8、ダブル・ダブルクロス
人生は選択の連続、って言葉がある。
転生前も含めて、俺は重たい選択肢を、無数に突きつけられてきた。
そして正直、圧倒的に『不正解』を選んできた自信がある。
でもさすがに、ここは間違えたくない。
「ひ、瞳か! びっくりさせんなよ!」
「どしたの? なにか考え事?」
「あ、あー。うん、ちょっと、瞳に相談があってさ」
これは嘘じゃない。この会話は北斗に聞かれてるだろうけど、どうとでもごまかし効く……わけもないよなあ。
「二人だけで話せないか? ちょっとの時間でいいから」
「ふーん、なにか悪い事企んでる?」
「悪い事、かどうかは聞いて判断してもらいたいね」
「ダメだよ。わたしだってギルドマスターなんだから、勝手に契約とか、約束とかはしないんだから!」
意外としっかりしてるな。
まあ、瞳の性格に付けこまれて、犯罪行為の片棒とか担がされたら困るだろうし、北斗も普段から釘を刺してるってとこだな。
「分かってますって。ただ、ちょっと面白そうな話だから、気になったらってことでさ」
「でも、獄層崩落の部隊編成、そろそろ始まっちゃうよ?」
「じゃあ、解散した後、昼飯の時にってのは?」
「いいよ! ……北斗には内緒で?」
俺は、なるべく気持ちが表に出ないように、笑顔を取り繕った。
「そうだな。怖い参謀さんには、内緒で」
「うん! ……結局はお見通しだと思うけどね。それじゃ、行こう!」
「あ……あー、俺、トイレ。行きそびれたから、先行ってて!」
元気なネコの模造人が去っていき、後ろから二つの気配が歩み寄る。
「ありがとうございます、と言っておいたほうがいいですか?」
「いいや。俺も、そっちのギルマスに、勝手に渡りを付けようとしてたからな。チャラにしといてくれると助かる」
「……あの、小倉さん」
振り返ると、苦しげな顔で、久野木さんはうつむいていた。
「さっきの、話は」
「知りません。俺はなにも聞いてない」
「ところで、瞳とどんな話を?」
大見得切っといてこのザマか。楽山さんになんて謝ろうかなぁ。
「インスピリッツ謹製の結晶ラジオ、その放送局を『カンタービレ』に誘致する。その交渉を担当責任者から依頼された」
「瞳の性格を当て込んで、あいつのわがままでゴリ押し、そんなところですか?」
「ラジオ自体は、この街の役に立つし、悪くない話だと思ったんだ。ごめんな」
「分かりました。そのまま進めてください」
あっさりした承諾。
俺と久野木さんの驚愕に、シェパードの模造人は、無表情に近い顔で告げた。
「獄層攻略を終えて、瞳にもなにかご褒美が必要だと思っていました。楽山さんの提案を蹴ったのは、その時点でのメリットがなかっただけですから」
「北斗、それは、あたしの」
「ちょうどいい。俺からも小倉さんにお願いがあります」
それは、手にしたメモ帳をめくるような、そっけない提案だった。
「鶴巻紡と福山文城の二人に対する、ホライゾンへの入団勧誘を許可してください」
なにを。
「なにを、言ってんだよ」
「次の崩落イベントの終了後、久野木九蘭は『涯を追う者』を退団。Aチームが休止状態になります」
「ちょっと、待てって」
「肉獄のコア探索を開始するに当たり、早急にチームの補充が必要」
「ちょっと待てって言ってんだろ!」
なんなんだよコイツは。
いったい、どういう気でこんなことを。
「お前、久野木さんの目の前で、こんな!」
「退団するとは言っても、後任に対する審査や査定には、協力してもらうつもりです。彼女は瞳とのコンビネーションに対する経験があるので。であれば、この場で伝えることになんの問題があるんですか」
「だからって!」
「いいんだ。あたしは、それでいいよ。気にしないで、小倉さん」
そうだよな、そっちはそっちの問題だ。俺が勘ぐったって迷惑なだけだろう。
でも。
「一度は使えないって放り出して、よそで使えるように育ったら、札ビラで顔ひっぱたいて引き抜きってか!? どんだけハイエ……いや、ハゲタ……くっそ、やりにくいなぁ、もうっ!」
「地球のプロスポーツでも、よくあったでしょう。大リーグでもF1でも、トップを争う世界なら当然のことです」
「それは、そう、だけどっ」
「そもそも、俺は『勧誘の許可』をお願いしてるだけです。決定権はあくまで彼らにありますから」
なんなんだよコイツは。
言ってることは、確かに正論かもしれないけどさ。
言ってることが正しけりゃ、その途中にあるこっちの感情なんて『間違ってる』か『どうでもいい』ってことかよ。
「そんな、効率主義で、人の気持ちを無視してっと、いつか痛い目見るぞ」
「すでに見てますよ。何度も。むしろ久野木さんのような円満な引退の方が、少ないくらいです」
だめだ。コイツとは、やっぱりそりが合わない。
「申し訳ありませんが、このことを瞳には」
「言うかよ! その上で……俺の依頼を、飴玉代わりにしろってんだろ!」
「意図したことではありませんでしたが、残念なお知らせと、よかったことのつり合いが取れた形になりました。ありがとうございます」
何を食ったら、こんなガチガチの効率主義でやっていこうと思えるんだよ。
あるいは。
「俺の考えが、甘すぎるってこと、なのか?」
答えの出ない問いを抱えたまま、俺は午後の打ち合わせへと、逃げるように向かった。
『ということで! 解説を仰せつかりました「インスピリッツ」和久井倭子ですっ! よろしくおねがいしまーすっ!』
手にしたマイクをハウリングさせる勢いで、壇上によじ登ったカピバラの模造人が大声を張り上げる。
その勢いに押されたのか、会場からは結構な拍手が鳴り響く。
キツイ展開を体験した後の心には、倭子さんのあっけらかんとした振る舞いが、心底癒しに感じられた。
『まず、現在の状況ですが「獄層崩落注意報」が発令されている段階です! これはだいたい崩落が、一月前後に起こると予想されている状態を指します!』
そして、倭子さんは何かの計測機械を取り出して、構えて見せた。
『獄層の成長は、この「ゲヘナスケール」で計測しています。地上の観測基地と二十一階から飛ばした観測気球、そして「アルケミスト・ワゴン」から、毎日ですね!』
そんな彼女の後ろに、おそらくインスピリッツのメンバーらしいヒトが入って来て、短く報告を告げた。
『はい! 本部から連絡入りました! これより崩落注意報が警報に変更されます! 予測崩落時期は、最速で今日から二週間後、遅くとも三週間後! 会議終了後、塔の全機能が停止され、避難地区として開放されますっ!』
緊張感が、きゅっと俺のみぞおち辺りを刺激する。
予告されている大災害、それに立ち向かうための準備、なにもかも地球ではありえなかったことだ。
『避難地区への退避期限は今週末ですので、早めに普段の生活とのお別れは、済ませてください。わたしたちも手を尽くしますが、最悪の事態も、考えられますので』
あの倭子さんが、とても厳しい表情を浮かべていた。
彼女もギルドの責任者であり、おそらく最前線で指揮を行う立場だからだろう。
この先に待つ困難を思いながら、それでも彼女は力強く笑った。
『そして、ここに集まってくださった有志の皆さんに、めいっぱいの感謝を! あなた方の力があれば、きっと今度も街を守れます! キツイ場面ですけど、笑顔を忘れずに、がんばりましょう!』
今度は、誰からともなく拍手が、大きく鳴り響いた。
その全てに頷くと、彼女は具体的な話をするために、会場の人間に資料を配布させた。
『それでは、これより崩落クエストにおける部隊割と、配置に関する会議を始めます!』
会議が終わり、集まった連中が外に出る頃、Pの館に設置されたスピーカーから、不快感を感じさせる警告音と、アナウンスが流れ始めていた。
『住民の皆様に、お知らせします。Pの館より、モック・ニュータウン全域に「獄層崩落警報」を発令いたします。住民の皆様は、本日十三時より解放された塔前広場避難所へ、期限までに避難をお願いします。繰り返します――』
いよいよか。
放送に急かされるように、みんながそれぞれの方向へ速足で動き出し、P館の前にある通りでは、商店のヒトたちが不安そうに店の中に入っていく。
「商店の営業も、今日までぐらいか?」
「早い所はね。粘るところや大きめのお店だと、避難期限ギリギリまで営業するよ」
「ムーランは?」
「通例では最終日前日に、銭湯を終日無料で開放して、それが終わったら閉店です」
柑奈は元より、しおりちゃんも落ち着いている。さすがに経験者のみんなと初心者の俺じゃ、振る舞いに違いが出るのも当たり前だけど。
「皆さん、道を開けてください! 現地の方に道を開けてください!」
さっきの武装したゴブリンたちが、声を上げて交通整理している。その姿自体も珍しかったが、彼らに導かれている集団に目が行く。
薄汚れた模造人たちや魔物たち。転生者ではない、いわゆる原住のヒトたちだ。
「そうか、あのヒトたちも避難しないとだよな」
「塔の三階以上は、彼らに解放されるんです。一部の環境はそのまま残されて、彼らの生活物資になるとか」
「……そういえば、あのヒトたちって、俺たちのことを、どう思ってんだろうな」
今の俺もそうだけど、ここの住民は彼らに『転生』する。
あんまり考えないようにしてたけど、それは彼らを『どかす』ということだ。
はじめてここに来た時、俺を指さしたネズミの模造人たちも、あの集団の中にいるのかもしれない。
「孝人さんは、この街の四方の門を、外から見たことはありますか?」
「いや、ないな」
「そこには、こんな銘文が掛かっているんです」
チョウゲンボウの模造人は、穏やかな声で世界の秘密を明かした。
「『汝、壊れた玩具として一切を捧げよ。我が指触れるまで、その命は自由なり』」
「……つまり、あのヒトたちは」
「わたしたちが宿っている模造人とは、魔界における最底辺、そのさらに下とされる、魔物でさえない出来損ないだそうです」
最底辺のさらに下、だって?
「魔界の住民たちの中には『ヒト』種族を食料にする者がいる。しかし、何らかの事情で魔界ではヒトを自由に捕食できなくなった。そのために造られたのが模造人です」
「ヒトの模造だから、模造人なのか」
「彼らはここ以外では、生きる事さえままならない。でも、この街に入れば、ジョウ・ジョスの玩具として扱われるまでは、Pの館の庇護で穏やかに暮らしていけるんです」
そうか。
俺たちと彼らの間に、特に交流が無いのはおかしいと思ってたけど、そういう契約があったからなのか。
あのバケモノにおもちゃにされるの前提で、魂を渡すか肉体を捧げるかの違い。
だが、そんな自嘲を、しおりちゃんは皮肉な笑いで否定する。
「あのヒトたちが、わたしたちをなんて呼んでいるか、知っていますか?」
「いや……なんて?」
「グラガラノ。日本語に訳せばウジマタギ、魔界の底で蠢く悪食な蟲さえ、またいで通る穢れた者という意味です」
そいつはえらく嫌われたもんだ。まあ、勝手によその世界から降ってきて、身内でも仲間でも奪っていく奴らなんて――。
「もう一つ、わたしたちを示す言葉があります」
「なんだよそれー、悪口言われるのは仕方ないけど、聞かされるとそれはそれでキツイ」
「『神去の者』」
なぜだろうか。
しおりちゃんの言葉を聞いた途端、俺の体の中に言い知れない不快と不安が、沸き起こったのは。
「神に棄てられ、神を棄てた民。それが地球人を語る時、憐れみと共に投げ付けられる、蔑称です」
それは、世界から俺たちに示された、強烈な『拒絶』の意思表示だった。