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8、回るジャガーノート

 それからの十日は、飛ぶように過ぎた。

 という表現は、いささか詩的というか、事実とかけ離れすぎている。

 なぜなら、俺にとっては懐かしくも忌まわしい、ブラック企業の仕事を思い出させる、激務だったからだ。


「孝人! 食材搬入班、小麦粉と芋、ナッツ類が揃ったぞ! これ、伝票な!」

「孝人さん、『インスピリッツ』から照明器具の仮置き場所と、日時の指定をお願いしたいとの連絡が」

「リーダー、サーブ係に入ってた彩夏さやかが手をケガしちゃって、間に合いそうもないから、別の子入れたいんだけど!」

「おにいさーん、山本さん、会場に入れる机とテーブル、どこしまうかってー」


 にゃあああああああん、もおおおおおおおおおおおっ!


「食材が終わったら、次は屋台村で使う鍋とかの調理器具な! 肉とか魚とか生もの系はクリスさんにお願いしてるから、状況聞きに行っといて!」

「道の封鎖は一日前からだから、明後日までに甲山組の一階に置いてもらって! 受け入れは話ついてるから!」

「全部、柑奈かんなに任せる! あと、ケガした子のお見舞い、乙女さんに頼んで出してあげて!」

「そっちは店の裏のビル! 家主は昼間寝てるから、入れるなら午後以降!」


 俺たちの事務所には、ひっきりなしに『食事会』に関する情報が集められてきた。

 積み上がる納品伝票と作業報告書。

 それぞれに認め印を押し、参照できる台帳やファイルにまとめていく。


「うはははは! テンションッ、上がってきたあっ!」


 始まりはさざ波のようだった仕事が、日ごとに高さを増して、数字と文字の大津波になって襲い掛かってくる。

 叫び出したくなる作業を前に、俺はなぜか、笑っていた。

 もしかして俺は、もう壊れているんじゃないのか。

 本来ならしなくてもいい、他人の鉄火場に身を放り込んで、笑ってしまうほどに興奮しているなんて。


「こうと!」


 そんな俺の肩を、誰かが掴んで、引っ張り戻していた。


「ちょっと休んで。ごはん食べて」

「あ……」


 心配そうな顔で、丸いネコの顔が俺をのぞき込んでいた。

 気が付けば、結晶ランプに照らされた、薄暗い部屋の中で一人、細かい数字を必死に追っていた。


「あ……うん」

「がんばりすぎないで、お願いだから」


 それから、あったかいお茶と、おにぎりが差し出される。

 そういえば、ちゃんと飯食ったのいつだったっけ。自分の周囲には、しおりちゃんから貰った栄養ドリンクが入ったポットが、空になって転がっていた。


「お仕事、どこまで終わったの?」

「とりあえず、必要な発注と受注は、ほぼ終わったかな。あとは発注伝票の内容を、帳簿にまとめて、バイト代の計上に――」

「今日やる分は、終わったの?」


 今度はちょっと強めの言葉。

 仕事なんて、集中して早く終わらせようとしちゃうからな。こういうブラック仕草は、もう改めないとだ。


「分かったよ。帳簿関係は最悪、月末近くまで棚上げしていいしな。……ホントは、ぜんっぜん、良くないんだけど」

「そっか。それじゃ、食べよ」


 俺たちは壁際に背を預けて、手にしたおにぎりをもぐもぐした。


「あー、うまい。体が生き返るわー」

「……よかった」

「ごめんな。どうも昔の癖が、抜けてないみたいだ」

「会社員って、そんなに大変なんだ」


 さてさて、どう説明しょうか。俺の最後の職場が、あくまで異常だったんだと、思いたいんだけどなあ。


「ようは、ケチ臭くてアホなトップの会社ほど、俺みたいなニンゲンが貧乏くじを引くんだよ。ちょっと目端が利いて、先々にヤバいことになるのを、見抜ける奴がな」

「……仕事ができても、いいことない?」

「場所による、と、信じたいけどな」


 俺はそれ以上の質問を封じるように、別の話題を振った。


仲代なかだい君たち、どうしてる?」

「荷物を運ぶの、がんばってるよ、一日中」

「ちゃんと休むように言ってくれよな? 俺にしたみたいに」

「大丈夫。紡君といっしょに、お弁当配って、様子を見てるから」


 実際、今回の仕事で気になってたのは、クマの彼のような、口下手で人付き合いの苦手な面子のことだった。

 なるべく単純作業で、難しいことを考えないで済む仕事を。そういう意味では、人力ですべてを賄わないといけないこの世界が、いい方向に働いてくれていた。

 

「明日からは、発注や資材の抜けがないかチェックするのと、『食事会』のスタッフとの打ち合わせが中心だ。書類仕事で根詰めることは、もうないよ」

「僕は、どうしようか」

「みんなの見回りと……できれば、トレーニングを再開しといてくれ」


 俺の発言に、文城は少し笑って頷いた。


「『食事会』終わったら、ダンジョンに行くんだもんね」

「早く、瞳たちに追いつかないとな」


 そうだ。俺にはもう、書類仕事で根を詰めること以上に、やるべきことがある。

 やるべきことはやるけど、やりたいことを蔑ろにするまでは、やることはできない。


「明日からは、柑奈やしおりちゃんに、ヘルプを掛けるよ。あとは乙女さんとか」

「そうだね」


 そんな折り返しを過ぎた辺りで、俺は書類以上に面倒くさい問題に、直面することになった。



 次の日、俺はそれぞれのギルドマスターの担当に入る子たちを前に、仕事内容の確認をすることになっていた。


「えっと、芥川さん。他のみんなは?」


 本来なら二十人単位でいるメンバーが、今日は四人しかいない。困ったような笑顔を浮かべて、シャムネコの模造人モックレイスは、真相を話してくれた。


「スヴィちゃんが……孝人さんが、私たちのバイト代を減らして、自分のものにしているらしい、って」

「はぁ? いったいなんでそんな話が? そもそも氷橋は、今回の給仕担当から外れてるだろ?」

「あと、来た初日から、店長と、その……いい関係になってるせいで、店長補佐になれたんだ、とか」


 あんのバカ娘。

 そういう浅ましいことをやってくるとか、ホントにガキだな、クソッ。


「分かった。来てくれたみんなは、そのことについては気にしてない、ってことでいいのかな?」

「……その、文城君を助けてくれるところも、見てたし」


 部屋住みの中で、俺の味方なのは彼女と仲代君だけか。それでも、ちゃんとフォローしてくれるのは感謝しかないな。


「ありがとう。そういう事なら、君たちから他の子に言ってもらえるかな。今回のボーナスは、以前と同じチケット三枚は確実に出すって。それから」

「えっと、もうひとつの方は、大丈夫だと思います。みんな、ボーナスのことの方が気になってたみたいだし」

「もう時間がない。悪いけど、心当たりがあるヒトは、担当の子を呼び戻してきてくれ」


 それぞれの子たちが外に散っていき、しばらくして、大半のスタッフが戻ってくる。

 彼女たちの集団を見て、俺は気が付いたことがあった。

 多分、氷橋すがはしの言葉に揺らいだのは、社会経験の少ない『子供』のタイプだ。ケモノの見た目にごまかされていたけど、言葉遣いや態度に違いがあった。


「みんなは俺に対して、どういう印象を持ってもらっても構わない。でも、店がみんなにお給料を払うのは、望んでいる仕事を提供してくれると期待したからだ」 


 正直、女性相手の指示は、ほとんど経験がない。こういう建前の話をしても、受け入れてもらえるかもわからないけど。


「時間通りに配置について、打ち合わせ通りに配膳や接待をしてほしい。それに従えないという場合は、担当から外れてもらう」


 少なからず動揺した顔がある、そんなことは無理だ、と表情が語っているのが分かる。

 乙女さんなら、みんなの機嫌を取りながら、うまい具合に回せたんだろうけどな。

 でも、これからは、だめだ。


「今度の相手は、言ってみれば会社の重役や、政府高官と同じぐらいの存在だ。そういう相手に、失敗も失礼も許されない」


 このギルドは、はっきり言ってなれ合いが過ぎた。そのせいで、どんどん乙女さんにばかり負担が積み上がって、メンバーはそれに甘えきっている。

 このままいけば、待っているのは破滅だけだ。


「君たちには、プロの立ち回りを期待する。そのために、普段の業務があるんだろ」


 結局、俺の宣言にビビった何人かは裏方に回るか、仕事自体を辞退してしまっていた。

 残ったのは十一人。当日のリザーバーがいない、ギリギリのラインだ。


「残ってくれてありがとう。よろしくお願いします」


 俺は頭を下げ、芥川さんに向き直った。


「芥川さん。悪いけど、今回のフロアリーダーをやってもらえるかな?」

「……いいんですか?」

「無理そうなら柑奈に頼むけど、受けてもらえるなら、報酬もその分払うよ」 


 彼女は少し考えて、頷いてくれた。


「この資料が各ギルドマスターに出す料理の内容と、提供する飲み物のリストね。お客を案内する仕方もまとめてある。これに従って、リハーサルを頼む」

「分かりました」


 指示を終えると、俺はふと外の窓に視線を感じた。

 怒りに歪んだ文鳥の顔が、すぐに引っ込められる。

 悪いが、そういうぶしつけな態度を、許すつもりはないからな。あとできっちり、ペナルティは受けてもらうぞ。

 そんな氷橋と入れ替わりに、柑奈が店に帰ってきていた。


「今、芥川さんにリーダーを担当してもらうことになったから、補佐を頼むよ」

「オッケー。それじゃ明菜、一緒に頑張ろうね」

「うん!」


 幸い、二人の関係は良好らしく、すぐにフロアの指示に入ってくれる。


(ほんと、仕事ってめんどくせえなあ)


 俺はぼやきつつ、別の部署の様子を見回りに行くことにした。



「あ、孝人! 小弥太こやた知らねえ?」


 荷物置き場にしていた銭湯に降りると、運び入れていた荷物を検品していた紡が、顔を上げた。


古郷こざとがどうしたって?」

「ここの在庫チェック頼んでたんだけど、ほっぽり出して、いなくなっちゃって」

「……何度目だっけ、これで」


 俺は胸の奥にわだかまる、青黒く冷えた怒気を吐き出していた。

 白い毛皮がぶるっと震えて、取りなすような笑いが狼の顔に浮かんだ。


「あ、いや、へーき。あいつには俺から」

「資材搬入の現場監督は、お前だよな、紡」

「そ、そうだな。オレの監督が」

「違う。それに従えない、従業員の問題だ」


 俺には、この世の中に許せないものが二つある。

 一つは現場を省みないアホの上司。

 もう一つは、


「あっ! 悪ぃ紡! 俺ちょっと用事が、あ……って」


 与えられた仕事もまともにできない、調子がいいだけの従業員だ。

 自分の表情筋から、感情表現に使う張りが、ごっそり抜け落ちた。

 そのまま、『無』の顔で、目の前のたわけ者に近づく。


「な、なんだよ、だから、俺、ようじ」

「クビだ」


 センザンコウは目を丸くして、それから驚きと怒りの中間の表情を浮かべた。


「な、なんだよ! いきなり」

「これで何回目だ、職場放棄」

「し、ショクバホーキなんて、してねーし」

「二日目、作業の相方に全部任せて、ゲーセンで時間潰してたろ。店主のおねえさんから聞き取り済みだ」


 相手の表情が、面白いぐらいに動揺一色に染まる。

 いや、訂正。これっぽっちも、面白くないわ。


「三日目以降、手をケガしたってことで、配送の仲代君の代わりに、搬入チェックと整理に転属。そこでも、やった作業は、箱を二、三個動かした程度だったな」

「な……なんで、そんなこと」

「全部、チェックしたからだよ。俺が、聞き取りしてな」


 そうだ。

 俺がうっかり、帳簿付けや書類仕事に没頭した原因の一つ。

 このアホが滞らせた仕事の苦情や尻拭いで、非常にイライラさせられたからだった。


「こ、これからは、真面目に」

「クビだ。出てけ」

「嘘じゃないって、本当に」

「ああ。これじゃ伝わんないか。なら正確に、評価してやる」


 俺の顔は、怒りではなく、まじりっけなしの軽蔑一色に染まった。


「仕事を任せればサボってばかり、手を出した作業はいい加減で、修正の方に手間を食われる。お前がいるだけで、余計な仕事が増えるんだ」

「……っ! そ、それって、お前の」

「ああ、感想だぞ。実感を伴った感想だ。それがどうした」


 多分、こいつの中味は高校生か、中学生ぐらいだろう。

 どういう経緯で転生したのかも分からないし、酌量するべき過去もあるかもしれない。

 だからってな、物事には限度ってもんが、あるんだよ。


「お前のせいで仕事が滞って、こっちはその修正で寝不足なんだ。紡だって別の仕事を任せたいのに、こんなところで足止め食って、散々だ」

「う……っ」

「業務不履行、並びに職務怠慢が目に余るため、古郷小弥太こざとこやたを、店長補佐の権限で、今回の業務から解雇する。もちろん、給料も無しだ」

「え……!?」


 どうやら、最後の言葉だけは、正確に理解したらしい。まあ、この手のアホは、自分の利益だけには敏感だしな。


「ふ、ふざけんなよ! なんのケンリがあって」

「店長に権限を与えられている。お前らに命令するためのな」

「お、おーぼーだろ!? 給料も無しとか、そんな」

「きちんと仕事をすれば、手に入ったはずのものだ。それをなしにしたのは、お前だ」

「う……っ」


 目に涙を浮かべて、センザンコウは叫びながら階段を駆け上がっていった。


「バーカ! お前なんか死ね! 店長に言いつけるからな!」 


 取り残された俺は、両手で顔を押さえて、呻いた。


「ガチの子供かよっ!」

「……孝人、なんか、ゴメン」

「いや、お前は何も悪くない……その……そういうレベルを、超えてる」


 精神年齢が低かったのか、それとも本当に『子供』だったのか。

 今言えるのは、これ以上追求したくない、ということだけだ。

 結局二人で、古郷が放り出した検品作業を仕上げることになった。在庫の計上もでたらめだったから、仕入れ台帳を引っ張り出して、再計算までする羽目になった。

 終わる頃には、日が暮れていた。



「で、最後は貴方ですか、柚木さん」


 ようやく業務を片付けて、店のカウンターで飯を食っていた俺のところに、不満げなウサギが顔を見せていた。


「お前、店長補佐の権限を使って、ずいぶんと横暴な真似をしてるそうだな」


 ああ、神様。なんで俺は、飯時までこんな頭カスッカスの、バカの相手をしなければならないのですか。

 やさぐれた心の声で、文城の弁当を台無しにしてしまうことが申し訳なくて、カウンターの隅に、そっと押しやる。


「店でウェイターの経験もないくせに、プロの仕事がどうとか言って、みんなを怖がらせたんだってな」

「他には?」

「みんなの報酬を横取りするとかいう話もある。それから、古郷のことを勝手にクビにしたって聞いたぞ」


 もうめんどくさい。

 俺は持ってきていた台帳を、ウサギに投げつけていた。


「な、なにするんだ!?」

「あげますよ。店長補佐の権限が、欲しいんでしょう?」


 それから、ゆっくりと近づき、相手の肩を掴んだ。


「い、いた……っ、な、やめっ」

「ほら、この数字、何が書いてあるかわかります? 分かりますよね、店長の補佐をしたいんだから」


 俺は、この数日間に扱った資材や人材のデータを、焼きごてのように押し付ける。


「いいですか、柚木さん。俺はね、補佐の仕事をしてから、一日も休まずに、資材の買い付けと、その保管と運用のために、数字とにらめっこして、いろんなギルドのヒトに頭を下げてきたんですよ。その結果を記したのが、これです」


 目ぇ逸らしてんじゃねえよ、もっとしっかり見ろや。


「ちなみにここの在庫、当日使う小麦粉の数字、さっき調べたら百キロ近く、誤差があったんですよ、なんでか分かります?」

「し、しら、な」

「貴方が弁護しようとした、古郷君がね、まともに記録もしないで、ゲーセンで遊び歩ってたからなんですよ。ご存じでした?」


 俺は、親しい者同士がやるように、真面目な真面目な柚木さんの肩を、ぐっと抱き寄せてやった。


「それとね、氷橋すがばしさんからもいろいろ言われたようですけど、全部デマですから。俺が店長と寝たからこんな役職についてるとか、散々な言われようですけどねぇ」

「い、いや、それは、別に」

「そう言えば貴方、初日に言ってたじゃないですか。店長にちゃんと返事をしろって」


 ほんとコイツはさあ、自分が気持ちよくなりたいだけの理由で、優等生ぶりやがって。


「貴方だってわかってるんでしょう? まともに挨拶もできないニンゲンを、ギルドの偉いヒトの前に、出すわけにはいかないって。プロ意識って、そういうことを言うんじゃないんですか?」

「わ、わかった! わかったから!」


 必死にもがいて拘束を解こうとするが、びくともしなかった。

 こちとら甲山組で鍛えてきた、ガチガチの肉体労働系だぞ。ヒョロガリのウサギに、振りほどけるかよ。


「言っときますけど俺、改革を止めるつもりはないですよ」

「か、改革?」

「このギルド、『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』の、改革です」


 タレミミのウサギは、涙目で俺を見た。

 完全に怯えて、直に触れ合った毛皮から、震えが伝わってくる。


「百六人ですよ、うちに参加してるメンバー。中小企業どころか、小ぶりの株式会社くらいの規模だ。なのに、ギルドとして、まともに機能していない」


 今回の『食事会』を取り仕切ってみて、俺は理解していた。

 乙女さんの理想である、戦えない連中を互助したいという理念は、破綻寸前だと。


「加入メンバーから取る収入は最低限なのに、あんたたちの要求は際限がない。滞留用のプラチケに、生活のためのバイト代。挙句には、楽して生きていたいなんて、そんなサボり連中までぶら下がってる」


 それでも彼女は、最初に抱いた理想を捨てないために、文句も言わずに働き続けた。

 でも、そんなのは無理なんだ。


「俺はね、ブラック企業に使い潰されて、自殺してここに流れ着いてきた。結局、世の中って、ズルい奴が得をするんですよ。そういうことを、思い知りました」


 腕の中のウサギは、観念したようにへたり込んだ。

 俺は、やりたくもない抱擁を解いて、ため息をついた。


「このままいけば、いつかどこかで、乙女さんはへし折れてしまう。肉体か、精神のどちらかが、あんたらのズルいわがままに、押しつぶされてね」

「…………」

「俺は、そんなの許せない。この世界のギルドってのは、互いに助け合うもんであって、誰かの善意に寄りかかって、子供みたいに甘ったれる場所じゃないはずだ!」


 ああ、またやってしまった。

 せっかく、北斗が助言してくれてたのに、感情に任せて動いてしまった。

 こうなったら、行くところまで行くしかない。


「あんたはそうやって、自分勝手なルールに浸ってればいい。でも、これからは、個人の部屋の中だけで、お願いします」

「うるさい……っ」


 タレミミのウサギは、大粒の涙をこぼしていた。

 悔しさに溢れた顔で、俺を仇のように、睨みつけていた。


「お前なんか、何も知らないくせに! お前らみたいに、恵まれた奴が、勝手なことを言うな!」

「今度は不幸自慢ですか。まあ、先にこっちが」

「違う! 持ってるお前が、俺に説教なんかすんな!」


 ウサギの手から、何かが投げ出された。

 俺の顔に当たって、地面に転がる。

 それは古ぼけて、ボロボロになった小さな靴。おそらく、中学生ぐらいの。


「何が異世界転生だ! こんな弱っちい姿になって、こんなくだらないものを見せつけられて! 派遣で食いつないでた俺に、仕事の仕切りなんて出来るわけないだろ!」

「……柚木、お前」

「うるさい! 勝手に上でも目指してろ! お前なんかに、持ってない奴の気持ちなんて分かるわけないんだ!」


 逃げるように、奥の暗闇へとウサギが去っていく。

 残されたものを拾い上げ、確かめる。

 おそらくは陸上競技用のシューズ、もちろん成人の物ではない。


「……くそっ」


 それは、どこかの時点で断たれてしまった、夢と希望の残骸だ。

 このシューズを使った後、あいつは夢を捨てるしか、なくなったんだろう。

 

「ごめんなさい、孝人君」


 気が付くと、乙女さんが俺の前に現れていた。どこから聞いていたのか、そんなことを聞くことに、意味はない。

 彼女の顔は、苦悩でいっぱいだった。


「全部、私の責任だから。あなたは何も、抱えなくていいのよ」

「そんなことしても、無理なんですよ」


 俺は残酷に、事実を告げるしかなかった。


「責任感や共感で、すべてを救おうとしても……抱えきれずに、潰れるだけなんです。俺が……そうだったみたいに」

「なら、私は、どうしたら良かったの」


 彼女は俺の手からシューズを受け取り、そっと胸に抱いた。

 ここにはいない柚木を、なぐさめるように。


「自分が命を落とした時、生きなおせるかもしれないって言われて、それでも綺麗に諦められるヒトが、どれだけいるの? それが悪魔の誘いだったとしても、乗ってしまったヒトたちを愚かだなんて、私には言えなかった」


 柚木のギフテッドは、はっきり言って悲惨だ。

 はき古しのシューズは人間の子供サイズで、模造人モックレイスの足に合わない。

 素材を取ろうにも、せいぜいソールのゴムぐらい。他の部分は、劣化がひどくて使いようがないだろう。

 その上、あいつはそれを見るたびに、夢を目指していた日々を思い出すはめになる。

 乙女さんは、全部わかっていたんだ。


「夢が破れて、大切なものが失われて、それでも後悔を手放すことができない。ひとつが終わったから別の何かを、なんてできるほど、ヒトは強くないのよ」

「それは、ここだけの話じゃ、ないんですね」

「……向こうでは、夜の仕事をしていたの。そういう子を、たくさん見て、受け入れていたわ」


 そんな気はしていた。

 彼女の仕草や対応が、俺の知っている、そういうお店のママさんに、似ていたからだ。


「でも、あなたは、ここをそういう店にはしなかった。どうしてですか?」

「南さんに、アドバイスされたのよ。『おもろいことをやりましょ』って」


 今は亡きギルドの大立者は、笑って言ったそうだ。


『まずはメシをたらふく食うて、よう寝て、アホなことして、笑いましょうよ。そんで、飽き飽きしたころで、ひょっこり、新しい夢なんて見つかるもんですわ』


「ご飯が食べられて、ゆっくり寝られて、好きなことをして。そして、いつか、何か新しいことをできるように、なって欲しかったの」


 それは、とても優しくて、偉大な願いだった。

 同時に、とても儚くて、壊れやすい願いだった。


「だとすれば、なおさら今のままじゃ、ダメなんです」

「……どうして?」

「その願いは、大きな受け皿でないと実現しない。そういうヒトたちを受け入れて、びくともしない、システムを造らないと無理なんですよ」


 俺はそれを何と呼ぶのか知っている。

 そして、この世界には、それが存在しないことも。


「『社会福祉』。乙女さんの願いの先にあるものです。そしてそれは、個人の力では絶対に成立できない……地球の歴史が、それを証明しています」

「私のしたことに、意味はなかったの?」

「そんなことはありません。でも、このまま続ければ、いずれあなたは崩壊して、このギルドも一緒に無くなります」


 彼女は黙って、俺を見た。

 どうすればいいのか、無言で問いかけていた。


「まずは……乙女さんの重荷を軽くしましょう。俺に仕事を、任せてくれたみたいに」

「その分、孝人君が、重荷を背負ってしまうわ」

「もう……そうなりかけてると思います、けど」


 たぶん、俺と乙女さんは、似た者同士だ。

 目の前の悲惨に心を奪われて、思わず手を差し伸べてしまう、愚か者だ。

 そんなもの、現実という名の無慈悲なジャガーノートに、引き潰されるだけだって言うのに。


「少しづつでいいから、みんなに仕事と責任を、振っていきましょう。それぞれが、出来る範囲で。参加している者が、互いに支えていく。ギルドという仕組みの、基本に立ち返るんです」

「ずっと、そうしてきた、つもりだったんだけどね」


 俺は乙女さんに近づき、うずくまる頬に片手を当てた。彼女はなにも言わないで、俺を抱き留める。

 大きさも種族も違う、互いの熱と鼓動を肌身に感じながら、しばらくそうしていた。


「俺の行動が見過ごせなくなったら、切り捨ててください。自分では、分からないから」

「私の甘さが目に余ったら、遠慮なく言ってね。そういうの、止められないから」


 それは、俺と彼女の、新しい契約だった。

 誰かを助けたいという願いを、叶えるために生み出された、ギルドという名のジャガーノートを、駆動させるために。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 [一言] 基本はパッチワークシーカーズ……時々ギルド運営補佐クエストみたいになる感じですかね……? ある意味では、乙女さんはギルド運営クエストでのバディですかね? 文…
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