7、トラブルのはじまり
その日、Pの館に設けられた大講堂には、たくさんの模造人や魔物が集められていた。
すべて転生者であり、この街で冒険者をしたり戦闘ギルドに参加したりしているヒトたちだ。
俺たちも当然のように、その集団に入っている。
面白い事に、この講堂は日本で見たことのある『学校の体育館』を模してあって、一番奥の所に高くなった舞台があり、演壇が設けられていた。
「ここ来ると、中学とか高校の時を思い出すんだよな」
何気ない調子で、紡がつぶやく。入館したときの案内で、他のメンバーとは離れてしまって、偶然にも紡と隣り合えたのは幸運だった。
「校長先生の話長かったなー、とかさ」
「わかる。あとは、昼休みに来ると、運動部系の連中に占領されてたりとか」
「オレはみんなと混ざって、バスケとかバレーとかやってたな―。特に何部ってわけでもなかったけど」
そんなことを話している間に、演壇に誰かが歩み寄る。
ミラーシェードのサングラスにスーツ姿の、ゴブリンPだ。
『お集まりの皆様、お待たせしました。それでは、これより「獄層崩落防衛クエスト」説明会を、開催させていただきます』
何かを期待したような沈黙が数秒あり、ゴブリンは苦笑して、マイクに口を近づける。
一瞬、拍手しそうになったけど、止めといてよかったのかな。
『初めに、獄層と崩落についての基本情報をご説明いたします』
ゴブリンPの背後に塔の上に掛る四つの獄層のイメージ映像が投影される。
肉獄、緑獄、機獄、晶獄、それぞれの特徴と、それらが互いを食い合い、日々成長するということ。
そして、成長が一定段階に達することで起こるのが『崩落』という現象であること。
「紡はこれ、何度も聞いてるんだろ?」
「そーだな。でも、一緒に戦うヒトとの顔合わせ、って意味もあるから」
そういえば、自分はギルド所属の冒険者は見たことあるけど、フリーランスのヒトたちとはあまり面識がない。
ああいうヒトたちは、どういう感じで仕事を受けたりしてるんだろう。
尋ねると、紡は少し考えてから答えてくれた。
「Pの館の一階に食堂あるだろ?」
「P館食堂な。『EAT UP』の方が美味いし、ほぼ行かないけど」
「あそこって、ある程度Pの館のクエストを受けると、割引になるんだよ。で、あそこを根城にするPクエ受注中心の連中が、フリーの冒険者って感じ」
「Pクエって、そんなにいいのか?」
「通算二十回で、プラチケ一枚になるんだ」
初耳だ。そこそここの街にいるけど、その手の話はされたことが無い。
「なんでみんな狙わないんだ?」
「逆。みんな狙うから、達成率がすっげー低い。しかも、下水掃除やゴミ掃除に、夜の見回りみたいな、臭くてキツくて地味なのもあるし」
とはいえ、食費が割安になり、危険の少ない仕事でプラチケが手に入るなら、Pの館を商売相手に選ぶ手もあるのか。
「あとは、P館運営の下宿屋もあって、住む場所も確保できるし。大部屋に雑魚寝でプライバシーゼロだけど」
「それもクエスト受注回数で?」
「月に五回以上だったかな。だからフリーランスってより『P館専属』って感じか」
P館は便利に使える手勢を持てるし、使われる側も、公的機関が仕事と報酬と寝床を約束してくれるから、気楽に生活できるってわけね。
「ってことは、ガチのフリーランスって、本気で少ないんだな」
「うん。そういうのって、だいたい上の『ベース』にいるし」
『以上が、獄層崩落についての概略となります。続いて、獄層崩落中に発令されるクエストと、注意点についてご説明します』
さすがにこっからは、ちゃんと聞いとかないとな。
俺は前を指さして紡に合図すると、メモ帳を取り出して聞く姿勢を取った。
『前提条件として、獄層崩落警戒期間中は、塔ダンジョンの機能が全停止されます。二十一階へのアクセスは可能ですが、二階以上への登頂は不可能となりますので、ご了承ください』
塔に入れなくなるとは聞いたけど、まさか機能を完全停止するとはね。チュートリアルダンジョンだから、ある程度Pの館の自由になるってことか。
『次に、獄層崩落避難警報が宣言された日より、一般住民はすべて、塔ダンジョンの周囲に設定された「避難区域」に避難していただきます。以後、警戒宣言が解除されるまで、避難区域外への外出は禁止です』
禁止、と来たか。
支配や命令を避けるPの口から、こういう言葉が出るってことは、本気度が高いな。
『崩落クエストにエントリーされた冒険者、戦闘要員の方々は、避難期間中、指定された「待機所」で生活をお願いします。また「避難区域」への侵入も禁止です』
ってことは、避難民と戦闘員を完全に『隔離』するってことだよな。
これってものすごく、ヤバいってことじゃないか?
「あ、あの……すみません」
人ごみの誰かが手を上げる。Pは心得て、そのヒトの発言を促した。
「それって、そうしないとマズイことがあるん、ですよね?」
『その通りです。肉獄と緑獄、この二つの崩落において、前線に立つ戦闘従事者は、エネミーによる「汚染」を受ける可能性がありますので』
Pの言葉にざわめく連中がいる。隣の紡も、緊張が顔に現れていた。
『緑獄は主に、植物や菌類の播種に関連する「寄生」や毒や病原菌などの「感染」が発生します。そして、肉獄はそれ以上に危険性が高い』
解説する側も、普段見せている余裕や達観した雰囲気を、少しも感じさせない態度で、脅威を語っていく。
『「擬態」や「侵蝕」、捕食からの爆発的な「増殖」、あるいは「複製」の生産。肉獄の生命は、私たちにとって忌避すべき「侵略者」です』
そういう事か。
緑獄の植物の種や胞子を引っ付けたまま、避難所に入ったらそれこそ、パンデミックで住民が全滅する。
肉獄のエネミーに取り付かれた奴が入り込んだら、昔のSFホラーみたいな『誰がバケモノの擬態か』なんて話になりかねない。
『改めて、申し上げます。この世界において「自分ぐらいルールを無視しても平気」ですとか「病気の感染など気のせい」という、甘ったれた思考は捨ててください。いえ、そんな考えで、ヘラヘラと他者を危険にさらすとみなした場合、私どもが速やかに「排除」いたします』
いつに間にか演壇のPの背後に、機動部隊を思わせる完全武装のゴブリンたちが、整列していた。
『私どもにとっても、この街は掛け替えのない場所です。皆さまと共に、少しでも長く日々を続けていくことを願っています。そのために、獄層崩落のイベントは、避けては通れないものであり、厳格に対応するべきものであります』
そして、壇上のゴブリンPは、深々と頭を下げた。
『どうか皆様、ルールに則ったご協力を、お願いいたします』
Pの説明が終わり、休憩時間になると、俺はほっと息をついた。
「やっぱ、分かってても毎度緊張すんなー」
「崩落イベント、マジでとんでもない『災害』なんだな」
「……うん。オレも、知り合いが死んだりしたこともあったし、遊びでも、ハンパでもいられないよ」
ああ、そうか。
ときどき、紡がビックリするほどシビアで、戦闘に慣れた感じで振舞うの、崩落を経験してるからなんだな。
「っても、年に二回か、あっても三回ぐらいだし。二重崩落の後は、一年くらいは起こらないって話も聞くよ」
「それなら、余計に気合い入れないとな!」
「おう!」
「あ、いたいた!」
人ごみを掻き分けて、柑奈や文城たちがこっちにやってくる。
「どうリーダー。獄層崩落イベント、最初の洗礼は?」
「正直、超ビビってるよ。今すぐ逃げ出したいくらい」
「上等。そういう態度が出るなら、心配はいらないね。ところで」
意味ありげに笑う柑奈に、俺は口元に指を当てた。
「おっかない参謀さんが、どこで聞いてるか分かんないからな。ちょっと隙見て、秘密の会談を予約してくるよ」
「わっるい顔、まあ、あたしも共犯だけどさ。こっちで見かけたら、話しておくから」
「なんだお前ら、なに企んでんだ?」
不思議そうにする紡たちに笑うと、俺は人ごみに紛れて歩き出す。
「詳しい話は柑奈から聞いといてくれ。すぐ戻る」
ホライゾンや新皇軍のような名うての戦闘ギルドは、集会の最前列に集められていたから、その姿は比較的追いやすかった。
今回の依頼を遂行するためには『ギルドマスターに直談判して、その強権で参謀を黙らせる』ことが最重要だ。
幸いなことに、ギルドマスターと参謀は『明確な違い』がある。それを利用して、北斗の目を盗ませてもらおう。
講堂の隅に設けられたトイレは、最初の利用者たちが引けて、人影もまばらになっている。ここで北斗か瞳のどちらかが確認できれば、その隙に――。
「そうですか。お疲れ様でした」
並んだ入り口の向こう、清掃用具をしまっておく倉庫の辺りから、ぼそぼそとした声が聞こえる。
ネズミの聴覚は、そんな抑えた会話さえ、正確に聞きつけていた。
「ほんと、ゴメン。こんなタイミングで」
「いえ。崩落イベント前に気持ちの整理を付けたいというのは、正しいと思います」
北斗と、もう一人は、久野木さんか?
「瞳には、いつ言ったらいい?」
「難しそうなら、俺から伝えておきますが」
「ダメだよ。けじめはあたしが付けなきゃ」
おい、ちょっと待て。
なんだよこの不穏な、部外者が聞いちゃいけない会話の流れは。
「あ、孝人!」
背中から、今一番、聞きたくない声が掛かる。
奥の方で緊張感に息をのむ二人の気配。
振り返ると、瞳は無邪気に笑っていた。
「北斗、どこにいるか知らない?」