29、死闘
痛い。
痛い痛い痛い痛い――いた、
「くねええええっ!」
オレは叫んだ。
もちろん痛い、めっちゃくちゃいてえよっ。
だってオレの左手、ぶった切られてるもん! それでも、ダメだ!
「うるせえ」
赤い竜から斬光が奔る。それを必死にかわす。
分かってる、手加減されてる、舐められてる。でも、だからこそ。
「っがあっ!」
まだ無事な右手を振り回す。相手の頭に振り下ろして、連続攻撃を止め――
「駄目だ、話にならん」
その時、オレは見た。
相手の刀が、俺の剣に張り付くみたいにして触れ合って、頭上で円を描くみたいに動いて、弾き飛ばされていく。
「はい、終わり」
がら空きの胸板に、斜めに降ってくる刀。
オレの見ている世界が、ゆっくりになって、引き延ばされて、その猶予を使って、本当にギリギリで、避ける。
切っ先が浅く体を斬って、それでも、生きてる!
「くっそおおおおおっ!」
飛ばされた剣をしっかり握り、足元から襲い掛かる殺気を、押しとどめる。
弾ける火花、ぶつかる剣と刀。
今度こそ、止め――
「残念」
今まで目の前にいたはずの赤い体が、いない。
でもわかる、風がオレの左半身から匂う。殺意が、殺意が、何処からくる!?
「こ、っちだあああっ!」
左半身の左わき腹、そこに盾みたいに剣を置く。壊れた左腕で支える。
強烈に響く重い音。体にめり込むオレの剣。それでも、まだ生きてる!
「おお、見えてきたか? そりゃよかった」
ぷつん。
そんな音が、左目からした。
一瞬で視界が真っ赤になって、左が分からなくなる。目を斬られた。
「がんばって避けろ。次は右な」
そうだ。左目を奪ったら次は右、分かってる、けど。
ぷつん。
「う」
世界が真っ赤になる。生臭い血が涙みたいに流れて、毛皮を汚していく。
見えない、何も。
「こんなもんか」
心底呆れた、相手の声。
それでも剣を必死に構えて、絶対にあきらめ――
「じゃ、死んどけ」
構えたはずの右手ごと、オレの体が、斜めに断ち切られていた。
血ダルマになったオオカミが、膝を突く。
左手は吹き飛び、右手は半ば斬り砕かれて、そこから命の要素が、流れ落ちていく。
そのすべてに背を向け、竜の男は懐紙を取り出し、刃の血をぬぐうと、空に放り投げた。
そして、体を舞うように動かして、納刀する。
「なあ、小倉孝人」
殺人の現場から、俺を糾弾する声が響く。
「何を期待していた? こんな餓鬼を焚きつけて」
その顔には、憎悪があった。
交じりっけなしに、俺に対しての。
「なんなんだお前は? この世界を、物語か何かと勘違いしたのか?」
何も言えない。
だって、あいつの後ろには、俺の考えなしのせいで、死んだ、仲間がいて。
「大層な冒険だったそうだな。地球に行ってきたんだって? そこで、なんやかんや、幸運を拾ったと。そりゃけっこう」
そうだ。俺だって、死ぬような目にあって、でも。
「別に、自分の命を掛けるのはいいやな。そこのトリのお嬢さんは、頭の中までイカレきってるから、そういう博打にも乗ってくれるだろうさ。だがよ、こいつは違うだろ」
怒っていた。
自分が殺したくもない命を、殺させられたと、そう言っていた。
「その目で、どんなものが『視え』るか知らんがな。圧倒的な実力差を感じられない程度のものに、何の意味がある」
「分かったよ! 俺が全部悪い! 俺のせいだ! だからそこをどけ!」
「それを、獄層のバケモノどもにも言うつもりか? おまえが選んだのは、そういう道だ」
ああ、畜生。
そんなこと、言われなくても分かってる、けど。
言葉に詰まった俺を嗤い、コウヤは見知った者たちをなじっていく。
「おい北斗、いつものマキャベリズムはどうした。こういうしょうもない損失は、お前が一番嫌ってたろうが。佐川、テメエも何だその顔は、オレを睨むのは筋違いだろ」
本当に、深々とため息をついて、赤い竜は残酷に断じた。
「仲良しこよしの冒険ごっこなんざ、よそでやってくれ。これでも憐憫くらい持ち合わせてんだぜ。弱っちいクソザコが、身の丈に合わない世界に踏み込んで、死ぬ姿なん――」
身をひるがえして、コウヤは三間の間隔を取った。
赤いまだらに染まった、白い姿が、立ち上がっていた。
「ごちゃごちゃ、うるせえよ」
折れた剣を、砕けかけた右手で握り、
「あんたが、オレをどう言おうと、構わないけど」
怒りと憤りをみなぎらせたオオカミが、吠えた。
「オレの仲間を、友達を、悪く言うんじゃねえ!」
「戯れるな、弱者」
文字通り、すべてを払い散らす横薙ぎの一撃に、剣が吹き飛んだ。
でも、生きている。
「黒と、白だ。ぐるぐる、めぐってる」
血を流しながら、倒れそうになりながら、両目も完全につぶれているのに。
「鉄と、血の匂い、雷、の音」
抜き放ったコウヤの一撃が、構えた紡の体を切り裂いていく。
そのすべてが、白い毛の束を吹き散らすだけ。
「ああ。それが『視る』って奴か。だが、心眼程度が身についたところで、無駄だ」
言いながら、収めていた刀を完全に抜き放つ。
そして、肩口に構える。
紡も練習の時にやっていた、基本の構え。その名前を、思わず口にする。
「蜻蛉」
常陸国から伝承され、薩摩の益荒男によって磨き上げられた、斬獲必死の技。
その切っ先は、天にひらめく稲妻に等しい速さと謳われた一撃を生む。
回避も防御も許さず、一刀にて殺すという意思。
「至らぬ身で死合った、己の不明を悔いて、死ね」
光が、再び奔る。
その刃に青い雷光が宿り、大気を裂き、肉を灼いた。
そう、確かに天の雷は、紡の体を通り過ぎた。はずだった。
「我、三条の意志により、万難に抗う者」
右半身が焼け焦げている。刀が肩口にめり込んで、その中途で止まっている。
裂けた右腕が死を押しとどめ、潰れているはずの両目が、敵を睨み据える。
「すなわち、不撓、不屈、不退転!」
初めて、コウヤの顔に焦りが生まれた。
刀を抜こうと力を振り絞り、同時にすべてが無駄だと悟る。
なぜなら、残った紡の左腕が、その体を全力で締め付けているから。
「てめえ、ふざ――」
「――超紅蓮!」
真紅の柱が、吹き上がった。
すべてを焼き尽くす炎の聲が、闘技場の中心で炸裂する。
熱の乱流が吹き荒れ、観客席にいるすべてのヒトビトをあぶり、吹き抜ける。
「ふざけんな!」
その炎を、脱出した赤い竜が、にらみつけていた。
身に着けていた着流しは焼け落ち、帯と下半身の部分だけが残っているだけだ。
「だから、そういうことをさせないために、教えたんだろうがよ!」
悔し気に顔をゆがめ、コウヤは吠えていた。
「そういう、安っぽいヒロイズムなんざ、死んだらそれでしまいなんだよ! それを分からねえ奴が――」
「――言いたいことはわかるよ。でもさ」
逆巻いていた炎が、揺らいで収束していく。
赤々と燃える熱の柱から、歩み出てくるのは、燃えるようなたてがみをなびかせた、炎のオオカミ。
「だからって、オレの気持ちを、やりたいことを、否定されるのは嫌だ」
信じられないものが、俺の目に映っていた。
紡が『聲』になっている。
「孝人、さん。分かりますか? 紡さんの、あの姿は、まるで――」
「――"瞋恚炎"」
ジョウ・ジョスに埋め込まれた炎の聲。それを紡は自分の否術で、制御しようとしていた。
その火は今や、紡そのものになり、一つになっていた。
「でも……ごめんな。なんかオレ、こんな風にしか、できないんだ」
悲し気に告げる紡にコウヤは目を見開き、それから呆れたように笑った。
「ああ。そうか、お前はそういう奴だったのか。物語の主人公、ピンチの時に覚醒して、みんなを救うヒーローってか」
「どうかな。でも、もしそうなれるんなら、なんだってやってやる!」
炎のオオカミは右手をかざし、叫ぶ。
「出てこい俺の剣! 爆熱神狼剣ッ!」
吹きあがった火が具象を生み出し、炎熱の刃を持った剣に変わる。
何もかもが規格外の、とんでもない存在。
そのすべてを目にして、赤い竜の男は、鮮やかに笑っていた。
「ああ、そうだ。それでいい、そうこなくちゃな!」
剣士の手にした刀が、闘志に呼応して蒼く輝き、稲妻をほとばしらせる。
そして、挑むように声を上げた。
「我が名は岩倉嚆矢! 家伝岩蔵流の末席汚す、外道外連の外れ者。冥府魔道を征く、ただ一匹の剣鬼なり!」
威を発し、気を圧する大音声の名乗りに、炎が燃え盛って応える。
「鶴巻紡! またの名を、聖竜天狼騎士団長ブラン!」
意地と誇りを掲げた、二人の剣士が、
『おおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
光とともに、激突した。




