20、立って、そして
モック・ニュータウン、魔界の底の模造の街。
ここには本来、娯楽がない。
転生してきたニンゲンが持っていた知識や『ギフテッド』、あるいは発掘された様々な異常存在を利用して再現した、地球の娯楽で補填している。
その中で、俺がこの街で見た大きな娯楽の一つが『食事会』であり、
これから目にする『格闘試合』が、もう一つの主要な娯楽だった。
「この会場が、ここまで埋まることも、そうはないだろうな」
俺の隣に座ることになった佐川さんは、羨ましいという感情を隠しもせず、満員の観客席を眺めまわしていた。
収容人数一万人と言われる『天覧闘技場』。
すでに夜の時間になっているが、無数の結晶照明が昼同然の光量を確保している。
本来なら全席自由のそれは、前売り券制にしたにも関わらず、チケットは一瞬で完売。ダフ屋が出て、チケットをめぐって窃盗や、暴行事件さえ起こったと聞いた。
「俺がここで闘士をしていた時」
「そうだったんですか!?」
「ギルドの資金稼ぎにな。そこそこ人気は出たが、そこまでだったよ」
多分、このヒトはどこまでもレスラーでいたくて、それでも致命的にレスラーに向いてなかったんだろう。佐川さんもまた、悔悟を抱えて生きてきたんだな。
「やっぱり、スターってのは『華』がないとな。俺には、無かったが」
「文城の場合は、珍しさだと思いますけどね」
「ふみっちぃ……」
俺の手前の座席に陣取った柑奈は、この世の終わりみたいな顔をして、愛しいヒトの名前を呼んでいた。
「あー、もう。いい加減覚悟を決めろ! 文城がどうなっていようと、愛するって決めたんだろ?」
「うああああああああ、いわないでぇっ」
あっという間に擬態が解けて、暗い色になったエメラルドのカメラアイが、しょぼしょぼとした光を漏らす。
「三か月だよ!? 三か月もの間、陰険クソオヤジにいびられパラダイスだよおっ!? ふみっち、きっとガリッガリに痩せてるよおおおっ!」
「大丈夫だって。孝人の運んでたの、大半が食糧だったんだろ?」
反対に、柑奈の隣に座った紡は、これから始まる試合に対してワクワクテカテカ、尻尾ぶん回しパラダイスだった。
「たぶん、すっげーカッコよくなってると思う! ネコって言うより、黒ヒョウみたいな細マッチョって感じでさー」
「ぎゃーっ! やめてぇえ! ふみっち魅惑のもちもちぽんぽんが、永遠に失われるなんて、いやだあああああっ!」
この三か月の間、ずっとこれだからな。ホンット、このデブケモ好きめが。
「いや神崎君。さすがにそれはないと思うよ。三か月で調整するなら、むしろ脂肪を適度に残す感じで、筋肉質かつ、腹回りに肉を付けている方が」
「おっさん体型のふみっちとか、解釈違いですっ!」
「……総合格闘系のアスリートとしては、そこそこ理想の体型なんだが……」
「だいたい、最後のお別れができなかったの、リーダーのせいだかんね!」
そして、この話題でねちねちねちねち、愚痴やら罵声やらを浴びせられるのが、この三か月の日課でもあった。
「じゃあ、お前があの場にいて、文城の決心を尊重してやれたか?」
「そ……それはぁ、その」
「俺たちと一緒にいるため、変わろうとした文城を、邪魔しないでいられたか?」
「ぐぅ……っ」
高速演算による過負荷で、フリーズする柑奈にため息をついたところで、乙女さんたちが、ドリンクやら軽食やらを手にやってきた。
「試合、まだよね? 始まってないわよね?」
「ボディチェックや身支度に、もう少しかかりますよ。それに、開始自体は選手のタイミングに任されていますから」
さすがに慣れたもんで、佐川さんが冷静に状況を解説する。
乙女さんの後ろから、柚木、明菜さん、氷橋、そして、古郷が現れた。
柚木と明菜さんは、俺たちの背中側で乙女さんと一緒に座る。
氷橋と古郷は、佐川さんの隣だ。
「そういえば、いつの間に古郷を?」
「色々あったんだ。今は俺の手伝いをしてもらっている」
以前とは違って、古郷は佐川さんに寄り添い、行儀良く座っていた。反対に氷橋は上機嫌で、背中によじ登って、彼の頭の上を占有する。
本当に、色々ありすぎだろ!
「これが終わったら、話を聞かせてください」
「ああ」
もしかしたらこのヒト、荒事よりも保育とか福祉とか、そっちの業務が向いてるんじゃないかなぁ。
やりたいことと、やれることのミスマッチって、悲しいなあ。
「そろそろだな。大川さんたちが入ってきた」
「あ、ホントだ。瞳や北斗もか。さすがにギルドマスターたちはあっち側……おっと」
「いいんだ。俺は、こっちがいい」
こっち「が」、ね。
俺は礼儀正しく彼の恋情を無視して、貴賓席に座る大川さんや瞳たちを見た。
あっちは畳敷きのくつろぎ空間で、俺たちも招待はされていた。とはいえ、今回の一件で俺たちは目立ちすぎているし、ここで特別感が出るのもマズイ。
なにより、乙女さんが遠慮してしまったので、一般客として入ってきたわけだ。
『長らくお待たせいたしました。ただいまより、本日のメインイベント。磨平周対福山文城の試合を、開催いたします!』
その途端、会場が一斉に湧いて、音の波が大気を震わせた。
興奮した人々が、砂地の闘技場を指さし、叫ぶわ吼えるわさえずるわで、えらいことになっている。
「み、耳がいてぇ……自分たちだって感度あがってるだろうにっ!」
「す……すみません、私、雰囲気に酔いそうですっ」
柑奈の隣にいた、しおりちゃんが悲鳴を上げる。そういや、会場に来てる模造人には、鳥系の姿はあまりなかった。
体の小さい組には、結構負担だろう。と思ったら、佐川さんはちゃんと、氷橋と古郷を背中にかばっている。
『それでは、大川大瓜氏よりお言葉を頂戴したいと思います。皆様、ご静粛に願います』
騒ぎが次第に静まり、貴賓席の上に設けられた演壇に、クマの姿が現れる。
今回はきちんと警備のヒトが配置されていて、狙撃や暗殺対策がとられていた。
「ヒトの法無き、魔界の底にて。法と呼べるものがあるとするならば、それは『暴力』であろう」
その原始的な理を、堂々と述べる。
「暴力とはすなわち、権力である。それを持つ『強者』は他者を圧し、己を利し、自らの栄華を誇るものだ。しかし」
彼は間を置き、視線を遠くに投げた。
「『暴力』とは、それを振るう『強者』に、無謬にして不壊の『特権』を付与するものでは、断じてない。時、所、あるいは不可知の要因をして、あっけなく覆るものでもある」
大川氏は、よく通る声で、断じた。
「この魔界においても、その理は絶対。世に『弱肉強食』などは無し、あるのはただ『適者生存』。強き者ではなく、適したものが生き残るのである!」
なるほど、そう来たか。
弱者の文城と、強者の磨平。
どちらが強いかは明らかでも、生き残るのは、この試合に『適応』出来た奴ってな。
『この場に集いし諸人よ。刮目して見よ、二人の闘士、いずれが適者と成るかを!』
ふたたび拍手が沸き起こる。
とはいえ、俺は彼の演説に苦笑してしまった。
あれってつまり、自分のことも当てはまるよな? ギルドマスターにして、武力もある自分の『暴力という権力』も、盤石じゃないって。
「まあ、殿様の論法だよな。腕っぷしだけじゃなく、たっぷりと資金と人材も持ってるからこそ言える、一種の諧謔って奴だ」
いつもの着流しに戻ったコウヤが、わざわざ俺と佐川さんの間に割り込んで座る。
「とはいえ、所詮この世は弱肉強食、なんて言わないあたり、弁えてるとは思うがね」
「出やがったね諸悪の根源」
鬼の形相で振り返った柑奈が、腰に手を伸ばす。コウヤは笑って降参のポーズを、
「二本差し捨てて、手を後頭部で組んでひざまずけ。当然、顔面は地面とキスしろ」
「完全武装解除しろってか!? 俺、そんなに悪い事」
「ふみっちの意志は尊重する。それはそれとして、お前を殺す」
「ちょっと孝人さぁん!? このメイドさん、躾どうなってんですかねぇ!?」
ひと悶着あったが、何とか状況を収めると、赤い竜は咥え煙管で闘技場を見渡す。
「磨平の三か月の行動を洗うのに、ちょいと手間がかかってな。元手下の連中を再逮捕したり、闘技場の罠を解除したりでよ」
「だから牢屋につないどけってんだよ。あんなチンピラが、まともに仕合なんてしてくるわけないだろ」
「まあ、そうだよなぁ。ほんと、困った奴だよ」
へらへら笑ってるけど、こいつはこいつで、それを想定して動いてたわけか。
「悪党は悪党を知る、と」
「人聞き悪いこと言うなっ! 磨平に比べたら、俺なんて聖人君子だぜ!?」
「ギルティ、以上」
「磨平とは違うけど、いいヒトってのも違うかなぁ」
「ノーコメントです」
「クソァ! これだから最近の若いのはイヤなんだよ!」
そんなコメディを楽しんでいる間に、闘技場が最後の一均しを終えて、係員たちが退場していく。
そして、
『選手入場――西ゲート、無所属、磨平周!』
あえてローンレンジャーの名に触れないことで、佐川さんは複雑な表情になった。
彼にとって、磨平と共に『団体』の名前がアナウンスされるのと、どちらがよかったんだろうか。
入場口のゲートが開かれ、のしのしと中央に進み出る磨平。
ドレッドロックの鬣にサングラス。黒い革ジャンとズボン、そしてブーツ。
本人の希望で、あの格好で戦いに臨むらしい。
少なくないブーイングが上がる中、奴は中指を立てた後、親指で首を掻ききる仕草をかまして見せた。
「皮肉なもんだ。あそこまで悪玉役が様になっちまうとは」
「そんで、文城は善玉役か? これまた二重の皮肉だ」
『続いて東ゲート、ギルド『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』代表、福山文城!』
場内が、水を打ったように静まり返る。
ゲートが開き、誰かが奥から進み出てくる。
俺たちは、三カ月ぶりの文城を見て――驚愕した。
「ま――」
信じられない、だが、こう言うしかなかった。
『まったく、変わってねええええええええええええええええっ!?』
まん丸ぽってりの顎のラインに、たっぷりとした腹回り。
身に着けたのが、特注らしいカンフースタイルになっているのは別として、帯の上にのっしりと乗っかる脂肪も、ほとんど変わらない。
むしろ、
「ち、ちょっと、ボリュームアップ、してる?」
「小倉君、おそらくそれは筋肉や衣装のせいだろう……ですよね?」
「だっはっはっはっは、どっきり大成功!」
上機嫌で大笑いするコウヤと、あきれ果てた顔で睨みつける一同。
いや、たった一人だけが、違うリアクションを見せた。
「でかした! このろくでなしぐうたらヒモパラダイス用心棒!」
「褒めるならちゃんと褒めて! 掌ドリル過ぎだぞ、メイドロボ!」
「いやあ、良かったぁ! ふみっちのもちぽんこそ世界のレガシー! 失われてたら貴様の命で贖うディスティニー! これで過去の行いノットギルティ!」
そんなヘタクソライムで祝うほど、嬉しかったんだね、柑奈ちゃん。
君の性癖に乾杯、あるいは完敗したいけど、それどころじゃないんだよ!
「どういうことだアレェ!? あんだけ大見得切って、過去の文城と決別とかどうとか言ってなかったかぁ!?」
「バカだなぁ、孝人くんは。たった三ヶ月で、ヒトが仰天チェンジするとか、ないわー。漫画やアニメじゃないんだからさぁ」
「正論んんんんんっ! でも今は、そういうの要らないんだってばぁ!」
会場のみなさんも、おおむね俺と同じ意見だったらしい。
ざわつき、笑い、驚き、悲鳴を上げて地面を爬行する奴らがいる。たぶん、文城の勝ちに掛けた奴らだろう。
なにより、対戦相手の磨平は、腹を抱えて笑っていた。
「ほら、磨平のバカにもウケてるぞ? あのまま笑い死にしねーかな」
「するかアホぉ! ってか、あのメチャクチャ激しい修行」
すっと、俺の口が塞がれ、凍るような竜の視線が、突き刺さった。
「後は黙って、観戦しとけ。いいな?」
俺たちの狂騒をよそに、姿勢を戻した磨平を前にして、静かにたたずむ文城。
その目に、以前のような緩みは、ない。
誰だ、あれは。
あんな文城は、知らない。
「両者、開始位置へ!」
レフリーの声で、二人は歩み寄る。
どちらもグラブはなく、防具らしいものもない。完全な真剣勝負。
「なんだその面ァ、テメエがニラんだって、こわかねえんだよ、ええ?」
ニタニタと笑いながら、磨平は顎を上げて文城を見下ろす。両手はポケットに突っこんだまま。
「あいかわらず、ブクブクたるんだ腹しやがって。イッショーケンメー、ケンポーごっこしてたんじゃねえのかよ?」
「磨平、手を出せ! 試合前の私語は」
注意をしたレフリーの顔が弾け、あっという間に文城の目前へ、ライオンの模造人が殺到する。
太い槍のような蹴りの一撃が、文城の腹を貫いて、蹴り飛ばしていた。
「っせえな。カンケーねえ奴は失せろボケ」
鼻血を出しながら、レフリーが下がりつつ片手を挙げ、ゴングが鳴り響く。
片膝を突いた文城に、弧を描く磨平の回し蹴りが、振り落とされた。
「……っぐ!」
「ったく、くだらねえなぁ、テメエらはよぉっ!」
耳に痛い、肉を打ち付ける音。左右から襲い掛かる回し蹴りに対して、片膝立ちになりながら両腕を脇に張って、文城が必死にガードを固める。
と、思った瞬間、
ごきん。
「が……っ!」
踵の蹴り上げで文城の顎が跳ねあがり、そのまま荒々しく胸に振り落とされる。
その軌道がわずかにずれて、腹にぶち当たり、くの字に折れたまま、必死にネコの体が下がろうとする。
「カスが!」
追いすがる右の回し蹴り。上げたガードごと蹴りつぶし、さらに文城を痛めつける。
嵐のような蹴りが、防戦一方で立つことも出来ない、太ったネコをなぶっていた。
「ま、こんなもんだろ」
その全てを眺めて、コウヤは冷めた目で試合を評した。
「お、お前!?」
「もう少し、面白い展開になるかもと思ったが、呆れたな。見る価値もねえよ」
「ちょっとおっさん!」
怒りに緑の目を燃え立たせた柑奈が、怒気をほとばしらせる。
「あんたは、文城を勝たせるために、修行をしてたんじゃないの!?」
「何の話だ?」
「ふざけないでよ! このままじゃ文城は」
「俺が頼まれたのは、強くなる方法を教えることだ、勝つことじゃない」
「そんな詭弁を――」
「神崎君」
燃えるような熱さになった柑奈の肌に、分厚いオーガの手が触れる。
厳つい格闘家の男は、自らの手がやけどするのも構わず、穏やかな表情で、闘技場の全てを食い入るように、見つめている。
「見ているといい。いや、一瞬でも目を離しては、もったいないよ」
それまで、ざわついていた観客たちが、声を失っていく。
次第に、蹴りを打つ間隔が長くなる。
一発一発の音は大きいが、嵐が過ぎ去るように、勢いを失っていく。
「っこの、クソデブがぁっ!」
何度目かの、振り下ろす軌道の蹴りが、はじめて、かわされた。
そしてゆっくりと、文城が立ち上がる。
掌を下にした状態で左腕を伸ばし、指先を磨平に向けて構える。
右腕はその下、左肘の内側に右の指先を添えるように。
この試合で始めて見せた、立ち向かう姿。
「そうだ文城」
コウヤは笑い、告げた。
「立って、そして――戦え」