エピローグ、羅睺星の男
その会議室は、街の住民が知ることのない、館の秘された場所にあった。
長く重厚なテーブルには、水瓶とグラスが置かれ、それぞれの席に座った責任者たちが資料を手に、ささやきを交わし、あるいは提出されたデータを黙視する。
「お待たせしました。会議を始めましょう」
扉を開けて入ってきたのは、ダークスーツに身を包んだ、サングラスを付けたゴブリンの男だ。
その場にいるすべてが同じ種族の者たちだが、模造の街を統べる『P』は、ひときわ異質な空気を放っていた。
「最初に、街の運営状況を」
「はい」
淡々と語られていくのは、モック・ニュータウンと呼ばれる街の人口、その内訳。
「本日の新規住民、二名。住民登録更新の違反者、なし。二か月連続で、違反者なしが続いています」
「いい傾向ですね。街の変化が抑止に寄与している可能性は?」
「例の『否術』の公開以降、駆け込みの更新が相次ぎました。今後の推移も加味する必要がありますが、影響は明らかです」
統括者は頷き、無言で先を促す。
「北西の水浄化施設、稼働率七十パーセント。下水処理施設でも作業従事者数が、例年の水準を下回りつつあります。冒険者への転向組が多数出たためかと」
「予定通りです。著しい低下があるようなら『原住』を作業者に充ててください。捨扶持で養うのも、ここまでとしましょう」
それから、街の生産や食糧事情についての報告が続く。
外部からの麦の輸入増や、南に発生した獄層由来の森による食肉などの流通について。
どれも問題なし。
「続いて、各ギルドの動向を」
「はい。最初に『奈落新皇軍』の長征について。今朝がた、滞りなく出発。新皇軍の侍を中心に、冒険者、インスピリッツの技術者らを含め、約千名が街の外へ進出しました」
「特筆すべきは、例の『否術』習得者、『星の学堂』ならびに『グノーシス魔界派』が、メンバーに加わったことです」
報告を行う彼らの顔には、不安と疑念があった。
否術、それはこの街における突然変異であり、無力と思われていた住民が生やした、猛毒の牙だった。
本来、地球人が絶対に持ちえないはずの『魔法』。あまつさえその魔法を教える学校まで設立し、Pの館という権力機構に、真っ向から対峙する姿勢を見せている。
「現在、インスピリッツ主導で、否術を利用した技術革新が盛んに研究されています。試作に過ぎなかった『結晶機』や『完全結晶の人工生成』も、進展がみられたようです」
「冒険者志望が増えた理由も、新たな職能である『魔法使い』が原因であるのは、間違いありません」
街のトップである、ギルドマスターを中心にして行われた『交渉』。
その時、彼らはあくまで『今までと同じ街の運営』に協力すると約束し、否術を犯罪や叛逆に使わせないよう、必要な資料や人員を提供してきた。
だが、それは時限式の契約に過ぎない。
「今後、確実に我々に対する叛意を示すものも、出てくるでしょう。あの術は、我々の魔法をすり抜ける。なにより地球人、いや『神去』の者に、汎世界の魔法は効果が薄い。やはり、今からでも、能力の制限禁止を」
「そこまでです」
疑念の一切を、言下に切り捨てる。
Pと呼ばれるゴブリンは、部下たちを見まわして、笑いを浮かべた。
それは、あらゆるものを管掌するような、自信に満ちた笑い。
「実のところ、私は感謝しているんです。あの二人に」
それは、街に否術という毒の種を蒔いた、二匹の模造人のことだ。
小倉孝人と美雪栞。
あの遺跡を通って地球へと『帰還』を果たし、様々な冒険を経て、力を持ち帰った者。
「この街を運営して、すでに二十年近くが過ぎています。ですが私自身、半ばあきらめていたところだったんですよ」
彼は穏やかに、両目の覆いを取り外す。
それは一つのしぐさであり、何かを区切る儀式でもある。例えば、その後に語る言葉がすべて、真実であると担保する意味で。
「神去の魂を抽出し、その者に新たな肉体を与えることで、何らかの『開眼』が発生すること。それはある者共によって、すでに実証されていました。皆も承知の上と思いますが、模造人は、本来、生体バッテリーとなるよう、設計されたものでした」
彼は室内の電気を消し、壁のプロジェクターにデータを流し始める。
そこには、模造人と呼ばれる人工生命体の基本性能が、映し出されていた。
「魔界に存在していた天然のエネルギー収集種族、マナ喰らい。その生体情報を模造した人工生命。ゆえにあれらは『模造人』と呼ばれた」
「その体に、エルフやドラゴンを超える『聲』の蓄積と運用を可能にした、魔界の原生種族ですか。すでに絶滅したと聞いていましたが……どうやって?」
「それは秘密です。先代『魔王』様のお力、とだけ言っておきましょうか」
実際のところ、Pというゴブリンには、不可解な点が多すぎた。
ただの魔物とは思えない知識と魔法への造詣、魔界の実力者たちとの交渉能力、最後の神々の遊戯に参加したという『魔王』との関係性。
なにより、あの【万能無益】と契約したという、狂気。
「この二十年近く、連中には発展がほとんどありませんでした。もちろん、澱聲結晶の鍛造や、霊的知覚の開発、特殊なギフテッドの利用などはありましたが、どれも望むものではなかった」
居並ぶ部下たちは、自分の上司が何を言わんとしているのかを、理解した。
彼は、あの異常な能力をこそ『待っていた』のだと。
「連中は自らの力で聲を操り始めた。あれこそは私が長い年月をかけ、この街をかき混ぜ続けたすえに、ようやく抽出された、甘露ですよ」
プロジェクターの映像が切り替わる。
投影されたのは、街の全景。
巨大な花のような『獄層』と、それをつなぐ『塔』、それを下支えする『街』。
その三界から成る、極小の宇宙だ。
「甘露、それは地球という星の、インド亜大陸と呼ばれる地域の神話に現れる、神々の飲み物です」
画像の中で、三つのエリアを含めた全体は『マンダラ』と表記されていた。
「かの神話は語ります。世界中の薬草や植物の種子を、乳海と呼ばれる原初の海に投じ、その世界の神と魔族の力を合わせ、千年撹拌を続けたと。その結果、飲んだものに不老不死を授ける霊薬、甘露が生み出された」
映し出された世界の図に、見知らぬ世界の神話を描いた画像が重なる。
そこには、広大な海に浮かんだ、奇妙な形の山と、それを綱のようなもので引き合う、神と魔物の姿があった。
「この撹拌作業に魔族が参加したのは、彼らにもアムリタを飲む機会を与えられると、約束されていたからでした。ですが、神々は卑怯にも約束を反故にし、唯一、アムリタを飲むことができた一人の魔族も、斬り落とされた首だけが、不死になったと言われます」
語るPの姿は、教鞭をとる教授の姿にも見えた。
博識であり、礼儀を重んじ、学究に真摯に向き合う者。
「私は思いました。まるでこれは、神々の遊戯における我々魔族と、同じではないかと。連中の繁栄を助けるため、私たちは、そして『魔王』は、利用されるだけだったと」
彼は理不尽を追及し、事実を確認していた。
同時に、その後に続く何かを、意図したものであると、言外に告げていた。
「私はいわば、アムリタをひそかに含み、首を落とされた『魔王』のようなものです。そしてラーフとは、天の光を覆い隠す暗黒の星、『羅睺』とも呼ばれます」
彼は、嗤った。
おそらく、これほどのおぞましい笑いを浮かべる者は、魔界広しといえども、この男だけではないかと思えるほどの、悪辣があった。
「ところで、アムリタの製造には、一つの誤算がありました。撹拌棒であるマンダラ山を動かすため、巨大な毒蛇を使った。ヴァスキと呼ばれたその蛇は、身を裂かれるほどの強い力で引かれることに苦しみ、乳海に毒を吐き出したと言われます」
彼は端末を叩き、『獄層』の中心である、つぼみのような部分にフォーカスする。
名だたるギルドの面々が調査し、それでも全容をつかめないまま、現在に至るその部分に、ある名称が記されていた。
「その毒の名は『ハラーハラ』。不老不死を与える『甘露』と対極を成す、あまたの命を奪うもの」
そこで、会議場に座った責任者各位に、新たな資料が配られ始める。
これまでひた隠しにしていた、模造の街の造られた理由が記されていた。
一同はそれを読み、うめき声を上げた。
「こんなことが……可能なのですか?」
「可能であるかは問題ではない。現に『甘露』と『毒』は、生み出された。であれば、あとは突き進むだけです」
会議室の中に、ある種の熱が、吹き荒れる。
手渡された恐るべき真実を品定めし、どのように向き合うべきかという、思案が。
「ですが、この計画には、時間が必要でしょう」
「確かに。何か問題が?」
「……我々が生産、輸出している『兵器』が、天界の勢力に狩られつつあると、報告がありました。それも、たった一つ柱によって。その名は――」
「――蒼空の奇しき色を纏いし、雷を統べるもの」
Pの目は、すでに誰も見ていなかった。
椅子に背を預け、虚空を夢見るように眺めていた。
「最も新しき神の竜、"青天の霹靂"フィアクゥル、ですね」
「ご存じ、だったのですか」
「そうなるだろうとは、思っていただけです。私にとっての仇敵ですから」
こともなげに言い放ち、彼は投影の内容をいくつかの資料として表示する。
それは天界における、一勢力の全体像だった。
「"青天の霹靂"が属する『竜洞』は、天界において、もっとも柔軟性に優れた集団です。凡庸な神々ならいざ知らず、連中ならこの街へ、襲撃を掛けることさえ辞さないでしょう」
「【万能無益】の領域に、ですか?」
「少なくとも【喪蓋】なら、その程度の無法は、造作もなくやってのけますよ。まあ、あれもだいぶ『丸く』なったようですがね」
Pは一度目を閉じ、何かを転がすように、両手の指を動かした。
その儀式的な所作はわずかな時間だったが、彼の意志をまとめるのに必要な要素を、満たしたようだった。
「竜洞に察知された以上、計画の中断はあり得ません。少なくとも一年後には、準備を終えている必要がある」
「これを実行に移すということ。それが意味するところは、お分かりですね?」
「ええ」
居並ぶ者たちが浮かべた感情を飲み干し、Pは声を上げた。
「甘露は醸され、世界を穢す毒は滴り落ちた。転輪を廻す聖王が来たるのであれば、私はあらゆる日を喰らい尽くす、羅睺星となろう!」
時は満ちた。機は熟した。そして、残された猶予はあとわずかだ。
「告げる。新たなる『魔王』の名において、プロジェクト『ラーフラ』を開始する。各員、奮励努力せよ!」
宣言を口にした姿には、これまでPが、決して纏おうとしなかったものが宿っていた。
統率者、すなわち『魔王』としての役割が。
「ご下命、拝領いたします! 『魔王』様!」
この世の誰一人知らぬ、魔界の底の底で、一人の魔王が誕生した。
おぞましい、破滅の願いを、かなえるために。
皆さま、これにて「REmnant・REvenants・REincarnation ~異世界転生日本人、魔界の最下層で生きていく~」、第一部完結です。
もし、拙作『かみがみ』を読んでおられない方がいらっしゃいましたら、お手すきの時にお読みいただけると、なかなか面白いことになるのでは、と思いますので、そちらもぜひご覧ください。
さて、この後の孝人たちがどうなるのかは、まだ作者も見えておりません。また、この後しばらくは「れ・れ・れ」をおやすみして、先の展開を練りたいと思っております。
復帰はいつになるかはわかりませんが、戻ってくる折には必ずお知らせしますので、しばらくお待ちください。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次の作品で、お会いしましょう。
真上犬太でした。




