表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/144

エントツのある街

 異世界転生という言葉に、心躍らないニンゲンって、どのぐらいいるんだろう。

 最初から興味のないヒトや、現実が充実しているヒト、創作で語られる『虚構』が、馬鹿馬鹿しい嘘にしか思えないヒトもいるだろう。

 でも、全体から見れば、『興味アリ』のヒトが多いんじゃないかな。

 実のところ、僕も興味アリの一人、だった。

 それは、想像していたのとはすこし違う形で、実現していた。



 きっかり六時半。

 いつも通り、目が覚める。

 転生する前から、目覚まし要らずで起きられるのが、平凡な自分の数少ない取り柄だ。


「さて、華の金曜日だ。今日もがんばるかぁ」


 上半身を起こし、大きく伸びをしつつ、声を出す。

 一人住まいの下宿だから、答えるヒトは誰もいない。

 ベッド一つにクローゼットと小さなテーブル。照明器具は結晶ランプが一つ、本棚には漫画や、こっちに来てから読むようになった小説がいくらか。

 ガラス窓の外で、太陽も昇らない、だしぬけな明るさが広がっていく。

 

「……廃材の精錬炉、ようやく直ったのか」


 僕の下宿は雑居ビルの三階。

 窓の外に広がるのは、この街の『工業団地』のようなエリアだ。

 平屋の建築にいくつもの煙突が立ち、白煙を上げている。中でもひときわ高い煙突をそびえさせているのが、回収された金属パーツを溶かして再利用する精錬所。

 一度、見学しに行ったことがあるけど、悪臭と熱がとんでもなかったな。

 それ以外にも、食品の燻製加工やパンを焼く製パン所なども、僕が起きる前から仕事を始めている。


「あ……着替え、洗濯に出すの忘れてた……」


 クローゼットの前に置いたかごに、結構な量の着替えが溜まっている。ここにはコインランドリーもないし、電気で動く洗濯機もないから、不精をするとすぐこれだ。

 とはいえ。


「いざとなったら『着ない』でもいいのが、模造人モックレイスのいいとこだな」


 クローゼットを開け、内張りになった姿見に顔を移す。

 芝っぽい雑種犬の顔が、こちらを見返す。

 そのまま、工場支給のツナギを素肌、というより毛皮の上に着こんだ。

 さすがに『人間』だったときの羞恥心はまだあるから、完全に服を着ないわけではないけど、家にいる時や、近所の買い物程度なら『そのまま』うろつくこともある。

 身支度を済ませ、僕は一階に造られた食堂に入った。


「おはようございます、朝定一つで」

「朝一つね。今日の晩飯は?」


 メニューはいつも通り。バケットサンドとスープ、サラダに果物。

 カウンターから差し出されたトレーを受け取ると、店主であるウシの模造人モックレイスに、軽く頷いてみせた。


「今日はいいです。給料日だし」

「はいよ。土日の予定はちゃんと書いといてね」

「じゃあ、今書きますね」


 朝と夜が出る下宿で、月にログボチケットが四十五枚。高いか安いかは判断付きにくいけど、強盗や窃盗の心配がない寝床というのは、この街では優良物件だ。

 少し考えて、土曜日の食事は断って、日曜日はどちらもアリにした。


「そういや、いよいよ『崩落』だってねぇ。Pの館から通知が来たよ」


 僕以外に客がいないせいか、店主はこっちにお茶をサービスしながら、のんびりと話しかけてくる。


「うちの工場も、それに合わせて来週は残業あり、土曜日も出勤ですよ」

「『新皇』も帰ってきたし、そっちの仕事もあるんだろ? おつかれさんだ」

「そうですね」


 そんなことを話しつつ、長テーブルの隅に置かれていた朝刊を、ざっと流し見する。

 一面にあるのは当然、今度やってくるという『二重崩落』についての記事。

 二重崩落自体は数年に一回の頻度でくるけど、肉獄と緑獄の二重崩落は大きな被害を出すことで知られており、特集記事も組まれていた。

 気の滅入るような内容を読み飛ばし、自分に関係のありそうな内容が無いことを確認すると、食事を終えて立ち上がる。


「それじゃ、行ってきます」

「気を付けてね」


 そのまま大通りに出ると、いつもの賑わいがあった。

 配送のために荷車を引くヒト、荷物を携えて仕事に向かうヒト、あるいは大あくびをしながら、これから家に帰るらしいヒト。

 それぞれ目的はあるけど、せかせかした空気はない。緩い川の流れを泳ぐように、それぞれが行きかっていく。

 時刻は午前七時を回り、大半の商店が営業を始めていた。

 通勤する連中に、朝食や昼の弁当を出す店、届いた商品を運び入れていく雑貨屋。

 店の前を掃き清めたり、ガラス窓を磨く姿もあって、地球のどこか、日本じゃない海外の町にでもありそうな光景だ。

 群衆を構成するのが『人間じゃない』のを除けば、だけど。


「おはよ、まっちゃん」

「おはようございます、先輩」


 後ろからするっと近づいてきたのは、僕よりも背の低いトカゲの模造人。朝飯代わりの煮卵を、飲み込むようにしてぱくついている。


「昨日、帰り際、工場長に言われた。インスピ向けの部材、今日中に出荷だって」

「じゃあ、新人さんの作業、引っ張っときます」

「ありがとね。俺もできるところ、手伝うから」


 僕らは大通りを西に進み、工場町のある通りへと左に折れる。

 そこからは、大気にうっすらと、切削油や金属くずの放つ、尖った匂いが漂い始めた。

 むき出しになった土の地面には、ところどころに油の黒い染みがあり、工場に向かう模造人たちの服装も、頑丈な繋ぎや作業服のヒトたちが大半だ。 


「そういやまっちゃん、うちに来て二年だっけ」

「ですね。誘って貰って感謝してます」

「折角の腕、遊ばせたらもったいないからね」

「まさか、こっちに旋盤やフライスの仕事があるとは思ってませんでしたよ」

 

 僕が勤めている職場は、似たような工場の間にある建屋だ。

 建物は元からあった廃墟を改装したものだけど、門と塀は石材とコンクリートで仕上げてある。


「おはよーっす」

「あ、おはようございます」


 同僚たちが先になり、後になり、挨拶してくる。

 そんな彼らと一緒になって、僕らは大きな屋根のある平屋の工場の、正門をくぐった。


「皆さん、おはようございます!」


 始業前の朝礼。

 朝礼台で声を張り上げるのは、横幅の太ましい、ネズミの模造人モックレイス

 この工場を取り仕切る工場長は、全員を見渡して言葉を続けた。


「昨日、Pの館から正式に通達があり『獄層崩落注意報』が発令されました。この工場も来週土曜日の操業が終了次第、崩落の終了宣言まで休業となります」


 僕を含めた工員たちは、軽く緊張を顔に浮かべている。

 いまいちピンとこない顔をしているのは、半年ぐらいの間に街へやってきた連中だ。


「あの……崩落って、そんなにすごいんですか?」


 隣に立っていたウサギの模造人が、不安そうに尋ねてくる。自分の所の部署に入ってきた新人君だ。


「何度か経験あるけど、すごいよ。地震と津波がいっぺんに来る感じ」

「……だ、大丈夫なんですか?」

「ちゃんと避難所にいれば問題ない。対処組に入らなければね」


 なんて語ってしまったけど、正直、僕もいまだに怖い。

 アレを体験する前とした後じゃ、街に住んでいる感覚が違ってくる。住民の中には崩落恐怖症で精神を病むヒトも出ていた。 


「でも、いいこともあるよ。避難した住民全員に、プラチケが配られるから」

「避難したときの補償、ってことですか」

「崩落イベントの時は、塔も機能を停止するからね。滞留更新期限も警戒解除の一週間後までは延長するし」


 そんな雑談の合間にも、工場長は色々な仕事の注意点を話していた。

 注文の入った仕事は来週の水曜日までに仕上げて、金曜日までは工場建屋の補修、土曜日は操業再開の準備をして半日上がりになる。


「来週は残業続きになるから、服とか食事とかは気を付けてね」

「同居人が冒険者で自由が利くから、そこは大丈夫です。けど……」

「もしかして、対処組に入ってる?」


 新人君は頷き、それから不安そうに空を見上げた。

 僕たちの町には、巨大な『おおい』がある。

 街の中央にそびえる『塔』、その上に開いた、四枚の花弁のような形状の『獄層』だ。

 南と東の部分が、目で見ても分かるほど、大きくはみ出しつつあった。


「先輩、二重崩落って、あったことあります?」

「何回かね。でも、肉と緑同時は、初めてだ」


 連絡事項を伝え終わると、工場長は一呼吸おいて、締めのあいさつに入った。


「それでは、今日も一日、ゼロ災で行こう、ヨシ!」

『ゼロ災で行こう、ヨシ!』


 そうして、いつも通りに僕らは仕事に入っていった。



 うちの工場の規模は、金属加工を請け負う他の所よりも大きい。

 旋盤加工機が十台、フライス盤が十台。大型車両や作業機械用の、大規模加工機が二台あって、だいたい三十人ぐらいが工員として働いている。

 そんな作業場の隅で、細かな金屑を散らしつつ、新人君が回転する部材を削っていく。

 使っているのは発掘部品から再構築した、手動の旋盤加工機。

 僕が向こうで使ってたのはコンピュータ制御のCNCで、手動式なんてほとんど使ったことがなかったけど、慣れれば苦も無く扱えた。

 

「――こんなかんじで、どうですか?」


 削り終わったものは、軸受けに使う円筒形のパーツだ。

 受け取り、削り面の仕上がりを確かめ、テスト用の軸にはめ込み、具合を確かめる。

 軸にはめ込んだパーツは、ねばりつくような抵抗を感じさせ、ぴったりとはまった。


「ごめん、あと0.04ぐらい削ってくれる?」

「図面通りにしたんですけど、ダメでした?」

「材質にもよるけど、軸受の時は『交差』内でプラス気味に削らないと。軸の熱膨張で、動きが悪くなったり割れたりするから。仕上がりは問題ないから、残り全部その感じでよろしくね」


 指示を終えると、僕も自分の作業に入る。

 この工場で造っているのは、『インスピリッツ』で使われている車両や作業機械の動作パーツだ。

 クランクシャフトや軸受け、時には手持ちグレネードランチャーの砲身なんて、日本では想像もしなかった仕事も飛び込んでくることがあった。


「こんにちはー! インスピリッツでーす! 発注しておいた浄水器用の交換パーツ、受け取りに上がったんですがー!」


 工場の騒音に負けないほどの大きな声。カピバラの模造人モックレイスが、入口のところに立っていた。


「どうもです、和久井さん。あとちょっとで終わるんで、少し待ってもらえますか?」

「はい! 増山さんもお疲れ様ですっ!」


 その後ろには、いつも一緒にいるウシの模造人の大きな体がある。僕は自分の旋盤を止めて、工場の隅に積み上げられた完成品の所に案内した。


「急ぎの仕事で申し訳ありませんでした。崩落の前に、南の森からできる限り水を回収しておきたかったもので」

「新人君の練習にもなったんで、むしろ助かりました」


 そして、新人君が仕上げた製品が届き、それらのパーツの出来を、カピバラさんがマイクロメーターや検査用の軸を使って、軽く検品していく。


「いい仕上がりです! 新人さんも、だいぶ上手になったみたいですね!」

「ありがとうございます。よかったね、クライアントのお墨付きだよ?」


 検品する様子を見ていたウサギの模造人は、鼻の頭にしわを寄せつつ、照れくさそうに頷いてみせた。

 そこでちょうど、昼食休憩を知らせるチャイムが鳴り響いた。


「折角なので、お昼をご一緒にいかがですか? 現場の様子とかも聞かせていただきたいので!」

「……はい。じゃあ、休憩所で」


 和久井さんは、とてもヒトなつっこくて、この調子でぐいぐい距離を詰めてくる。

 そのまま休憩所に入ると、仕出しの弁当を受け取って、適当な場所に座る。

 今日は肉入りすいとんがメインで、縞瓜と豆腐の白和えと、若芽のてんぷらだ。


「そういえば、『新皇』から新しい依頼を受けたそうですね?」

「依頼自体はずっと前からだったんですけどね。この前、提出した試作品にGOが出て、正式に制作に入ることになりました」


 この街の外に遠征を繰り返す、街最大のギルド『奈落新皇軍』。

 以前から補修用のパーツやちょっとした加工部品を受けることはあったけど、今回はかなり大規模なラインを組むことになっていた。


「こちらの工場にも熟練工が増えて来たし、専門性を打ち出せるのはいいことだと思います! ただ、うちとしては痛し痒しですけど」

「西田さんの工場は、どんな感じですか?」

「うちから技術指導のために、メンバーを出したばかりですから。育成にはまだまだ時間がかかりますね」


 もちもちと、すいとんを頬張りながら、カピバラは真面目に近況を説明する。

 モック・ニュータウンの科学技術の最先端を扱うギルド『インスピリッツ』は、同時にこの街の技術の底上げにも力を入れている。

 本人たちが研究、あるいはリバースエンジニアリングした技術を、うちのような工場へ提供し、部材の量産を任せてくれていた。


「そういえば増山さん、仕事の方はどうですか?」

「楽しいですよ」


 彼女からこの質問をされるのは、覚えているだけで二度目だ。

 最初のは、先輩に誘われて工場に入った、三か月ぐらいの頃。


『……仕事は、仕事ですから』


 新人だった僕を目ざとく見つけて、色々と聞いてきた彼女を、当時は少し面倒だと感じていた。

 地球でもやっていた仕事だったし、同業種に行きたいと思いながら、結局果たせなかったから、ここで働くこと自体に抵抗はなかった。

 それが楽しいかと言われれば、そうでもないと答えるしかない、はずだった。 


「和久井さんは、みんなにそれ、聞いてるんですか?」

「どれ、ですか?」

「仕事のことですよ」

「あー、そうですね。なんか癖というか、そういう感じなんです。嫌でした?」


 その質問には答えず、デザートについてきた柑橘っぽい果物をむいていく。


「和久井さんはどうですか、仕事」

「とっても楽しいですよ! もちろん!」

「どうして?」


 美味しそうに、緑の葉っぱをもくもく噛み砕きつつ、彼女は笑う。


「わたしの作ったものが、いろんなところで活躍してる。それと、わたし自身もそれを使っていろんなことができる。そういうのが単純に面白くて、楽しいです!」


 僕もそうだ。

 自分が出荷した製品が『どこかの何か』じゃなくて、『この街のなにか』を、少しずつ良くしていくと実感できる。


「大変なこともありますけど、楽しいですよね。全部がシンプルで」

「シンプル、ですか」

「僕も和久井さんと同じです。自分の仕事が目に見える成果になって現れる。しんどいこともあるけど、分かりやすいし、楽しいです」


 すべて分かった、とでも言うように、彼女はどんぶりのスープを飲み干した。

 それから、小声でささやく。


「よかったら、うちでもっと、楽しいこと、しちゃいます?」

「……インスピリッツで、ですか?」

「自分で引いた図面を形にするのも、楽しいですよ?」


 この工場に、彼女たちが出資するもう一つの理由。

 ギルドの仕事を任せられるメンバーを育成する、ファームとしての役割だ。

 僕は少し考えて、首を横に振った。


「折角のお誘いですけど、やめときます」

「わかりました。それじゃ、今後とも、いい製品をお願いしますね!」


 意外にあっさり引き下がると、彼女は食べ終わった食器を手に去っていく。

 裏表も嫌みもない態度。ああいうヒトだから、ギルドマスターの補佐なんて重責をこなせるのかも知れない。


「いいのかい。インスピ行きなんて、大抜擢だよ?」


 いつの間にか、僕の後ろにやってきた先輩が、顎をさすりつつ問いかける。


「僕は、ここでいいです。いや、ここがいいです」

「身の丈に合った立場が、気楽でいいってこと?」

「そういうのもありますけど、それだけでもないです」


 それ以上のことは聞かずに、先輩は去っていく。

 僕も食器を片付けて、始業再開までの時間を、ぼんやりと過ごした。



「はい、今月もご苦労様」


 給料の手渡しと言うのは、ここに来て初めての経験だった。封筒に入っているのは、分厚いログボチケットの束と給与明細。

 明細の内容を確かめ、中に入っているチケットの数を確認する。

 ログボチケットは、お札と違って両替が効かない。封筒に入っている分は『当座金』という形で、事前に申請した分を貰うようになっていた。

 残りは会社からその都度引き出す形で、傷病手当用の積み立てと、プラチケ購入費が引かれたものが月の給料だ。


「増山君、今日この後の予定は?」

「折角の給料日なんで、ちょっと贅沢しようかと」

「一緒に付き合っては……くれないんだろうなあ」

「すみません」


 苦笑する工場長に挨拶をすると、家への道をたどる。

 五時を過ぎると、街の空は次第に薄暗くなっていく。夕日も一番星もない、電灯が消えていくような黄昏時だ。

 工場勤めの連中は、途中まで同じ道をたどりながら、少しずつ列を崩して途中の店や家にある小道へと散っていく。

 僕は北前通りを東に進んで、アパートに行く通りを過ぎて、大きめの雑居ビルにたどり着いた。

 スーパー銭湯メイドカフェ『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』。

 いつ見ても、変な店だ。


「いらっしゃーい。あら増山さん、こんばんは」


 この店の店主である金髪の女性――ラミアという魔物らしい――が、笑顔で声を掛けてくる。

 店には結構な数の客が入っていて、『メイドさん』の姿をした模造人モックレイスたちが忙しく行き来していた。


「今月もお疲れ様でした。お風呂、今空いているから」

「ありがとうございます」


 この店には、街でも珍しい『銭湯』がある。店主である彼女の『ギフテッド』で出したお湯によって成立している、と聞いていた。

 月に一度、給料日に風呂へつかるのが、僕の楽しみの一つだ。

 言われた通り、ビルの地下に造られた銭湯にヒトの姿はなかった。


「――ありがとうございます。ごゆっくり」


 愛想のないロップイヤーのウサギにチケットを二枚渡し、そのまま脱衣所で服を脱ぐ。

 風呂場の造りはとてもしっかりしていて、空気に漂う湿気のおかげで、全身の毛皮がしおしおと濡れそぼっていた。

 湯船に入る前に、掛け湯場で毛皮に絡みついた金屑や油かすを流していく。

 それから、全身を据え付けの石鹼とブラシを使って、汚れをこすり落とした。

 下宿でもシャワーはあるんだけど、こういう風呂ほどきれいには落とせないからな。

 そして、


「あぁ……」


 どっぷりと湯船につかり、吐息を吐いた。

 仕事は満足してるけど、当然のように体は疲れる。こうして、広くてたっぷりした湯船につかれるのは、本当にありがたい。

 なんて一息ついていると、別の客がやってきた。


「あ、先輩。お疲れ様です」


 新人君ともう一人、背の高いイヌ顔の模造人モックレイスが入ってくる。毛皮の色からするとハイエナかと思うけど、動物には詳しくないからわからない。


「あ、どもです。ダチがお世話になってます」

「同居人の冒険者、のヒト、だよね? あんまり大したことはしてないよ」


 二人とも全身の汚れを落とし、そのまま僕の隣で湯船につかった。


「今日給料日だって聞いて、折角だから風呂でも行くかってなったんすよ」

「もしかして、塔からの帰り?」

「そです。『崩落』が近いとかって、滅茶苦茶混んでたんすよねー」


 そう語る彼の頭や二の腕に、はっきりと分かる『毛が薄い部分』がある。おそらくは、冒険で受けた傷痕だ。


「そうなるみたいだね。崩落前に、各層の素材に駆け込み需要がでるとかなんとか」

「十階以下だと、三階と四階、それから八階がめちゃ込みで。今の時期はプラチケよりそっちのが重要とかで、いつもと違うからきつかったっすよ」

「普段は、やっぱり十階踏破?」


 彼は首を振り、お湯の暖かさで、のんびりとあくびをした。


「うちはリーダーが素材確保中心で、引率はほとんどやんないすよ。十階行くのも、パーティの誰かが更新するときで」

「君は、こっちに来てどのぐらい?」

「そろそろ半年っすね。次の『崩落』が、はじめてっす」


 あまり意識しないようにはしていても、やっぱり『崩落』の話題は、自然と住民の口から出てしまう。

 僕は内心の不安を紛らわすように、腕を伸ばしてコリをほぐした。


「先輩さんは、崩落は何回ぐらい見てるんすか?」

「だいたい四回かな。二重崩落はこれで二回目だけど」

「普段なら、フリーの冒険者は任意参加らしいんですけど、二重崩落は戦える奴、全員召集掛るみたいっすね」


 だいぶ体の中がほてってきたのを感じて、僕は湯船からあがる。ハイエナの彼は、こっちを目で追いながら、声を掛けてきた。


「オレら、この後飯食いに行くんすけど、先輩さんもどうっすか?」

「……そうだね」


 実のところ、この後は売れ残りの総菜と、ビールか何かを買って部屋でダラダラするのが定番なんだけど。

 少し考えて、僕は頷いた。


「どっかいい店とか知ってます? オレもこいつも、いつも安い飯屋か総菜ばっか食ってるんで」

「少し歩いてもいいなら、ぱちもん通りまで行ってみる?」

「EAT UPっすか?」

「いや」


 せっかくだから、定番は外そう。

 

「辛いものとか平気?」



 ぱちもん通りで食事という時、『EAT UP』か『大しけや』が、この街に住むヒトの第一候補に挙がる。

 味も量も文句なし、値段もお値打ちとくれば当然だ。さすがに、ギルド直営の店は一歩抜きんでていた。

 とはいえ、それ以外の店にも美味しい所はある。


「ぶえなす・のーちぇーす! いらっしゃーい、空いてるとこ座っちゃってよ」


 中肉中背の、ジャガーの模造人モックレイスが、気の抜けた笑いで出迎えた。

 エプロンには店の名前である『Santana』と、刺繍してある。

 BGMに流されているのはレゲエ、と呼ばれるジャンルらしい。この街に来て初めて知ったものの一つだ。


「そういやこの店、入ってみようとは思ってたんだよな。仲間から、うまかったって聞いてたし」

「なんか言ってたね、変な店だって」

「おっ、新顔さんか。変な店にようこそぉ」


 席数はカウンターが六卓に、四人掛けのテーブルが二組と、畳敷きの座敷に座卓が二組ある。今は、僕らを含めて八人ぐらいが入っていた。

 手渡されたメニューを見て、同行者の二人は微妙な半笑いを浮かべた。


「なにこの、『タコスっぽいの』とか『ワカモレ的アレ』って」

「『名前を言いにくいあのビールっぽいビール』? なんだこりゃ」

「だって、しょうがないじゃん。ここ、地球でもなけりゃ、使ってる食材も『それっぽいもの』だしさ」


 そう、ここは『メキシコ料理っぽい何かを出す店』だ。

 僕も始めにここに来た時は、あまりのふざけぶりに、そのまま帰ろうかと思ったほど。


「嘘ついたって言われるのもだし、それでもできる限り、アレっぽい料理とか、それっぽいお酒を用意してみたわけ。そもそも、ここって『ぱちもん通り』っしょ?」

「って言われてもオレ、メキシコ料理なんて、食ったことなかったからなあ」

「先輩のおすすめは?」


 僕は笑顔で請け負い、適当に料理を注文することにした。


「『店長の気分次第の前菜』に『タコスっぽいの』三つと『アホっぽいバカなソパ』、あとは『あのビール』三つ」

「ライム的なものは入れちゃう?」

「おねがいします」


 そのまま店長は厨房に入り、大きなボウルに山盛りになった『三角形のスナック菓子のようなもの』と、小ぶりの瓶ビールに柑橘を刺したものを三つ置いた。


「え、なんでこれ、ビンに直接刺してんの?」

「そうやって飲むとうまいの。奥まで押し込んでもいいし、そのまま飲むのもいいよぉ」

「なんというか……雑だね」


 僕らはそれぞれのビンを手にすると、軽くお尻の部分を打ち合わせた。


「おつかれさんでした! 乾杯っ!」

「おつかれ。先輩も、お疲れ様です」

「うん。二人とも、誘ってくれてありがとう」


 二人はそれぞれのやり方でビールの飲むのに奮闘し、僕はさっさとライム的なそれを、ビンに突っ込んで、軽く振ってのんびり味わった。


「二人は同居してるって聞いたけど、いつぐらいから?」

「オレとコイツ、同じぐらいの時期に来たんすよ。オレの方は、はじめっから冒険者やりたくて、掲示板にあったパーティ募集に喰いついたんすけど、こっちは、な」

「あの時は仕事もお金もなかったから、助かったよ」


 実際、この街で独り暮らしができるニンゲンはまれだ。『塔チカ』に住めるような一流冒険者ならともかく、夜露がしのげて持ち物が盗まれない住処というのは、それなりにお金がかかる。

 僕は会社から勧められたアパートがあったけど、大抵は顔見知りになったヒトたちで、ルームシェアをするのが一般的だった。


「下手に路上生活なんてすると、病気にかかったり追いはぎに合ったりするからね」

「……正直、工場の工員募集に受かれてラッキーでした。冒険者向いてないって、思い知らされてたし」


 新人君はつくづくと、ため息をついた。


「いちおう、塔の一階は回れたんですけど、二階で……すごいの見ちゃって」

「毒ガスとか酸とかのトラップが、多めの時期だったんすよね。で、その犠牲者的なもんを見たらしくて」

「もうダンジョンはいいやって。それにしばらく、肉食べられなくなったし……」


 僕は頷き、やってきた前菜を、ねぎらうように二人の前に押し出した。

 この街には、地球の異世界転生物では見ることのない『現実』が、溢れている。

 便利な魔法もチートスキルもない、傷ついても持ち前の回復力以外は、原始的レベルまで退化した医療しか利用できない。

 そして、死んでしまえば、二度目の人生もあっけなく終わりだ。


「そっちは大丈夫だったの?」

「最初はキツかったっすけど、だんだん慣れたって感じかな。何度もゲロ吐いたけど!」

「やめろよ、飯食ってる時に」

「お前だってグロ死体の話してんだろ」

「へいお客さん、そんな君らにグロいのいっちょう!」


 などと言いつつ、店長さんが湯気の上がる小ぶりの鍋をどんと置く。中身はほぐし身になった肉と、ニンニクのような香りのするスープだ。


「カッコよく言うと『牛肉入り(ソパ・デ・)ニンニクスープ(アホ・イ・バカ)、モック・ニュータウン風』だよぉ」

「おぉ、マジでニンニクっぽい匂いだ」

「にんにくが『アホ』で、牛が『バカ』でしたよね」

「それと、こっちがタコスっぽいのね。トウモロコシ粉がないから、モドキモドキ、みたいな感じになっちゃうけど」


 そう言えば、タコスを包む皮の部分は、本来ならトウモロコシの粉で作るんだっけ。

 半円にたたまれた丸い生地の中に、ぎっしりとひき肉を炒めた者が詰まっている。


「うおっ、スープもそうだけどタコスも辛ぇっ」

「ちょっと食べにくいけど、美味いね。向こうでも食べてたら、味が比べられたかも」

「きつかったらヨーグルト頼むといいよ。混ぜて食べると辛さが和らぐから」


 二人は初体験の料理にはしゃぎつつ、新たにビールを注文する。僕の方はジュースに切り替え、ゆっくりとスープをすすった。


「先輩さんは、ダンジョン行かないんすか?」

「……僕も荒事苦手でさ。一回だけ入ってみたけど、それっきりだよ」


 実際、僕の周りでもそういうヒトの方が圧倒的に多かった。職場にやってきた工員のみんなもそうだ。


『結晶ゴーレムだっけ、あれに攻撃弾かれた時、思ってたんと違うってなってさ』 


『トラップ、想像以上に殺意高かった。シリンダーロックやるようにはいかんかった』


『ドーブツっぽい見た目になったからって、野性が目覚めるわけでもないんすねー。中身がヘタレのままじゃ、戦いなんてムリムリ~』


 当たり前の話だけど、『見るとやるでは全然違う』ということだ。

 ダンジョンに潜れるヒトには、それぞれ何らかの素質があって、僕らにはそんなものはなかった、ということなんだろう。


「前に工場長から聞いたけど、街の住民の八割が戦闘以外の仕事で、残り二割が冒険者らしいんだよね」

「二割って聞くと、多いような気もするけど……」

「でも、あんまり実感ねえなぁ。塔に入る面子、フリーの奴より『甲山組』とかの方がよく見るぐらいだし」

「ああ、その二割の内の大半が『新皇』のお侍さんなんだってさ」


 奈落新皇軍は、この街の最大戦力を保有している『軍隊』だ。巨大な移動要塞を保持していて、兵士を育成して壁の外への遠征を繰り返している。


「確か千五百人くらいって聞いた。街の総人口が一万人前後だから――」

「――ああ、後は『ホライゾン』に『甲山組』と『山本工務店』、『ローンレンジャー』……はこの前潰れたけど、を入れれば、だいたいそんくらいなのか」

「あとは、パートみたいな感覚で入る、兼業のヒトたちですよね」


 僕らの異世界転生生活は『プラチナチケット』という鎖につながれている。三か月と言う猶予期間があるけど、納品できなければそこでゲームオーバーだ。

 とはいえ、塔や廃墟、あるいは獄層で戦い続ける過酷な日々を、誰もが送れるわけじゃない。

 普段は別の仕事をしつつ、必要に応じてダンジョンに入るニンゲンも、そこそこ存在していた。


「結局、兼業の方がいいのかなあ、プラチケ自力で取れるのは強いし」

「そうでもないぞ。うちのパーティにも何度かそういう奴、入れてきたけど。週一、週二のレベルじゃ、どうしても追っつかないって、やめてくし」

「トラップの仕様も、敵の配置も移り変わり激しいって聞くね」

「三階と八階が結構引っ掛かるっすね。あそこ、魔界のどっかの地形を、そのまま切り取ってるとかって話だし」


 こう聞くと、つくづく冒険者にならなくてよかったし、それ以外の仕事があることが、心底ありがたいと思える。

 僕らは新しく頼んだドリンクで、もう一度乾杯した。


「で、こいつはどうっすか。ちゃんとやれてます?」

「大分上達したよ。このままいけば、インスピリッツから声がかかるかも」

「マジで? やったじゃん!」

「そ……そうかな。それなら、いいんだけど」


 照れくさそうに笑ったウサギの新人君は、口元をすぼめて、ビンを握り締めるようにして、うつむいた。

 それから、ぽろっと、涙をこぼした。


「お、おい!? どうした、腹でも痛いのか!?」

「……な、なんか、うれしくて……こんな風に、なるとは、思ってなかったから」


 切れ切れに息を吐きだしながら、彼は心をなだめるように、語り出した。


「向こうにいた時は、仕事も無くて、どこにいっても、うまく行かなくて……それで、ここに、生まれ変わって来て」

「あんまり、思い出さない方がいいよ。あっちのことは、もう終わったことなんだから」

「それでも……欲しかったものが、手に入って、よかったなあって」


 僕はそれ以上何も言わず、彼の友達が声を掛けるのを見ていた。

 新人君の気持ちは、共感できる。この世界は、どうしようもなく過酷で、向こうでの記憶や経験に『刺される』こともあった。

 姿かたちも変わり果てて、属する世界からも切り離されて、本当なら向こうで手に入れたかったものも、たくさんあるけど。

 ここでは確かに、自分が主体で動ける世界なんだと、感じられたから。


「そろそろお開きにしようか。来週も忙しいし、しっかり休まないと」

「……はい」

「よかったらメシ、また一緒に食いましょうよ」

「そうだね」


 店を出て、そのまま僕らは、それぞれの家路をたどった。

 下宿の一階は食堂ごと閉まっているから、いつも通り裏口から鍵を使って入る。

 自室から窓の外を眺めると、煙突が暗い夜空に白煙をたなびかせていた。廃材やダンジョンからの収穫物は、この街にとって大事な素材だから、夜勤も当たり前にあった。

 そのまま眠る気にもなれず、ベッドのそばにあるナイトスタンドに、ランプを灯して適当な本を手に取った。


「誰かと一緒に住むのって、どういう感じだろうな」


 うちの下宿は一人用だから、その選択肢もないんだけど。

 そうして、いつものように眠気が来るまで、ぼんやりと過ごす。

 エントツ街での生活は、そうやって、今日も過ぎていく。

【工場通り(エントツ街)】

ハビタブル南西エリアの端にある、製造業社の集まる地域。廃ビル群を改装し、様々な工場が立ち並ぶ。ここでは安定供給が必要な加工品を多く生産しており、いくつかのギルドが共同出資で維持している。また、Pの館と提携して資材や食材を卸すことでプラチケを受領する所もある。

インスピリッツなどのギルド本部で研究されたものを、ここの工場で量産というのが、この街での製造業の流れ。

主な生産物は、鉄や合金の資材、建築用の材木、調味料、果実酒、加工食品(燻製や瓶詰や缶詰、食パンなど)。


次の更新が確定しないため、街の解像度を上げる投稿をしてみました。あんまりこういうことしてこなかったんで、物は試しです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
今回の話もとても面白かったです。 そして、とても暖かい気持ちになりました。 彼らの2度目の生が出来れば平穏であるようにと思いました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ