10、蹴り落された雛
予想通り、移動要塞の中は、板張りとふすまの明らかな和風で統一されていた。
ただ、全体的な色調は地味で、実用的な山城の趣を出している。大川の殿様は、派手さよりも威容を重んじるタイプなんだろう。
そして、俺たちは天守閣の一番上に設けられた、評定の間に通された。
「此度は、我が一座が整えし、饗応の席に御出座をたまわりたき由、主の名代として、奏上申し上げたく、参上いたしました」
平伏したままの俺に、クマの偉丈夫は愉快そうに笑い声をあげた。
「行き届いた饗応の口上、見事である。面を上げよ」
「恐れながら。裃の用立てもなく、殿上の御方にお目見えするには、いささか見苦しき面体でございますれば、ただちに御前より、まからせていただきたく」
「まあ、そう急くな」
平伏したまま、背後からやってくる気配を探る。小姓の一団が、盃と瓶子を持ってやってきていた。
くっそ、意地でもすぐには帰さないつもりだな。
俺は平伏をやめて正座に直ろうとしたが、相手の手がそれをとどめた。
「我はもう、この話し方が肌身に合うが、貴様は平素の砕けたもので構わぬ。正座も取らずともよい」
「ありがとうございます。本格的にそちらに合わせるなら、時代劇のDVDを見直さなきゃならないところでしたんで」
「案ずるな。我もそうした『手本』あってこその、この物言いよ」
そしてお互いに、笑い合う。
まあ、ですよねー。
本物がこの世界に来ていたとすれば、そもそも『会話が成立しない』だろうから。
「文城は、同道させなんだか」
「ええ。さすがにまだ、殿の前に出られるほど、肚が座っておりませんので」
「千里の駒はあれど、伯楽は得難し。文城が、己が足で起てるほどに仕上げた手腕、見事である」
初見の時より、俺に対する好感度が上がってるなあ。
そういやこのヒト、人材コレクターだって元町さんも言ってたっけ。
酒を喰らいながら、俺をつまみ食いしようとするクマに向かって、俺はゆっくりと首を振った。
「二君に使えるつもりはありません。褒賞も領地も、天下の名馬も、そっくりお返ししますので、そのつもりで」
「美髭公を気取るか、それもよかろう。とはいえ、尾上殿は良き懐刀を得たようだ」
その評価は、ちょっと早いかなー。たぶんこの後、面倒な仕事と言うか、問題を片付けろって言われるだろうし。
案の定、殿様はさり気なく、問題を口にした。
「昨日、庭に小鳥がまろびでてな。奥のところで飼われたいとさえずってきた。とはいえ、ただの鳴禽を養うがごとき酔狂は、持ち合わせておらぬ」
「向こう気の強い文鳥ですか。すでに袂を別った者でございますので、当方とは縁もゆかりもないものと、お考えください」
「袖すり合うも他生の縁、を地で行く、尾上殿の領袖とは思えぬ酷薄さよな」
殿様の言う通りだ。
乙女さんなら、すぐに飛んできて、拾い上げて籠に戻してしまうだろう。
でもな、そういう甘さを許さないために、俺は参謀役になったんだ。
「『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は、傷ついた者の宿り、あるいは巣立ちを助けるギルドです。乳飲み子のままでいたいニンゲンの、ゆりかごではありません」
「それは主の意向か? 貴様の独断か?」
「主から、自らの甘さを許さないでほしい、そう願われましたので」
「あい分かった。では、奥に言うがいい」
それまでの上機嫌が嘘のように、殿上人は冷たく断じた。
「そなたの好きにせよ、とな。そして、貴様と文城に、あらましの立ち合いを命ずる」
俺は静かに、平服した。
そこは要塞の基底部分にある、薄暗い一室だった。
俺と文城がふすまの奥に通されると、座布団の上で足を投げ出していた氷橋が、驚きと嫌悪感をむき出しにして、睨みつけてきた。
「なにあんた、店長に言われて来たの?」
ああ、そういう認識なのか。手の施しようがないな。
自分がどういう立場にあるのかさえ、まともに理解していないとか。哀れすぎて怒る気にもなれねえよ。
「あー、ネズミちゃんとデブネコちゃん。おっつー」
いつものヘラヘラした笑いを浮かべて、派手な奥方が進み出てくる。文鳥は勝ち誇ったような顔で、夢魔に声を掛けた。
「宇藤さん、こいつらすぐに追い出してください! 私、こんな奴らと関係ないんで!」
「あ、関係ないんだ。よかったー」
ああ、見てらんねえ。なんでそんな、死刑の命令書に、自ら爆速でサインするような真似をするんだよ。
宇藤さんは、いつもの調子で、言い放った。
「んじゃ、あんた、出てって」
「え……?」
「えじゃないよ。だってあんた、関係ないんでしょ?」
派手な振袖がひらひらと蝶のように舞い、裃を付けた狼の武士が、氷橋の両脇を掴み上げる。
「え!? な、なんで!? なんで私が!?」
「一晩泊めてあげたのはー、あんたが乙女ちゃんのとこの子だったからだよ? でも今、自分でゆったじゃん? 『関係ない』って」
「え……え、あ!」
目を見開いて、絞め殺される寸前のような顔で、氷橋は絶叫した。
「な、なんで!? なんでですか!? だって私、『食事会』の時に、友達だって」
「しゃこうじれー、って知ってる? あーしもさあ、有名人とかー、議員さんとかにー、いーっぱい使ってたよー。あんたに言ったのもそれー」
「ひ……あ……あっ」
「だいたいさー、あんた、うちにきて、なにができんの?」
もうやめてやってくれ、そう言いたいのをぐっとこらえる。
本来ならこれは、俺たちが言うべきはずの言葉だから。
「おーちゃんのおしろって、使えない奴、いらないんだわー。ケンカ強い子とかー、頭いい子とかー、ブキ作ったり、おしろ修理したりさー。そういう子しか、要らないの」
「お、おせわ、とか、みの、まわりの」
「あーし、そういう子、二十人ぐらい連れてんのねー。ちゃんと挨拶もできてー、ケンカもできてー、面白い話とかしてくれる子ねー」
武装親衛隊付きか。ホントこのヒト、見た目と中身が全然違うな。てか、さっき政治家とか有名人と付き合ってたとか言ってなかった!?
「『食事会』のときさー、あんたって、ゆわれたことしかやってなかったっしょ。命令されなきゃ動けないくせに、ヒトに命令されたくないとかー、それってマジで、使えなくない?」
堪えきれなくなったのか、文鳥の両目が大粒の涙をこぼし始めた。
文城は目をそらしてしまい、俺も本人の顔をまともに見られなくなっていた。
「そんで、乙女ちゃんの所の子じゃないなら、あーしがあんたを気に掛ける意味、なくない?」
「わ、わた、わたし、あなたに、あ、あこがれ」
「うんうん。あーしってば、かわいくてきれーだもんね。ありがとねー」
氷橋の顔が、涙を流すのを止めていた。
憧れていた存在から、自分に掛けられた言葉の、空虚さに絶望して。
「んで、最後に言いたいこと、あるんだけどさー」
「な、な、なにを」
「たたみって、水吸うと腐るんだってー。ちゃんときれーにしてから、出てってよ」
彼女の赤紫の指が指した先にあったもの。
それは、氷橋が涙をこぼした痕。
「自分で出したもんなんだから、自分の体に戻してってよね」
俺は思い知った。
宇藤卯月というニンゲンの本質を。
ヒトの魂を、有為と無為でふるい分け、使えないと見なした者に掛ける慈悲を、一切持ち合わせないありようを。
一羽の文鳥が、ゴミでも捨てるように、放り出された。
堅く閉じられた大門の前で、氷橋はうずくまって、すすり泣いていた。
彼女は俺たちに顔を向け、くちばしを開きかけた。
だが、声はなかった。
「行こう」
「で、でも」
「本人が言ったんだぞ。俺たちは、関係ないんだって」
「……だ」
呻きが漏れた。
「いや、だ」
絞り出すような、呻きが漏れた。
「いやだ! いやだ、いやだぁあああああああああああ!」
それはまるで、巣の外に蹴り出された、ひな鳥のようだった。
自分に襲い掛かった、正当な理不尽を、拒絶するように、泣き叫んでいた。
「孝人!」
「絶対に、だめだ」
俺は振り向かない。そのまま文城の手を掴んで歩き出す。
って、マジで重いな。体格差がありすぎて、進みようがないっつの。
「ここで助け起こして、それでどうなる? 自分で選んで、何とかなるって、出ていったんだぞ」
「でも、泣いて……」
「そうしてれば、誰かが助けてくれるのか? なにかあるたびに、泣いて、わめいて、そうしてれば、誰かが何とかしてくれるって?」
「でも、僕は、孝人に」
俺は文城の両手を掴んで、しっかりと見据えた。
「お前は、自分で立とうとしたんだ。だから、助けられたんだ! 俺の体を、このちっぽけなネズミの体を見ろよ!」
言ってて情けなくなるが、これほど説得力のあるケースもないだろうな。
「お前が動いてくれなきゃ、こうして引っ張っても動かせないだろ! どんなニンゲンも同じだ! 最後には、そいつから動く気がないと、どうにもできないんだよ!」
「ならぁ、たすけてよぉ……っ」
這いずりながら、俺の足元に縋り付いてくる、文鳥の模造人。
怒りと絶望で、その顔はひき裂けたようになっていた。
「わたし、こんなとこ、来たくなかった! みんなが、わたしを、おなじに見てくれなくて! パパと、ママに、わかってほしくって! だから、ちょっと困らせるつもりで」
裂け目のようなくちばしから、絶望が溢れかえった。
「最初は、やさしかったのに……あいつが、私を……それで、逃げて、あいつが、わたしを突き飛ばして……気が付いたら、あのバケモノの前にいて……生き返れるって、転生できるって、だから!」
「そうだ。お前は生まれ変わったんだ。別のイキモノに」
「ねえ、助けてよぉ。私を、パパと、ママの所へ、帰して」
畜生、本当に、なんてろくでもないんだ。
あのバケモノはどこまで、ろくでもないんだよ。
「無理だ。お前はもう、パパとママの子供じゃない」
「あ……」
「氷橋スヴィっていう女の子は、もう死んだんだ。ここにいるのは、その魂の宿った、別の存在なんだよ」
俺の腕の中で、彼女は粉々に砕けた。
でも、言うしかなかった。分かっていないはずかなかった、見ないふりをし続けていた事実が、俺の姿を借りて、彼女の魂に追いついたんだ。
「文城、彼女を、頼む」
「うん……」
文城は泣いていた。
しゃくりあげながら、小さなボロクズのようになった彼女を、抱きあげた。
(しっかりしろ、俺)
こうなるのを分かっていたから、乙女さんは厳しくできなかったんだ。
ヒトはそんなに強くないから。
たとえ自分で選んだ物語だとしても、本当の意味で覚悟ができるニンゲンなんて、ほんの一握りだと、知っているから。
(乙女さんの、負担を軽くするためにも)
その日、一羽の傷ついた小鳥が、乙女さんの所に運び込まれた。
彼女は黙って氷橋を抱き上げ、長い間、暖めていた。