11、センチメンタル・ストレイキャット
暗くなった夜道を歩きながら、俺は瞳の言葉を思い出していた。
『わたしがこっちにきたのは、十三歳の時だよ』
唐突な、過去の開示だった。
そこから始めなければ、愚痴を成立させられなかったから。
『八歳までは、普通だったの。体育の時間だったかな。いきなり何もない所でこけて、顔すりむいちゃって』
思いのほか酷かったケガに、彼女は病院へ行き、治療を受けた。
子供のころに時々ある、ちょっとヒヤヒヤするエピソード、で終わるはずだった。
『その少し前から、変だったんだ。体がだるい感じで、動きたいのに遅れるみたいな。そのことをお医者さんに言ったら『念のため、ちょっと血を取っていこうか』って』
その一週間後、瞳の人生は、永遠に変わってしまった。
『その頃には、わたしも自分の体が、何かおかしいって気づいてた。大学病院の先生に呼ばれて、その日、おかあさんは仕事があったから、おとうさんが付き添いで』
残酷な宣言。
治療法の確立されていない、難治の病であることを告げられた。
『先生がものすごく難しい、病気の名前を言ったんだけど、おとうさん、一度で覚えられたの。おとうさん、すごいねって言ったら、なんて言ったと思う?』
瞳は笑っていた。
もう終わってしまった、悲しく懐かしい思い出を、語りなおしながら。
『古い漫画に出てきた病名で、記憶に残ってたからだよって。わたしは笑ったけど、おとうさんは……泣いてた』
そして彼女は、日ごとに衰えた。
動くことを奪われて、いつかその呼吸さえ、自由に出来なくなってしまう病のために。
『おとうさんの読んだ漫画では、この病気のヒトはどうなったのって聞いたんだけど、そのことはもう、話してくれなかった』
それから、彼女はほんの少し、間を置いた。
過去の人生の、もっとも苦しい地獄のような一瞬を、見ないふりをして。
『こっちに来てから、北斗に聞いたら、その漫画を探してくれて。ちゃんと最後まで読んだよ。結局、死んじゃうのを、先送りにしただけだったんだね』
俺もその漫画は知っている。読んだことがあったから。
幸薄い、難病患者同士の愛を、凍らせることで未来に送るという、甘く苦い結末だった。
『おとうさんが話してくれなかった理由、ようやく分かった』
その漫画が描かれて半世紀近くたっても、そんな奇跡は地球には現れていなかった。
瞳の罹った病も、発病の機序が解明されつつあっただけで、標準治療も、まだ遠かったはずだ。
『寝たきりになって、窓の外しか見れなくなった頃、わたし、抜け出せるようになってたんだよね。病院の中庭とか、ビルの屋上とかに』
それは、単なる妄想だったのか、本当にそんな能力があったのか。
瞳は意識を飛ばすことを覚えた。
それでも、飛べるのは見えている範囲だけ、だったそうだが。
『あの変なのに、転生させてもらって。気が付いたら、普通にあの力が使えるようになってた。嬉しかったよ。おとうさんやおかあさんと、もう会えないのは、悲しかったけど』
死ぬ瞬間まで自由を奪われ続けた少女は、誰にも邪魔されず、自由に動く体と力を手に入れた、はずだった。
『お前にはついていけない。それが、パーティ解散の決まり文句だった。最初は、わたしが先行して、敵を倒すって感じでやってたんだけどね』
瞳の力が通じるなら、敵は瞬殺される。
瞳の力でも間に合わないなら、パーティが瓦解する。
誰よりも自由な力は、彼女を孤独にした。
『北斗に会ったのは、そんなころ』
泣いていた彼女を立ち上がらせ、彼女のためのギルドを創ると、約束してくれた。
『北斗がね、言ったの。その力を埋もれさせるなんて、もったいないって』
その通りだ。
ガラクタだらけの"贈り物"の中で、彼女のそれは、奇跡のように与えられた、ほんとうの宝物だった。
『わたしは、何の心配もしなくていい。強いのは悪いことじゃないって』
そして、あっという間に、そのギルドはこの街でも屈指の存在になった。
うまく行っていたはずだった。
『市屋さんが、いなくなって、北斗はチームを分けた。AとBのチームで、わたしに負担が掛からないようにって言ってたけど、ホントの理由は逆』
参加したパーティが、瞳に擦り切れないように。
擦り切れてしまった部品を、常に交換し続けるために。
『獄層を越えて、新しいクエストをこなして、ギルドが大きくなって。その代わり、いろんなヒトが、いなくなっていったの』
瞳の力は、奇跡のような冒険を可能にしてしまう。
天与の才と、持ち前の好奇心に基づく行動力は、獄層の秘密と闇を、解き明かしていった。
ただし、その冒険を続けるためには、代償が必要だった。
冒険を支える仲間という、代償が。
彼女が動けるようになるために、誰かが動けなくなるという、皮肉。
過去の反転。
『でも、わたしは、一緒に冒険に行ってくれるヒトも、幸せになって欲しかった。向こうではできなかったことも、こっちならできるんだもん』
そう前置きして、瞳は仲間たちの事情を、口にした。
『九蘭はね、向こうにいた時は、バンド組んでたんだよ。高校の三年間だけって言ってたけど。以蔵さんは、小さい頃はピアノやってて、カンタービレの店長さんやってもらってる縫人さんは、本職のバイオリニストだったの!』
ちょっと待ってくれ、そう言いたかった。
その思いを、愚痴なんて言わないでくれと。
『むじなはね、もっと自由に研究したいって、インスピリッツだとどうしても、ギルドマスターの意向が優先されるから。海老原さんはほら、宝石が好きで、でもこの街だとガラクタ扱いだし。戸張さんは、わたしが心配だって、いつも一緒にいてくれるんだ。やさしいヒトだよね』
瞳はちゃんと、みんなを見ていた。
その中にあるものを、自分の夢と同じぐらいに大事に思って。
『カンタービレって名前は、縫人さんが付けてくれた。九蘭と以蔵さんから、楽器の弾き方も習ったりしてる』
『ギルド本部の地下には、むじなの工房があるんだ。あのカッコいいメカ、時々触らせてくれるんだよ』
『海老原さんとは、時々『宝石狩り』に行くの。手に入れた石でかわいいアクセ作るの、楽しいんだ』
『戸張さんは学校の先生してて、たまにホントの授業、やってもらったりね』
みんながみんな、それぞれの夢や過去を、互いに持ち寄って瞳と付き合い。
瞳も好奇心と、子供みたいな感謝の気持ちで、やり取りしていく。
それでも、瞳と彼らの力も思いも、最後の最後で、すれ違ってしまう。
『どうすれば、よかったのかな』
透明な愚痴が、見開かれた目から、零れ落ちていた。
『わたしは、みんなと、一緒にいたかった、だけなのに』
彼女を初めて見た時、俺は愚かにも、ズルいと言ってしまった。
一人だけ、物語の主人公のようだと。
そんな英雄を、規格外のチート主人公を、凡人だらけの世界に落としたらどうなるか。
他の連中も一緒にレベルアップして、つよつよ集団になる?
「そんなわけねーだろ、現実見ろ。とでも言うつもりかよ、クソ超越者が」
ああ、その通りだよ。
俺だってそのことは、痛いほどわかってる。
チート主人公の隣にいて、絶対に埋まらない実力の差を、見せつけられる辛さも。
そして、何とかついて行こうとして、無理を重ねた先にある陥穽も。
「おかえり、お疲れ様」
気が付けば店の扉の前で、柑奈が待っていた。
「ただいま」
「さっさとお風呂入って、ゆっくり休んで」
「ありがと」
「それと昼間、北斗が来てたって」
うんざりするような小言か、何かの駆け引きか。
柑奈は、どれでもない答えを返した。
「しばらく、瞳をお願いしますって」
「ぶん殴りてえと、慰めてやりてえって気持ち、同時に湧くの、初めてだよ」
「同感」
「じゃあ、瞳はここに?」
途中で別れてしまったから、てっきりギルドに帰ったのかと思っていた。
「事務所にお布団引いといた。ふみっちも今日は上で寝るって」
「友達の家に、お泊りか」
「ああ、そういうことになるのかもね」
久しぶりなのか、あるいははじめてなのか。
しばらくは、瞳のことを考えるたびに、センチメンタルな気持ちになりそうだ。
「一人寝が寂しいなら、ふみっち抱き枕でも作ったげようか?」
「むしろお前の方が必要だろ」
「いくらあたしでも、二つも同時に抱えられないんですけど」
本気か冗談か分からない返答に笑うと、俺はルーチンを済ませて、部屋に戻る。
いつもの姿が無いことが、少しだけ寂しかった。
「意外と需要あるかもな。文城抱き枕」
アホなことを言いつつ、俺は布団にくるまって、眠った。