10、冒険者の肖像:美幸栞(その二)
その日の晩は、孝人さんからお呼ばれしていた。
地球で経験した冒険以来、私はなんとなく、彼に日常のこまごましたことを、相談することが増えている。
「いらっしゃいませ、二名様。お席へご案内しますねー」
それは、白いコックコートに身を包んだ、キツネの模造人。
久野クリスさんの経営する高級料理店『ミシュリーヌ』が、彼の指定する店の一つになっていた。
「ところで、孝人さん。その」
「なんだい?」
この店の支払いは、すべてプラチナチケットで行われる。普段使いするようなものではないし、毎度彼に払ってもらうのは、心苦しかった。
そのことを、どう切り出せばいいのか迷い、無難な質問へ舵を切った。
「お好きなんですか? このお店」
「……しおりちゃん、騒がしいの得意じゃないでしょ?」
「は、はい。それは、確かにそうです」
席に着くと、彼はくつろいだ様子で店内を見回す。
外からの音は防音の壁で封じられ、店内の装飾は淡い色合いでまとめられている。
明かりはテーブルの結晶ランプと間接照明。壁に掛けられた絵画も、どこかの庭園で休息する、着飾った模造人のヒト達が描かれていた。
「君に落ち着いてご飯を食べてもらうなら、この店が最良だと思った。地球でもそうだったけど、邪魔されない静けさって、お金で買うものなんだよ」
「……なるほど」
「気になるなら、次からはもう少し考えようか。『きたがわ』さんも、客層は落ち着いてるしね」
どうやら、私の気持ちも、彼にはお見通しだったらしい。
苦笑しつつ、孝人さんは付け足した。
「ただ、これはリーダーとしての仕事でもあるから、払いは気にしないでもらえると、助かるよ」
「リーダーとしての仕事、ですか」
「こういうやり方、ヒトによっては嫌がることもあるけど。それぞれの精神状態は、一対一で話を聞く必要があるから」
そこに、前菜が運ばれてきて、それぞれが銀器を取る。
白っぽい四角い塊に緑のソースがかかった、いかにも高級そうな代物だ。食事に興味のなかった私も、ここにきて少しづつ、知見が広まっている。
「十八階で取れたお魚のムース、ソース・ヴェルデ魔界風です」
「魚の名前は、付けてないんですか?」
「あそこは日によって出現する『海』が違うの。だから、分類はあきらめちゃった。『魔界シャケ』とか『魔界カンパチ』とか、いい加減な名前つけることもあるけどねー』
思わぬところで高階層の情報を知らされて、孝人さんは嬉しそうに頷く。
そういえば、私の攻略情報は実利に寄りすぎて、こういう情緒に関することは、あまり書き記してこなかった。
一皿目が終わったところで、私は尋ねてみた。
「私ももう少し、ヒトに興味を持った方が、いいんでしょうか」
「……何か、思うところがあった?」
「生徒さんに、私はいいヒトだと、言われてしまって」
会食、というのを、私はあまり好きではなかった。
しゃべりながら、というのはいかにも非合理的で、衛生でも褒められたものではない。
でも、何かの合間に何かを語る、ということにも理があると、なんとなく感じるようになっていた。
集中するからこそできる話と、あいまいにした方がいい話。
打ち明けたいけど、親身になってほしくない時。
その距離感を保つのに、『主』である食事と『従』である会話があってもいいのだと。
「自己認識と他者評価のずれ、だね。俺も何度も経験してる。自分はそんなのじゃないって言いたいけど、相手は好意で言ってるってわかる時、気まずいよね」
「はい」
彼はたぶん、今までにあったヒトの中でも、かなり話しやすい部類だ。
こういう『大人』と、地球ではあまり接してこなかった。あの人たちはみな、自分の価値観を優先して、私という『子供』に当てはめるのに躍起だった。
「しおりちゃんは、仏教もやってるんでしょ? 俺なんかよりもずっと詳しいし」
「本格的に、仏門に入ったわけではありませんけど。一応、こちらに来て、経典のいくつかや仏教に関する概論などは読み漁っています」
「だったら、人間のすべては妄想である、みたいなことも、わかってるわけじゃない」
このヒトは、私を否定しない。
分からないなりに寄り添い、互いをすり合わせることをいとわない。
「一切皆空、ですね。私たちに見える世界は、原因と結果によって生じるもの。その変転を止めるすべはなく、定まった形を求めることに意味はない」
「俺たちへの評価も、すべては空、って言っちゃえばいいんじゃないかな。よかったら喜ぶ、悪かったらなんとかする。できなければ、仕方ないってあきらめる」
「だからこそ、悪因悪果、善因善果、という考えが生まれたんでしょうね。変転が止められないなら、良き種を未来に蒔くと」
その時、会話の節目を見切ったように、クリスさんが新たな皿をテーブルに置いた。
「『百節』の中軸を使ったテリーヌです。珍しい食材だから、とっくりとご堪能あれー」
「それは、本当に珍しいですね。やはり緑獄ですか?」
「二十一階の農場だよ。作物の整理をするからって、一本切り倒したら、中軸ができてたんでびっくり。危うくお殿様に買い占められるところを、必死でゲットしたんだよー」
それは四角いゼリーで野菜を固め、正方形の板状に切り分けられた料理だ。
中には見慣れた魔界の野菜に交じって 白いアスパラガスのような軸が入っている。
「百節って、あれでしょ。こっちのお好み焼きに入ってるやつ。ごぼうっぽかったり、もやしっぽかったりする」
「はい。百節は木ではなく、同種の多年草が密集したものです。その外側が厚みを増すごとに、内側に柔らかな可食部分が発生します。やがて、年を経た百節の内側に、栄養を凝縮した『中軸』ができあがるんです」
それは、新たな播種のために、百節が貯めた濃縮栄養分だ。クルミの内側の脂肪のように蓄えられ、やがて無数の種になって放出される。
「うわ……すっげぇ濃厚……歯ごたえもあって、噛むほどに味が……。魔界の植物って、うまいか苦いかのどっちかだよなぁ」
「毒や殻、棘で武装し、時には動物を惑わせ、その栄養を奪う。そんな彼らがため込んだものをいただく私たちは、頂点捕食者の一角に食い込んでいるのかもですね」
そんな会話の合間に、厨房の方がにわかに騒がしくなる。
火にかけられたフライパンが煽られ、リズミカルな音を立てる。降り注ぐ蒸留酒が青い炎を上げ、うっすらと芳しい香りが漂った。
「しおりちゃんは、そのままで大丈夫だと思うよ」
アトラクションのような調理の風景を眺め、孝人さんはグラスのお酒をたしなみつつ、言った。
「そうでしょうか。私は子供のころから、ヒトと違う、ずれている、異端であると言われてきて、今でも誰かと摩擦を起こすことを、恐れている気もします」
「俺もそう思ってたよ。でも、そういうのってさ、自分じゃどうしようもないことも、あるんだよ」
やがて、暗褐色に焼き上げられた塊の肉に、香り立つ持つソースが掛けられて、提供される。それは、今まで嗅いだことのないものだった。
「あの……クリスさん。このソースに使っているハーブは、なんですか?」
「その質問をしてくるヒト、なかなか珍しいんだよ。めっちゃグルメなヒトなら、興味を持ってくれるんだけどさ」
「市場で出回っている魔界のハーブやスパイスは、一通り試しましたが、そのどれとも違う……これは、地球由来の物でしょうか?」
それにしても、類似の香りは思い浮かばない。自分もハーブを育てていたから、地球の物でもある程度は分かるつもりだったけど、そのどれとも一致しなかった。
「シルフィウム、あるいはシルフィオンって知ってる?」
「さあ……残念ながら、料理に関しては、あまり興味がなかったもので……」
「それって、ローマ時代に使ってた調味料じゃないですか?」
孝人さんの解答に、クリスさんは笑顔で拍手した。
「さっすが。そういう雑学知識は、孝人君の方が得意みたいだねー」
「食い物関係、結構調べたんですよ。江戸もそうだけど、ローマもすごかったって。でもたしか、当時に乱獲されて、絶滅したって話じゃ?」
「私もそう思ってたんだけど、なんか残ってた近縁種が見つかってたんだって。それを知ったのは、こっちに転生してきた後だったけどねー」
そういいつつ、彼女は掌の上に、青々とした野草を取り出してみせる。太く短い根とフェンネルにほど近い葉と茎。
黄色い花を咲かせたものと、葉だけのもがあり、本人の意思で選択できるのだろう。
「転生するときにね、願ってみたの。シルフィオンが欲しいって」
「な、なんでまた、そんな?」
「孝人君と同じだよ。料理に興味があって、その歴史を調べてるうちに、ローマに行きついて、そこで出てくる調味料が気になったの」
そして彼女は生まれ変わりを選び、自分のギフテッドを、食べたこともない香草を出す能力に定めた。
なんというか、世界は、広い。
「私がこっちに来た頃は、料理なんてする余裕もなくて、使える食材は限られてたし。それを相談したら南条さんが『せやったら、開拓しましょうよ。うまいもん』ってね。食料採取班に入れられて、気づけば前線で、食材を狩るシェフになっちゃいました」
「なんかありましたね、そういうグルメ漫画」
「ねー。当時の仲間もノリノリでやってたし。あの頃は楽しかったな……」
消えていく語尾に、私たちはそっと目をそらし、銀器を手に取る。彼女も軽く頭を下げて、冷めないうちにと言ってくれた。
彼女の語る仲間は、この世にはもう、いないのだろう。
すでに十年以上たった、例の二重崩落の時。街の戦闘可能なヒトビトは、大多数が戦死したと聞いている。
彼女の夢であったこの店は、そんな苦い土壌の上に実った、善果なのかもしれない。
シルフィオンのソースがかかった肉料理は、とてもおいしかった。
ミシュリーヌを出ると、孝人さんはいつも通り、家まで送ってくれた。
「明日からは、休みを入れずに十八階まで行く。終わったらもう一度休みを入れて、十九階、そしてニ十階へチャレンジだ」
「十九階の敵次第では、一度撤退、ということになるかもですね」
「『コウヤ』が出てきたら速攻で脱出しよう。ったく、あいつマジめんどくせえよなあ」
それから、彼は片手を振って去っていく。あの方向なら、たぶん夜更けまで飲み屋街に入り浸っているだろう。
「あー、そうだ。しおりちゃん」
「はい」
「文城が、壁外に行くってさ。紡も一緒だ」
なぜだろうか。
私はその言葉を聞いた途端、胸が、ざわめく気がした。
「できれば地球に行って、両親の墓参りがしたいんだって。あいつも、どんどん変わっていってるよ」
「そ……そう、なんですね」
「その変化の一端は、間違いなく君が担ってる。これも君のもたらした、いい方の変化だと思うよ。んじゃ、おやすみ」
彼は去っていく。
その姿を視界から外して、私は家へ戻った。
私のもたらした変化を、思い返す。
文城さんが道を選び、過去とは違うものになっていく。そのことで、柑奈さんはどういう気持ちを抱えてしまうんだろう。
紡さんの中に宿った『爆弾』。彼が思っているほど、火の聲は容易いものではない。
そして孝人さんは、人間として甦る可能性を『捨てさせられ』、街に戻ってきた。
「孝人さん」
誰にも言えない心を抱えて、私は新たな呪を、己に掛けていた。
「私のもたらしたものは、本当に、善果だったんでしょうか」




