25、ラストアタック(その五)
階段を下りて、薄暗い廊下を抜けると、日の光に包まれた部屋に出た。
小さな庭へ下りられる南向きのガラス戸と、西向きの景色が見える窓。部屋の中央には大きなテーブルがあって、背中を向けた状態で座ってる背中があった。
「起きたんか」
「……うん」
「飯、あるぞ」
親父は、そんなに喋る人じゃなかった。俺が絵を描くことを、良いとも悪いとも言わなかったけど、プロの絵描きになりたいって言った時。
『お前は、人を楽しませるような絵は描けない』
って言われた。
それで、大げんかをして、しばらく口もきかなくなっていた。
充の才能に当てられて、あいつと距離ができたころ。俺は、自分の才能のなさを、母さんに愚痴るようになっていた。
ある晩飯時に、親父の方から、言ってきた。
『楽しめなくなったら、なんでもうまくいかなくなる。辛ければ、距離をおけ』
反発は、できなかった。
考えてみればずっと昔から、親父は俺の性格を見抜いていて、不器用なりに助言してくれたのかもしれない。
いつのまにか、食卓には俺の朝食が並んでいた。
目玉焼きに焼いたウィンナー、おしんこ、昨日の晩に作った残り物の味噌汁。
茶碗と箸は、客用の奴だった。
もうこの家には、俺の分の茶碗はないから。
「納豆あるけど、食うか? 海苔もあるぞ」
「いや……いいよ」
食べる。
いつも家に帰ってきて、そうしていたように。
炊き立て、その熱い米を、食べる。
いつの間にか母さんが来て、空になった茶碗に、お代わりをよそっていた。
食べて、きれいに俺のおかずがなくなって、茶が出されていた。
「ごちそうさま。うまかったよ」
二人は短く、うん、と言った。うちは、そこまでしっとりした関係じゃなかったから。
それでも、俺が帰ってくれば、出迎えて飯を食わせてくれた。
「あのさ」
俺は、なるべく平静に、言葉を続けた。
「俺、仕事辞めようかと思うんだ」
それは弔辞だった。
決して帰ってこない過去、死んでしまった、もう一つの人生への。
「知り合いの先輩が、もし辞めるんだったら、別のところを、紹介してくれるって」
「大丈夫なの?」
「ああ……いい先輩なのは、間違いないから」
俺は席を立ち、食器を台所に返すと、いつものように食洗器に掛けた。
それから、背中越しに告げる。
「もう行くよ」
「送ってこうか、駅まで」
「いい。歩くから」
二人は、驚くほど俺の記憶に忠実だった。
最後まで正しく両親を演じることが、心の鎖になることを、知っているから。
だから、
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
「また来いよ」
本当に、そっくり同じの、別れの挨拶を告げてきた。
「……うん」
こらえられない涙声を、振り絞って、俺は返事をした。
食堂を出る。廊下を進む。
玄関に向かいながら、聲を上げた。
「我、三条の否定により、思いを、えがく、もの」
消えていく。簡単に、あっけなく。
否術は、そういう術だからだ。何かを否定することで、何かを肯定する力だから。
「我が筆は、過去に囚われず、悔悟を選ばず、故郷を求めず、ただ未来を顕す」
俺を囲んだ懐かしいすべてが消え去り、玄関のドアさえ失われた。
それでも、残っているものがある。
『孝人』
切ないほどに胸を締め付ける、後悔。
両親の呼びかけに振り返らず、鉛筆を取り出して、虚空に描き出す。
戻るべき世界に繋がる扉を。
「行ってきます」
目を見開く。
そして、目の前のそいつめがけて、ありったけの力を込めて、ぶちかました。
「螺旋爪牙ゥッ!」
漆黒の闇でできたような、黒い柱。びっしりと棘の付いた枝を生やしたそれが、俺の棍の一撃で粉々に砕ける。
それから、こぼれた涙を拭って叫んだ。
「無事か、みんなぁっ!」
見渡せば、仲間たちが粉々になった黒の柱を周囲に散らばせ、身構えていた。
「ずいぶん遅いお目覚めですこと。心配してもらったところ悪いけど、リーダーが一番、お寝坊さんだったんだよね」
えっ、それってどういう。
うろたえる俺に、柑奈としおりちゃんが解説をつける。
「しおり、あたし、ふみっち、バカ犬の順でね。無理やり起こしても良かったんだけど」
「精神に関わる攻撃は、無理に解くと問題を起こしやすいので。よほどであれば、助けに行くつもりでしたが」
え、えええええええええええ。
いや、事前の打ち合わせで、第三形態は精神攻撃だって聞いて、俺はともかく文城あたりは大丈夫かなーって思ってたのに。
「僕は平気だよ。孝人に起こしてもらわなくても、ちゃんと自分で起きられるから」
俺の視線に、笑って頷くネコ。その目元には隠し切れない涙の筋があったけど、それでも俺より早かった、のかぁ。
「うあああああああああ、リーダーのいげんがぁああああああ!」
「元々、あってないようなもんでしょ。鈴来の時のやらかし、忘れたとは言わせないよ」
「やめてええええええ、これ以上俺のガラスのハートを砕かないでえええ」
などと言っている間に、俺たちの周囲にあった黒い影の柱がぼろぼろと崩れていく。
その一番奥には、ひときわ巨大な柱があったが、それも音もなく消え去った。
「次がラスト、最終形態。それさえ倒せば、あたしたちの勝ちだね」
解説する柑奈の言葉に合わせるように、砕けた影が一つ所に集まる。
それは次第に巨大な実像となって、目の前に現れた。
「でかいラスボスはお約束だよな! もちろん、ぜってーぶっ倒す!」
うっきうきの紡は剣を構え、尻尾を大きく振った。
その視線に存在する、巨大なボス。
一瞬、ドラゴンかと思ったが、形は微妙に違っていた。
「キメラ、とも少し違いますね。ドラゴン、むしろケンタウロスかも?」
「さっきの小さい影が持ってた弓と、同じのを持ってるね」
しおりちゃんが表現に困るのも無理はない。
確かに下半身は、四つ足のケモノの姿だけど、ケンタウロスの蹄ではなく、イヌ科の足先に似ている。
ヒト型の上半身に、背中には皮膜の付いた大きな翼。そして顔は、犬のそれと酷似していた。
文城の指摘通り、左手には弓を構え、こちらをじっと睨み据えてくる。
さっきまでの敵と、ほとんど共通点の見出せない、不明の敵だった。
「ここで、Pのセンスをあげつらってもしょうがないさ。どうせ倒す敵だ」
精神攻撃による、俺の尊厳破壊についての恨みもある。
完璧にボコして笑顔でクリアしてやっからな。
「アタッカー三人体制で行く! 柑奈、しおりちゃん、後衛でバックアップ!」
ここまで戦ってきて、肌で理解する。
みんなの特性と、敵に応じたフォーメーションの使い分けを。
走り出す文城と紡を追いかけて、俺も敵に突撃する。
「にゃあっ!」
飛び上がり、さらに空中を蹴って、真横に回り込む文城。輝く足蹴りが、敵の曲刀に止められ、火花を散らす。
さっきの弓と同じく、分割して剣にもできるのか。
ならこっちは、
「燕頷投筆!」
鋭く打ち出す鉛筆の連打。前足の部分を執拗に攻め、相手の動きを封じ込めに掛かる。
面倒くさい攻撃を嫌がって、軽々と背後に飛び退った四つ足の巨体に、
「せぇいっ!」
炎を宿した紡の一撃が炸裂する。影の肌が激しく燃え、反撃の後ろ脚が、紡めがけて跳ね上がる。
その追撃を吹き飛ばす、大口径の銃弾。
中空でジェットをふかし、敵の反撃をつぶす柑奈の存在が、俺たちの攻撃を後押ししてくれた。
行ける、このままなら。
そう思う心の慢心を喰らうように、
「下がって!」
しおりちゃんの警告と、敵の背中に青白い炎が宿るのが同時。
それはつがえた矢にエンチャントされ、強烈な勢いて燃え上がる。
背筋に走る、悪寒と恐怖。
そのすべてを否定して、俺は聲を限りに叫んだ。
「厄を遮れ、塞神!」
棍で地面を突く。仕掛けておいた鉛筆から障壁が吹き上がり、放たれた炎の矢をすべて受けきる。
それでも、しびれるような爆発の衝撃は、鼓膜と全身を叩きのめしていた。
「っぐ! やっぱ、守りって難しい、な」
鉛筆に聲を仕込むのはいいけど、意志の力で威力が変動するから、防御障壁はその都度張った方がいいかもしれない。
「全員無事か!?」
「だいじょぶ!」
空間を蹴りつつ、大きく退避していた文城。毛皮が少し焦げているけど、問題なし。
「思ってたより範囲が広いね! あたしも遊撃に回るよ!」
ジェットをふかしつつ、空中で待機する柑奈。
「手加減してたらじり貧だ! 全力出すけど、良いよな!」
燃え尽きた剣を放り捨て、残っていた二刀を両手に構える紡。
「孝人さん! 私とあなたで拘束を! あとは一気に!」
銀の翼飾りを振い、金翅鳥を顕わすしおりちゃん。
俺は両手に鉛筆を生み出し、
「一斉攻撃!」
勝利に向かって、駆けだした。




