1、冒険者の肖像:小倉孝人(その一)
昼。
午後一時を回ったくらいの、塔南側の芝生。
冒険用の装備のまま、俺たちは少し遅い昼食を取っていた。すでに十階までの踏破は終えていて、今後に備えて一時離脱してきた。
「多分、十三階の攻略は、一時間前後で終わると思う。他の単独攻略者も、大体そのぐらいで終わらせてるそうだから、俺もそこを目標にするつもりだ」
鮭のおにぎりを食べつつ、俺はそのあとの見通しを語って聞かせる。メンバーのそれぞれが、手にした軽食と一緒に、状況を飲み込んでいく。
「それ以上かかってたら、親方に連絡してもいい?」
真っ先に、想定外の事態に対する対処を提案してくる柑奈。今回のやり方に、最後まで難色を示してきたから、当然ではある。
「親方でなくても、甲山組の誰かでいいよ。向こうも暇じゃないんだし」
「了解。無理だと思ったら、すぐ引き返しなさいよ?」
「わかった。ありがとな」
「十三階もそうだけど、他の階層も含めて単独攻略とか、してみたいよなあ」
三つ目のおにぎりをモリモリ食べつつ、紡が嬉しそうな顔で塔を見上げる。こいつならそれも難しくないだろう、とは思うけどあえて口にはしない。
その代わり、チョウゲンボウの模造人が、厳しめの注釈をつけた。
「塔攻略の単独行は、現在のところ、無謀な腕試しの域を出ません。孝人さんの十三階攻略に関しては、裏トレジャー取得の際に取られる、例外的なアタック様式であることをお忘れなく」
この頃、しおりちゃんは紡の無茶に対し、微妙な塩対応だ。紡が身に着けた『否術』の特異性が、いまだに要警戒対象だからだろう。
苦笑しつつ自分の意見を引っ込める白オオカミの隣で、ハチワレネコの模造人は、首を傾げた。
「そういえば、孝人に何かあった時、僕たちが助けに行くんじゃだめなの?」
「あー……それはなぁ」
俺はなるべく、何気ない風を装って疑問に答えた。
「仲間が救いに行くと、いざって時の『損切り』ができないからだよ。身内の不幸に動揺して、判断にも狂いが出るし。二次遭難を防ぐため、救助者には被災したパーティのメンバーを入れないのが普通だ」
「……本当に、気を付けてね?」
「うん。気を付けるよ」
俺は立ち上がり、軽く身支度を整えると、棍を手にした。
「それじゃ。小倉孝人、十三階単独行、挑戦してくる」
みんなそれぞれに、激励や安全を願う言葉を口にして、俺は片手を上げて応える。
そして、一人で塔の扉へと進んだ。
「アンカー起動。指定、十三階」
手にした奇妙な矢じりのようなアイテムを、塔の扉に差し込む。
石造りの表面に輝く光が薄く広がり、向こう側に暗い迷宮の空間が広がって見える。
足を踏み入れると、背後の光が音もなく消えた。
周囲を見回し、耳をすませる。
静寂。
「よし、行きますか」
俺は腕の『オートマッパー』を起動させ、周囲の地図を投影した。
自分の左右に通路。前方にもまっすぐ伸びる通路。逆のT字路だ。
どっちに行くか。
その判断をする前に、やるべきことがある。
「我が三条の否定にて、ここに想いを描く。其は囚われず、場を選ばず、批評を求めぬ者。我が一筆にて、躍り出よ」
鉛筆を取り出し、術を構築する。
今回はいつもの攻撃術式じゃないので、イメージには気を遣う。
手の中に小さな光が集い、手のひらサイズの小さな『ネズミ』が生み出された。
正直、動物の模写はやってなかったから、細かいディティールはあやふや。充が見たら大笑いしつつ、間違いを指摘するレベルだ。
「赤心の現身。疾く駆けて、吉報を持ち帰れ」
命令に従って、小さな体が通路の奥に消えていく。同時に、俺のオートマッパーに、すごい勢いでダンジョンの構造が記され始めた。
否術製のいわゆる『式神』。しおりちゃんの使う鳥をまねて、俺も独自に開発してみたんだ。
五感の共有も可能にしてあるから、その場のあらゆる情報が取得可能で、斥候としては十分優秀。
「っと、こいつはまた面倒な配置だな……」
ネズミの視界を通して見えた状況に、俺は苦笑する。
十三階は罠のフロア。しかもこれまでの物とは、凶悪度が違った。
例えば、壁自体が動き、通過者を押しつぶす。
高圧水流で体を打ち抜く。
多人数で侵入したときのみ発動する、電撃の嵐。
天井から釣り下がり、往復する速度と質量で対象をなぎ倒す、巨大刃のペンデュラム。
しかも、そのすべてが微妙に連動し、タイミングを見計らわないと、まともに通り抜けることも難しい。
「とはいえ、タイミングさえ覚えれば……うっ!?」
視界を共有していたネズミが粉々になり、視界が閉ざされる。このエリアを巡回する唯一の敵、警戒ドローンの攻撃によるものだ。
痛覚までは共有してないから、こっちに負のフィードバックはほとんどない。
耳をすますと、通路のあちこちから、巡回するドローンの駆動音が聞こえてきた。
『あのドローンって、こっちの動きだけじゃなく、熱とか音とか、いろんなもので感知してるみたいだよ。わたしの『シフト』にも反応してたし』
以前、十三階の話をしたとき、瞳が言っていたことを思い出す。否術で姿消しを使えば何とかなるかもしれないが、今は考えない。
軽く体を揺らして、四肢のこわばりを取ると、俺は走り出した。
同時に、霊的視界を起動させて、すべてを『視る』。
「ふっ!」
正面から飛んでくる高圧水流を交わし、迷宮を抜けていく。
同時に、足の裏から感じるトラップの駆動音に、音、匂い、色、味覚でタグ付けをしていく。
眼だけで判断していた時は、それぞれの動きや速度に惑わされてたし、音を頼りにしていると、静穏性の高い敷設罠に引っかかる可能性があった。
でも、今の俺にはすべてが『把握』可能だ。
「三秒後に酸のトラップ」
天井の隅に、わだかまる黒い色。酸の臭いを視覚化したおかげで、その『起動の瞬間』さえ、正確にわかる。
一時停止して、噴霧される酸のエリアの近くで、じっと待つ。
背後から、虚空を移動するドローンの存在が、数機。
「燕頷投筆!」
投げ放った鉛筆に貫かれ、墜落するドローン。機械作動式のそれは、わずかな火花を散らして身動きを止めた。
とはいえ、これも一時しのぎ。壊された機体を確認するために、追加が集まってくる。
俺は振り返らず、一気に迷宮を駆け抜けていく。
「次、プッシャープレート」
左右の壁が、タイミングをずらしながら押しつぶし、解放されるのを繰り返す。
開いた瞬間に、一息で駆け抜ける。
「ペンデュラムと落とし穴」
言葉にしながら、自分が何をするべきかを計算する。そうすることで、目の前の罠を冷静に判断、処理できる。
「ラスト……一気に行く!」
鉛筆の式神が壊されたのは、十四階へ向かう最後の直線。そこには無数のドローンと、地面から噴き出す炎、ランダムに飛来する石弓の矢。
俺は両手に鉛筆を構え、全力で駆けた。
「せいっ!」
走りながら、飛来する矢にカウンターの鉛筆を投げて相殺。
「うおっと!?」
噴き出した炎に危うく焼かれかけながら、それでも踊るように跳ね進む。
「これで」
最後の最後、階段の手前に奇妙な『何もない空間』を感じ、俺は大きくジャンプ。
飛び越える足元で、音もなく落とし穴の入り口が開き――
「――終わりっと!」
上へ向かう階段前の踊り場に着地すると、少し間をおいて金色の宝箱が、床下からせり上がってきた。
一応、トラップの確認をしてから、ふたを開ける。
中に入っていたのは、柔らかな布張りのクッションに仰々しく置かれた、奇妙な形の竜頭が一つだけ。
これが十三階の裏トレジャーである『歪曲の竜頭』。
その取得条件は――
「全トラップ解除のスイッチを使わずに、ゴールへ到達する、か」
実際、通常の攻略では、比較的安全な場所にパーティメンバーを待機させて、解除役がトラップを停止させてから移動する。
このダンジョンにおける『裏トレジャー』は、そういう『縛りプレイ』をすることで出現するのが基本だ。
そして、解除屋をやってる者にとって、十三階の裏トレジャー取得は、一流の証ともされていたりする。
とはいえ、俺は否術って新しい技術の力を借りてるから、そういう意味では、先人の足元にも及ばないんだろうけど。
「……さて、さっさと帰るか」
俺はそのまま階段を上り、わき目もふらず出口を降る。
出ていった時とほぼ変わらない時間。体感では三十分ぐらいってところか。
「ただいま!」
声をかけると、待っていたみんなが立ち上がり、駆け寄ってくる。
「どうだった!?」
紡の問いかけに、俺はポケットに入れておいた竜頭を差し出して見せた。
歓声が上がり、しおりちゃんが預かってくれていた時計を、俺に渡してきた。そのまま時計に取り付けて、バージョンアップは完了だ。
「見たところ、ケガもしてないみたいね。体調は?」
「問題ないよ。てか、待っててくれてありがとな」
「それじゃ、さっさと帰ってお祝いしようぜ! 十三回裏トレジャーゲット記念だ!」
紡の発言に俺は、ちょっと済まない気持ちを抱えながら、首を振った。
「悪い。そのお祝いは後にしてもらえるか」
「何かあるのか?」
「親方に、十三階終わったら来るように、言われてるんだ」
何かを察したのか、みんなはそれぞれ頷き、
「今日の攻略はここまでだ。明日は一日休みにして、明後日から本攻略に戻るぞ」
「おつかれ、リーダー。親方のところで飲みすぎないようにね」
「裏トレジャー記念、ちゃんとやるからな? 忘れんなよ」
「荷物、持って帰っておこうか?」
「いや……せっかくだから、このままで」
俺は軽く装備を整えなおし、みんなよりも先に歩き出す。
「修行の成果、見てもらいに行ってくる」




