19、オールドファッションド
モック・ニュータウンには、三つの生活圏が存在する。
比較的、安全な生活が約束された『ハビタブル』
四方の獄層崩落に巻き込まれる可能性を持つ『ハザード』
そして、魔界と街を仕切る壁にほど近い、無人のエリア『ボーダー』。
「おーい! コウヤ―!」
南に広がる『森』を越えて、南門にほど近い所に広がった、荒れ地。
そこに、見事な竹林が出現していた。
しおりちゃんの『硬装竹』によって生み出されたそれに囲われて、一件の小屋が建てられている。
プレハブ建築ではなく、そこそこきちんとした建屋で、窓は付いているが厚いカーテンが掛けられている。
「お、来たな。ご苦労さん」
「あー、しんどかった」
小屋から出てきた赤い竜の男は、いつもの着流しではなく、武侠小説に出てきそうな中華風の衣装を着けていた。
俺は背負った荷物を足元に置き、一息つく。
中身は食料や酒類、コウヤは専用のポーターを雇わず、俺をその役割に据えていた。
「注文の品、受領しましたよっと。んじゃ、おつかれ」
「何度目だこのやりとり。渋ってんじゃねえよ、ほら」
「こんなことなら、佐川にでも頼むんだったぜ。ったく」
本気で嫌そうな顔をしつつ、コウヤは壁に立てかけられていた、長い棒を手に取る。
俺も背中に刺しておいた棒を引き抜き、両手で構えた。
互いの棒の先端を合わせて、交差させる。
「じゃ、まずは」
棒の先端が、わずかな動きで、俺の棒を押しのけようと動く。
応じて、俺の棒が下回りの半円を描いて、弾こうとした方向へ、相手の棒を弾き、
ぱしんっ!
「っく!」
「見え透いてんだよ」
手に強烈な痺れ。
コウヤの棒が、弾こうとしていた俺の棒を、さらに回り込んで弾いていた。
それでもなんとか、取り落さずに構えを取り続ける。
「手首が固い、起こりが見え見えだ。棍に限らず、武器を使う時は、瞬間的な握力を意識しろ。緩めて締めるだ」
「……っす」
ふたたび開始位置に『棍』を合わせる。
今度は、コウヤの一撃が、俺の胸元にするっと伸びてくる。
俺は相手の棍にかぶせるように、左回転の円を描くきつつ、弾きとば――
「っぐ!」
みぞおちに強烈な衝撃。俺の回転を抑えるように、同方向にねじり込んだコウヤの一撃が、突き刺さっていた。
それでも、手にした武器は離さない。
「技を技で返そうとするな。高級な戦闘方法は、攻撃と防御を分けて考えない。防御にならない攻撃はなく、攻撃にならない防御はない。そういう意識を保て」
俺は大きく息をついて、構え直す。
たったこれだけのやり取りで、すでに息が上がりつつある。
それでも、始めの頃よりはまだましだ。
『俺にも、教えてくれないか。武術って奴』
コウヤに呼びつけられて、はじめてここに来た時。
『お前はパーティリーダーだろ』
『だからこそだ。こんなネズミがこざかしく生きるためには、なんでもやるしかない』
『俺以外にも、武術の心得のあるやつはいるぞ』
『でも、俺を強くできるのは、きっとお前だけだ。だから、頼む』
その時の顔を、俺は生きている限り忘れないだろう。
心底嫌そうでありながら、どこか嬉しそうな笑いを。
『ホント、お前は兄貴そっくりだよ』
がつんっ!
脳を揺らす一撃がぶち当たり、めまいとしびれが全身を駆け巡る。
膝から力が抜けて、とうとう俺は武器を手放していた。
「ほい、今日のご指導は、これでおしまい」
「あ……ありがとう、ございました」
さすがに、そのまま小屋に帰るような真似はせず、コウヤは煙管を取り出して、据え付けの長椅子に座って、一服を始めていた。
「ムーランの方は、どうだ?」
「平穏無事だよ。警備についたお侍さんが、ちょっと威圧感あり過ぎだけど」
「そういや、佐川の奴、裏に越してきたんだって?」
「向こう三軒両隣に、引っ越しの挨拶配ってた。メチャクチャ気遣いのヒトじゃん」
「レスラーってのは大抵、そういうもんなんだよ。イベンターなんて、対外交渉が出来てナンボだからな」
めまいが収まると、俺は立ち上がった。
「それじゃ、また明日な」
「ああ」
竜が巣に帰る。
そして、
「おら、へたばってねえで起きろ!」
俺は唾を飲み込み、振り返らずに、走り出す。
薄い壁を通して、俺の時よりも激しく争う音が、響いてきた。
「足を引きずるな! 重心を偏らすな! 薄紙一枚の隙間を忘れんな!」
そして、重くて大きな何かが、地面に叩きつけられる。
文城がここに籠ってから、二か月が過ぎた。
その間、文城はほとんど休む暇もなく、コウヤの指導を受け続けていた。
休めるのは寝る時と、俺に指導を付ける時だけ。
俺の戦力強化と、せめてその間だけ、文城に休みを取らせること。
これが今の俺にできる、精いっぱいの手助けだ。
(あと、一月とちょっとか)
そんな短時間で、どうにかなるものなのか。
沸き起こる疑念をかみつぶして、俺は日常へ逃げ戻っていく。
コウヤとの修行には、二つの約束がある。
一つは、指導を受けている間、決して武器を取り落さないこと。
取り落せば、その日の修業は終わり。
二つは、絶対に文城に話しかけないこと。
破れば二度と、指導はされない。
一手教わるたびに俺の体は痛めつけられ、あっという間に打撲と擦り傷で、毛皮も皮膚も、ボロボロになった。
『棍が動く時、腕や足、関節から動かすな。脳天から股間を貫く軸を意識して、それを中心に、体自体が回転するイメージでだ』
両肩と両ひざが、鮮やかな連突きで痛めつけられる。
だらしなく地面に転がって、指導終わり。
『攻撃を捌く時は、傾斜を使え。無理に押し返すんじゃなく、相手の攻撃を、お前の棍っていう『レール』に乗せて、脱線させてやるんだ』
強烈な脳天への一撃で、目から火花が出る。
思わず棍を取り落す。指導終わり。
『攻め気が強すぎる! フィジカルのないお前が、紡みたいな真似すんな! もう一度、基礎からやり直してこい!』
突きかかろうとした瞬間、棍ごと引き倒されて地面を舐めた。
たった一分で、指導終わり。
それは、徒労にも思える日々だった。
練習時間は、短ければ秒で、長くても五分。ときおり、こっちのダメージがひどい時は雑談しながら様子を見てくるが、大抵はそのまま小屋へ戻ってしまう。
俺は店に帰りながら、教わったことをメモに取って、帰りがけに棒を振って練習を繰り返した。
最初は羨ましがっていた紡も、やがて真剣な顔で練習に没頭するようになり、紡のテント前で、一緒に戦闘訓練をするようになった。
「相変わらず、文城とは話せてないのか」
「っく……ああ、ちょっと、待って……息が……っはぁ~……」
コウヤのそれとは違い、紡の剣は縦横無尽で奔放だ。習った技術を生かそうにも、ついて行くのが精いっぱい。
紡は師匠とは違って、いくらでも付き合ってくれるが、こっちが三十分も持たずに疲れ果ててしまう。
「迷いを起させないため、だってさ。俺が来てるのは知ってるって」
「それにしても、孝人もだいぶ動けるようになったなあ」
「お前には、全然敵わないけどな」
「いや……それはそうなんだけど」
そこは、ちょっとは否定してくれよ。
こっちの不満顔に白い狼は笑い、眉間にしわを寄せつつ、意見を修正した。
「五階のゴーレムいるじゃん」
「ああ、毎度出オチ感でやられる」
「あいつよりは、今の孝人は強いぞ」
「単純反応のエネミーより強い、って言われてもなぁ」
「あいつの代わりに、孝人が五人いたら、俺はちょっと警戒する」
なるほど、そういう事か。
倒せる相手だが、簡単には倒せない相手ってわけだ。
「じゃあ、その警戒が引きあがるように頑張るか」
「いいよなあ、孝人も文城も。師匠に丁寧に教えてもらってさあ」
「ハハッ」
渇いた笑いで会話を打ち切ると、俺は教えられたとおりの基礎練習を始める。
その隣で、白い狼も練習を再開した。
基礎体力の増強、反復練習、対人訓練。
まさに昔ながらのやり方の修業を、俺たちは重ねていった。
「お前への指導は、今日で最後だ」
それは、最後の二週間の頭。
互いの棍を重ねるのと同時に、投げられる言葉。
カ、カカッ!
瞬間的に三度、互いの一撃が交錯し、俺は再び棍を構え直す。
こっちの動揺を狙うとか、油断も隙も無い。
「文城にとっては、ここからが正念場だ。ちんたら休んでる暇はない」
今度は大気をねじり込むような一撃。俺は棍を斜めに立てかけ、脇にすり抜けていく攻撃を、上からかぶせるようにして抑え、
「しっ!」
鮮やかに引き戻されていく棍が、一瞬で突きに変わる。
俺は下げていた左足を前に進めつつ、右半身を守るように棍を立て、反れた一撃を抑えつつ、突いた。
ぱしんっ。
コウヤの体に当たるはずだったそれは、あっという間に戻っていた相手の武器に、完全に止められていた。
「とりあえず、基礎はこんなもんだろ。あとは実戦で身に着けてけ」
「ありがとう……師匠」
「やめろ。そういうのは嫌いだっつったろうが」
「それにしても、こんなのどこで覚えたんだよ。剣術以外に武術までとか」
意外なことに、俺の軽口を受けて、コウヤは笑って一服の姿勢を取った。
そうか、これが文城にとって、『最後の休憩時間』か。
「世間の連中は勘違いしがちだが、武器術と格闘術は二つで一つ。徒手の理合いの延長に武器があり、武器によって徒手の理合いの深奥を探るんだ」
「これっていわゆる中国武術ってやつだろ? お前の剣は日本のじゃないのか?」
「ああ、これ?」
赤い竜は、とても爽やかな笑みで告げた。
「後輩から盗んだ」
「……は?」
「俺の大学の後輩に面白い奴がいてよ。仕事を辞めて台湾で拝師までして、功を練ってたやつがいたんだ。真面目だったけど、才能はいまいちでなー」
懐かしげに語るのは、ろくでなしのとんでもない悪行。
「日本に帰って来た時、そいつにしこたま飲ませて、礼代わりに『秘伝を見せてくれ』って言った。んで、夜の運動公園で、教わった流儀の秘伝をみせてくれたんだわ」
「ま、まさか……」
「そいつが寝た後、一晩中しっかり、体に染み込まさせてもらったよ。んで、俺の動きを見てそいつ、真っ青になってさぁ」
お得意の声帯模写で、ろくでなしはその時の状況を語った。
「『なっ、なにやってんすか先輩!? それ、うちの……っ』」
「『秘伝だか絶招だかしらねーけど、知識はみんなで共有してこそだろ?』」
「『こ、こんなこと、師父や師兄たちに知られたら、俺、殺されますっ!』」
「『だいじょーぶ。黙っときゃわかりゃしねえって』」
「『勘弁してくださいよぉっ』」
俺は瞑目し、その後輩さんの無事と幸福を祈った。
名も知らぬ後輩さん、安心してくれ。このろくでなし、こうして地獄に堕ちてるから、もう迷惑かけることもないぞ。
「破門された自分は師匠になれないとか、実家に不義理はできないとか、どの口でほざくんだか」
「だからこうして、剣術以外を教えてんじゃん」
「……最低だ、お前って」
「安心しろ。お前ら以外には、この術理は誰にも見せてない。剣の足しにはさせてもらったがな。クレームが来たら、俺の首を差し出してやるよ」
ぴしゃり、と自分の首を叩いて、コウヤは笑った。
「で、その後輩さんは?」
「こっちに来る前、会ってそれっきりだ。だいぶ見違えててな。二度ばかり、命のやり取りをしたとか聞いた」
「類友かよ」
「折角、一皮むけたと思ったんだが。もう満足です、とか言いやがって。実家に引っ込んで、武術教室を開くんだとさ」
どこか寂しそうな顔で、赤い竜はしみじみと、煙を吐いた。
それから煙管を始末して、立ち上がる。
「もう配送は必要ない。当日の引率も手配済みだ。お前らは、会場で待ってろ」
「……っ」
その名を、呼びそうになった。
あと少しで、すべてを台無しにする寸前、俺は踏みとどまった。
いつもみたいに、話をして、悩みを聞いて、大丈夫だと言ってやりたかった。
でも、今はダメだ。
「気を付けて帰れよ」
「ああ。またな」
俺が背を向けると、小屋の扉は静かにしまった。
ほぼ同時に、大地を割るような踏み込みの音。激しくぶつかり、弾けるやり取りの応酬が耳朶を穿つ。
前よりも、長く続くその攻防を、俺は立ち尽くして聞いていた。
「とっとと帰れ! 修行の邪魔だ!」
コウヤの怒りが俺を撃つ。
そして今度こそ、背を向けて立ち去った。