表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/144

3、望まぬ変化

 昼を少し回った時分の『ムーラン』は、ランチにやってくる人波が落ち付いて、空いた席が目立つようになっていた。

 カウンターに置かれた、文城の弁当はすっかりなくなっている。料理出しをしていた乙女さんが、俺たちの姿を見て、顔をほころばせた。


「おかえりなさい。だいぶ冒険者らしい顔になったわね」

「だってさ?」

「う……うん」


 文城の顔は、純粋に照れているように見える。まさか、俺に声かけされるのが嫌、とかじゃないよな?

 その辺りの不安要素は脇に置き、俺はポーチから金属のチケットを二枚、差し出した。


「あら? えっと、これは?」

「屋上の賃貸料と、ギルドへの上納です。お納めください」

「賃貸料はともかく、上納なんて……」


 戸惑った乙女さんに、俺は周囲に聞こえないよう、小声でささやいた。


「他のギルドでは、登録パーティから徴収してるって聞きましたよ」

「でも、これはみんなが」

「乙女さんの志に助けられた、俺からの感謝ってことで。受け取ってもらえませんか?」


 乙女さんは言葉を詰まらせ、小さく頷いて受け取ってくれた。


「一枚はギルドに、もう一枚は預り金にするわね。必要な時に言ってちょうだい」

「あの……これ」


 脇から出された文城のチケットを見て、今度こそ乙女さんは動揺に顔を歪めた。


「い、いいのよ、文城君! その、こんなにたくさん」

「僕……僕も、いっぱい、お世話になって……だから」

「受け取ってあげてください。次からは、正式に徴収上限を決めるってことで」


 隠しようもない涙が、彼女の頬を伝って、そのまま奥へと引っ込んでしまう。俺は文城を軽く小突き、連れ立ってカウンターを後にする。

 心配そうなネコの顔に、俺は告げた。


「これで乙女さんが、ちょっとは楽になるといいな」

「……そうだね」

「あと、今回のことは俺たちの独断だから、他の三人には内緒な?」


 文城は驚き、それから神妙な顔で頷いた。


「うん。内緒だね」

「みんなから貰うのは、次回以降ってことでさ」

「先にお風呂行ってて。荷物、事務所に上げてくる。着替えも取ってくるね」

「分かった。ありがとな」


 正直、体力的にも限界が来つつあったからな。俺は装備をひとまとめにして、文城に手渡し、一足先に地下の風呂場に入ることにした。

 入口のところにある番台には、ロップイヤー(たれみみ)をしたウサギの模造人モックレイスが座っていて、こっちをむっつりとした顔で見つめてきた。


「おつかれさま、風呂使わせてもらうよ」

「……」

「それと、営業時間内だから、チケットね。文城の分と二枚」


 柚木はむっつりとチケットを受け取り、そっぽを向く。

 いや、何とか言えよ。営業時間中は客と店員だろ。

 とはいえ、こういう手合いも散々、職場で見てきたからな。いい気はしないけど、ツッコむのさえめんどくさい。

 脱衣所に向かいつつ、乙女さんの済まなさそうな苦笑を思いだす。


『みんな、人付き合いが苦手だったり、向こうで苦労した子も多いから、ね?』


 考えてみれば、自分のトラウマや過去の後悔を抱えて、堕ちてきた連中だ。

 切り替えて第二の人生を! ってなれないのも、分からんでもない。


「だからって、いつまでも昔を引きずるのも、つまんないと思うんだけどなぁ」


 湯船につかりながら、俺はぼやいた。

 見回せば、この街にはいろんなものがある。

 珍しい景色、面白いことをやってるギルド、仕事だって、向こうではできなかったことも、ここでならやれる可能性もあった。

 確かに、引いたギフテッドが、自分にとって忌々しい記憶だった、ってこともある。

 それでも、過去に縛られないように、乙女さんが帰ってくる場所を用意して――。


「――!」


 それは、湿気を防ぎ、温度を保つために施された、二重の扉越しに聞こえた。

 誰かが誰かを、強く叱責する声。

 俺は素早く風呂から上がって、音を忍ばせて脱衣所に入る。それから、番台のある休憩室に、耳をそばだてた。


「冒険するのは勝手だけどさ、ギルドの仕事はちゃんとやっておけよ」


 声を荒げている柚木と、うつむいてうなだれている文城。


「屋上に事務所を作るなんてどういう神経だよ。毎回、上がってくたびにうるさいし。それと、店先から入ってくると他の客の邪魔だから、裏に回れって言わなかったか?」

「うん……ごめんなさい……」

「あと、お前の出した弁当、昼過ぎに売切れてたぞ。外に出るなら、そういうのも考えて多めに出しとけないのか?」


 俺は深々とため息をつき、ガラス戸を開けた。


「文城、タオル持ってきてくれたか?」


 その途端、番台のウサギはぎょっとした顔でこちらを盗み見て、何食わぬ様子で口を閉じてしまう。

 小走りでやってきたネコからタオルを受け取り、体を拭きつつ、俺はウサギを睨んだ。


「風呂入っちゃえ。着替えありがとな」

「う、うん。あの……僕」

「汚れた格好のままだと、店を汚しちゃうからな。昼の準備時間アイドルタイムに、風呂の清掃もしようか」


 俺はそれ以上、文城に何も言わせず、浴場に送り出す。

 それから、番台の上の『何様』を睨み上げた。


「な、なんだよ」

「さっきの会話、聞かせてもらったんで。何かご不満があるとか」

「別に、お前に関係」

「俺は文城の上司で、ビジネスパートナーですので、関係大ありです。なにか粗相があったのなら、こちらの責任問題ですから。忌憚ないご意見を、お聞かせ願えますか?」


 おどおどした顔で黙り込むウサギに、俺は極めて丁寧かつ、慇懃に指摘してやることにした。


「まず、ギルドの仕事の未履行ですが、こちらはギルドマスターに正式に申請、冒険者活動の時は、免責されるようになっています」

「そ、そんなの、サボる口実だろ」

「その上で、各人可能な限りで運営に参加することになっています。例えば、今日の午後の風呂掃除とかね」


 心底嫌そうに顔を背けるウサギに、俺はダメ押しをする。


「申し訳ありませんが、貴方のギルドにおける役職と責任を、お教え願えますか?」

「お、俺はただ、率先してみんなを、まとめるようにしてるだけで……」

「では、貴方が福山文城に命令、あるいは叱責する権限もありませんね」

「じ、常識とか、店のルールとか、そういうのを破るなって言ってるだけだ!」


 あー、はいはい。そういう建前を振りかざしてきますか、でしたらこっちも、容赦はしませんよっと。


「申し訳ない。俺も文城も、正式な書面を交わして、このギルドと契約した個人事業主なんですよ。つまり、命令できるのは雇用主である尾上乙女と、彼女から監督責任を与えられたヒトだけです」

「そんなの……いつのまに」

「最初の十階踏破の時にですが、なにか?」


 今度こそ本当に、ウサギは怒りと屈辱で顔を歪めて番台から立ち、外に出ていく。


「あれ、どこに行かれるんですか?」

「トイレだよ! あと休憩時間!」


 チッ、逃げたか。

 俺はそのまま番台に座り、暇つぶし用に置かれた雑誌を手に取る。

 それは、これまで見たこともなかった、古い漫画雑誌。


「柑奈が出した奴かな。それともしおりちゃんが拾ってきたのかな」

「……あ、あの」

「うおっ!?」


 気が付くと、目の前に小山のような影が、俺を見下ろしていた。

 クマの模造人モックレイスって、ひたすらデカくて威圧感があるな。ただ、その顔には怯えというか、済まなさそうな気配が漂っている。


「仲代君、どうかした?」

「交代……柚木君と」


 種族の限界に挑戦するような小声と、鈴来のような、ぶつ切り単語の喋り。

 彼女のそれが、感情があふれ出すままに口走った結果なら、彼のそれは、必死に心を抑え込んだ結果に思えた。


「ありがとう。じゃあ、後は頼むよ」

「冒険」


 一瞬、聞き違いかと思ったが、そうじゃない。

 クマの陰鬱そうな顔の中に、何かが光っているように見えた。

 俺はなるべく慎重に、言葉を選んだ。


「興味ある? 俺たちの活動」

「怖いですか?」

「めちゃくちゃ怖いよ。でも、俺は少なくとも、楽しいとも思ってる」

「福山君も?」


 どうかな、そう思いつつも、俺は笑った。


「少なくとも、苦手な早起きを、自分からするぐらいには」


 クマの喉がひくひくと震えて、痰がからんだような音が漏れる。

 でもそれは、最後まで告げることはできなかった。


「お、お待たせ」


 申し訳なさそうに、文城が風呂から戻ってきた。気持ちの整理に時間がかかったのか、濡れた毛皮と相まって、しょんぼりした顔のままだ。


「じゃあ、俺たち行くけど、聞きたいことがあったら声かけてよ。無理そうなら、乙女さんに伝言してくれれば、こっちから部屋に行くから」

「……はい」


 多分、文城と一緒だと、これ以上は喋ってくれないだろう。集団で話すのが苦手なタイプなんだろうし。

 風呂を出ると、もうひとりのしょんぼり屋は、絞り出すように告げた。


「ごめんなさい。僕、柚木君の言う通り」

「ダメだ。それは許さないぞ」


 今回ばかりは、優しく諭すわけにはいかない。

 ここで折れさせたら、文城のためにならないからな。


「乙女さんにも言ってあるだろ。俺たちは冒険者として、このギルドに参加するって。お前はもう、雑用係じゃない。別の役職なんだ」

「でも、柚木君が、みんなに迷惑かけるなって」

「そんな御大層なこと言った奴が、キレて職場放棄してんだぞ? あいつの言った『みんな』ってのは、『自分が』って言い換えだ」


 そう言い捨てつつ、俺はもう一回、大きなため息をついた。

 

「ああいうタイプは、どこにでもいるんだよ。なんの権限もない、職場に長くいるだけの癖に、勝手なルールでマウントを取りたがる奴」

「……でも、お弁当のこととか、お店に入るのとか、事務所の事とか」

「あの手の弁当は、売り切りの方が価値が出る。店から入るのは、乙女さんが無事を確認したいっていう要請だから。事務所は俺が代表で、ギルドに賃貸料を払った正式契約だ」


 乏しい知識と自分ルールで、お山の大将になりたがる奴は、ホント始末に負えない。害悪無能な古参やお局さんは、どこにでも湧いてくるものらしい。


「まあ、事務所へ移動するときの騒音は確かに迷惑だから、そこはちゃんと対策したほうがいいな。紡と鈴来にも、厳しく言っとくわ」

「う、うん」

「それと、次にあいつに何か言われたら、俺に報告してくれ」


 文城の苦悩に満ちた顔に、俺はそれでも厳しく告げた。


「これは告げ口とかじゃない。お前は危険なダンジョンに挑む役になったんだ。肉体と精神の健康を守るのは、俺の責任だ」

「でも……」

「正当な問題指摘なら、一緒に改善を考えよう。でも、明らかに個人的な誹謗中傷なら、それなりの対応をする」


 それでも、丸いネコ顔は不満と不安だらけだった。これがある程度、自分の役職や仕事に自信が出ていたなら、俺の申し出もすんなり受けってもらえただろう。

 ったく、文城にとって大事な時期だってのに、足引っ張ってくれるなよ。


「ごめんね、孝人」

「お前が謝ることなんて」

「僕が、ずっと前から、ちゃんとできてたら」


 その一言に、俺は文城の微妙な反応の理由を、見た気がした。

 昨日まで何もできていなかった、何もやろうとしなかった自分と、伸びていこうとする今の自分に、戸惑っているんだろう。

 変化に伴う、心の成長痛。


「風呂掃除終わったら、遊びに行こうぜ。『人参畑』で新しい、って言うか古いゲームの発掘基盤が入ったんだってさ」

「う、うん」


 こればっかりは、俺が何かをできるわけじゃない。痛みを気遣いながら、それでも進む姿を応援するだけだ。

 そして、


「そういう他人の姿を、見るのも嫌だと思うニンゲンも、居るわけか」


 転生して、姿かたちさえ変わっても、拭われないヒトの業に、俺はため息をついた。



 営業が終わり、人気のなくなったカウンターで、俺は久しぶりに乙女さんと差し向いに座っていた。


「チケットの事、本当にありがとう。でも、無理はしないでね」

「むしろ、周回パーティなしで、よく持たせてたと思いますよ? 文城も今までの恩返しだって張り切ってたし、気兼ねなく受け取ってください」


 実際、このギルドに参加している面子は百人を超える。いくら、それぞれの更新月が違うからと言って、毎月四十枚の交換限界がある以上、出せるチケットには限りがある。

 しかも、Pの館の交換レート通りに、ログボチケット十枚で交換しているから、収支としては明らかな赤字だ。


「互助関係、ってのは都合のすり合わせですよ? 乙女さんが全部被ればいい、ってもんじゃないんですからね」

「きびしいなぁ、孝人君は。まるで、うちのお父さんみたい」

「からかわないでください。そもそも、乙女さんが潰れたら、元も子もないんですから」

「……ありがとう」


 今後は俺たちが定期的に十階に入って、チケットを都合できる。便利に使われる気もないけど、乙女さんの苦労が減るのは、素直にうれしかった。


「あー、ところで、ギルドマスターに一つ報告を」

「どうしたの?」

「柚木の事なんですけど……」


 その名前を出した途端、乙女さんの上機嫌はすっかり消えてしまっていた。

 なるほど、先刻ご承知ってわけだ。


「ごめんなさい。私からも言っておくわ」

「あいつ、ここは長いんですか?」

「もう三年近くになるわ。真面目で、仕事もきちんとやってくれるんだけど……言葉遣いとか、ヒトに厳しく当たりがちで……何度か忠告もしてみたの。でも」

「言ってることは、店のためだって建前があるから、頭ごなしに否定もしにくいと」


 実際には、あの手のアホは、全くと言っていいほど組織のためにならない。

 何の理論的な背景もない、勝手な理屈で周囲を振り回し、威圧や不機嫌で他人をコントロールしようとする。

 その上、自分は正しいことをしていると思ってるから、平然と上司に逆らう。

 可能な限り真っ先に排除するか、再教育が必要なケースだ。


「一番めんどくさいんですよね。うちの会社にもいましたよ。ってか、俺がこっちに来る頃には、あの手のニンゲンが上をやってて、本気で地獄でした」

「孝人君……その、苦労したのね」

「すみませんけど俺、徹底的にやりますよ」


 以前はサラリーマンの立場だったし、事なかれ主義で問題を先送りにし続けてたけど、ここではそんな甘い対応はしない。


「文城だけじゃない、あいつの調子が悪くなれば、他のみんなにも影響が出る。それだけは絶対に、見過ごせない」

「ええ、分かっているわ」

「日々を安穏と暮らしたいって言うなら、それでいい。冒険に出でるのも、俺たちがやりたいだけで、みんなに恩を着せる気もない。でも」


 軽く私情が混ざってしまったが、俺はきっぱりと言い放った。


「俺たちの邪魔は、許さないですよ」

「……何かあったら、私にも報告してね。ギルドの長として、判断するわ」


 責めるつもりはなかったんだけど、この場合はどうしようもない。仲良しこよしのなあなあで済むほど、甘い世界でもないのはお互いに分かっていた。

 そんな重い空気を、店の扉を叩く音が緩ませた。


「すんません、もう閉店で……」

「やあ、いいお晩ですな。小倉さん」


 紋付を着けたトカゲの模造人モックレイス、元町さんが提灯を片手に、戸口に立っていた。


「あら元町さん? どうしたんですか、こんな遅くに」

「明日、『新皇』の皆さんがお帰りになるってんで、ちょいとご相談に参りましたよ」

「ああ……『食事会』!」

「クリスさんたちにゃ声を掛けときやしたから、あとは尾上さんにご注進、って寸法で」


 トカゲの視線が、意味ありげに俺に注がれる。

 なるほど、そういうことか。


「どうしてインタビュー記事の時、言ってくれなかったんです?」

「てっきり尾上さんから聞いて、先刻ご承知のことと」

「そういうズルい駆け引きばっかりやってると、足元掬われますよ」

「情報は、あっしらの武器ですからね。むやみにちらつかせないのが、処世術ですんで」


 俺たちのやり取りで察したのか、乙女さんは済まなさそうに頭を下げた。


「ごめんなさいね。あの頃は『新皇』や『涯を追う者ホライゾン・ブリンガー』のみんなも、長期に出払っていたから」

「それに福山さんの協定は、あっしと尾上さんの音頭あってのこと。他のギルドもそれを無下にして、動こうとはしませんや」

「の割には、新聞に記事を上げて、煽りに行くような真似してる癖に」


 俺のボヤキに元町さんはからからと笑い、それから真剣な表情になった。


「明日、お暇ですかい?」

「十階終えたばかりなんで、完全静養ですよ」

「でしたら、福山さんとご一緒に、物見遊山ものみゆさんなんて、いかがでしょ」


 爬虫類独特の無の表情で、腹に一物を抱えた老爺は、挑むように告げた。


「福山さんを取り合った方々の顔、ひとつ拝んでみたいと思いやせんか?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ