30、燃え立つ願い
それは、たぶん常人が見ていい戦いじゃなかった。
鮮烈で、凄絶で、強烈で、超然とした、激突。
「うおおおおおっ!」
解き放たれたように、紡は縦横に剣をふるう。
その刃は圧縮された炎、大気を灼き、地面を断ち、触れたものを塵に帰す。
あんなものを防御するなんて、狂気の沙汰だ。
「ちぇえいっ!」
そのはずなのに、コウヤは恐れもせず踏み込み、手にした刀で弾き、いなし、即死を免れない一撃を交わして、敵を切り裂く。
だが、
「おりゃああ!」
「っ!」
薙ぎ割かれた腹をものともせず、反撃する炎の剣に、たまらず竜が間合いを取った。
すでに三間の余裕はなくなり、警戒するように遠間に飛び下がる。
必殺のはずの刃は、全く通用していない。だって、今の紡は炎そのもの、斬ったところでダメージにならないから。
「楽しいなぁ」
普通なら、相手のインチキをなじりたくなるだろう場面で、コウヤは笑っていた。
「こういうやり取りがしたくて、魔界の底くんだりまで、堕ちてきたんだ。わかるか?」
「わかんねえよ。でも、オレもここにきて、理想を手に入れた」
考えてみれば、二人はどこか似たような存在だった。
現代社会の中で、使い道のない殺人剣技を持て余していた、ろくでなし。
ヒトではない何かになりたくて、自分の命をすり減らした、おろかもの。
その二人が今、魔界の底の底に生み出された模造の街で、二度目の生を謳歌していた。
「こんなものは、くだらねえオモチャだと思ってた。造らせたはいいが、まともに使うとは、思ってなかったよ」
いったい何を、そう思う俺たちの前で、コウヤの剣に異変が起きる。
今までまとうだけだった刀の雷が、刀身の内側へと浸透していく。
「だが、今のお前なら! この『屠仏』の、全力を揮う相手に、ふさわしい!」
それは刀の形をした雷と成った。
掲げて、構えを蜻蛉に取る。
「いいぜ! 受けて立つ!」
馬鹿みたいに真っ正直に、紡が叫び、剣を構える。
全身が燃え上がり、その色が、元の毛皮を思わせる白に輝いた。
赤竜と白狼、互いが互いを睨み、
「ちええええええええええええええええっ!」
神鳴りが、神速で踏み込み、
「あああああああああああああああああっ!」
爆炎が、怒涛になって襲い掛かる。
俺は全身全霊で、二人の激突を『視た』。
初撃――打ち下ろす雷の刃。炎の左半身が断ち落とされ、残った右側が竜の胴を薙ぎ、小さくない火傷を刻み込む。
二撃――帰す刃で振り上げ、斜め下から打ち込む炎剣。すべてを体を開いて受け流し、頭上高く、上段から振り下ろす雷の刀。
そしてかち合う、三合の交錯。
雷と炎の、実体を持たないはずの刃と刃が、互いの間で鍔迫り、火花を散らす。
すべては互角。そう思えたのは、一瞬だけだった。
「な……なんで!?」
紡の体が、少しずつ削れていく。爆ぜる雷に、瞬く青の光に、炎が喰われていく。
「おそらく――相性。聲は世界を操るもの。でも、私たちが知る世界の法則を、無視することもないんです」
「……そうか! 電磁界か!」
しおりちゃんの言葉に、誰よりも早く反応できたのは北斗だった。
「炎は、突き詰めればプラズマ、強い電気によって干渉される存在」
「そして、あの刀は雷、電気そのものを扱っています。だから」
「あの姿になっても、あいつの不利は変わらないってことなのか!?」
高まる気勢と、ほとばしる雷。
笑う竜が、抗う狼を押し込んでいく。
「どうした! これで終わりか紡! ここで、死ぬかぁっ!?」
喰われ、削られ、紡の支える腕が、踏ん張る足が、左の半面が、はじけて消えていく。
残った右目が、静かに閉じられ、
「負けて――たまるかあああああああああああああああああっ!」
燃える。叫びとともに炎の狼が燃え上がる。
白く燃え立つ全身が、冴え冴えとした蒼に染まっていく。
暴力的な噴流が、喰らいつく電撃と竜を弾き飛ばした。
「神竜、疾風っ」
剣の切っ先を背後に回し、腰だめに構え、
「天、狼、断っ!」
それは、蒼く輝く神狼の、暴威。
駆け抜けた背後に、赤い竜を置き去りにして、すべてを切り裂く炎が、ほとばしった。
火焔が荒れ狂い、敵を喰らい尽くす。
残されたのは、鉄を思わせる刀身に戻った、一振りの刀のみ。
「…………」
誰も、言葉を発しなかった。
それまでの闘争が嘘のように、静まり返って、きな臭い残り香りだけが漂う。
奇跡の逆転。
それでも、この結末に、何を言えるんだろう。
「紡さん!」
「しおりちゃん!?」
たまらず飛び出したしおりちゃんの後を追って、俺たちも闘技場に降りる。
取り残され、茫然とたたずむオオカミの炎に近づき、トリの模造人は必死に声をかけた。
「聞こえますか!? わかりますか!? 意識は、自己認識は――」
「あ、しおりか。ごめん、なんかちょっと、ぼっとしてた」
なんて言いつつ、相変わらず本人は蒼く燃えたまま。俺も遅まきながら、紡の問題に気付いていた。
「いや紡! お前! その体!」
「から、だ……って、なんかオレ、燃えてんじゃん!? ちょっとみんな、危ないから下がって下がって!」
「そんなことより紡さん! 元の姿に! 今すぐご自身の原型を、強く意識して」
「そっか。えっと、こうかな?」
スイッチでも切るみたいに、紡はいつもの白い毛皮に戻っていた。
砕けていたはずの手も、傷ついた体も、すっかり元通りで。
しおりちゃんは、両の羽を口元に当てて、絶句。
「なんかおかしいと思ってたんだよなー。途中から斬られても全然痛くないし、できると思ったことが簡単にできちゃうし。でも、こういう、思いつきですぐやっちゃうのが、よくないんだよな。ごめんな、孝人。せっかくいろいろ教わったのに」
そ、そういうことじゃ、ないんだよなあああああああああ。
こいつ、自分がなにをやったのか、さっぱり理解してねえええええっ。
「つ、紡さん、いったい、どのようにして、ご自身を、火に」
「よく覚えてないんだけど、オレの否術で、全身に刻んである火を、全部使おうって感じでさ。そうしないと、コウヤさんには勝てないから。そしたら全部答えてくれた、みたいな?」
「じ、自己認識、自己保存、そういったものは、どうされたの、でしょうか。火である部分と、紡さんご自身の、区別、などは」
パニック寸前のしおりちゃんに、紡はあっけらかんと答えた。
「だってオレ、火じゃないし。オオカミの模造人、鶴巻紡だぜ!」
轟沈。
この街屈指の才女、否術の第一人者にして、魔道の災禍とあだ名された賢者の少女は、天与の才の論法に打ちのめされ、敗北した。
地面に突っ伏したしおりちゃんに寄り添うと、俺は紡に告げた。
「紡、お前のそれはな、聲そのものになるって、とんでもない魔法なんだよ」
「聲そのもの……オレが?」
「その力と似たものを、見たことがある。天の竜の一つ柱、"瞋恚炎"のソーライア。火を司るドラゴンと、同じことをやったんだ」
当惑、驚き、そして、大興奮。
「ど、ドラゴンと同じ!? マジで!? うおおおおおおおおおおおおおおお!?」
「……ウン、ソウダネ、ソウナルトオモッテタヨ」
「ヤバいヤバいマジヤバい! うあああああああ、ドラゴンの力とか! なんかこう、いい感じの技名とか考えないと!」
「ホント、マジか、だよ。こんなクソバカに、久々の土付けられるとかさあ」
その声に、みんなが振り返る。
立っていたのは、いつもの着流し姿をした赤い竜の男。
コウヤは突き刺さった刀を取り上げると、鞘に収めた。
「コウヤ、さん。あの、オレ」
「殺し合いだっつったろ。別に恨んだりしちゃいねえよ。そもそも、俺は死ねないしな」
「へ?」
驚きの一言に、誰もが先を知りたがる。
その視線を、鬱陶しそうに眺めやると、吐き捨てるように告げた。
「ギフテッドだよ。奴と契約して、死なず老いない体を貰ってる。制約はあるがな」
「ど、どんなやり取りしたら、そんなことができんだよ!?」
「ひ・み・つ」
ぬうううう、このブラおじが。事が済んだらまたそのキャラか。とはいえずっと剣鬼モードってのもなんだしなあ。
「おい孝人」
「え、あ、はい」
「わかってんだろうな。今回は、たまたま、うまくいっただけだからな」
厳しい叱責で、一刀両断。
俺は深々と頭を下げた。
「甘さを捨てろ。予断を持つな。てめえの判断で、仲間を、亡くしたくねえならな」
「肝に銘じます。申し訳ございません」
「とはいえ、だ」
顔を上げると、思いもよらない、快活な笑いがあった。
「久しぶりに、ひりつく命のやり取りができたぜ。その点だけは、お前に感謝だな」
「ぜ、全然うれしくない……」
「そう思うなら精進しろい、パーティリーダーさんがよ」
檄を飛ばして、去っていくコウヤ。
俺は改めて、あいつの言葉を思い出していた。
無茶な冒険の先に、否術を手に入れて。Pの正体を知って、街に一つの変革を付け加えた。
でも、俺はちっぽけなネズミで、できることどころか、間違うことの方が多くて。
勘違いしないように、気を引き締めていかないと。
「また考え事か? 孝人」
「俺がもっとしっかりしてたらな、とか、な」
「だから、一人でしょい込むなって」
かげり一つもない笑顔で、紡は俺の肩を叩く。
「パッチワークって、つぎはぎってことだろ? みんなで、ちょっとずつ、できるところをくっつけあって、でかい布にする」
「それがバラバラにならないよう、しっかりしろって言われたんだよ」
「なら、オレはもっと強くなる」
白いオオカミは空に手を伸ばし、万歳をするように広げた。
「強くなって、誰かを守って、一緒に冒険して、そんで、もっと冒険するんだ!」
ほんと、子供かよ。
でも、そんな風に言える、底抜けに明るい紡が、まぶしかった。
なんて思ってると、
「あー、でも、その前に、さ」
「どうした?」
困ったように笑いながら、紡は軽く腹をさする。
「腹減った。朝からなにも喰わずに動いたから、もう死にそう」
「んじゃ、飯食いに行くか。戦勝記念だ、おごるよ」
「おおおおおおおっ! んじゃ、みんなで行こうぜ! って、もうEAT UPて開いてるかなあ」
そのあと、なんやかんやでぱちもん通りに行くころには、俺たちや顔見知りだけじゃなくて、闘技場に来てた奴らや、うわさを聞いたヒト達が集まって、大宴会になった。
同時に、なし崩し的な形で否術の説明やら、魔法学校の設立の話が広げられ、騒ぎは収拾がつかなくなるほどだった。
そして、瞬く間に、時は過ぎて。




