5、花街にて、肝胆相照らす
遠くから見るだけだった『城下町』は、本当にそれっぽい光景が広がっていた。
大通りの道はアスファルトやコンクリではなくて、目の細かい砂が敷き詰められた感じになっている。
実際の江戸はまともな舗装はないことも多くて、ぬかるみや轍の跡で歩きにくかったらしいけど、ここの道は綺麗に均されたものだ。
道の両脇には、二階建ての家屋が軒を連ねて、それぞれが商家の暖簾や木彫りの看板が下がって、雰囲気作りに一役買っていた。
「妙だな……」
「どうしたの?」
「なんかこの景色、見覚えが……あ」
思い出した。太秦の映画村、あの景色にそっくりなんだ。
軽く蹴ってみると、砂の地面の下には固めた土がみっしりしていて、さらに下に敷かれた固い物体、おそらくはコンクリートに近いものがあることを感じさせた。
「なるほど、ここも『モック』なのか。本物の江戸を真似ようとしてるけど、決して本物にはならない町ってな」
「その通りです。なかなかの観察眼ですね」
赤毛のネコの隣にずっと従っていた、シェパードに似たイヌの模造人が、平板な声で評価してくる。
片手に杖を突いて、悪そうな右足の補助に当てていた。
「小倉さん、でしたか。俺は穂高北斗、『涯を追う者』のマネジメント担当です」
「よろしく……できるかは、あんたらの態度一つだな」
「それで問題ないかと。慣れ合うためにいるわけでもありませんからね」
「ダメだよ北斗! そういうケンカ腰じゃ、余計にこじれちゃうでしょ!」
とうとう我慢できなくなったのか、ネコがずいっと近づいてくる。それを、イヌが遮って、初対面にふさわしい距離が保てた。
「氷月瞳です! わたしは文城君だけじゃなくて、あなたも興味アリ! 紡とパーティ組んでるって、新聞で読んだよ!」
「なんで、街で最高峰の戦闘系ギルドが、あいつのことなんて」
「以前、アタックチームに参加させましたが、不適格だったので除名しただけです」
なるほど、紡がやらかしたチームは、こいつらの所だったのか。街中で総スカン喰らうなんて、どんな事態かと思ったら、そういうことね。
とはいえ不適格で除名とか、いい態度してるじゃんかよ。
「そういう徹底した製品管理が、獄層攻略にこぎつけたチームの、強さの秘訣ですか」
「俺たちは、塔の秘密を解き明かすために結成された、真剣なギルドです。遊び気分やその日暮らしのヒトとは、訳が違いますので」
「そいつはご立派。締め付けすぎで、兵隊が音を上げないように、気を付けたほうがいいですよ」
絡み合う視線が、火花を散らし始める。
そこで、お互いの『ネコ』が、俺たちを引きはがした。
「だ、ダメだよ孝人。瞳ちゃんのとこは、そういうんじゃないから」
「だから北斗、もう少し優しくしてってば!」
水入りになったところで、俺たちは視線を外す。リーダーの氷月さんはともかく、この参謀とはそりが合わなさそうだ。
「と、ところで、みんな先に行っちまったんだが……」
声を掛けそびれていたらしいオーガが、先を指さす。俺たちはそのまま、大通りを先に歩き、角を曲がった先にあった、門の前にたどり着いた。
門と言っても、街を囲う壁ほど大きくはない。
観音開きの赤い扉と、封鎖のための太い木で組まれた格子状の壁。その脇にヒトが詰める小屋が併設されている。
そして、門の上に掲げられた銘板を見て、俺は絶叫した。
「べ……『別天吉原』ぁああああっ!?」
な、なんてもんを建ててんだあのバカ殿はぁ!?
吉原って言えば、あの吉原だろ!?
「……孝人、吉原って、なに?」
「あっ、ふ、文城っ、ここがどういうところか、ご存じない!?」
「う、うん。城下町は、苦手だったから……」
なんてこった、初心な文城には、この街は刺激が強すぎる。なんか理由をつけて、ここから脱出させ――。
「ねー、あーし、おなかすいたんだけどー。いつまでボッ立ちしてんのー?」
出たな、ある意味この場所にぴったりの住民!
友達の純潔のため、なんとしてでも、俺が守護らねばならぬ!
俺は文城を背中にかばい、じりりじとサキュバスから後ずさる。
「安心してくだせえ、小倉さん」
そこへ、元町さんがすっと現れて、改造和服サキュバスを遮ってくれた。
「お殿様が『両門』閉じなさったんで、妓楼はみんな、お休みだそうですよ」
「お……おお……よかったぁ。よかったなぁ、ふみきー、もう安全だぞー」
「え? う、うん? よかった、ね?」
そのまま俺たちが門をくぐると、背後で武士の皆さんが門を閉じる。しかし、こんなもんまで再現してるとか、どんだけだよ。
「片門閉めるのに千両でしたっけ? まあ、自分の領地だから、あんまり意味のない話でしょうけど」
「いえいえ、ここは天領の外でして。ギルド『ウィタ・セクサリス』が管理、運営してるんですよ」
「え……なんでそこで横文字?」
「三根せんせーのギルドっしょ? あーしもお世話されてる、アッチのこととかねー」
などと言いつつ、片手を妖しく、くねらせる。
だからその卑猥な指使いはやめろっての、このサキュバスがっ!
これ以上ツッコんだ話をすると、文城の青少年的何かがアブナイだ。
さっさと『食事会』の席に行こう、うん。
「ちなみにプラチケを三百枚ほど、ぽーんと放りなさって、すべての店舗を借り切られましたよ」
「なんかこの街の経済、差が激しくない!? 明らかな富の偏りを許すな! 共産主義革命起しちゃおうっかなぁ俺ェ!?」
そんなこんなで、俺たちはひときわ大きい店の一つに入る。
店の名前は『桐壺』だ。
「もしかして五十件くらい、同系列の店があったりします?」
「その辺りは、ツッコむのも野暮ってことで。さ、おあがりくださいな」
店の女中さんに足を洗ってもらい、そのまま木造の階段で上へと通される。
間仕切りのふすまが開け放たれた二部屋には、ご丁寧に畳が敷かれていた。ただ、見た目が似せているだけで、いぐさを使ったものではなさそうだ。
上手のふすまには長沢芦雪の『虎図』が、下手には対になるように『竜図』が当然のように描かれていた。
(またかっ、あのヤギ娘がっ)
おそらくはこの店自体が殿様の御用達、大枚はたいて鈴来に描かせたんだろう。
すでに、部屋には黒塗りの膳が並んでいて、それぞれに和食のように見える料理が整えられていた。
「質素な膳羞だが、佳肴を誇るばかりが能でもあるまい。礼は問わぬ、各々、好きに摂れ」
なるほど、無礼講ってね。
ってもこの場合、俺は下座につくべきか。無礼講ってのは『うっかり羽目を外しても、多めに見てやるよ』って意味だからな。
俺は文城の袖を引いて、一番末席に近い所に座る。
クマの殿様は俺の様子を見つつ、黙って酌婦の注ぐ酒を飲んだ。
当然のように、サキュバス姐さんは殿様の隣。そこから膳を二つ開けて、オーガの男、その向かいに赤ネコとイヌのコンビが座った。
元町さんは俺たちの隣、上座側だ。
「して、先ほど不穏な話を耳にしたが。佐川よ、真偽のほどは如何に?」
「……知っての通り、俺たちのギルドは二か月ほど前から『蕾』の攻略に入っていた。磨平のことは……その直前ぐらいのことだろう」
時間的には、文城の一件があった直後ぐらいか。『ローンレンジャー』の連中は、ずっと二十一階で活動してるから、下のことが耳に入らないのも当然かもな。
「磨平の奴は、攻略チームに入っていた。上納したチケットのことも、普通に稼いだとしか、聞いていない」
「……佐川さん、それは明らかに、そちらの監督不行き届きですね。それに、最近の『ローンレンジャー』、お世辞にも評判がいいとは言えません」
「分かってる。ともかく磨平の奴から、話を聞くところからだ!」
ここぞとばかりに、冷血わんこがチクチク刺しにかかる。文城のことを思って、と言うよりは、他のギルドの勢力を削ぐ目的っぽいな。
オーガの方は、すっかり恐縮して、体を小さくしてしまった。
思ったより、悪い奴じゃないかもしれない。
「で、そこなネズミ。貴様の言い分を聞こう」
「言い分も何も。今のあなた方には、文城に対する交渉権がない」
俺は女中さんが注ごうとした酒を断って、クマに視線を合わせた。
「協定に従い、うちのギルドマスターである尾上乙女が、福山文城の身分を預かっていることに変わりはありません。今後の話し合いで、それが解除されるまでは、ですが」
「なるほど。小癪な物言いだが、その通りではある。だが」
クマはにんまりと笑い、自分の盃に酒を注がせていた。
「貴様は何もわかっておらぬ。我の大望が、結局はこの街の民と、そこな文城の先行きに必要であるということを」
「この小さな街で、僭主を気取ることがですか?」
「違う。我の目的は、魔界に新たな国を造ることよ」
国か、こいつはまた、大きく出たな。
「この小さな箱庭を捨て、荒漠たる魔界に、我らだけの国を建てる。そして、真なる自由と誇りを取り戻すのだ」
「なるほどね。だから新皇、日の昇らない魔界の底で、旗上げがしたいと」
「今の我らは結局、あのPとか言う奴腹に、玩弄されるばかりだ。やれプラチケだ、やれ塔の攻略だと、いいように踊らされてな」
大川大瓜、か。確かにこいつは、殿様を名乗るのにふさわしい動機と行動力がある。
あのバカげた巨大要塞も、街の外に打って出るための前線基地、というわけだ。
「今の我らには、圧倒的に不足しているものがある。そして文城よ、貴様の力があれば、それをものともせずに、突き進むことができよう」
「兵站の中で、最も重要な食料、その解決に文城の力がいる。そういうわけですね」
「……小倉、と言ったか。我が領袖となる気はないか」
将を射ずんと欲すれば、先ずは馬からか。
誇大妄想の殿様気取りかと思えば、味な真似をしやがる。
って、俺が馬だと、確実に文城に潰されるんだが?
「謹んで御辞退申し上げます。ちなみに、三顧の礼だろうがお百度参りだろうが、頼みに来ても無駄ですからね」
「その真意は?」
「計画的な遠征をしている現在でも、新しい国どころか橋頭保を築いたって話さえ聞かない。食料があっても、外敵をはねのける武力がないんじゃ、お話にならないでしょう?」
クマは熱のこもった鼻息を漏らし、それでもそれ以上の癇癪は、起こさなかった。
その代わり、口元を獰猛に歪めた。
「良い肴であった。此度はこれで、収めることとしよう」
それ、ぜってー「次はオレの物にしてみせる」宣言じゃねえか。クマは自分の獲物に執着するとか聞くけど、マジで勘弁してくれっての。
「そ、それはともかく、十階攻略できたんでしょ? そこは素直に、おめでとうって言わせて!」
ここで自分から発言とは、なかなか勇気あるな、赤ネコさん。
とはいえ、無礼講宣言したからか、俺との会話で満足したのか、大川の殿様は悠然と酒を飲むばかりだった。
「文城君、塔で冒険したいって言ってたもんね。結局、色々あって、顔も合わせなくなってたけど……」
「あ、ありがと。昨日も、みんなで十階、行ってきたんだ」
「ホントに!? そっかぁ、それならいつか一緒に」
「その話はもう、終わったはずだ。福山文城に関して『涯を追う者』は不干渉だ。ギルドへの受け入れもしない」
イヌ野郎は儀礼的に全ての料理に箸をつけ、それっきり何もせず座ったままだった。
反対に、赤ネコのお膳は綺麗に空で、新しい料理を出して貰っている。
「ふ、文城君の能力が、長い遠征に必要だって、北斗も言ってたでしょ?」
「獄層の攻略は、パーティ全体の総合能力が物を言う。彼には決定的に、戦闘能力が欠けている。二十一階のベースで、フードベンダーをしてもらうのが精々だね」
「なるほど。どんだけ有能かと思ったけど、コストカットをマネジメントと勘違いしてる手合いだったか」
ふたたび、俺たちの視線がかち合う。
俺が悪いんじゃないぞ。ただこいつの物言いが、何もかも癪に障るのがよくない。
「種も蒔かない畑から、ぽこじゃか野菜でも米でも生えてくると思ってるタイプ。サプライチェーン構築の前に、生産の現場ってのを直視することを、お勧めするぞ」
「十階攻略程度で、この世界を理解した気にならない方がいいですね。そういう勘違いでパーティを滅ぼしたニンゲンは、枚挙にいとまがありません」
「やめてよ北斗! そういうこと言うの!」
たまりかねた赤ネコが、声を荒げる。その悲しそうな顔に、イヌの顔が少しだけ、きまり悪そうに揺らいだ。
「効率とか、真剣さとか、そういうのだけが、全部じゃないでしょ?」
「君は何のために、頂を目指すんだ? Pの存在、塔の意味、万能無益とは何なのか、それを知るために、無数の試行を続けて来たんじゃないのか」
「わたしは、わたしの冒険は、それだけじゃなくて」
「俺の冒険は、君を頂へと連れていくことだ。その計画に、彼が入る余地はない」
冷たい論理、鋼のマキャベリズム、徹底したリアリストか。
「関わり合いたくないって言うなら、異論はないよ。面倒事が増えなくて助かる」
「感謝します。今後はお互いに、不干渉と言うことで」
それっきり、氷月さんの方はうつむいたまま、出された料理を親の仇みたいに、もぐもぐすることに専念していた。
いい食べっぷりと言うか、あの子となら、仲良くしてもいいだろうな。
あのイヌがいなければ、だけど。
「その……小倉、さん。なにより、福山君」
でかい体を、にじるように俺に近づかせ、オーガの男は頭をこすりつけるように、綺麗な土下座の姿勢になった。
まさしく『七重の膝を八重に折り』ってやつだった。
「済まなかったっ! うちの磨平が、とんでもねえことをっ!」
俺は文城の顔を見て、その表情から読み取れることを、最大限にして表現した。
「そういう謝罪は、互いに信頼関係があって、はじめて成立するもんですよ、佐川さん」
「……っ」
「とはいえ組織の長のメンツが、安いものでないぐらい、弁えているつもりです。頭を上げていただけますか?」
それでも姿勢を崩さない相手に、俺は淡々と告げた。
「正直、俺たちはもう、貴方たちとは関わり合いになりたくない。いつか二十一階にたどり着くとしても、『ローンレンジャー』と協力関係を結ぶ気もありません。互いに不干渉を貫く、それが落としどころでしょう」
「それでも……せめて一度は、磨平の奴も謝りに行かせてくれ。でなきゃ、けじめも示しもつかねえ!」
そういうの、要らないんだけどなあ。
はっきり言って、磨平ってチンピラも、そのチンピラをコントロールできなかったこの人も、頼むから見えないところで、勝手にやっててくれという気しかない。
「けじめも示しも、まずは自分たちの組織でやっていただけますか。孤高の戦士を気取るなら、カタギのニンゲンに迷惑かけない程度の躾を、徹底させてくださいよ」
「それなら、とりあえずこれを」
差し出されたのは、銀色のチケットだ。慰謝料ってんなら、せめて吉原の片門、閉められるぐらいに出してくれないかね。
「受け取れません。こっちは契約を勝手に破棄され、生命の危険に陥った側です。それも内々に処理しましたけどね。もはや謝罪も賠償も、届かない話なんですよ」
「……っ」
「俺は、この世界に来て、まだ日も浅いです。でも、この街がなんとか治安を保ってるのは、それぞれが『好き勝手しないでいる』からじゃないですか?」
そうだ。
実のところ、この街には法律も、それを監督する省庁も警察機関もない。
本来なら、無秩序に堕ちそうなところを、なんとか踏みとどまっているのは、過去の生活で身に着けた、社会性によるものだろう。
「それを、身勝手な暴力でまかり通ろうとする相手と、仲良くする気はありません」
「…………」
「それとも今、ここで、俺をねじ伏せて言うことを聞かせます? それが、ローンレンジャー流って奴なんでしょうから」
それが、とどめになった。
言いすぎだとは思ったけど、あの時の文城のことを考えれば、まだ軽い方だろう。
悄然と立ち上がると、オーガの男は背中越しに告げた。
「せめて、おと……尾上さんに、俺が、済まなかったと言っていたと」
「伝えておきます」
「頼む」
肉厚な気配が去っていき、部屋の中の視線が俺に集中する。
好奇、非難、揶揄、もしかすると、好意も。
「佐川ちゃん、へこんじゃったねー。小倉ちゃん、マジギレてんの、マジこわぁ」
「窮鼠猫を噛むか。良い座興であった」
くつろぎモードに入った『新皇』の二人は、面白がりながら酒をたしなんでいる。
「とはいえ、一切の謝罪を拒絶というのは、悪手でしたね。この街に法の秩序がないと言うなら、面子を傷つけられたメンバーが、逆恨みする可能性も考慮すべきでは?」
他人事だと思いやがって、冷血イヌ男が。
だからって、あそこでヘラヘラ謝罪を受け入れたら、磨平みたいなチンピラがつけあがるだけだろうが。
とはいえ、その指摘はもっともだし、用心棒のぶらぶらおじさん呼んどくか。
「しかし小倉さん、あなたもお人が悪い。佐川さん意中のお相手、どなたかもご存じなんでしょう?」
「知ったことか、ですよ。惚れた腫れたを楽しみたかったら、綺麗な体でお出ましいただきたいですね」
乙女さんが持ってた例の時計、あれも佐川の贈り物だったのかもな。確かに助けられたけど、ダンジョン攻略の結果でプラマイゼロだっての。
「小倉さん、ちょっといい?」
「なんでしょう? 氷月さん」
「瞳でいいよ。わたし、いつも下に帰って来た時、行くところがあるんだけどね」
「おい、瞳」
「北斗は黙ってて」
イヌ男を押しのけて、赤毛のネコ娘は笑顔で告げた。
「明日、もしよかったら『天覧武闘場』に来て! 紡と一緒に!」
「武闘場って、まさか」
「そうだよ」
朗らかなそれから、獰猛な肉食獣のそれへ。
鮮やかに笑いを変化させながら、最強の冒険者は拳を突き出した。
「殿堂入りしたわたしの実力、見せてあげるから!」