3、望まぬ変化
昼を少し回った時分の『ムーラン』は、ランチにやってくる人波が落ち付いて、空いた席が目立つようになっていた。
カウンターに置かれた、文城の弁当はすっかりなくなっている。料理出しをしていた乙女さんが、俺たちの姿を見て、顔をほころばせた。
「おかえりなさい。だいぶ冒険者らしい顔になったわね」
「だってさ?」
「う……うん」
文城の顔は、純粋に照れているように見える。まさか、俺に声かけされるのが嫌、とかじゃないよな?
その辺りの不安要素は脇に置き、俺はポーチから金属のチケットを二枚、差し出した。
「あら? えっと、これは?」
「屋上の賃貸料と、ギルドへの上納です。お納めください」
「賃貸料はともかく、上納なんて……」
戸惑った乙女さんに、俺は周囲に聞こえないよう、小声でささやいた。
「他のギルドでは、登録パーティから徴収してるって聞きましたよ」
「でも、これはみんなが」
「乙女さんの志に助けられた、俺からの感謝ってことで。受け取ってもらえませんか?」
乙女さんは言葉を詰まらせ、小さく頷いて受け取ってくれた。
「一枚はギルドに、もう一枚は預り金にするわね。必要な時に言ってちょうだい」
「あの……これ」
脇から出された文城のチケットを見て、今度こそ乙女さんは動揺に顔を歪めた。
「い、いいのよ、文城君! その、こんなにたくさん」
「僕……僕も、いっぱい、お世話になって……だから」
「受け取ってあげてください。次からは、正式に徴収上限を決めるってことで」
隠しようもない涙が、彼女の頬を伝って、そのまま奥へと引っ込んでしまう。俺は文城を軽く小突き、連れ立ってカウンターを後にする。
心配そうなネコの顔に、俺は告げた。
「これで乙女さんが、ちょっとは楽になるといいな」
「……そうだね」
「あと、今回のことは俺たちの独断だから、他の三人には内緒な?」
文城は驚き、それから神妙な顔で頷いた。
「うん。内緒だね」
「みんなから貰うのは、次回以降ってことでさ」
「先にお風呂行ってて。荷物、事務所に上げてくる。着替えも取ってくるね」
「分かった。ありがとな」
正直、体力的にも限界が来つつあったからな。俺は装備をひとまとめにして、文城に手渡し、一足先に地下の風呂場に入ることにした。
入口のところにある番台には、ロップイヤーをしたウサギの模造人が座っていて、こっちをむっつりとした顔で見つめてきた。
「おつかれさま、風呂使わせてもらうよ」
「……」
「それと、営業時間内だから、チケットね。文城の分と二枚」
柚木はむっつりとチケットを受け取り、そっぽを向く。
いや、何とか言えよ。営業時間中は客と店員だろ。
とはいえ、こういう手合いも散々、職場で見てきたからな。いい気はしないけど、ツッコむのさえめんどくさい。
脱衣所に向かいつつ、乙女さんの済まなさそうな苦笑を思いだす。
『みんな、人付き合いが苦手だったり、向こうで苦労した子も多いから、ね?』
考えてみれば、自分のトラウマや過去の後悔を抱えて、堕ちてきた連中だ。
切り替えて第二の人生を! ってなれないのも、分からんでもない。
「だからって、いつまでも昔を引きずるのも、つまんないと思うんだけどなぁ」
湯船につかりながら、俺はぼやいた。
見回せば、この街にはいろんなものがある。
珍しい景色、面白いことをやってるギルド、仕事だって、向こうではできなかったことも、ここでならやれる可能性もあった。
確かに、引いたギフテッドが、自分にとって忌々しい記憶だった、ってこともある。
それでも、過去に縛られないように、乙女さんが帰ってくる場所を用意して――。
「――!」
それは、湿気を防ぎ、温度を保つために施された、二重の扉越しに聞こえた。
誰かが誰かを、強く叱責する声。
俺は素早く風呂から上がって、音を忍ばせて脱衣所に入る。それから、番台のある休憩室に、耳をそばだてた。
「冒険するのは勝手だけどさ、ギルドの仕事はちゃんとやっておけよ」
声を荒げている柚木と、うつむいてうなだれている文城。
「屋上に事務所を作るなんてどういう神経だよ。毎回、上がってくたびにうるさいし。それと、店先から入ってくると他の客の邪魔だから、裏に回れって言わなかったか?」
「うん……ごめんなさい……」
「あと、お前の出した弁当、昼過ぎに売切れてたぞ。外に出るなら、そういうのも考えて多めに出しとけないのか?」
俺は深々とため息をつき、ガラス戸を開けた。
「文城、タオル持ってきてくれたか?」
その途端、番台のウサギはぎょっとした顔でこちらを盗み見て、何食わぬ様子で口を閉じてしまう。
小走りでやってきたネコからタオルを受け取り、体を拭きつつ、俺はウサギを睨んだ。
「風呂入っちゃえ。着替えありがとな」
「う、うん。あの……僕」
「汚れた格好のままだと、店を汚しちゃうからな。昼の準備時間に、風呂の清掃もしようか」
俺はそれ以上、文城に何も言わせず、浴場に送り出す。
それから、番台の上の『何様』を睨み上げた。
「な、なんだよ」
「さっきの会話、聞かせてもらったんで。何かご不満があるとか」
「別に、お前に関係」
「俺は文城の上司で、ビジネスパートナーですので、関係大ありです。なにか粗相があったのなら、こちらの責任問題ですから。忌憚ないご意見を、お聞かせ願えますか?」
おどおどした顔で黙り込むウサギに、俺は極めて丁寧かつ、慇懃に指摘してやることにした。
「まず、ギルドの仕事の未履行ですが、こちらはギルドマスターに正式に申請、冒険者活動の時は、免責されるようになっています」
「そ、そんなの、サボる口実だろ」
「その上で、各人可能な限りで運営に参加することになっています。例えば、今日の午後の風呂掃除とかね」
心底嫌そうに顔を背けるウサギに、俺はダメ押しをする。
「申し訳ありませんが、貴方のギルドにおける役職と責任を、お教え願えますか?」
「お、俺はただ、率先してみんなを、まとめるようにしてるだけで……」
「では、貴方が福山文城に命令、あるいは叱責する権限もありませんね」
「じ、常識とか、店のルールとか、そういうのを破るなって言ってるだけだ!」
あー、はいはい。そういう建前を振りかざしてきますか、でしたらこっちも、容赦はしませんよっと。
「申し訳ない。俺も文城も、正式な書面を交わして、このギルドと契約した個人事業主なんですよ。つまり、命令できるのは雇用主である尾上乙女と、彼女から監督責任を与えられたヒトだけです」
「そんなの……いつのまに」
「最初の十階踏破の時にですが、なにか?」
今度こそ本当に、ウサギは怒りと屈辱で顔を歪めて番台から立ち、外に出ていく。
「あれ、どこに行かれるんですか?」
「トイレだよ! あと休憩時間!」
チッ、逃げたか。
俺はそのまま番台に座り、暇つぶし用に置かれた雑誌を手に取る。
それは、これまで見たこともなかった、古い漫画雑誌。
「柑奈が出した奴かな。それともしおりちゃんが拾ってきたのかな」
「……あ、あの」
「うおっ!?」
気が付くと、目の前に小山のような影が、俺を見下ろしていた。
クマの模造人って、ひたすらデカくて威圧感があるな。ただ、その顔には怯えというか、済まなさそうな気配が漂っている。
「仲代君、どうかした?」
「交代……柚木君と」
種族の限界に挑戦するような小声と、鈴来のような、ぶつ切り単語の喋り。
彼女のそれが、感情があふれ出すままに口走った結果なら、彼のそれは、必死に心を抑え込んだ結果に思えた。
「ありがとう。じゃあ、後は頼むよ」
「冒険」
一瞬、聞き違いかと思ったが、そうじゃない。
クマの陰鬱そうな顔の中に、何かが光っているように見えた。
俺はなるべく慎重に、言葉を選んだ。
「興味ある? 俺たちの活動」
「怖いですか?」
「めちゃくちゃ怖いよ。でも、俺は少なくとも、楽しいとも思ってる」
「福山君も?」
どうかな、そう思いつつも、俺は笑った。
「少なくとも、苦手な早起きを、自分からするぐらいには」
クマの喉がひくひくと震えて、痰がからんだような音が漏れる。
でもそれは、最後まで告げることはできなかった。
「お、お待たせ」
申し訳なさそうに、文城が風呂から戻ってきた。気持ちの整理に時間がかかったのか、濡れた毛皮と相まって、しょんぼりした顔のままだ。
「じゃあ、俺たち行くけど、聞きたいことがあったら声かけてよ。無理そうなら、乙女さんに伝言してくれれば、こっちから部屋に行くから」
「……はい」
多分、文城と一緒だと、これ以上は喋ってくれないだろう。集団で話すのが苦手なタイプなんだろうし。
風呂を出ると、もうひとりのしょんぼり屋は、絞り出すように告げた。
「ごめんなさい。僕、柚木君の言う通り」
「ダメだ。それは許さないぞ」
今回ばかりは、優しく諭すわけにはいかない。
ここで折れさせたら、文城のためにならないからな。
「乙女さんにも言ってあるだろ。俺たちは冒険者として、このギルドに参加するって。お前はもう、雑用係じゃない。別の役職なんだ」
「でも、柚木君が、みんなに迷惑かけるなって」
「そんな御大層なこと言った奴が、キレて職場放棄してんだぞ? あいつの言った『みんな』ってのは、『自分が』って言い換えだ」
そう言い捨てつつ、俺はもう一回、大きなため息をついた。
「ああいうタイプは、どこにでもいるんだよ。なんの権限もない、職場に長くいるだけの癖に、勝手なルールでマウントを取りたがる奴」
「……でも、お弁当のこととか、お店に入るのとか、事務所の事とか」
「あの手の弁当は、売り切りの方が価値が出る。店から入るのは、乙女さんが無事を確認したいっていう要請だから。事務所は俺が代表で、ギルドに賃貸料を払った正式契約だ」
乏しい知識と自分ルールで、お山の大将になりたがる奴は、ホント始末に負えない。害悪無能な古参やお局さんは、どこにでも湧いてくるものらしい。
「まあ、事務所へ移動するときの騒音は確かに迷惑だから、そこはちゃんと対策したほうがいいな。紡と鈴来にも、厳しく言っとくわ」
「う、うん」
「それと、次にあいつに何か言われたら、俺に報告してくれ」
文城の苦悩に満ちた顔に、俺はそれでも厳しく告げた。
「これは告げ口とかじゃない。お前は危険なダンジョンに挑む役になったんだ。肉体と精神の健康を守るのは、俺の責任だ」
「でも……」
「正当な問題指摘なら、一緒に改善を考えよう。でも、明らかに個人的な誹謗中傷なら、それなりの対応をする」
それでも、丸いネコ顔は不満と不安だらけだった。これがある程度、自分の役職や仕事に自信が出ていたなら、俺の申し出もすんなり受けってもらえただろう。
ったく、文城にとって大事な時期だってのに、足引っ張ってくれるなよ。
「ごめんね、孝人」
「お前が謝ることなんて」
「僕が、ずっと前から、ちゃんとできてたら」
その一言に、俺は文城の微妙な反応の理由を、見た気がした。
昨日まで何もできていなかった、何もやろうとしなかった自分と、伸びていこうとする今の自分に、戸惑っているんだろう。
変化に伴う、心の成長痛。
「風呂掃除終わったら、遊びに行こうぜ。『人参畑』で新しい、って言うか古いゲームの発掘基盤が入ったんだってさ」
「う、うん」
こればっかりは、俺が何かをできるわけじゃない。痛みを気遣いながら、それでも進む姿を応援するだけだ。
そして、
「そういう他人の姿を、見るのも嫌だと思うニンゲンも、居るわけか」
転生して、姿かたちさえ変わっても、拭われないヒトの業に、俺はため息をついた。
営業が終わり、人気のなくなったカウンターで、俺は久しぶりに乙女さんと差し向いに座っていた。
「チケットの事、本当にありがとう。でも、無理はしないでね」
「むしろ、周回パーティなしで、よく持たせてたと思いますよ? 文城も今までの恩返しだって張り切ってたし、気兼ねなく受け取ってください」
実際、このギルドに参加している面子は百人を超える。いくら、それぞれの更新月が違うからと言って、毎月四十枚の交換限界がある以上、出せるチケットには限りがある。
しかも、Pの館の交換レート通りに、ログボチケット十枚で交換しているから、収支としては明らかな赤字だ。
「互助関係、ってのは都合のすり合わせですよ? 乙女さんが全部被ればいい、ってもんじゃないんですからね」
「きびしいなぁ、孝人君は。まるで、うちのお父さんみたい」
「からかわないでください。そもそも、乙女さんが潰れたら、元も子もないんですから」
「……ありがとう」
今後は俺たちが定期的に十階に入って、チケットを都合できる。便利に使われる気もないけど、乙女さんの苦労が減るのは、素直にうれしかった。
「あー、ところで、ギルドマスターに一つ報告を」
「どうしたの?」
「柚木の事なんですけど……」
その名前を出した途端、乙女さんの上機嫌はすっかり消えてしまっていた。
なるほど、先刻ご承知ってわけだ。
「ごめんなさい。私からも言っておくわ」
「あいつ、ここは長いんですか?」
「もう三年近くになるわ。真面目で、仕事もきちんとやってくれるんだけど……言葉遣いとか、ヒトに厳しく当たりがちで……何度か忠告もしてみたの。でも」
「言ってることは、店のためだって建前があるから、頭ごなしに否定もしにくいと」
実際には、あの手のアホは、全くと言っていいほど組織のためにならない。
何の理論的な背景もない、勝手な理屈で周囲を振り回し、威圧や不機嫌で他人をコントロールしようとする。
その上、自分は正しいことをしていると思ってるから、平然と上司に逆らう。
可能な限り真っ先に排除するか、再教育が必要なケースだ。
「一番めんどくさいんですよね。うちの会社にもいましたよ。ってか、俺がこっちに来る頃には、あの手のニンゲンが上をやってて、本気で地獄でした」
「孝人君……その、苦労したのね」
「すみませんけど俺、徹底的にやりますよ」
以前はサラリーマンの立場だったし、事なかれ主義で問題を先送りにし続けてたけど、ここではそんな甘い対応はしない。
「文城だけじゃない、あいつの調子が悪くなれば、他のみんなにも影響が出る。それだけは絶対に、見過ごせない」
「ええ、分かっているわ」
「日々を安穏と暮らしたいって言うなら、それでいい。冒険に出でるのも、俺たちがやりたいだけで、みんなに恩を着せる気もない。でも」
軽く私情が混ざってしまったが、俺はきっぱりと言い放った。
「俺たちの邪魔は、許さないですよ」
「……何かあったら、私にも報告してね。ギルドの長として、判断するわ」
責めるつもりはなかったんだけど、この場合はどうしようもない。仲良しこよしのなあなあで済むほど、甘い世界でもないのはお互いに分かっていた。
そんな重い空気を、店の扉を叩く音が緩ませた。
「すんません、もう閉店で……」
「やあ、いいお晩ですな。小倉さん」
紋付を着けたトカゲの模造人、元町さんが提灯を片手に、戸口に立っていた。
「あら元町さん? どうしたんですか、こんな遅くに」
「明日、『新皇』の皆さんがお帰りになるってんで、ちょいとご相談に参りましたよ」
「ああ……『食事会』!」
「クリスさんたちにゃ声を掛けときやしたから、あとは尾上さんにご注進、って寸法で」
トカゲの視線が、意味ありげに俺に注がれる。
なるほど、そういうことか。
「どうしてインタビュー記事の時、言ってくれなかったんです?」
「てっきり尾上さんから聞いて、先刻ご承知のことと」
「そういうズルい駆け引きばっかりやってると、足元掬われますよ」
「情報は、あっしらの武器ですからね。むやみにちらつかせないのが、処世術ですんで」
俺たちのやり取りで察したのか、乙女さんは済まなさそうに頭を下げた。
「ごめんなさいね。あの頃は『新皇』や『涯を追う者』のみんなも、長期に出払っていたから」
「それに福山さんの協定は、あっしと尾上さんの音頭あってのこと。他のギルドもそれを無下にして、動こうとはしませんや」
「の割には、新聞に記事を上げて、煽りに行くような真似してる癖に」
俺のボヤキに元町さんはからからと笑い、それから真剣な表情になった。
「明日、お暇ですかい?」
「十階終えたばかりなんで、完全静養ですよ」
「でしたら、福山さんとご一緒に、物見遊山なんて、いかがでしょ」
爬虫類独特の無の表情で、腹に一物を抱えた老爺は、挑むように告げた。
「福山さんを取り合った方々の顔、ひとつ拝んでみたいと思いやせんか?」