9、冒険者の肖像:美幸栞(その一)
『美幸さんて、変わってるよね』
それは、私という人生に刻み付けられた、呪だ。
有名な伝奇小説家の作品から広まった、『レッテル張りとは呪詛である』という概念。
先入観や思い込みによって、その人間を規定し、決めつけ、その本人にさえ『そうである』と思い込ませる、この世で最も安価な呪い。
私にとっての呪は、人生のいたるところで現れた。
『あのね、栞ちゃん。そういうものは、迷信と言って、とてもよくないものなの。ほら、宗教とかって、人をだますためのものだから』
小学校の先生が、私の疑問を封殺したときの言葉。
遠足の途中で興味を持った、真言宗系の墓石に刻まれた、種字について質問したときだ。
あの人にとって、宗教などは総じて、避けて通るべきもの。あるいは理解するだけで汚染される、情報災害のように思えていたんだろう。
私は、人前で宗教の話をしないように努めた。
『しおりちゃーん、なんか、おまじないとかやってるんだって? ムカつくやつが不幸になるのとか、知んない?』
中学に上がりたての頃、よく知らないクラスの女子から、そんなことを言われた。
私は丁寧に、中古で手に入れたペーパーバックの、呪詛の方法を解説した。
はじめは興味深そうに聞いていた彼女は、世間でいう『ドン引き』の顔になって、適当に話を打ち切った。
その後、クラスでは私を魔女と呼ぶ人がいたと記憶しているけど、そのあだ名のおかげで、疎外される以外の影響は、特になかった。
『美幸さん、あまりクラスの子と付き合いがないみたいだけど、大丈夫?』
私は、問題ないと答えた。
クラス担任は困ったように笑い、学生時代における学友の大切さを、小一時間ほど語って聞かせてくれた。
その当時、私は日美香ちゃんとネット上でやり取りしていたし、導師との交流も始まっていたから、彼女の言葉は的外れの、うつろな響きでしかなかった。
『あの子、やっぱりおかしいわ。あなたからも何とか言ってよ』
母は、私の呪の、源のような存在だった。
彼女は毎日、必死になって、あらゆる『過去からの伝統』を否定し続けていた。
家庭内の役割、社会における互助関係、子供に対する養育行為、すべてを否定した。
私に言わせれば、彼女の方が明らかに『おかしかった』。
あらゆる責任を拒絶する姿は、ベビーサークルで泣き叫ぶ、赤ん坊のように見えた。
だから私は、母との交流を打ち切った。ぶつけられるだけの感情を受け止めるより、受け流すことを良しとした。
『奇妙な子供』
私はその呪を、受け入れた。
異物、異質、異常、異端。
であるならば、私に与えられる『理不尽な扱い』も、『当然』と判断できた。ヒトは自分と異なるものを、安全のために排除するものだからだ。
美幸栞は異端である。
そのはず、だった。
「マスターミユキー、ちょこっと教えてほしいことがあるんですおー」
塔攻略の中休みの日。星の学堂でのこと。指導室へ向かう途中で、一人の学生から呼び止められた。
ローブを内側から膨らませた、ウサギの模造人。ふくよかな体の彼は、特徴のあるしゃべり方で記憶に残っていた。
「はい、なんでしょう」
「美幸先生がやってた、鳥をばーって飛ばす奴。あれって、何かコツがあるのかお?」
「すみません。あれはコツというより、普段の想像力によるものなんです。昔から、魔法や呪術に興味があって、その副産物ですね」
「おおっ、そういうの、めっちゃわかるおー。子供のころ、漫画の呪文詠唱とか、手で組む印とか、必死になって覚えてたよねー」
彼はにこにこしながら、短い指で印を結んで見せた。
私の翼はもう、そういうことはできないけど、九字切りや密教の印相を、独学していたことを思い出す。
「つまり毎日、いろんな事、妄想しまくればいいってことかお?」
「さすがに、散漫なイメージトレーニングでは、難しいですね。なにか、術のアイデアは構想されていますか?」
「えっとぉ……ちょーっと、恥ずかしいんだけどぉ、先生になら、ボクのヒミツ、教えてあげちゃおっかなぁ」
などと言いつつ、彼は虚空から人形のようなものを取り出す。アニメか何かのキャラクター、のようだったが、良くは分からない。
彼のギフテッド、魂に刻まれた嗜好なのだろう。
「ボク、こういうのが出せるんですお。それで、否術で、自在に動かせたらなーって」
「なるほど。いわゆる式ですね。ずいぶん精巧に作られていますし、イメージを乗せるのにも、有効に働くかと」
「ホントは、ボクの命よりも大事なふーがちゃんだったんだけど……いろいろ考えて、戦力として、一緒に戦ってもらおうって、思ったんだお」
しゃべり方はともかく、その顔は真剣そのものだった。『視た』感じでは、内的な聲もだいぶ整っているし、術者として活動することも難しくないはずだ。
「まずは、否術の基礎から始めましょう。否定構文を創り、一通り扱えるようになってからですね。その後、このお人形の彼女さんと、一緒に戦う方法を模索すればいいと思います」
「かっ……か、かかかかか彼女ぉっ!?」
「え……ち、違うんですか!? 確か、こうした『ふぃぎゅあ』を愛好する方は、彼女さんとして扱うと、お伺いしていたので……」
また、やってしまった。
ヒトにあまり興味のない私は、聞いた話でしか、世界を判断できない。だからいつも、奇妙で異端だと――
「――先生っ! ボク、先生のこと、今後も最っ高に、リスペクトしますおっ!」
「は?」
「そぅなんだお。ボクにとってふーがちゃんは、たとえ二次元の存在でも、唯一無二のまいふぉーりんラッヴ! でも、あまりにも尊すぎて、その一言が言えなかったんだおっ」
よくわからないけど、私の表現は間違っていなかったらしい。彼はいとおし気に手の中の人形を撫でて、それからこっちに向き直った。
「先生、本当にありがとうだお。ボクのふーがちゃんを、ちゃんと認めてくれて。先生は優しくて、いいヒトだお」
「い、いえ……私、は」
「よーし、それじゃ、これから毎日家を……じゃなかった、結晶視ようぜ! ってことでサヨナラバイバイだおー! オレはふーがと旅に出るっ!」
飛び跳ねるようにして去っていく彼を、私は呆然と見送った。
これまで、私の人生になかった、新たな呪を掛けていったヒトを。
午前中の指導時間が終わり、午後からは職員が集まっての昼食会、という名のランチミーティングになった。
語られる内容は、すべて魔法関連。私にとって耳に心地よく、興味深いものばかりだ。
「すみません、美幸さん。少々お時間をいただけますか?」
「あ、はい。どうぞ」
私の隣に来たのは、以前から付き合いのあった、元教会員の一人だった。
長い間、木島導師の下で修業しながら、独自に魔法を研究していた彼は、否術に最も早く、順応された方だった。
「そういえば、最近は研究室の方に入られたそうですね。私も興味があるので、正式に学校が始まったところで、お伺いしようかと」
「ああ、そうだったんですか。それなら今、言うべきか」
なぜか彼は、私に頭を下げた。すらっとしたヤギの模造人は、顎髭を軽く撫でて、苦笑する。
「もうしわけない。実は今、私たちの班では『否術』を『否定する』という、研究を行っているんです」
「否術の、否定、ですか?」
「正確には、否術の源である『アプシントス』を無毒化して、汎世界の魔法と『聲』を、扱えるようにする術式です」
私は少し驚き、それから興味をひかれた。
実は、そのアイデアは自分でも検討していた。あらゆる聲の奇跡を否定できる力で、自分たちに掛けられた否定を『解除』できるのではないかと。
「我々の中にある『毒』を、否術によって無効化し、その上で汎世界の魔法を再現すること。それは今後の発展に、不可欠ではないかと」
「そうですね。否術の発動原理は、本来の魔法と比べて『盛大な回り道』をしていますから、そうお考えになるのは当然です」
「……驚きました。いや、むしろあなたに、失礼な勘違いをしていました」
彼は安堵したように笑い、それから気持ちを開示した。
「あなたは否術の開祖であり、学堂の創設者でもある。そんなあなたの事績を、ないがしろにするのかという声も、少なくなかったんです」
「……私はたまたま、幸運に恵まれて、成果を手にしたにすぎません。むしろ私自身、否術の否定を研究するつもりでしたから。かえってありがたいぐらいです」
「あなたはまさに、知を愛する者なのですね。感服しました」
そのあと私たちは、現状の否術における運用と、それをどうやって『汎世界の魔法』とすり合わせるかについて、意見交換を行った。
その話題に、他のヒト達も興味を持ち、たちまち食事は忘れられ、そのまま講義室の一室へ、なだれ込むことになった。
「そもそも自身を否定する構文を、否術の発動原理に乗せることが可能なのか?」
「否術自体は、アプシントスという構築式を転用したものであり、我々が『聲』を扱えるという証明でもある」
「アプシントスの発動と停止を切り替えるほうが実際的だろう。まず、魂に刻まれた呪詛の解析が先決じゃないか?」
ヒトビトの議論に耳を傾け、投げかけられる疑問に答え、あるいは沈思黙考して、己の理解を深めていく。
認められないと拒絶されることはなく、異常だとそしられることもなく、心を殺して孤独を選ぶ必要もない。
いつか夢見た『私の場所』が、ここにあった。
「美幸導師……なにか、お気持ちに触ることがありましたか?」
「……いいえ。ただ」
私は、目元からこぼれた感情を、そっとぬぐった。
「幸せだなと、思っただけです」
それは、私に掛けられた過去の呪が、静かに溶けていく証でもあった。




