24、ラストアタック(その四)
塔ダンジョン、二十階。
最初に目についたのは、頭上に広がる暗い夜空だった。久しぶりに見た、星の瞬く天蓋を振り仰ぐ。
それから、周囲の光景。
足元は石畳で、整然と広がってはいるが、ところどころに割れたり欠けたりしている部分もある。
しかも、その床の端は途中で途切れて、何もない空間の広がりと、霞んだ『地表』が見えていた。
「孝人!」
紡は、すでに剣を抜いて構えている。
警告は、このフロアの中央に立っている存在に、注意を向けさせるものだった。
黒い影。
十一階の『人間の勇者』とはまた違った敵だ。
体を揺らめく陽炎のような『影』で覆い、片手には巨大な剣を持つ、黒い騎士のような姿をしたエネミー。
シャドウデーモン、それが冒険者たちのつけた名前。
「それじゃ……一番手、鶴巻紡!」
宣言と同時に駆けだす白いオオカミ。すでに立ち回りの打ち合わせはできてる。
あとは、それ通りに動くだけだ。
『二十階のボスは、いくつかの形態に分かれてるの。まずは第一形態の『騎士』。これが基本だから、動きを理解して』
柑奈の解説は正確でよどみなかった。
それに従い紡は肉薄し、剣を振う。
相手の大剣はたぶん二メートル近い、それを軽々と振り回し、質量と速度で空間を削り取っていく。
だが、そんな相手は、紡にとってすでに敵じゃない。
「おりゃあっ!」
切っ先を見切ってかわし、通り過ぎた大剣を自分の剣でさらに弾き飛ばす。
体勢を崩した相手に、必殺の突き。
こぉんっ!
まるで、その動きがわかっていたみたいに、盾のように構えられた大剣。
それでもぶつかり合った衝撃で、敵がわずかに吹っ飛んだ。
「二番手、小倉孝人!」
ここから攻めのペースを上げる。
俺はダッシュし、紡の脇を駆け抜け、
「燕頷投筆っ!」
左右に生み出した鉛筆の連打。敵は下がりながら大剣の腹側を使い、完全にこっちの攻撃を防ぎきる。
でもな、そんなのは織り込み済みなんだよ!
「さんばんっ、福山文城っ!」
軽やかに四つ足で走り寄り、大気を蹴ってうなりを上げる文城の巨体。その太い足が繰り出す旋風脚が、肉球の閃光を炸裂させて、クリーンヒットした。
影がよろめき、一瞬のスキをさらす。
「四番手、美幸栞。行きます!」
すでに編み上げていた聲が、光の翅のイメージを具象し、巨大な鳳が黒い影に襲い掛かる。
逃れようと大きく剣を振った瞬間、光が鎖になって、全身を縛った。
途端に、全身の影が大きく膨れ上がり、拘束を解こうとした。
「ラスト、神崎柑奈」
重く、鋭い発砲音。対物狙撃銃が、黒い影の脳天をぶち抜き、砕け散らした。
影はもろくも崩れ去り、訪れる静寂。
「油断しないで、すぐ次が来るよ!」
柑奈の言う通り、それはすぐに来た。
切り取られた空間の端、北に面しているだろう方角に、何かが現れた。
それは巨大な、燃える巨人だ。目鼻はなく、開いた口の中には暗い穴が広がっている。
床の淵に手をかけ、こちらに身を乗り出すようにして、叫ぶ。
そして、両手を高々と掲げて、叩きつけた。
「回避!」
巨人の指先からほとばしる、無数の火炎弾。俺は棍に結晶を装填し、駆ける。
「せいっ! はっ、はあっ!」
弾き、弾き、弾き!
弾きながら前進し、火炎弾の向こうにいる敵へ突き進む。
そこにいたのは、さっきよりも小さな影。
姿は人間の少年くらい、両手に湾曲した剣を構え、薄い笑みを浮かべる。
「第二形態! 火炎弾に気を付けて、各個撃破だ!」
俺たちの肩に金色の小鳥が止まり、ダメージ消去のフィールドが展開。同時に、二つの戦場で戦闘が始まる。
俺の右手側では、さっきの大剣を持った騎士型エネミーに、紡と文城がついている。
こっちは俺と柑奈のコンビ。
『第二形態から一気に派手になるよ。背景の巨人は基本無視。二体に増えた連中を撃破すれば、第三形態に移行するから』
「せいっ!」
相手の動きよりも先に突き出す棍。それを挟み込むようにして受けて、避け捌く敵。
俺の体が一瞬、前のめりになり、
「はいそこっ!」
横合いから叩きつけられる弾丸にはじかれ、軽やかなステップで踊るように、少年剣士の影が飛び下がる。
「燕頷投筆!」
その足元に、連続して鉛筆の一撃。それも跳ねるように交わしながら、相手が両手の剣を組み合わせて、弓に変化させる。
俺は『視覚』を励起させ、
「うりゃあっ!」
両手から鉛筆を散弾のようにばらまく。
同時に打ち出された、影の矢が中空でぶつかり合い、迎撃し損ねた矢が柑奈の銃弾で砕き散らされる。
「柑奈、囲え!」
「お任せを、ご主人様!」
敵が逃げるより早く、鋼鉄のメイドが逃げ道をふさぎ、敵が一瞬、動きを止める。
それを、待っていた。
「踵の影よ、裏切り、掠め、喰い破れ!」
片手を石畳に当て、叫ぶ。
床に突き刺しておいた鉛筆が、聲に従って鋭い牙を持つネズミに変わる。それも、刺した数の分だけ、床面を覆うように。
飛び上がった影を、ネズミの鎖が縛り付けて引っ張り、叩き落とす。
「これで!」
螺旋を描く棍が、起き上がろうとした少年の影に突き刺さり、
「とどめ!」
太い火線が頭を吹き飛ばす。
いや、影だとはわかってても、後味悪い光景だなこれ。
ってそんなこと、思ってる場合じゃない。
「文城、紡!」
振り返ると、勝負はすでについていた。
文城が高々と蹴り上げた影を、
「天狼神剣、真っ二つ斬りっ!」
炎の刃が正中線から断ち割っていた。
燃えて砕け散っていく、影の騎士。気が付けば、しおりちゃんの金の鳥たちが、こっちに飛んでくるはずの火炎弾を、すべて叩き落していた。
いくら事前情報があったとはいえ、ここまできっちり対応できるなんて。
見上げると、炎の巨人が輪郭を失い、消え去っていく。
「あとは」
めまい、が、した気がする。
場違いなぐらい、俺を囲む空気が穏やかで、何が起こったのか、よくわからない。
体はいつの間にか、柔らかなもので包まれていて。
目を開くと、そこには木目の天井があった。
「え……」
起き上がる。
滑り落ちる掛布団の感覚。
腕を上げると、そこにあったのは、無毛の肌をした手。
見回すと、殺風景な空間があった。
寝ているのは、俺のベッドだ。就職して、一人暮らしするまで、ずっと実家で使っていたもの。
高校卒業まで使っていた学習机は、本や私物の代わりに、段ボール箱が積まれている。
床の古びたカーペット、起き上がって歩き、感触を確かめる。
外につながる窓のカーテンを開けると、そこには見慣れた景色が広がっていた。
「これ、は」
隣に一軒だけ立つ、二階建ての家。その周囲には畑と、田んぼだけだ。
代搔きが終わって緑の稲穂が、整列して植わっている。
五月だ。窓を開けると、少しあったかくて、涼しい風が流れ込んできた。
「孝人、起きてるの?」
胸が、締め付けられそうになる。
その声は間違いなく、母親の声だった。
「起きてるなら、下で朝ご飯食べちゃいな。洗濯物干すから、中に入るよ」
なんのドラマもなく、入ってくる姿。片手に洗い立ての服が入った籠。
香ってくる、洗剤と水の冷たさの混じった匂い。
俺よりも頭一つちいさい姿、髪の毛は白髪染めが施された、まだらになりつつある。
「どうしたの? なにかあった?」
「いや、その」
母さんは、俺の言葉を待たない。待たないで、俺の部屋からベランダへ出ていく。
いつもそうだった。
言いたいことがあれば呼び止めるし、無ければそのまま、会話は止まった。
「そういえば、孝人の会社、本当に大丈夫?」
干しながら、背中越しに尋ねてくる声。
「今年の正月だって、まともに休めてないし……あんまり無理して、体でも壊したら……嫌だからね?」
それは、いつか聞いた言葉だ。
俺がめちゃくちゃに壊れる前、まだほんの少し、正気が勝っていたころの記憶。
分かってる。
これは、これは、攻撃なんだ。
分かってる、のに。
「ちょっと、どうしたの」
仕事の手を止めて、近づいてくる姿。にじんでそっちが見えない。
なあ、なんで、よりにもよってさ。
「辛いんだったら、帰ってきていいんだからね」
抱きすくめられて、息が詰まる。
よりにもよって、こんな陳腐な、幻、なんかで。
「ごめん、かあさん、ごめん、なさい」
息もできないぐらい、俺は泣くことしか、できなくなっていた。




