表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/144

9、戻れない道

「どうしたの、もしかして具合悪い?」


 目の前に座る瞳が、不安そうに尋ねてくる。


「いや、ほら、初めての獄層崩落だろ? 散々脅かされたせいで、さすがになー」

「だよねー。わたしも最初の時は、ほんっと怖かったもん!」


 そう言いつつ、彼女は大きなバケットサンドをモリモリと食べていく。

 ここはふかふか屋の二階。昼の営業から開けられる喫茶ブースで、比較的静かに食事が取れる場所だ。

 艶消しの木材で造られた内装と、クッションの効いたソファや椅子のおかげで、荒れた気持ちも多少は和らぐ。


「ところで、秘密の話って?」

「あ、あー、それ、な」


 楽山さんから依頼を受けた時は、北斗の野郎を困らせてやれるぐらいの気持ちだったのに、今じゃあいつの悪だくみを助けるみたいになっちまってる。

 でも、目の前の瞳には、なにも悪い所はないんだ。


「実は、この街にラジオ局ができるんだよ」

「ま、マジ!? っていうか、なんで孝人がそんなこと知ってるの?」

「インスピリッツの楽山さんってヒトに頼まれてさ。カンタービレの屋上を、放送基地局に使わせてくれないかって」

「……うわぁ、ラジオ局、ホントにできちゃうんだ、すっご……え、でも、なんで?」


 クリームあんパンをかじりつつ、不思議そうな顔で質問を投げる瞳。

 その頬には、はみ出たあんことクリームがへばりついている。


「そういうの、普通に北斗にお願いすればいいのに」

「一回やって断られたんだって。うちには必要ないし、敷地を貸すメリットも無いからってさ」

「もー、北斗ってば。そうやって、面白そうなこと断っちゃうんだもんなあ」

「ってことで、瞳にも協力してもらって、あいつを、説得、してほしいんだ」


 ああクソ。なんだよこの茶番は。

 こうしてあいつは、瞳の純粋な好奇心とわがままを刺激して、仕方がないとか言いつつも、『新しいオモチャ』を買い与えてやるんだ。

 そもそも『カンタービレ』だって、設立の動機の幾らかは、瞳の心をなだめるための道具という意味だったんだろう。


「やっぱり、孝人も北斗のこと、苦手?」


 尋ねてくるネコの顔は、苦味といたわりの混じった、済まなさそうな笑いだった。


「……ゴメン。割とそうかな」

「そっか」


 弁解やフォローの言葉もなく、赤いネコの指が、空になったパンかごを静かにゆする。

 これで、俺の仕事は終わりだ。あとは北斗にこの話を伝えるように勧めて、GOサインが出たら――。


「ありがとね」

「え?」

「それじゃ、一緒に来て」


 立ち上がり、瞳は先に歩いていく。


「北斗を説得するんでしょ? 崩落もすぐだし、ラジオ局作るなら早い方がいいよ!」

「あ、ああ」


 その表情は見えない。

 こっちを気遣う気もなく、歩き去ってしまう。

 逃げるような動きに、ついて行くのがやっとだった。



「北斗、ちょっといいかな。あと、他のみんなも聞いてくれる?」


 涯を追う者ホライゾン・ブリンガー、その本拠点は『塔チカ』と呼ばれる、塔の南西エリアの、最も塔側に面した住宅街にある。

 意外なことに、その見かけは地球の一般住宅のようで、Aチームの面々も普段着のままで、ダイニングリビングで崩落関連の書類仕事をしていた。


「どうした、瞳。それと、小倉さんまで」


 普通に驚いた態度をしてみせる北斗。

 大した役者だな。俺が来たってことは、打ち合わせ通りの茶番を始めるって、分かってるだろうに。


涯を追う者ホライゾン・ブリンガーのギルドマスターとして、提案があります」

「おおっ、今日はいきなり真面目な感じだねぇ、ってことは」

「またもなにやら、おねだりでござりますかな?」

「あまり、穂高さんや久野木さんを困らせませんように」


 こうしてみると、このヒトたちは一種の家族みたいな関係に見えるな。

 戸張さんや海老原さんは、お父さんお母さん、あるいはおじさんおばさんか。

 ただ、胸に抱えるものがある久野木さんは、『お姉さん役』が、はがれかけている感じだった。

 みんなを見回すと、瞳は静かに告げた。


「ギルドマスター、氷月瞳の権限で、攻略Aチームの解散を宣言します」


 俺は、耳を疑った。

 Aチームのメンバーも、あの北斗でさえも、素で驚いていた。


「ちょ、ちょっと待ってよ瞳! いきなり何を」

「それと、久野木さん(・・・・・)、今まで、ありがとう。退団は、好きな時にしてもらっていいからね」


 その宣言と共に、北斗の怒りの視線が俺に向く。それを、瞳が鋭く遮った。


「孝人から聞いたわけじゃないよ。たぶん、そうなるんだろうなって、思ってただけ」

「な、なんで、あたしたちは、そんなこと一度も――」

「この前の塔攻略の後で、北斗、言ってたよね。文城や紡と冒険してみたいかって」

「あれは、君が二人の成長を話してきたからであって」


 それまで、表情を保っていた瞳の顔が、くしゃっと潰れた。


「前も、市屋さんが辞める時も、こんな風だった。それに、わたしを見る、北斗と、久野木、さんの目が、そっくりだったから」


 ボロボロと涙をこぼして、瞳は歯を食いしばって告げた。


「わたしが死んじゃう前、おとうさんとおかあさんが、わたしを見る目と!」


 誰も、支えることができなかった。

 部外者の俺はもちろん、事情を知っているはずのギルドの面々でさえ。

 怒りと悲しみに震える瞳の存在を。


「それで、今度は孝人も巻き込んで、新しいオモチャでわたしのご機嫌を取って! 九蘭が居なくても、文城や紡を入れるから、何も問題ないって言うつもりだったの!?」

「……瞳、それは」

「嫌いっ! 北斗なんて、大っ嫌いだ!」


 唐突に姿を消した彼女を、誰も追えなかった。

 久野木さんは両手で顔を覆い、その肩を海老原さんが抱く。

 深々とため息を吐く戸張さんと、顔を怒らせて北斗を睨む伊倉さん。


「おい、北斗よぉ、どうするつもりだ」

 

 いつもなら、状況を立て直すべく指示を出していたであろう北斗は、凍り付いていた。

 

「参謀がオタついてどうする! しっかりしろよ!」

「今日は、解散してくれ。海老原さん、久野木さんをお願いします」

「チッ! だから言ってたろうが!」


 今にもかみ殺しそうなネコ顔で、伊倉さんは北斗をなじった。


「策士気取りで、ヒトを舐めてんじゃねえぞって」


 人々がリビングから去り、部外者の俺と北斗だけが残された。

 本当に、なんなんだよ、これは。

 確かにこいつもいつか、しっぺがえしが来るんじゃないかと思ってたよ。

 それが、こんな。


「身内の騒動にまきこんでしまい、申し訳ありません。放送局は、そのまま進めてください。こちらの都合で、撤回はしませんので」

「そうだな。それでこそお前だよ。どんな状況だろうと冷静――で」


 冷静なんかじゃなかった。

 その目は悔悟と、自責でギリギリだった。

 今にも叫び出しそうなのを、必死にこらえて。


「今日は、お帰りください。そして、全部忘れてください。ここで見たもの、全部」



 照明の落ちた、薄暗いバーカウンター。

 ムーラン・ド・ラ・ギャレットは営業を終えていて、客も店員もいない。

 その隅っこで、俺はじっと、ショットグラスに満たした、緑の酒を眺めていた。


「大分、うらぶれてるね、リーダー」


 今日の柑奈は、いつものメイド服じゃなかった。ロングシャツとパンツルックの、どこかガールズバンドを思わせる衣装。


「乙女さん心配してたよ、ふみっちも」

「あの二人には、言いにくくてさ」

「……もしかして、瞳になにかあった?」

「あいつのこと、どこまで知ってる?」


 こちらの隣に座り、少し考えて、それから首を振った。


「言わない。そういうの、今必要?」

「ないな。そこで詮索の種を増やしたって、ゲスの勘ぐりにしかならんし」

「ただまあ、どんな感じで修羅場ったのかは、聞いてあげる。誰にも言わないから」


 俺は、ラジオ局にまつわる、こんがらがった人間関係を、吐き出した。

 最後の、北斗の態度を聞いて、さすがの柑奈も絶句していた。


「ホライゾンって結局、瞳で成り立つギルドなのよ。あの子の力と、キャラクター性で」

「塔の時もそうだったな。瞳が先行すれば片が付くし、あいつのフォローをすれば、自然と弱点が塞がる」

「逆に、それが間に合わなかったり、間に合う人材がいない時は?」


 そうか、それで久野木さんなのか。

 実際の戦闘でも、伊倉さんよりも久野木さんが追随するシーンが多かった。

 瞳のギフテッド、"シフト"に対応できるだけの反射と戦闘技術が、彼女にはあった。

 でも、


「たぶん、本人が限界を感じちゃったんだろうね。前にAチームに入ってた、市屋いちやさんってヒトも、そのポジションだったんだけど」

「引退したって、言ってたな」

「体を壊して、それっきり。今はグノーシスの方で、塔に関わらない仕事で生計立ててるみたい。あそこって、そういうヒトを受け入れる面もあるから」


 瞳の能力は確かに強力だ。

 完全結晶フローレスの性能を引き出し、誰にもまねのできない力で、獄層クラスの敵さえ向こうに回して戦える。

 だからこそ、それに釣り合う人間も限られていた。


「瞳っていう強力なジョーカーを生かすために、結成されたギルド、か」

「それを維持するために、なりふり構わずに尽くすのが、北斗ってわけ」


 俺は、抱えていた不安を、吐き出した。


「まさか、ローンレンジャーに続いて、ホライゾンまで潰れるなんて、ないよな?」

「なにリーダー、自分の責任だとか思ってる?」

「そこまで思いあがっちゃいねーよ。ただ、きつくてさ」


 ホライゾンのみんなは、仲がよさそうに見えた。

 少なくとも、久野木さんは引退を打ち明けることをためらっていた。それが瞳を傷つけると分かっていたから、だと思う。


「なにか、出来ること、ないのかねえ」

「ないんじゃない?」

「ですよねぇ」


 俺は酒を飲み干し、スツールから飛び降りた。


「北斗から許可は貰った。明日からラジオの仕事、それが終わったら獄層防衛の仕事に回るから」

「明日の朝、乙女さんも閉店準備と、避難所に造る出店の打ち合わせに入るって。パーティのみんなにも、集合かけといたよ」

「サンキュー。柑奈かんながいてくれれば、うちは安泰だ」

「当然でしょ」


 誇らしげに胸をそらすと、彼女はグラスを受け取り、そのまま裏に去っていく。

 俺は、吐息と共にわだかまりを捨て去り、部屋へと戻った。



 明けて次の日。

 楽山さんと一緒に『カンタービレ』の屋上についた俺たちを、待っていた者がいた。


「おはよ! 今日から作業するんだよね! ビルのオーナーとして、確認に来ました!」


 戦闘ギルドのマスターとは思えない、かわいらしい普段着姿。

 赤いネコの模造人モックレイス氷月瞳ひづきひとみは笑顔で、俺たちをいざなった。


「それで、何から始めるの?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なんというか。 勘の良い……もとい人をよく見て興味を持っている方は……怖いですね。 まあ、人間の情報の伝達は……人口の数%はいる一部の例外を除き……非言語的コミュニケーションによるものらしいですから…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ