2、冒険者の肖像:小倉孝人(その二)
俺が甲山組の事務所に行くと、ちょうど引率を終えた攻略班が、装備を解いているところだった。
「親方ぁ! 孝人が来てますよ!」
見知った顔が奥に声をかけると、上半身裸の親方が姿を現した。
イノシシの毛深い体は、筋肉と脂肪で分厚く盛り上がっていて、あいかわらず頑丈そのものといった姿だ。
「戻ったか。で、首尾は」
「はい」
俺は皮鎧の下から時計を引き出し、見えるように掲げる。その竜頭を見て、組のみんなが色めき立って周囲に集まってきた。
「おー、マジかよ! 苦労しただろ!」
「アンカーと、例の裏技を合わせたんで、先輩たちよりは楽だったと思います」
「否術ってやつか。俺らも習うことにしたんだぜ。てか、うちも山本さんとこもな」
なんか意外だな。
この前のP館騒動の時は、親方そんなに乗り気じゃなさそうだったのに。
「孝人」
「え、あ、はい」
「話がある。ついてこい」
いつになく、真剣な声で俺を呼ぶ親方に、やじ馬たちが静まり返る。振り返りもせずに上へあがっていく背中を追いかけて、俺も二階へと上がった。
そのまま、食堂兼居間のフロアに入ると、イノシシの模造人は、無言で席に座った。
いつもならここで、菜摘さんが出てくるんだけど、どうやら今は外出中らしい。
「まあ、そこ座れ」
俺は装備やザックを床におろし、言われた通り向かい合わせに座る。
そこでまた、沈黙が下りた。
いったい、これはどういう空気なんだろう。
親方の方は、俺をじっと見つめたまま。
「……あ、あの」
「お前、ここに来て、どのくらい経った」
「一年は過ぎましたね。親方のところに入れてもらったのが、来て一瞬間ぐらいで」
「そうだな。短いような、長いような、何とも言えねえな」
それから、俺の首に下がった時計をじっと見て、ため息をついた。
「とうとうそんなもんまで、手に入れたか」
「なにか、まずかった、ですか?」
「……そいつは、確かに便利なしろもんだ。俺も一つ持ってるが、頼りきりになるのは、やめといたほうがいい」
そういえば、親方のところは塔のトレジャーに依存するような攻略はしていない。アンカーも引率ではなく、救助の時に使うようにしていた。
効率を考えないのか、と聞いたときに、親方は怒ったような顔で言っていた。
『楽することばかり考えてっとな、楽できなくなったとき、ヒデエ目に合うもんだ。少なくとも俺は、このやり方を変えるつもりはねえよ』
甲山組は引率業務がメインだけど、塔内のトレジャーやジャンクボックス、素材回収も行っている。
引率業も攻略のコストと作業員の育成、お客さんの安全を考慮しながら、いろんな形式で依頼を受けていた。
そういう勘を鈍らせないためにも、面倒ともいえるやり方にこだわるんだろうな。
「それとな、そのディナイアルとかいうのも、使いすぎんじゃねえぞ」
「はい。それは、わかってます。これ一本でやれるほど、甘いもんじゃないってことは」
「う……あ、ああ。うん。わかってりゃ……それでいいんだ」
なんだろう、今日の親方は、なんかいつもと違う感じだ。
仕事に関して意見があるなら、もう少し歯切れのいい感じだし、気に喰わないことがあるなら、遠慮せずに言ってくるはず。
「もしかして、組のみんなが否術を習得すること、あまりよくないと思ってるんですか?」
「……いや、そいつはもう、山ちゃんとも相談してある。俺は面倒なんで、やらねえつもりだが、若い連中には、覚えさせてもいい、ってな」
否術を警戒しつつも認めているって感じだし、そっちの問題でもなさそう。
いったい何が――
「あ、孝人君! 来てたんだ! 十三階、どうだった?」
朗らか満開の笑顔で、菜摘さんがいそいそと入ってくる。その姿を盗み見るようにした親方が、気まずそうに視線をそらした。
「って……航大さん。もしかして、本題切り出してないの?」
「あ、っ、いや、その、今から言おうと」
「孝人君、甲山組のみんなに、例のなんとかって魔法、教えてくれない?」
なるほど、そういうことか。
親方の方は何とも渋い顔。その隣に立つと、菜摘さんはにっこりしつつ、いかついイノシシの頭を、ぽふぽふと叩いた。
「まったく。俺から孝人に頼んでやる、なんて大見得切っといて、何をもたもたしてるんだか」
「お、俺にだって、いろいろ考えがあるんだよ! それを、そんな横からかっさらうみてえにして、勝手に言いやがって」
「結局は孝人君の都合次第でしょ? 話を聞かなきゃ、何も始まらないじゃない」
二人のじゃれあいを眺めながら、俺は親方の申し出を少し考えて、頷いた。
「星の学堂に話は通しますけど、たぶん大丈夫ですよ。俺も指導員資格は持ってますから」
「ほらぁ、だから言ったじゃない」
「馬鹿野郎! そんな簡単な話じゃねえんだよ!」
いかにも頑固そのもの、という顔で親方は鼻息を漏らしつつ、言いつのった。
「よそ様から仕事の仕方を教わるのに、そんな軽い話があるかってんだ。それ相応に筋を通して、契約だの謝礼だのも、すり合わせが必要だしよ」
「それはそうだけど、それだって本人に」
「……それだけじゃねえ。この前の、P館のこともある」
そこで、親方は俺に向き直り、深々と頭を下げた。
「ありがとうな。あのときゃ、いろいろあったから、言うに言えなかったが。お前らのおかげで、この街にも風穴が開きそうだ」
「いや……でもあれは、俺だけの手柄じゃないですし」
「元をたどれば、お前としおりの嬢ちゃんが、苦労して持って帰ってきたもんだろうが」
いつの間にか、菜摘さんは台所に入っていて、何かの支度をはじめていた。
親方の方は、何かのつかえがとれたのか、ぽつぽつと、言葉をこぼしていく。
「南条の親分が死んでから、俺も山ちゃんも、何かしてやろうと思っちゃいた。ギルドなんて似合わねえものを立ち上げて、必死になってバケモノとやりあって。それでもこの十年間、なにかできたとは、思っちゃいねえ」
「甲山組がなかったら俺も、他のヒトたちも、もっと大変だったと思いますよ」
「どうかな。山ちゃんはともかく、俺は――いや、やめとくか」
愚痴を止めた親方は、真剣なまなざしで俺を見つめた。
「お前らは、俺らに出来ねえことをやってくれたんだ……そのこともあって、おいそれとは、頼みづらかったんだよ」
「俺もしおりちゃんも、否術に関しては、もったいつける気もないですよ。単純に、不公平感が出ないようにって、配慮してただけです」
「……学校が、始まってからでいい。その後、うちの連中にも、指導頼めるか」
俺は頷き、ちょっと考えてから訪ねた。
「山本さんのところも含めて、ですか?」
「山ちゃんは、自分で学校に話をつけに行くといってたが、いけそうなら頼む。だいぶ、競争率高そうでな。この件は、後手に回るわけにゃいかねえ」
後手、という言葉に、俺は意外に深刻な状況を感じ取った。
おそらく、否術を手に入れた冒険者事情は、これまでとガラッと変わると、予想しているんだろう。
「競合する集団に対抗できるように、ですか?」
「それだけじゃねえよ。慣れねえ力を振り回して、ヒデエ目に合う連中が、山のように出るだろう。だからこそ、うちも山ちゃんとこも、早めに慣れとかなきゃならねえんだよ」
「そういうことなら、喜んで」
「――それとな」
親方は屈託のない笑顔で、俺に告げた。
「十三階のあれをこなせば、お前も一人前だ。よくやった、孝人」
さすがに、その一言はよけようがなかった。
俺は両手で目を押さえて、それから、なんとか、返事をした。
「ありがとう、ございます」
一段落付いたころ合いを見て、菜摘さんが俺たちの前に、酒器やつまみの入った小鉢を置いて行ってくれる。
それぞれの盃に酒を注ぐと、互いに掲げてみせた。
「お疲れさん」
「はい。いただきます」
俺と親方は、それからとりとめもない話をして、時間を過ごした。
明日のことも仕事のこともなく、いつしかその話題は、街の昔についてになった。
「俺が来た頃には、クリスの店どころか、まともな飯屋もなくてよ。P館のまずい煮込みと、かっちかちのパンばっかり喰ってたんだ」
「菜摘さんは、いつ頃こっちに?」
「あたしは、航大さんよりも一、二年遅れだったと思う。こっちに来た時は、この姿にも慣れてなかったから……ちょっと三根先生のところにね」
今でこそ、朗らかそのものの菜摘さんだけど、やっぱりイノシシの模造人ってのは、女性にとってはいろいろ思うところもあったんだろうか。
「そういえば、二人が付き合いだしたのって、いつぐらいなんです?」
「おい孝人!」
「いいじゃない。隠すようなことでもないんだし……あれは、あたしが南条さんの勧めで芋煮の配給をし始めたころだったかな」
本人のギフテッドを見込まれ、『ぱちもんの街食料改善計画』への協力者として、彼女は料理班に参加することになった。
そのころに、クリスさんや倭子さんと顔見知りになったんだそうだ。
「ぱちもん通り商店街の攻略班って、『塔組』とか『食料組』とかって感じで分かれててね。あたしは『食料組』のリーダーやってたんだ。この体って、思ったより力あるし、その時は倭子ちゃんも、クリスも、今ほど強くなかったから」
「倭子さんはともかく、クリスさんもなんだ」
「それで、南の森に攻略へ入るとき、塔組から助っ人で来たのが、航大さんだったの」
ただ、最初は顔を見るたびに角を突き合わせる間柄、だったらしい。
「このヒト、初対面の時になんて言ったと思う? 『お前、芋煮以外は出せねえのか』だって。失礼しちゃうと思わない?」
「……あれは、その……悪かったよ。てか、何度目だその話!?」
「言っときますけど、まだ許してないんだからね? 文句言ってた割に、食べる時は人一倍がっついてたしさ。信じられる?」
「だから、悪かったって! 勘弁してくれ!」
本当にげんなりした顔で、親方がうなだれる。とはいえ、そんな話をしていても、特に仲が悪そうには見えない。
多分、そういう定番のやり取り、なんだろうな。
それから話は、二人のなれそめへと続いた。
「あれは……森の中に隠れてた、でっかいクモに出くわした時だったなぁ。野草取りに夢中になって、みんなとはぐれちゃってね。あの大きな体で、意外と素早くて……武器も壊れて、もうダメだって思った時」
『とっとと下がれ! このバカタレ!』
罵声とともに、単身救いに来たのが、親方だった。
さすがに、そのころは今より装備も貧弱で、単独討伐は無理だったそうだが、それでもほかのメンツが駆け付けるまで、きっちり菜摘さんを守り通した。
「そんなこともあって、なんとなく、このヒトのことが気になってね。いろいろあって、一緒になってもいいかな、なんて」
「プロポーズはどっちが?」
「さて、どっちからでしょう?」
菜摘さんはいたずらっぽく笑い、親方は微妙な顔でそっぽを向く。
なかなかの問題だけど、そんなには難しくはない、気がする。
「親方かな、最終的には」
「どうしてそう思うの?」
「だって、菜摘さんから言ってたなら、問題にしないでしょ?」
俺の回答に、イノシシのおかみさんは腹を抱えて大笑いだった。その隣で、渋い顔をした親方は、苦々し気に吐き出した。
「言ったってよりゃ、言わされた、だな。『あたしは好きな人から告白してもらった方がいい』とかなんとか……ホント、わがまま放題でよ」
「航大さんが、いつまでもグズグズしてるからでしょ。南条さんにまで迷惑かけて、あの時、塔攻略のヒトたちも、みんな困ってたんだからね?」
なるほど。
この二人も一筋縄ではいかなかった、というより、一筋縄ではいかなかったから、今はこんな感じなんだな。
そんな親方たちの過去話を肴に、酒杯を重ねて。
「そろそろ、お暇しますね」
空がゆっくりと暗くなっていく頃、俺は腰を上げた。
「済まなかったな。話を聞くだけにするつもりだったんだがよ」
「塔入りは明後日なんで、ちょうどいい息抜きになりました。この次、来るときは」
「ニ十階攻略してからね。組のみんなも呼んでお祝いしよっか!」
「あんまり大げさにしないでくださいね」
まだ酔いの残る体で、俺は甲山組の雑居ビルを出た。
親方たちは門前で見送ってくれて。俺は頭を下げ、振り返ることなく、歩いていく。
「それで、帰ってきて酔いを醒ましてから、こうして日誌をつけてるわけだ」
まとまった日誌には、十三階での行動のことだけ書いてある。一応、解散後に親方の事務所へ行ったことは、書き添えたけど。
文城はずっと黙って、俺の話を聞いていた。
そして、なにかを決心したように、口を開く。
「僕もね、今日、いろいろあったんだよ」
「俺がいないときに?」
「うん。紡君やしおりちゃんと、いろいろ話したりした。ニ十階が終わった後のこと」
俺は日誌を閉じて、据え付けのコーヒーメーカーに歩み寄る。
そうして、二人分を淹れながら、太いネコの模造人に、先を促した。
「それから、お店に大川さんの使いの人が来て、お城に行ったんだ。紡君も一緒」
「なにか新しいクエストの依頼か?」
「そのことで、相談したいこと、あるんだ」
振り向いた先、文城は落ち着いた顔で、こっちを見ていた。
伝わってくるのは、穏やかな湖のような感情。
相談、という言葉が、その先の結論を予感させる。
「ちょっと長くなるかもだけど、聞いてくれる?」
それでも俺は、動揺を抑えて頷いた。




