19、先達の述懐:浦部海也の場合
私のギフテッドが、長年愛用していたシェイカーだったと分かった時。
年甲斐もなく、胸が躍った。
それから、紆余曲折を経て、私は再び店を持った。
バー『ナイトホークス』。向こうにいたころには思いもしなかった、しゃれた店名だ。
実のところ、この奇妙な街で、トリとヒトのあいの子のような姿になって以来、気持ちがだいぶ、若やいだ気がする。
太陽のない昼が終わり、星も月もない夜がやってくる頃。
いつものように、店の看板に灯を入れた時だった。
「こんばんは、お邪魔してもよろしくて?」
「もちろんですよ」
自分よりも頭一つ背の高い、シカの模造人。この街では珍しいスーツ姿に身を包んだ、韮澤新稲さん。
その彼女に同行するのは、
「こんばんは、浦部さん。ご無沙汰しております」
「どうも、海老原さん。最近はお忙しかったんですか?」
「うちのギルドも、いろいろとありましたので」
ライオンの模造人、海老原絵里奈さん。涯を追うもので遊撃手を担当する女性だ。
宝石商だった過去もあってか、同じくスーツ姿にアクセサリを身につけた姿。似たような趣味を持つ彼女たちが、休日を共にすることは良く知っている。
「ウィスキーソーダ、いただけるかしら」
「ジンフィズ、お願いします」
薄暗い店内に座る二人に頷き、今日最初の一杯に取り掛かる。
グラスに入れた氷をバースプーンで脇に寄せ、『酒の通り道』を作る。彼女たちが頼んだ『ロングドリンク』は、名前の通りじっくりと味わうタイプのカクテルだ。
酒と割りものを、なるべく氷に触れさせず、静かに注ぐ。氷が解ければその分、水っぽくなるのが早まるからだ。
ただ混ぜるだけ、と思われがちな『ビルド』のカクテルは、意外に神経を使う。
「お待たせしました」
二人分を供し、お通しの小鉢を置く。それは、指先ほどの小さな果実。
向こうではプラムやマスカットを使っていたが、こういう果汁の多い甘めの果物は、大抵の酒と合う。
彼女たちは喉を潤し、少し果実を味わってから、会話を始めた。
「それで、チームお休みの間は、どうなさるつもり?」
「北斗さんも学校に入られるので、しばらくは獄層キャンプの整備を中心に、活動することになるかと。事実上の開店休業でしょう」
「発展的解消とはいえ、九蘭ちゃんが引退なさったものね……Aチームで残るのは、あなたと徹さん。むじなちゃんはインスピに一時戻って、以蔵君が新皇軍の外征に」
どうやら想像以上に、街の状況は動きつつある。
塔攻略を最も推し進めていた『涯を追うもの』も、中核メンバーの移動が激しいようだ。
「寂しがってない? 瞳ちゃん」
「半々、という感じでした。彼女も魔法学校入りを希望して、久しぶりの学生生活を楽しむと言って、喜んでおられましたし」
「そうよね。あんな年の子が、戦うばかりの毎日なんて。どう考えてもおかしいもの」
彼女たちはわずかに眉をひそめ、静かに酒を干していく。二人とも腕に覚えのある女傑であり、いたわりと気遣いが先立つところも、似た者同士ということだろうか。
しばらくは言葉もなく、店内に流れるジャズの音色に耳を傾けていた二人は、次の注文を告げた。
「サイドカー、よろしくて?」
「わたしはミモザを」
どちらも柑橘系の香り立つ一杯だ。この街にはレモンもオレンジも『ない』ので、代用品である、似たような果物を使うことになる。
先にビルドスタイルのミモザを仕上げ、海老原さんに提供すると、今日最初のシェイクに取り掛かる。
ベースはブランデー、香りづけにホワイトキュラソー、柑橘の果汁をアクセントに少し。
そして静かに、シェイカーを、振る。
手の内に伝わる液体の動き、混ざり合い、空気を含んで、互いの味わいと香りが、別の何かに変わっていくのを感じ取る。
そして、
「どうぞ、サイドカーです」
琥珀色に染まった一杯を、そっとコースターに置く。
「学校のことだけど、あの方たち、うちの店に制服を頼みに来てらしたのよ」
「グノーシス、ではなく星の学堂でしたね。一宮さんは存じ上げてましたが、団体の気風も変わられたようで」
「とはいえ、さすがのわたくしも二月足らずで制服を仕上げてくれ、と言われて、安請け合いをする気もありませんでしたわ」
「断った?」
そこでシカの彼女は笑い、軽く胸をそらした。
「デザイン料と量産体制込々で、ギルドをもう一つ立ち上げられるぐらいのお値段で、お受けしましてよ!」
「それは……また……」
「あまり、いじめないであげてくださいよ。一宮さんもだいぶ苦労なさってますから」
「分かっておりますわ。手付代わりに『いろいろと』便宜を図ってもらう、ということで手打ちしましたもの」
なるほど、そういうことか。
そんな気持ちをおくびにも出さず、私は静かに背景に徹する。
「じゃまするぜ」
こちらの話題が一段落したのを見計らうように、声がけして入ってくるものがいた。
作務衣に、頭には豆絞りの手ぬぐいを巻いた、三毛猫の模造人。
「あらこんばんは、お店はもういいの?」
「野村さん、ご無沙汰しております」
「おう。店のモンに任せてきた。ビールな」
野村典敏さん。
居酒屋『大しけや』の店長は、カウンター席の出口に近い端に座り、こちらが出した灰皿を引き寄せ、紙巻に火をつけた。
「そういや、Aチームのアイツ、外に行くんだって? さっきまでうちで飲んでたぜ」
「はい。以蔵さんならすでに、大川さんのところに出向して、身辺の整理をなさっているはずです」
「いつもなら、殿様が何を言おうが知らん顔。笛吹けど踊らず、どこへなりとも行っちまえ、ときたもんだが」
彼はきめ細かな泡が立つビールのグラスを口に当て、一気に半分ほど飲んだ。
「里心でもついちまったのかね。どいつもこいつも」
愚痴でも当惑でもない感情を、部屋の隅へ煙と共に吐き出す。飲酒と喫煙は、彼にとって呼吸と同じくらい、自然な所作として組み込まれていた。
「実際、どうなのかしらね。小倉さんたちが見つけたっていう、転移のゲート。同じものはもうない、向こうからも閉じられたって、言ったそうじゃない」
「一攫千金というわけでもないのでしょうが、外征という行為に、新たな側面が出てきたのは確かなことだと思います。未知の何かを、発見できるのではないかと」
「潮目が変わった、ってとこか。べたなぎの海に、波が立ってきた。魚が戻るか、時化になるか」
そこで、戸口に新たな影が集まってくる。
「ぶえなすのーちぇす! 今日は千客万来だねぇ」
「こんばんわマスター。頼まれてたパン、もってきたよー」
メキシコ料理店の店主。ジャガーの模造人、垣田和己さん。
パン屋の主人。パンダの模造人、時任俊哉さん。
二人は早速、カウンターに座り、めいめいの注文を告げる。
「ソルティドッグ、シェイクでたのんます」
「ブラッディシーザー、よろしくね」
癖のある二つの注文。
ソルティドッグは、現代風のレシピであれば、ウォッカとグレープフルーツジュースを混ぜたものを、縁に塩を付けたグラスで提供する。
ただ、原型となるスタイルでは、すべての材料を入れて、シェイクで作る。
血まみれの皇帝は、血まみれのメアリの変奏曲だ。
ウォッカにトマトジュースではなく、クラマトと呼ばれる、アサリのエキスを入れたトマトジュースを使う。
もちろん、どちらのカクテルも、この街の材料で再現した模造品だが。
「お待たせしました」
「ほいきた、それじゃみなさん、サルゥー」
「お、かんぱーい」
それぞれが手にしたグラスを掲げ、音頭に合わせる。とりとめのない空気がわずかに流れた後、
「私はそろそろお暇いたしますね」
「そう? もう少し、過ごしてらしてもよくってよ?」
「先輩方のお邪魔をするのも心苦しいですし、明日は獄層に上がって、現場指揮もありますので」
会釈をして、海老原さんが席を辞して、去っていく。
彼女の占めていた場所をきれいに片づけると、私は告げた。
「垣田さん」
「あいよ」
戸口近くにいた三毛猫が、『貸し切り』の看板を手に、外に出る。
戻ってくると、ドアと外向きの窓にブラインドを下ろし、施錠を施した。
「真野さん、今から会議を始めますが、問題ありませんか?」
虚空に声を掛けると、店内に流されていた曲が消えて、スピーカーから声が響く。
『問題な、バーを中心、監視、不審者、無』
「ありがとうございます」
そういいつつ、オーディオセットの影から、小さな物体を取り出す。自動掃除機にそっくりな端末を、カウンターの上に乗せた。
「お忙しいところ、お集まりいただき、感謝します。これより【Knighthawks】定例会を始めたいと思います」
それぞれがうなづき、承認されたことで、自分もバーのマスターではなく、最古参のギルドマスターとしての顔を取る。
「垣田さん、否術については、どの程度把握できましたか?」
「店の若いのにやらせてみたが、完全結晶ん時と同じだ。適正次第、世間でいうほど、便利な代物でもねえよ」
徹頭徹尾、悲観主義と現実主義で世界を見る男は、いつも通りに世界を表する。
「ご自身でも習得は可能そうですか?」
「何とかなるが、時間はいるな。短縮してえなら、いい教師について、ゴリゴリに詰める必要がある」
「ご安心なさいな。わたくしが渡りをつけて『優先的に』教師を融通していただけることになりましてよ」
自分の発言を求めるように、シカの右手が上がり、皆が沈黙で許可をする。
「否術については、面白いことがもう一つ。あれ、別に呪文を介さなくても、身体能力の増強に効果があるらしいの。シーカーズの福山文城君、彼の動きも、以前と比べ物にならないくらい『伸びて』らしたわ」
「否術の肝は『視る』技術にある。そのおかげで、身体運用を感得しやすくなったんだろうな。仏教でいう身口意、あるいは中国武術における内三合、地球でもその程度の話は、宗教やら武術でも言われてたことだ」
「となると、ぼくたちもそれ前提で、動かないとダメってことか」
手にしていた赤い液体をグイっと飲み込み、わずかに口元から滴ったものを拭うと、パンダの模造人の顔は、凄みを増した笑みを浮かべた。
「久しぶりに楽しいことになりそうだ。マスター、あのろくでなしの首根っこ、捕まえといてもらえる? 若い子イビって喜んでないで、ぼくと本気で殺ろうよ、ってさ」
「懲りないねぇ、時任のダンナも。今度は半殺しじゃすまないよぉ?」
「ほどほどでお願いします。あくまで否術の把握と、我々の戦力底上げのため、ですから」
すでに仲間たちは状況把握に動き、能力の全容を解明しつつあるらしい。
実のところ、私も一連の力には興味があった。いずれは習得し、自分の腕が底上げできるのかを試してみよう。
『マスター、私、情報、提供』
「了解です。こちらをどうぞ」
カウンターの下にあったノートパソコンを取り出し、画面を皆に見えるように置く。
モニターに投影されたのは、人気のない深夜。P館に進入しようとする、何者かの姿だった。
それは見慣れた、二人の冒険者。
「あら、小倉さんとしおりちゃんね。これいつの映像?」
『彼ら遠征、帰還、その直後』
二人の姿は、館の壁の前で消えた。その後、倍速にされた時間で二時間たち、同じ場所で姿を現し、去っていく。
姿消しの魔法、近代の科学技術でも発見できないという意味では、完璧な偽装だった。
「あぶなっかしいねえ。多分、まだこの二人だけが、否術を把握してた時期だったんだろうけど。P館の監視カメラは?」
『ミー、ハッキン、記録、消去』
実のところ、この街にはPの館による魔法を使った監視だけでなく、テクノロジーを使った監視も用いられている。
ただし、こうした技術はP館と、彼らが重要と目した場所でのみ活用されるのみ。
存在を知っている者はほとんどおらず、一般の魔機人では、気づくこともできない。
「警告しとくかい? 火遊び厳禁、火の用心って」
「その後、彼らによる干渉は?」
『なし。未熟、されど、油断少な』
「監視を続けてください。次があったら、警告をお願いします」
おそらく、Pとの交渉に使うため、自らの力の有用性を確かめたのだろう。
ただ、彼らはまだ、この街の『裏』を知らなさすぎる。
場合によっては、こちら側に引き入れることも、念頭に置くべきかもしれない。
「外征の方はどうする?」
「いつも通り、てなもんやと新皇に入れたメンバーに任せましょう。それよりも、重要なことがあります」
「Pの動向、ですわね」
それぞれが視線を交わし、頷く。
獄層攻略のための互助ギルド。その存在をほとんど漏らさず、在籍しているメンバーの名前も一般には公開しない。
そして、Pの館に提出している、いくつかの資料にも『偽装』が施してある。
その理由と、目的は――
『警告。会議時か、一時間、経過。集会、P館、目を引く、注意』
時間だ。
それぞれが席を立ち、あるいは新たな場所に腰掛けなおす。
「それではみなさま、ごきげんよう。明日もよい一日でありますように」
「じゃあな」
シカとネコの二人は、店の扉を開け、挨拶を残して去っていく。
「ぼくはもうすこし飲んでこうかな。マスター、ボイラーメーカーね」
「お、飛ばしてきたねぇ。なら、おいらはショットガンで」
正直、あまりうちでは出したくないメニューだが、貸し切りの看板が下げたままなら、たまにはいいだろう。
それぞれに酒を提供したところで、ジャガーの模造人が、手のひらの内側にショットグラスを包み込むように持ちながら、告げた。
「そういや、明後日ぐらいには、久々にニ十階踏破者が出そうだってさぁ」
「パッチワーク・シーカーズですか」
「あたり」
たんっ。
短い答えと共に、グラスの底を叩きつけ、素早く中身を飲み干す。
ショットガンはカクテルというより、宴会芸に類する酒遊びの一種だ。テキーラに微量のソーダ、ライム果汁を入れ、グラスを叩きつけた衝撃で混ぜて、一息に飲み干す。
「その後はいったん解散、らしいねぇ。連中の動向は、おいおい知らせるよ」
「否術の件もあるし、ぼくたちもやる気に火を入れないとね」
パンダはこちらから大ジョッキに入ったビールと、ショットグラスに満たしたウィスキーを受け取り、ショットグラスをジョッキに落とした。
じゅわっ。
一気にビールが沸き立ち、素早くジョッキにマズルを当てたパンダが、あふれ出る中身を飲み続ける。
これも酒遊びの一種。一連の様子を、沸き立つ湯沸かし器に見立てた名前が付けられていた。
「そうだ、マスター。マスターも一杯いきなよ」
「ぼくたちのおごりでさ。どうせもう、店じまいでしょ」
その言葉に私は笑い、ふと思い立って、材料を用意する。
ラム、コアントロー、柑橘の果汁、それらを一対一対一の比率で、シェイカーへ注ぐ。
店じまい、一つの区切り、同じ日は二度とない、そんなことを思いながら。
静かに、振る。
用意したグラスに注がれるのは、白濁した一杯。
「そのカクテル、名前は?」
「XYZ。"終わり"を意味するカクテルですよ」
苦みと、ほのかな甘みを感じさせる香りを感じながら、グラスを掲げる。
「本日の営業は、これにて終了です。ご来店、ありがとうございました」
そして静かに、今日という日のすべてを。飲み干した。




