11、おせっかい焼きの帰還
『食事会』の三日前。
P館北前通りは、お祭りの準備で沸き立っていた。
通りの至る所に金属のフレームが建てられ、色とりどりの結晶ランプが下げられる。
食料品店は屋台村の準備を始め、それ以外の店はシャッターや戸締りをして、大きな木の板を立て掛けた。
「うへへへへ! うち、描きたい放題ー!」
普段以上のハイテンションで、ヤギの模造人が大筆を振り回し、名画のパスティーシュを描いていく。
事前に打ち合わせていたおかげで、今回は比較的無難な、北斎の東海道五十三次を描かせることに成功した。
「『スラヴ叙事詩』を描くとか言い始めた時は、さすがに頭を抱えたけどなぁ。って文城にはわかんないか」
「うん……」
生返事する相棒の顔は、沈みがちだ。
それでも俺はあえて、文城を外に連れ出して、仕事を見せることを選んでいた。
氷橋の方は今朝方、『医院』に入れると、乙女さんが言っていた。
『三根先生に頼んでくるわ。帰りは明日になるから、後はお願いね』
この街にもちゃんとした医療機関があるらしく、それが三根先生とやらの『医院』と聞いた。乙女さんが頼りにするんだから、問題はないだろう。
そうやって、次第に会場ができていく様子を眺める俺たちの所に、鷹の模造人が歩み寄ってきた。
「小倉君、現場監督お疲れ様です」
「山本さんもお疲れ様です。屋台村の方はどうですか?」
「ここまでの規模は久しぶりですからね。予定よりも建築資材が不足しています」
「南に切り出しに行きますか?」
山本さんは首を振り、虚空に簡単なテントの像を描いた。
「この前、【驚天】を整備したときに使った櫓の資材を、『インスピリッツ』から借りることにしました。大丈夫です、これ以上の出費は必要ありませんよ」
「さっすがー。こっちも赤を出さないで済むんで、ありがたいっすー」
「……そういえば、福山君」
「は、はい!?」
いきなり話を振られて、ネコは丸い顔を上げて山本さんを見つめた。
「昨日は頑張りましたね。四段目まで登攀できていたの、見ましたよ」
「おおー。妙にばててたと思ったら、そうだったんだ。すげーぞ!」
「う……うん。でも、鈴来ちゃんは屋根の上でジャンプしてたけど……」
あのバカ娘、そういうとこやぞっ。
俺はしょんぼりした文城の腰を、軽く叩いた。
「まあ、ああいう例外は脇に置くとしてもだ。そういう良かったことも、ちゃんと報告してくれよな」
「……うん」
「『食事会』終わったら、また一緒に練習しようぜ」
そこでようやく、文城は顔を緩ませた。
氷橋の境涯について、俺たちにできることは何もない。それなら、自分たちのできることを、精いっぱいやるしかないんだ。
「とはいえ、ここまで来ると、あとは現場の皆さんの頑張り次第か」
「もう、僕たちができることは、ない?」
「いや……文城にはあるな。作業員みんなの弁当、出してくれるか?」
文城の了解を取ると、俺はその辺りを見回し、設営の終わった屋台の一角に近づいた。
「すみません。ここを少しだけ貸してもらえます?」
「ああ。なんに使うんだ?」
背の高いイタチの男性の前に、文城を押し出す。
「みんなの弁当を置くのに使わせてほしいんです。もちろん謝礼はお支払いしますよ」
「例の弁当か。そんなら俺にもひとつくれよ。それならいいぜ」
「それじゃ文城、よろしく頼む」
「うん!」
あとは、作業しているみんなに、このことを告知して――。
「すみません、あんた小倉さん?」
見慣れないハリネズミが、手にした紙きれを差し出してくる。
おそらく『メッセンジャー』、てなもんやが運営している、飛脚業のヒトだ。
「そうですけど、俺に何か連絡が?」
「ええ。柚木さんってヒトから頼まれましてね。こいつを」
なんだろう。
開いてみると、そこには短く、こう書かれていた。
『済まなかった。『食事会』のことで、伝えたいことがある。店の裏の備品置き場で待っている』
「これはどこで?」
「『ムーラン』の裏の雑居ビル前ですけど、大事なことだから、なる早でって」
ったく、プライドの高い男はめんどくさいぜ。
とはいえ、氷橋の件もあるし、歩み寄ってくれる気になったのはありがたい。
「ごめん文城、ちょっと出かけてくる」
「どこ行くの?」
「店の裏だよ。そんな時間かからないと思うから、弁当配り始めちゃってくれ」
俺は店の脇の狭い道を抜けて、裏通りに入った。
裏のビルと言えば、一時的に会場で使うテーブルとか置かせてもらったとこだよな。
表通りの喧騒が遠ざかり、冷えた空気が漂っている。
この辺りは、転生者じゃない原住模造人も住んでいて、俺が文城と出会ったのも――。
「っ!?」
首筋の毛が、そそ毛だった。
強烈な危険信号が俺の体を反射的に振り向かせ、
「っが、あっ!?」
強烈な衝撃が、体の自由と意識を、奪い取っていった。
ぱちん、なにかが弾ける音がする。
ぱちん、それは俺のすぐそばで破裂する。
ばちん!
「うぐううっ!?」
それは、顔を殴られる痛み。頬の内側に、あふれ出す血の味が、事態の深刻さを物語っていた。
いったん気絶させられ、その後、わざわざ起こすために、俺を殴ったんだ。
そう言えば、さっきから視界が暗い。
と言うより、目隠しで光を閉ざされてしまっていた。
いったい誰が、そう思いかけて、さっきのメッセージを思い出す。
「ゆ、柚木か!? まさかお前、俺を」
どすっ、という衝撃が、俺の体を浮き上がらせる。
堅くて重い、おそらくはブーツか何かの一撃。
「ぐっ、は」
蹴りの主は、再び俺を、蹴った。
「ひぐっ!?」
ねじ込まれるつま先から、鈍痛が内臓に満ちわたる。
こいつは柚木じゃない。たぶん俺よりも、はるかに高身長の奴だ。とにかく、何とかしてここから逃げ――。
めしりっ。
「っが!? あっ、あ、あああっ!」
右手に突き刺さる、一撃。もろいネズミの骨が、ぱきぱきと音を立ててへし折れる。
そいつは執拗に、踏みにじり、ひねりを加えて俺を痛めつけた。
「っが、あ、あああああああああ!」
相手の興奮した、荒い息遣いが響く。それでもそいつは声を上げない。自分が誰なのかを悟らせないために。
それにしても、マジいてえっ。しかも骨が折れて、指の感覚が、痺れたようになってしまっている。
いったい誰だ、俺に恨みを持ってる奴って。
バイトの子たち? それとも柚木がならず者を雇ったとか?
それとも『食事会』が成功すると、困る連中でもいるのか?
どすっ!
「ぐへえっ!」
真っ暗闇の中で、執拗に突き刺さるつま先。腹の中が痛みでいっぱいになって、口から胃液が漏れだす。
「お、ごお、おおっ」
見下ろしてくる誰かは、俺の姿を見て、鼻で笑った。
それから、渾身の力でもって、俺の体を蹴り飛ばした。
「お、がはあっ!?」
壁に叩きつけられ、脳が激しく揺れて、吐き気が止まらなくなる。めまいと痛みが、全身を駆け巡る。
もう、ダメだ。俺はこのまま、こいつに――。
『おにいさーん? どこいったー? うち、仕事終わったぞー!』
能天気な鈴来の声が、耳に届く。
襲撃者は素早く、足音さえ立てずに、この場から立ち去っていく。
助かったのか。
鈴来が通りかからなかったら、俺は本当に。
「お、おにいさん!? どうした、この血!? しっかりしろ!」
乱暴に揺さぶられて、気分が悪くなる。
頼むよ鈴来、
「もう、すこし、ていねい、に」
言えたのは、そこまでだった。痛みと吐き気が耐えられないほどに膨れ上がり、俺の心は暗くて、深い闇の世界に、どこまでも落ちていく――。
「――とまあ、覚えてられたのはここまでか」
俺を囲む心配そうな連中に、俺はどうにか、筋道の立つ説明をしてみせた。
そのまま、たっぷりと綿の詰まった、清潔なベッドに横たわる。
ここは街の南東エリア、ぱちもん通り商店街から南に少し外れたところにある『三根医院』の病室だ。
俺は全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、砕けた手の方もギプスを当てられている。
「なによそれ……まさか柚木の奴、そこまで恨んでたっていうの?」
付き合いのそこそこ長い柑奈は、腕組みをして考え込んでいる。まあ俺も、柚木がやったとはちょっと思いにくい。
「てか、孝人もギルドの偉い人になったんだからさ。護衛もなしとか、やめたほうがいいんじゃねえか?」
そんな大げさなもんじゃない、と言いたいところだけど、紡の言う通りかも。
「幸い、手の方は後遺症もなく治療はできそうです。しばらくは安静が必要ですけど」
しおりちゃんのお墨付きがあれば、安心して療養できそうだ。正直、手が壊れてたら、解除屋も引退しなきゃならないところだったし。
「ごめんね、孝人。僕、全然気づかなくて」
しょんぼり顔の文城に、俺は意思表示をしようとして、痛みに硬直してしまう。
あの襲撃者の野郎、まんべんなく痛めつけてくれやがって。
「ともかく、今日から絶対安静よ。あとは私たちが引き受けるから」
氷橋の件で病院に詰めていた乙女さんが、複雑そうな顔で告げる。彼女にしてみれば、この十日の間に、心労が積み増しだからなあ。
「とはいえ、当日の仕切りはどうします? 乙女さんはホスト役だし、柑奈は明菜さんと一緒にサービスにかかり切り。紡は配送の裏方があるし」
「そこまでヒトがいるなら、仕切りはいらないんじゃない?」
「それぞれの仕事の状況を把握して、フォローを入れる係なんだよ。クレームやアクシデントに対応する役がいないと、作業の質が落ちるから」
俺は文城に視線を走らせ、大げさに首を振る姿に苦笑する。一応、俺のやり方は見せたけど、いきなりは無理だよな。
となると、だ。
「鈴来、来てくれ」
「へへへーい。おにいさん、うちだけ外に締め出し、すごくさびしい」
「今は、いきなり抱き着かれると死んじゃうから。その癖さえなければ、追い出したりしないっつの」
助けてもらってなんだけど、ヤギの愛情表現はボロボロのネズミにはキツいしな。
俺は深呼吸を一つして、お願いを口にした。
「柚木、さんを探してきてくれ。できそうか?」
「うへへ、いいけど、なんでうち?」
「紡と組んで陸と空から、しらみつぶしで頼む」
「探し出して、ボコボコ腹いせパラダイス?」
「違うよ」
俺はほっと息をついて、布団に身を預けた。
「事実関係をはっきりさせて、うまく行けば会場の仕切り役がゲットできるんだ。一石二鳥だろ?」
約一時間後。
全身の毛と服を、ペンキで斑に染め上げた柚木は、怒り狂いながら俺の前に連れてこられていた。
「一体どういうつもりだ、って、言いたいところだけど、そのケガは?」
「柚木を名乗るメッセージに呼び出されて、このざまだ。心当たりは?」
「あるもんか! こっちはずっと、北の鉱山で結晶を掘ってたんだぞ!」
思った通り、地道な作業で稼いでたか。ギルドに加入しない連中は、鉱山掘りか南の森で食材集めで稼ぐのが定番だからな。
「いや、ごめん。君はこういうやり方は、しないと思ってた。ただの裏取りだよ。気を悪くさせて済まない」
「……ずいぶん、下手に出るな。俺みたいな見掛け倒しの、学級委員長気取りなんて、お呼びじゃないんだろ?」
「見ての通り、こっちはケガ人だ。ちょっとは手加減してくれ」
俺は、用意してもらっていた書類を、柚木に差し出した。その内容を確かめ、鼻を鳴らすロップイヤーウサギの模造人。
「俺に、仕切りをやれって?」
「ガワは派手になったけど、中身は定例通りだよ。分からないことがあったら、文城に聞いてくれ」
「それなら、あいつにやらせればいいだろ。最近は……お前のおかげで、ずいぶん活動的に、なってたんだし」
なんだよ、ちゃんと気にかけてたんじゃないか。
ただ、やり方がど素人で、相手への配慮が足りなくて、怒鳴り散らす以外の方法を知らなかったから、結果に一切結びつかなかっただけで。
「……今、滅茶苦茶、失礼なこと考えてただろ」
「君だって、乙女さんの役に立ちたかったんだろ」
俺の言葉に、柚木は顔を伏せた。
図星か。
そうでなかったら、いたたまれなくなって、逃げだすなんてしないだろうからな。
「俺が今回取り仕切れたのは、三十年近い経験の蓄積があったからだ。知らなかったことはできない。学ぶ機会がなければなおさらだ」
「俺に、なにをさせる気だ」
「仕事のやり方を、君に伝える。正直言って、俺はいつまでも、ギルドの運営に携わるわけにはいかないからさ」
ホントは『食事会』が終わってから、切り出すはずだったんだけど。仕事を前倒しにするのはいいことだ。
明日できる仕事は、今日の内に! って奴だぜ。
……なんか間違ってる気もするが、気のせい気のせい。
「『仕事』ってのは、段取りが九割だ。残り一割は、現場の『作業』に過ぎない。大抵のニンゲンは『作業』を『仕事』と勘違いするんだけどな」
「俺は、なんの経験もない、素人なんだぞ」
「最初は誰でも素人だよ」
「何もかも嫌になって、ギルドを抜けたんだぞ」
「有能な人材をスカウトすることは、どこでもやってることだ」
彼はうつむいて、それから、首を横に振った。
「知ってるんだ。俺のせいで、店の下宿に人が寄り付かないって。バイトの連中だって、俺を無視する。でも、あんな風にやるしか、思いつかなかったんだよ!」
「……走るのにだって、正しいフォームと、適切な練習がいるだろ。だから」
「そうだよ! そうできなかったから! 俺は、二度と走れなくなった!」
柚木は自分の体を見下ろし、そっと両足の膝あたりを撫でた。
「誰が悪かったのか、とか、もう分からない。でも、俺は速く走りたくて、必死で、勝手に無茶をしたんだ。最後の二十メートルで、俺の足は、壊れた」
「分かった。もういいよ、そんなつもりは」
「自分で振った話題だろ。それに、アレを見て、見当ついてたろうしな」
ため息をついて、柚木は淡く笑った。
「ホントは、この体になった時、少しだけ、嬉しかった。足が、また走れるようになってて、しかもウサギだったから……今度は、間違えないって」
「メッセンジャーとか、やるつもりだったのか?」
「でも、怖かった。もしどこかで、また同じことになったらって。あんな思いをするのは……嫌だったから」
告白を聞き終えると、俺は目を閉じて考えてみた。
どういう言葉を掛ければ、彼の気持ちをひるがえせるかって。
「分かった。やってやるよ」
「まあ、そうだよな。君の気持ちも知らないで――って、やるんかいっ!」
「なんかさ……急に、馬鹿らしくなったんだよ」
自分の『ギフテッド』を生み出して、柚木はそれをじっと見つめる。
それから、汚れや縫い目のほつれを辿って、穏やかに息をついた。
「いろんなヒトが集まって、『食事会』の会場がどんどん出来上がるのを見て、そのどこにでも、お前がいて、走り回っててさ」
もしかしてずっと、物陰からとかで見られてたの?
想像するとかなり怖いんですけど、ストーカー気質なのか、こいつは。
「悔しいのを通り越して、羨ましくて、勝てないと思って、そしたら俺を『スカウトしたい』だぞ? ほんと、なんなんだよお前は」
「こういう『仕事』に必要なのは、真面目さと、根気だから。それに、朝のチケット取りだって、たぶんサボりの古郷や、ねぼすけの文城みたいな奴のためなんだろ?」
「……そうだよ。迷惑がられてたみたいだけどな」
こういう奴なら、後を任せても大丈夫だろう。
俺は痛む体を押して、深々と頭を下げた。
「今回だけでもいい。仕事の取り仕切りを、頼む」
「分かった」
やれやれ、ようやく話が付いたか。
ボコボコにやられた甲斐が……って、いやいやいや、こんなの絶対、ない方がいいからね、マジで!
「それにしても、俺をこんなにしたの、一体誰なんだろうなぁ」
「磨平じゃないのか?」
は?
なんでそこで、そいつの名前が?
「ここ二、三日、ガラの悪い連中が、お前をつけてたぞ。そのうち何人かに、見覚えがあった。シャークやってる引率、磨平の手下だよ」
「そ――」
ここが病院ということも忘れて、俺は力いっぱい、絶叫した。
「そういうことは、もっと早く言えやあぁだだだだあっ!? き、傷がああぁっ!?」
「おいバカなにやってんだ! だ、誰か、先生呼んできてくれぇ!」