今を聞く!』 ついでに、試供品のラジオも、避難所とかに配ってきちゃってよ」
なるほど、今度はレポーターのリハーサルか。
俺たちが機材やら荷物を拾い上げると、藍さんは笑って放送局へ向かう。
ついて行こうとした柑奈を、首を振って押しとどめた。
「チャンカナ、今日のアシストはノープロブレムだ。うちのスタッフにも仕事、覚えてもらわなきゃだしね」
「つまり、美人のリポーターさんに期待ってことか」
「午前中は小倉さんが、午後からはチャンカナって感じでやってみてちょうだい。ついでに、ちょっとしたお仕事をお願いするから、キューは聞き逃さないでくれよ」
不思議そうな顔をした柑奈に投げキッスをかまして、黒ヒョウが去っていった。
ともあれ、これでラジオの仕事も一段落する。
「それじゃ、ニュータウンFM取材班、お仕事開始しますか」
『おー!』