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夜鷹の巣の中で


 モック・ニュータウン。

 魔界の底の底にある、小さな囲い地。

 まがい物の命が、その日を生きる場所。

 太陽のない昼間が、いつの間にか月星のない夜を迎える世界。

 これは、境目の薄い今日が終わり、すべてが眠りに就く、そんな時間のおはなし。



「ごちそうさまでした、それでは失礼します」

「じゃあね、ふみっち。それとリーダー、ゴチ」


 ぺこりと頭を下げ、暗くなった夜道へと去っていく、鳥の模造人モックレイスと、連れ立って去っていくメイド姿。

 少し前までいたヤギの模造人は、眠気に負けて先に上がってしまってる。

 ぱちもん通り西口のダイナー『EAT UP』前で、残された三人はそれぞれを見かわした。


「んじゃ、俺らもここで解散か?」


 白い狼の模造人は、今日の会食の主催者に問いかける。その言葉を受けて、ネズミの模造人は、にんまりと笑った。


「俺は、少し散歩してく。まだこの辺りの『夜』を、冷やかしてなかったなって」

「ここらの店、結構閉店早いぜ? 買い物できるとこは閉まってるし、他も閉店時間は十時ぐらいだし」

「『人参畑』も、もう閉まってるよ」


 実際、アーケードに軒を連ねた店は、シャッターを下ろし、雨戸を閉めているところが大半だ。食料品や日用雑貨、あるいは冒険に必要な装備、趣味の物を扱う店。


「それは分かってるんだけどさ。なんか好きなんだ」


 とことこと、ネズミは先に立って歩く。それから、ひとつひとつの店を、指さして楽し気に語った。


「向こうにいた頃、全然知らない町とか、観光地でもない場所に行くのが好きでさ。裏路地に入ったりすると、すごく変な店があったりして、面白いんだ」

「そ、そういうの、やったことないけど、面白そう」

「まあ、このまま帰っても寝るだけだし、たまにはいっか」


 それから、三人はゆっくりと、未だに空いている店や、閉まっている店を見ながら、東口までの通りを歩いていく。


「意外と飯屋が多いんだな。『EAT UP』一強かと思ってた」

「あそこの『サンタナ』とか、たまに食いに行くぜ。タコスって、こっちに来て初めて食べたよ」

「ときどき、乙女さんが買ってきてくれるラスク、そこの『ふかふか屋』さんのだよ。ケーキも美味しいんだ」


 もちろん営業はしていないが、商品の看板が残されていて、店主が休んでいる間も広告宣伝の役割を果たしている。

 そんな三人の前で、ちょうど暖簾を降ろしている店があった。


「あれ、居酒屋だ。しかも和風って、やれんのか?」

「悪いな、今日はもうしまいだよ。あと、やれんのかじゃなくて、やってんだよ」

「すんません。あとでまた食いに来ます」

「おう、そんときゃよろしくな」


 店主らしいネコに挨拶し、そのまま立ち去る。背の低いネズミの耳元に、白い狼のマズルが近づいて囁く。


「『大しけや』の店長、十六階と十八階専門の『ギルド』のマスターなんだぜ」

「なんでそんなピンポイント?」

「十六階は沼だらけ、十八階は海だらけなんだよ。そこのフロアボスを倒してから『漁』をするんだってさ」

「おさかな食べるなら『大しけや』、お肉なら『EAT UP』なんだよね」


 新たに入った情報に頷くネズミ。そのまま先へ先へと進むと、とうとうアーケードの端にたどり着いた。

 すでに世界は闇に沈んで、遠くの壁もおぼろな輪郭だけだ。

 描かれているはずの芸術家の成果も、暗がりの毛布に眠っている。


「後は、細い路地にちっちゃい店があったりするぐらいだけど、もっと早い時間に閉まるからなー」

「冒険の道具とか、服のお店とか、六時ぐらいには閉まっちゃうよね」

「照明を付けるコストも、バカにならないだろうし、当然か」


 今のところ、アーケードには煌々と灯りが付いているが、それも深夜になればすべて消えてしまい、商店街に入る主要な入り口もゲートで閉じられてしまう。

 名残惜しそうにしながら、それでもネズミは踵を返した。


「今日の探索はここでおしまい。次は昼に来ようぜ。俺もタコス食ってみたいし」

「じゃあ、次はオレがおごるよ! 毎度、孝人に払わせるのもなんだしな!」

「ぼ、僕もちゃんと払うね。こんど山本さんから、おべんとうのおかね、もらえるから」


 少し足を速め、さっきよりも寂しさの増した通りを歩いていく。

 だが、途中の細い道を通りがかったネズミの足が、たたらを踏んだ。


「おっ!? あぶねえよ! どうしたん、急に?」


 細くとがったマズルに、微妙に悪い笑みを浮かべて、路地裏への道を示す。

 商店の裏口や閉店した店に混じって、結晶ランプに橙色の光が点った店舗があった。

 店構えは小さい。ガラスの扉と、外向きのガラス窓は、この辺りの店では群を抜いておしゃれで、贅を凝らしているように見えた。


「……あの店、ちょっとだけ、覗いてきていい?」

「別に構わないけど、なんなん?」

「もしアレだったら、先に帰っててくれていいから、ね?」


 まるで、これからとんでもない悪だくみをします、とでも言うように、背中を丸めてこそこそこと、ネズミは店に近づいていく。

 その後を不思議そうな顔のネコと、肩をすくめた狼が続いた。


「『バー ナイトホークス』……? バーって、酒飲むところだろ?」

「うん。そうだね。ふひひ」

「え、っと、その、あの、さ」


 なぜか急にもじもじとして、ネコは恥ずかしそうに告げた。


「ここって、その、え、エッチな事とか、するとこ?」

『え゛?』


 けげんな顔をする二人に、ネコは丸い顔を羞恥と弁解に歪めて、両手を振った。


「ご、ごめんなさいっ! 僕、そういうの、全然知らなくて! でも、その、孝人がそういうの、好きなら」

「いやいやいや、どう考えてもこの店、ガールズバーとかじゃなくて、オーセンティックな……」

「こんばんは、みなさん」


 気が付くと、店の扉が開き、中から人影が現れていた。

 狼と同じぐらいの背丈は鳥の模造人モックレイス、黒いベストに白いシャツ、胸元には赤いネクタイ。

 年齢を感じさせる、穏やかな声で問いかけてきた。


「当店に、なにか御用ですか?」

「もうしわけありません。騒がしくしてしまって、まだ営業時間内ですか?」

「勿論。よろしければ、当店のスツールを、当座の止まり木にしていかれませんか? ご注文があれば、その都度お伺いしますので」

 

 ネズミは両手を軽く広げ、同行の二人を見回した。


「俺はここで一杯やってく。興味があれば相席してくれ。気がないならここで解散だ」

「ぼ……僕、ちょっと、入ってみたい」

「今日最後の玄室探索か。いいぜ」


 招き入れられた店内は、程よく狭く、いごこちの確保された空間だった。

 店を占有するのは、長いバーカウンター。磨き抜かれた表面は保護材を塗られて艶光って、手元の明るさを担保している。

 カウンターに接する八つの座席と、その対面には団体客用のソファに座卓がある。

 その背面には、窓の代わりに横長の絵が、飾られていた。


「おい、孝人。あの絵、分かるか?」

「ああ」


 ネズミはにんまりと笑い、カウンターに収まった店主と、対面する位置に座る。


「エドワード・ホッパー『ナイトホークス』。店名と店主と営業形態に掛けたわけか。ここも鈴来の筆が入ってんだな」

「失礼ですが……もしやあなた、小倉さんですか?」


 右隣に狼が座り、左隣に窮屈そうに体を押し込めてネコが座る。そして、店主の質問にそれぞれが驚いた顔をした。


「有名人じゃん、なんかカッコいいな」

「でも、まだ新聞に、あの記事出てないよね?」

「もしかして、鈴来経由ですか?」

「はい。私が、彼女のマネジメントをやっているもので」


 そう言いつつ、店主はおしぼりを三人分サーブして、告げた。


「さて、何かおつくりしましょうか?」


 戸惑う同行者とは裏腹に、ネズミは笑顔のまま、バーの店主と、カウンターの奥に並んだビンを眺めた。


「ジントニック、って、できます?」

「魔界のジンでも構いませんか?」

「はい。えっと、二人は酒は?」


 その問いかけに狼は笑い、ネコは悄然と髭をたらした。


「オフとかカラオケで、カシオレとかモスコとかなら。ビールとか苦いのは無理」

「……僕も、ビール飲めない。お酒も、あんまり飲んだことない」

「ノンアルコールカクテルや、清涼飲料水もありますので、よろしければこちらを。お決まりになりましたら、お声がけください」


 差し出されたメニュー表を受け取り、二人は何を頼もうかと悩み始める。

 店主は黙って、カクテルの準備に入った。

 背の高いグラスに、大ぶりなロックアイスが詰め込まれ、銀色の長いマドラーが差し込まれる。

 くるり、くるりと回転し、冷気がグラスを適度に冷やしたところで、砕けた氷の欠片や水分が流しに廃棄された。

 カウンターの下の方から、霜が降りるほどに冷やされた、ビンが取り出される。

 大きさの違う、台形を重ねたような計量カップ。その片側に酒を満たし、グラスへと注いだ。


「あれ?」

「どうかされましたか?」

「その、カクテル、ってもっとこう、ガシャガシャって、やってなかったっけ?」


 新たに取り出した透明な液体入りのビンを抜栓し、中身を静かに注いでいく。

 泡立つ炭酸がグラスの中を満たして、差し込まれたマドラーが、くるり、くるりと、酒と液体を混ぜ合わせた。


「ジントニックは『ビルド』という作り方で仕上げます。貴方のおっしゃったのは『シェイク』、カクテルのイメージで言えば、そちらの方が一般的ですね」


 小ぶりな青い実がカットされ、静かにグラスに落とされる。

 ネズミの前にコースターが置かれ、出来上がった一杯が提供された。


「お待たせしました、ジントニックです」


 受け取ったネズミの顔は、いかにも嬉しそうで、少し顔を緊張させながら、静かに一杯目を口にする。

 グラスを傾け、軽く含み、喉を鳴らし、流し込む。

 無くなったのは全体の五分の一ほど。ビールの時に見せたガツガツした感じとは、まるで違う味わい方だった。


「……なるほど。こんな感じなんですね。こっちに本来のジンはないと思いますけど、たぶん比べても、分かんないだろうな」

「人によって感想はまちまちですが、『ゴードン』に似ているとよく言われますね。私もおおむね、その通りかと」

「おお……なんだこの会話」


 自分の注文も忘れて、狼が軽く引き気味にうめく。その反対側で、ネコの顔はわずかに興味の色を強めていた。


「おいしいの、それ?」

「……昔、こういうのを仕込んでくれた先輩のアドバイス。その店が知りたかったら、ジントニックを頼んでみろって」

「それで、何かわかるのか?」

「単なる傾向、ぐらいだよ。別にこれがルールってわけじゃないからな?」


 そんな前置きをしつつ、透明なカクテルを、ネズミはじっくりと味わっていく。


「使っているジンやトニックウォーターの種類、氷の扱い、混ぜ方、一緒に入れるライムをどうするか、その一つ一つで、味が変わってくる。同時に、その店の出したい味の傾向が、なんとなく分かる、ってのが先輩の持論だった」

「では、当店の印象はいかがですか?」

「え!? ……あー、そうだな」


 そこで、いつの間にか提供されていた水のグラスで口を洗い、もう一口。


「甘すぎず、それでいて苦みも抑える、果物の果肉の香りとジンの香りが、互いに引き立て合うように……いわゆる『前菜』みたいな感じにしてる、かな」

「あちらでは、だいぶ飲まれていたんですか?」

「こっちに来る前の一年ぐらいは、馴染みのバーにも行けてなかったですよ。だから、ちょっと懐かしくて」


 そこで綺麗に、出されたカクテルは消えていた。満足した男は、慌てて二人の友人に顔を向けた。


「ご、ごめん。ここは俺が持つから、なんでも好きなもん……っていうか、飲めそうなもの頼んでいいぞ」

「おなじの、頼んでいい?」

「オレも」


 ネズミがマスターの顔を伺うと、笑顔で頷いて問いを投げた。


「お酒は得意ではないそうなので、弱めに仕上げてもよろしいですか?」

「は、はい」

「じゃあ、オレもそれで」


 鮮やかな手つきで、二つのグラスが同じように、準備されていく。ただし、今度の一杯は少なめのジンと割材を加え、最後に軽く果肉を潰した物を入れた。


「さっきと作り方が違う……」

「ジンが少なめなので、少し工夫を。こちらは香りが立って、華やかになりますね」


 そして提供されるのは、さっきよりも柑橘かんきつの香りが立った一杯だった。

 サーブされたグラスを持って、二人はゆっくりと中身を味わう。


「あー、ちょっと苦いけど、ほとんどジュースだこれ。うまいな」

「いい香り……初めてだ、こういうの」

「ありがとうございます」


 感想を聞きつつ安堵した年上のネズミは、うっとりとした顔で注文を告げた。


「ラスティ・ネイル、っぽいのとか、行けます?」

「ウィスキー自体はこちらでも製造されています。ドランブイも、魔界産でよければ」

「俺は酒好きなだけで、グルメじゃないっすよ。それに、マスターのお勧めなら、なんでも飲んでみたいです」

「ありがとうございます」


 バーテンダーは厚手のタンブラーに氷の塊を入れ、静かに回転、冷却する。

 そこに琥珀色の液体を注ぎ、仕上げに別の酒を計り入れ、丁寧にミキシングした。


「どうぞ」

「いただきます」


 その、たっぷりとした酒を、少しずつ味わっていく。おそらく、普段の食事よりも、丁寧なほどに。


「孝人、マジで酒好きなんだな……」

「……好きか嫌いかで言われたら、好きな方だな」

「オレ、向こうでも飲むこともあったけど、そういう飲み方する奴、いなかったぞ?」


 少し照れた顔で、男は店内を見回した。


「たぶん、バー自体が好きなんだよ。居酒屋とも集団の飲みとも違う、適度に静かで、薄暗くて、落ち付く感じ。一人であることを、楽しめるのがいい」

「そういや、向こうでバーに行ったこと、なかったっけ。なるほど、こういうのか」

「店にもよるけどな。ガンガンにロックとか掛けてるとことか、ガールズバーなんかは全く別の業態って言ってもいいし」


 それからグラスを片手に、ネズミは目を細めて、壁に描かれた絵画を眺めた。

 どこかのビル街に建てられた、終夜営業のコーヒーショップの光景。

 白いコックの制服を着けた男は、外を見るような姿勢で、洗い物をしている。

 画面中央右手には、スーツ姿の男と赤い服の女。おそらくはカップルだ。

 それから、左手前には一杯のコーヒーだけを相手にする、スーツの男。

 タクシーも、電車も止まっているだろう深夜。

 そんな、見ず知らずの『ナイトホークス(よたかたち)』が集う光景だった。


「そういえば鈴来さんが、お世話になったそうで、ありがとうございます」

「こっちこそ、いろいろ助けてもらいましたよ。どういうきっかけで、あいつと?」

「彼女が、こちらに来てすぐのころでした。塔の入り口近くで、冒険者をモチーフに『アテナイの学堂』を描いていたんです」


 バーテンダーは仕事道具を片付けつつ、そう遠くない過去を語った。


「ダンジョン攻略を取りやめにして、彼女と話をしました。その後すぐ、各方面に渡りをつけ、自由に描ける環境を整えていったんです」

「マジあいつ……どんだけサクセスストーリー……ホントマジで……」

「ほら孝人、落ち付けって。その話は終わっただろ?」

「あ、あの! 僕も、なんか、別の奴、頼んで、いい……ですか」


 段々しりすぼみになる声を救いあげるように、太い腕を小さな手が軽く叩く。


「何か飲みたいけど、思いつかない時は、バーテンダーさんに聞くといいよ。甘いのとかアルコール入ってない奴とか、大雑把でいいから」

「あとはどんな味が好きか、ですとか、以前飲んだものを参考にさせていただければ」

「甘いやつ、あんまりお酒臭くないのが、いいかな」

「そうなるとクリームを効かせるタイプか、果汁を使った方がいいでしょうね」


 メニューを手繰り、ネズミの小さな指がいくつかの文字列を指さす。


「『アレクサンダー』に『エッグノック』、『グラスホッパー』か。これ全部できるんですか?」

「日によっては難しいですが、大抵は行けますよ」

「こ、孝人は、どれが好き?」

「『グラスホッパー』か、『アレクサンダー』かな。でも、どっちも口当たりの割には、度数高いぞ?」


 少し考えたネコは、太い指先で『アレクサンダー』を差す。心得たバーテンダーに、狼がすかさず声を掛けた。


「その後で、オレ『グラスホッパー』ってヤツ!」

「かしこまりました」


 バーカウンターから幾本かビンを引き抜き、銀色のシェイカーが二つ並べられる。

 その片側にブランデーとリキュール、クリームを注ぎ、小さめの氷をいくつか。

 蓋を掛けてシェイカーを手に包むと、鳥の模造人モックレイスは、スッと姿勢を正した。


「お……」


 力みなく、それでも鋭く、銀色の塊が幾度も虚空を行きかう。

 小気味のいい音と共にシェイカーが振られ、中身が攪拌されていく。

 やがて、前触れもなく運行が止まり、中身が静かに、三角型のグラスに注がれて、


「アレクサンダーです」


 泡立つ表面に、茶色のパウダーが掛けられて、供された。

 そして、ごく自然な動きで、次のカクテルを作り始める。

 ネコは目の前のグラスを神妙な面持ちで見つめ、大きな手で包み込むようにして持つ。


「僕、こんなの飲めるとか、思ってなかったよ……」

「そっか。あんまり急に飲むなよ。ちょっとずつ、口に入れる感じでな」

「あ、でも……」


 よどみないシェイクの音が終わり、今度は泡の立った、緑色のカクテルが狼の前に現れていた。


「グラスホッパーです」

「へー、緑のカクテルとかあるんだ。てか、グラスホッパーって『バッタ』って意味だよな?」

「色からの命名だってさ。あれ、ホントにミントの匂いがするんだ」


 二つのグラスが出そろったところで、ネコがおずおずとグラスを持ち上げる。

 狼が笑って、自分のそれを持ち上げて、その間にネズミのグラスが重なった。


「なんかに、乾杯」

「なんかかよ。それなら、二人のバーデビューに、乾杯」

「え、あっ、かん、ぱいっ」


 二人はグラスに口をつけて、思い思いの感想を述べた。


「すっごく甘い! コーヒー牛乳っぽい?」

「すっげえミント、こっちも甘いけど、スース―すんなぁ」

「そういうのが楽しめるのも、バーのいい所だよな」


 互いが、飲み物を干す間、会話は一時止んだ。

 そこでようやく、店内にうっすらと、何かの曲が流れていることに気が付く。温みのあるサックスと、アクセントに奏でられるピアノ。

 時の流れから、身を引き上げるような一時。

 心の解けるような沈黙が、かもされていく。

 

「こんばんは、っと。なんだよ、お前らか」


 そんな静寂を破った無粋者は、遠慮のない風情で店の奥方向の角に陣取った。


「お前らかはご挨拶だな。そっちこそ、我が物顔で入ってきやがって。常連さんがよ」

「確かに、常連さんには違いないがな。マスター、ビール頼むね」


 赤い鱗の竜人はくつろぎつつ、三人の様子を眺め、笑った。


「大分お前らも、いい感じになってきたみたいだな」

「そっすね。孝人が来てから、オレも色々やれること増えたし。ダンジョンも入れるし」

「……うん、ありがと、孝人」

「いや、改まって言わなくていいよ。俺も、みんなには感謝してるし……」


 やってきたグラスを受け取り、着流しの男は中身の黒い液体で、喉を潤していく。


「あ、店長さんの言ってた黒ビール! ここで飲めたのかよ!」

「こいつは次のために取っときな。俺が来るまでに結構、飲んだんだろ?」

「……そうだな。マスター、お勘定お願いします」


 帰り支度を始めたところで、着流しの男は煙管に煙草を詰めつつ、店の奥まった場所にある、ガラス戸を示す。

 そこには二振りの剣が、飾ってあった。


「あれ、あんなとこに剣?」

「……あの感じ、もしかして『完全結晶武器フローレスウェポン』か!?」

「炎刀『ラスティネイル』、氷剣『ブルームーン』、マスター愛用の武器だ。無論、飾りじゃなくて、現役のな」


 カウンターの奥でバーテンダーは笑い、それから名刺を差し出してきた。


「『バー"nighthawks"店長、並びに獄層専門攻略互助ギルド、"knighthawks"ギルドマスター』浦部海也うらべうみなり……!?」

「ご、獄層専門!? オレ、そんなギルド初めて聞いたぞ!?」

「そりゃ、宣伝してないからな。ちなみに、俺もここのメンバー」

「じゃ、じゃあ、いつも『ムーラン』にいなかったのって」


 ネコの問いかけに、竜の男は片目をつぶった。


「ここの仕事ってだけじゃないがな。ムーランの方は正式加入でもないし、浮世の義理って奴だよ」

「くっ、この……なんだテメッ! 妙にカッコいいムーブしやがって! このっ、ぶらぶらおじさんめぇっ!」

「諦めろ孝人。このヒトとオレらじゃ、なんかが違いすぎるって」


 憤りが収まらないネズミを先頭に、三人が出ていく。そんな背中に、カウンターから出てきた店主が追いつき、軒先に立った。


「ご来店いただき、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています」

「……はい。ごちそうさまでした」

「ご、ごちそうさまでした!」

「ごちそうさまっす」


 心地よくあたたかな空間を出ると、すっかり照明が落ちて、街路をわずかな光が示すばかりになった。

 そのまま、言葉少なにアーケードの入り口まで行くと、守衛らしい人物が立って、ランタンで当たりを照らしていた。


「持ってくかい? 後で、そこの詰め所に返しといてくれればいいよ」

「オレはいいや! 暗くても平気だし!」

「じゃあ、俺らは借りてくか。すみませんけど」


 立ち去り際、狼は暗がりでもよく分かる笑顔で、二人を見た。


「今日は楽しかったぜ。またあの店、一緒に行こうな!」

「おう。気を付けて帰れよ、紡」


 そのまま大きく手を振ると、白い姿は尻尾を振りながら闇に消えていく。

 残されたネズミとネコは、ランタンを掲げて、家路をたどり始めた。


「孝人」

「ん?」

「考人は何でも知ってるね」

「何でも知ってれば、よかったんだけどな」


 自嘲し、肩をすくめるネズミ。

 暗がりの中で、目をまん丸に見開いて、太ったネコは口を開きかけて、閉じた。

 それから、小さな手からランタンを受け取った。


「僕の方が、広く照らせるよ」

「そっか。頼む」

「また、おんぶしようか?」


 苦く笑い、それからさっぱりとした顔で、ネズミは否定した。


「大丈夫。ちゃんと、自分で歩けるさ」


 暗い道を、明かりを掲げた二つの影が進む。

 それはさっきまで感じていた、ほの明るい空間を温めた光に、どこか似ていた。 

朝に始まって夜に終わるのが恒例になりつつありますね。今回の更新はここまで。

次回は少し遅くなると思います。六月ぐらいかな? 設定や最終話までのプロットを、

大まかに見直してきます。

おそらく、れ・れ・れ Day by Dayは繋ぎに書くかと思いますが。

それではまた、次回お会いしましょう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回も面白かったです。 [一言] 行ったことのない場所に行けるのも物語の醍醐味ですね。
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