2、当たり前への第一歩
午前十時を少し回ったくらいで、俺たちは南門の受付に集まっていた。
必要な書類を提出し、塔へ向かう石畳を進む。
「お前ら、忘れもんないな? なにか不安があったらすぐに言えよ」
俺は片手に持った棒を軽く掲げて、背後を振り返る。
「リーダーこそ、忘れ物ないでしょうね」
「ちゃんと確認してきましたよ。ベルトポーチに罠解除の道具、籠手に胴鎧、額宛てに結晶短剣、忘れちゃいけない十フィート棒ってな」
「孝人さん、その棒は約三メートルもないような気がしますが……」
しおりちゃんの容赦ないツッコミを、俺は笑ってごまかした。
失われた、TRPGのお約束。とはいえ、この世界では便利なスキルの代わりに、何の変哲もない棒が命綱になるのだ。
「ようやく二回目か。いや失敗したのを含めて三回目だな。しかも、今回は秘策無しの正統派攻略!」
いつもの革鎧と長剣をつるした紡が、テンション高めに言い放つ。狼顔の笑顔と、尻尾の揺れ具合からしても、かなりの上機嫌だ。
「攻略予定時間は三時間。平均的な『引率』のペースと聞きますが……」
魔法使い然とした鳥の模造人、しおりちゃんは手にした羽のようなワンドをこすり、緊張をほぐしている。
「大丈夫だって! みんなで散々練習したでしょ。あたしも秘密兵器を用意して来たし」
しおりちゃんを励ます柑奈の姿は、普段のメイド姿とは完全に違っていた。
片手に持っているのは、古ぼけた長柄の箒。
身に着けている衣装は、白いリボンを付けた大ぶりな三角帽子、黒でまとまった服、その上から白いエプロンを掛けている。
「……ここに来るまでの間、ずっっっっっっと突っ込みたかったんだが、その恰好」
「ああ、ほら。今回はパワー重視だからさ。大口径はパワーだぜ! ってことで」
「うわぁ、うん……そう、はい」
「つか柑奈ぁ、その格好だと、しおりとキャラ、被ってね?」
「それなら私も、紅白で脇の空いた服とか着ましょうか。『空を飛ぶ程度の能力』持ちですし」
「結構ノリノリねキミタチ! 緊張感なくて実によろしいっ!」
そんな俺たちとは逆に、後からついてくる文城は、がちがちに緊張しっぱなしだった。
片手には、おなじみになった硬装竹の盾。腹回りを守る皮の胴鎧は、わき腹の当たりが窮屈そうで、背中には親方のところで受け取ってきた、布包みを背負っている。
「つーわけで、文城もちょっと力抜け。油断はダメだけど、緊張し過ぎも厳禁だぞ」
「う、うん。ちょっと、待って」
文城はその場で、大きく深く呼吸を始めた。四拍呼吸、ここに初めて来た時、俺が教えた奴だっけ。
「うん、だいじょぶ。行ける、と思う」
「っしゃ。それじゃ、やるか」
すっかり馴染んでしまった塔の入り口を抜け、自然と中の音を聞く。それから、手首のオートマッパーで周囲を確認。
「ま、ここは何もなしっと」
「たまには朝一で来てみるか? てか、オレもコウヤ師匠みたいに、一人で二十階踏破とかやってみてえ!」
「それだって、パーティで攻略してからって話だぞ? 勇気と無謀をはき違えんなよ」
「分かってるって」
二階への階段はすぐに見つかり、俺にとっては馴染みの空気が漂ってくる。同時に、あまり嗅ぎ慣れたくない臭いも、感じられた。
「どっかで、トラップに引っかかった奴がいるな。臭いの濃さからして、すぐに撤退しなきゃならないレベルだ」
「マジぃ? せっかくのニューコスなのに、泥ハネひっかけパラダイスって感じ」
「他人ごとじゃないぞ。誰かの失敗に引っ張られて、普段はやらかさないミスをやることもあるんだ。柑奈、しおりちゃん、バックアップ頼むわ」
実際、甲山組のアタックでも、他人の失敗を目に入れてしまった熟練が、簡単なトラップに引っかかることがある。
そういう時こそ、慎重に、基礎に忠実に。
「っと、ここかぁ」
たどり着いた場所には、地面から突き出る槍と、奥の壁から石弓の矢の複合トラップがあった。地面と壁に作動スイッチが撒かれていて、回避失敗大惨事ってやつ。
床には哀れな犠牲者の血痕が、生々しく残っている。
「こういうのって、下手に死体が残るより、グロみがスゴイよね……」
「だ、大丈夫だったのかな……ここでケガしたヒトたち」
「二階の死肉喰らいは頭数が少ないから、三階と違って残骸が残りやすい。少なくとも、生き残ったやつが、負傷者か死傷者の体は持ち帰ったと思うぞ」
「やっぱソロ攻略は、もっと修行してからにするわ」
そんなことを話している間に、しおりちゃんが魔界の植物を放って、床に残った血を吸わせていく。
「犠牲者の方には申し訳ありませんが、このままですと、こちらもトラップを見つけにくいので」
「あ、ありがとう。相変わらず、しおりちゃんは行動に容赦がないナー」
そのまま二階を抜け、三階の樹木地帯に入る。茂みの壁の向こうで、何かが這いずり回る音がしている。
「と、言う訳で、ふみっち、おねがいっ」
「うん」
文城の大きな背中に、完全に隠れるようにして引っ付く柑奈。相変わらず蟲嫌いが克服できていないが、それでも自分で歩こうとするぐらいには、努力してるんだよな。
「ご、ごめん、カンナちゃん。ベルト掴まれると、おなか、くるしい」
「じゃあ、こうやって後ろからガバッと……くっ! 革鎧がごわごわで、抱き心地にデバフマシマシパラダイスっ!」
「ほらそこー、休日のお父さんと娘さんじゃないんだからー、変にじゃれつかない」
「お……おと……っ!?」
「わーい、ふみきぱぱー、もちもちぽんぽんー」
ご機嫌な柑奈と、若干ショックを受けている文城を引率しつつ、視界の悪いダンジョンを進む。
ここに出てくる蟲は、南の森にも生息している連中だ。正確には、緑獄層にいるはずの敵が、ここに出現している。
(二十階まではチュートリアル、か)
そう言えば、八階の鏡の間には機械の敵がいた。あそこが機獄層準拠とすれば、上の階には他の獄層の敵も――。
「孝人! 足元!」
紡の警告と同時に地面が盛り上がり、びっしりと牙の生えた何かが襲い掛かってくる。
擬態型の植物モンスター。
こういう『トラップ』を見つけるのも、俺の仕事だってのに!
「リーダー、右!」
反射的に右へ飛んだ俺の脇を、衝撃の帯が貫く。
それからやや遅れて、重く鋭い爆音が鼓膜を痺れさせ、ボロ布のように引き裂けた怪物が、体液を漏らして崩れ落ちる。
文城のカバーから出た柑奈が構えるのは、偽装を解除された金属の武器。
大枚をはたいて購入した、長大な対物狙撃銃だ。
「しっかりしなさいよ。そっちこそ、気が抜けてるんじゃないの?」
「悪い。アシストありがとな」
「まずいですね。今の銃声で、他の蟲たちが」
それまで息をひそめていた捕食者たちが、威嚇音を発しながら近づいてくる。震えあがる柑奈を、文城が自然に抱き寄せていた。
なるほど、文城もだいぶ、動けるようになってるじゃないか。
「全員速足。いざとなったらしおりちゃん、壁頼むね」
「はい!」
幸いなことに、敵にはほとんど悩まされることなく、四階へとたどり着く。
薄暗い空間だが、敵は距離を取っての不意打ちが中心だから、柑奈のセンサーと紡の勘で、割とどうにかなる。
「しおりちゃん、いつもの頼む」
俺は手に持っていた棒に、明り取りの植物を巻き付けて、光源を確保した。三階と四階は隠密中心だから、対処を間違えなければ問題はない。
五階への階段にとたどり着き、俺たちは軽く休憩に入った。タイムキーパー役のしおりちゃんが、『永遠の金時計』を確認しつつメモを取る。
「現在、三十七分経過です。ペースはかなり順調かと」
「三階は俺のミスがあったけど、他は問題なしだな。みんな、体に異常は?」
「あたしはオールグリーン。やっぱり一撃の威力を上げるのが、正解だったみたい」
柑奈はそれまでの弾幕を張る攻撃から、狙撃による一撃必殺に切り替えている。排熱問題が解決できない代わりに、省力化することで活動時間を伸ばしたわけだ。
「オレも問題なし。ただ、戦闘回避が中心だから、ちょっと欲求不満かな」
紡の気持ちも分かるけど、俺たちは十階で終わるつもりもない。ここで紡が全力を出しているなら、それこそ問題だろう。
「こちらも問題ありません。ただ、三階でのトラブルを避けるために、私の力を積極的に活用したほうがいいかもですね」
実際、柑奈の問題があるから、しおりちゃんの提案は一考の余地がある。俺は手元のメモに、改善案を記入した。
「ぼ、僕も、だいじょぶだよ。おなかが、ちょっときゅうくつだけど、疲れてないし、息も苦しくないし」
今のメンバーで、改善著しいのが文城だろう。朝トレの成果も出てきているから、今後はもっと、できることが増えるはずだ。
「よし、五階は紡と柑奈に任せた。問題がありそうなら、しおりちゃんがフォローだ」
五階のガーディアンはあっけなく片が付き、俺たちは休む間もなく、それぞれの階層をパスしていく。
この街の冒険者たちは、十階へのアタックを俗に『周回』と呼ぶ。
プラチナチケットの入手は、住民の生命線であるのと同時に、慣れた者たちにとっては手ごろな稼ぎであり、ルーチンワークの一種だ。
ソシャゲにおける素材入手クエストのように、繰り返される作業のような攻略。
(まさに、周回だな)
だが、その境地に至ることこそが、冒険者としてのステータスであり、どんな生産系のギルドも、一組以上『周回パーティ』を抱えるのが通例となっている。
これまで『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は、周回パーティを持っていなかった。
今日、この日までは。
九階の奥、十階へ至る階段の前。
文城は背負っていた包みをから、それを取り出した。
結晶を詰め込んだ、大きな槍のような穂先を持つ武器。甲山組で使っている、結晶ロケットランチャーだ。
「発射タイミングは俺が合図する。狙って当てようと思うなよ、必要なのは連中の頭を押さえつけることだからな」
「う、うん。わかった」
「しおりちゃんの準備が終わったら攻撃開始だ。紡は散弾に気を付けろよ」
「文城の攻撃までは回避に専念、分かってるって!」
俺は片手を挙げ、十階フロアの方へと振り下ろす。
まず盾を構えた文城としおりちゃんがフロアへあがり、
「『竹林精舎』っ!」
すべての結晶が魔界の竹によってシールドされるのとほぼ同時に、八体のウィザードたちが姿を現す。
「二番手、聖竜天狼騎士ブラン、行くぜぇっ!」
おお、忘れてなかったんかその設定。などというこっちの感慨を置き去りに、白い狼の模造人が、広いフロアの中心に躍り出る。
あっという間に光や火炎、雷撃に魔法の鎖が飛び交い、熱波や風が吹き荒れた。
「よし、文城、お前の出番だ!」
「う、うん!」
盾をその場に放り捨て、肩に大きな槍のような武器を担ぎ上げる。見た目は地球のロケットランチャーそっくりだが、弾頭に当たる部分は円錐形の槍のような形をしていた。
俺は文城の前に立ち、両手の人差し指と親指で、四角い窓を作る。
その向こう側では、ウィザードたちと紡が、大乱戦を繰り広げていた。
「文城、仰角上げろ! 天井と壁の継ぎ目当たりを、先端が指すぐらいに!」
「は、はいっ!」
「紡! 柑奈! 牽制の砲撃かますぞ! 俺の合図を聞いとけ!」
背後でライフルを構える気配を感じつつ、紡と敵の動きを推し量る。
絶妙に敵の射線を切る狼の動きで、ウィザードたちの反応が単調になり――
「今だ文城!」
腹に響く破裂音と共に、構えたロケットの先端が天井を目掛けて飛翔。
飛び散る無数の弾が、ウィザードたちを地面に押し下げた。
その瞬間、
「うらああああっ!」
一呼吸でニ体のウィザードが、杖を砕かれ消滅。
「ハートブレイクショット、遠慮なく召し上がれっ!」
正確な狙撃が、さらに二本の杖を砕け散らす。
「文城、再装填!」
「は、はいっ!」
ザックの中に入れておいた弾頭部分を取り出して、文城が再装填にかかる。
だが、
「リーダー!」
残った四体が、一斉にこちらに目掛けて杖を振り上げる。
「遮れっ!」
真っ黒な竹壁が敵の魔法を遮り、爆圧と閃光によって軋みを上げる。
その時には、俺たちは最後の一手を繰り出していた。
「まずは一匹っ!」
擬態を解いて、ジェットで飛び過ぎながら、敵の背後に回り込んだ柑奈が、素早く一体撃破。
「回避中心のボスは、嫌われんぞぉっ!」
飛びあがった紡の剣が、更に一体を砕き散らす。
「み、みんな、よけてねっ!」
装填を終えた文城がロケットを放ち、竹壁のせいで避け損なった一体の杖が、粉々に砕け散る。
そして、地面に降りてきた最後のウィザードを、
「うらあああっ!」
抜き打ちに起動させた俺の結晶剣が、切り飛ばしていた。
すべての敵が消え、静寂が訪れる。
誰からともなく、そっと息が吐き出されて、
「やっ……たぞ、この野郎ぉおおおっ!」
紡の雄たけびが、全員の気持ちを代表した。
「攻略にかかった時間、一時間と四十二分でした。かなり速いペースなのでは?」
「引率しない攻略だと、そのぐらいだってさ。今後はこの時間を基準にして、ペース配分を考えようか」
「そう言えばふみっち、ウィザード一体倒してたよね! おめでとう!」
偶然とはいえ、牽制の一撃がうまい具合にヒットした結果だ。攻撃の前に声かけもしていたし、立ち回りもまずまずだった。
「よくやった文城! いいアシストだった!」
「え……? ぼ、ぼく?」
「練習したかいがあったな! すげーぞ文城!」
目を丸くしたネコは、恥ずかしそうにうつむいて、首を振った。
「僕は、ただ、教えてもらった通りに、やっただけだし。最後のあれも、勝手にやっちゃって……ごめんなさい」
「それは後で反省しようか。でも、あれは親方の引率で見せてもらった奴だろ? 壁際に追い詰めた時、ランチャーを使うやり方」
「なるほど。それなら私の硬装竹と合わせて、今後も効率よく使えそうですね」
息を詰めて、顔をぎゅっとしかめて、文城は照れと喜びをかみしめるように頷く。
それから、俺たちはみんなで箱の前に立ち、中身を検めた。
最初は無我夢中で、今回は自信を持って。
多分、この次からは、当たり前みたいに、手に入れるはずのチケットを。
「これでミッションクリア。ようやく俺らも、いっぱしの冒険者ってところかな」
「で、次は十一階だろ! いつにする? 明日か!? 明後日か!?」
「気が早すぎ。リーダーの行動計画、ちゃんと読んどきなよ」
「まずは十階攻略の、確実性を高めましょう」
そんなことを話している俺たちから外れて、文城は床に残されたロケットの『莢』を拾い集めていた。
地球のそれとは違い、散弾を撒いた後のパーツは損傷が少なければ再利用が可能だ。
「おお、サンキュ。忘れたら親方に叱られるからな」
「うん。そうだね」
軽く文城の腰を叩き、みんなと連れ立ってダンジョンを出た。
俺たちと同じように、それぞれの階層から降りてきた連中に混じって、塔の正門を抜けると、ほっと一息つく。
「それじゃ、ここで解散。次のミーティングは追って連絡する、おつかれ!」
それぞれが帰途を辿っていく姿を見送り、俺は文城に振り返った。
「改めて言うけど、今日はよくやったな」
「え、う、うん。ありがと」
「まだ自覚できないだろうけど、ちゃんとお前は、できるようになってるぞ」
その時、文城の顔は、さっきまでとは少し、違う表情を浮かべていた。
まるで褒められることが、納得いかないとでも言うような。
「文城……?」
「つ、使った道具、親方さんのとこ、返しに行こ」
「ああ、分かった」
山本さんとも話したけど、人を誉めるというのは結構難しい。
言葉の掛け方ひとつで、かえって相手を傷つけたり、落ち込ませたりもする。
自己評価の低いタイプには、単純な感謝でさえ伝わらないこともあった。
それでも、工夫をしつつ伝えることが上司の仕事だと、教わっていた。
(焦らず地道に、っすよね。先輩)
俺はそれ以上何も言わず、親方の事務所へと向かった。