27、最後の頂
結局、コウヤが見つかったのは、深夜の『ナイトホークス』だった。
「お前さぁ、てなもんやのメッセンジャーとか、確認しないのか? めちゃくちゃチケット切りまくったんだけど?」
スツールに座りゆったりと酒をたしなむ赤い竜は、俺たちの顔を見て、鼻で笑った。
「本人じゃなく、人づてで呼びつける用事なんざ、大したことじゃねえだろ。そんなもんに関わってられるかよ」
「こ、この、天下御免の向こう見ず、ろくでなし三度笠の忘八モンがぁ」
「コウヤさん、話があるんだ」
紡の言葉に、さすがのブラおじもグラスを脇に退け、聞く姿勢を取る。
それから、口元を緩めた。
「なるほど。その様子じゃ、お前に欠けてるものがなにか、わかったか」
「オレ、ガキだったと思う。自分が使ってる力も、やってることの意味も、なにも考えてなかった」
「そこまで言えりゃ上出来だ。少なくとも、わけもわからず、はしゃいで跳ねまわってる頃よりゃな」
それっきり、俺たちから視線を外すと、のんびり酒を味わいに戻ってしまう。
「マスター、サラミある? あとなんか適当に濃いヤツ、ロックで」
「えっと……それ、だけ?」
「他に何があんだよ。お前は怖いもの知らずで、向こう見ずのガキだった。このまま行くと死んじまいそうだからアドバイスした。それでおしまいだろ?」
ちょ、ちょっと待て! あの言葉って、わかったらなにかこう、いろいろと進行するイベント的なものがあるんじゃないのか!?
「い、いや、その、相談に乗ってくれ! 今、紡の力が使えなくなって」
「だから?」
「その、お前なら、なにかどうにかする方法とか」
「しらねえよ」
取り付く島もない、って言うかコイツ、なんなんだよ。
「文城のときは、あんだけ親身になってたろ!? なんで紡はダメなんだよ!」
「……あのなあ、孝人さんよ。なんか勘違いしてねえか?」
心底嫌そうにコウヤは、俺をにらみつけた。
「文城は自分の命と誇りを掛け、仁と礼を尽くして教えを乞うた。腐っても八徳を旨とする武門の端くれだ、俺はそれに応えた」
「だったら、コウヤさん、オレにも」
「お前にはもう授けたろ。そして、自分の分を思い知った。しかも、例の影に会って、生きて戻ったんだろうが」
その指摘は、確かに正しい。もし、コウヤが紡の危うさを指摘していなかったら、今回の一件で死んでいたかもしれない。
紡だけじゃなく、例えば俺か佐川さんまで犠牲になっていたかも。
「ついでに言っといてやる。俺はな、聞けばなんでも無償で教えてくれると思ってる、アホ面下げた現代人てのが、だいっきらいなんだよ」
赤い竜の顔は、酷薄だった。
その横顔は天の竜、尽きない怒りを湛えた、火のドラゴンを思わせるものがあった。
「テメエは血の一滴、汗一粒も流さず、他人が奉仕するのを当然と考えてるアホども。金さえ積めばどんな結果も、技術信念手間労苦、一切合切無視して、気楽に手にできると勘違いした、頭でっかちのクソガキがな」
それは、誰に向かっていた怒りなのか。それでも、コウヤの背後にある、怒りとやるせなさにつながった、強烈な嫌悪だった。
怒りの稲妻にうたれて、さすがの紡もうなだれてしまう。
「俺は課題を出し、お前は提出した。結果は花丸だ、百点くれてやる。分かったらとっとと帰れ。甘ったれのクソガキが」
無慈悲だが、当然の返答だ。
紡が無言で頭を下げ、狭いカウンター席を通り抜けていく。
でも、俺はこのやり取りに、覚えがあった。
『払うもんがねえ? マジで言ってんのか? そういうことじゃ、ねえだろ?』
あの黒い竜。大飯ぐらいで傲慢で、道理に厳しいくせに最後には、どこか甘いあいつのことを、思い出していた。
「紡!」
そもそも、紡をここまで連れてきたのは俺だ。そして、コウヤはきっと、紡の行き詰まりを解決するカギになるはずだ。
だったら、後は全力でアシストする。
「ど、どうした? オレなら、もう」
「お前は、どうしたい」
席に座るコウヤの目が、俺を睨む。
だが、あいにくだったな、俺は地球で本物の『竜』の怒りを浴びてきたんだ。そのぐらいの恫喝でビビってたまるかよ。
「こいつはずっと、ヒントを言ってきたんだ。本当なら、お前ひとりで、コウヤを探すべきだった。教えを乞うなら、すべてをなげうつ覚悟を持てって。だからごめんっ、後はお前次第だ!」
素早く壁際に引き下がり、黙って顛末を見ることに徹する。
奇しくも文城の時と似た流れ。
でも、あの時とは状況も問題も違いすぎる。
「言っとくが、師匠役なんざ、もうやる気はねえぞ。どんな報酬積み上げようが無駄。渡世の義理も人情も品切れだ。そういう下らねえしがらみにうんざりして、俺はこんな異境の果てに流れてきたんだからな」
そんなコウヤの前に、一杯の酒が提供される。
おそらくはウィスキーだろう。大ぶりなタンブラーにロックアイスが一つ。琥珀色の液体は指一本分。
「オレは酒を飲みに来たんだ。そして、テメエらはその楽しみを邪魔してる。これ以上興を削ぐなら、分かってんだろうな」
一時、店内は静かになった。
ときどき、店の外を取りすがる影があったけど、俺たちの異様な雰囲気に押されて、入ってこようはしなかった。
コウヤは静かに酒を味わい、
「コウヤさん」
竜は答えない。答えない竜に、白いオオカミは、切り出した。
「オレと、決闘しろ」
大きく、深く、コウヤは息を吐いた。
「理由がねえ。ザコを斬る剣なんざ、持ち合わせがねえよ」
「日本刀持ちの影、勝ったことあるんだろ」
「勝ったことがある、じゃない。全戦全勝だ」
俺は忘れてしまったが、十一階で出会った影のレアエネミー。その中で、最も強いとされた日本刀の使い手を圧倒したってのか。
「ついでに言っとくが、その取り巻きもだぞ。まあ、斧と弓はザコもザコ。妙な腕の奴はそこそこ楽しめたがな」
「ま、マジかよ……」
「なら、オレも、挑戦する資格、あると思うぜ」
そういえば、紡は日本刀持ちと戦ったって聞いたけど、最終的にはどうなったんだ。
「柑奈の援護もあったけど、ちゃんとオレが、とどめを刺した」
「……ほお?」
コウヤの目の色が変わった。その双眸は、薄暗いバーの空間で金色に輝いている。
「お前、自分が何を言ってんのか、分かってんのか?」
「師匠になってもらえない、相談するのもダメ。だったら」
竜の目を真正面から見据えて、白いオオカミは決然と言い放った。
「戦って、そこから掴みとる。それなら、文句ないだろ!」
一瞬だけ、コウヤの視線は宙をさまよう。
なにかを思いめぐらせるように、それからグラスの酒を飲み干した。
「お前の力が使えなくなったことと、俺との決闘。何の因果もねえ。それでもか」
「さっき、孝人から、オレはどうしたいんだって聞かれた。その答えだよ」
その顔には、いつもの明るくて、どこかおっとりした感じの表情はない。
あるのはただ、何かを執拗に追い求める、獣の闘争心があった。
「さっきは、影の剣士にとどめを刺したって言ったけど、正直、勝ったとは思えない。もう一度やれば、わかんないけど。でも、いつ会えるか分からない奴を探す時間もない」
「それで、あいつよりも強い俺に挑んで、自分の強さを証明したいって?」
「負けたく、ないんだ」
それは熱のこもった声。紡の内側にある炎が漏れ出したような意志が、俺の背筋をなぶっていく。
「ここに来て、剣を持って、戦ってきて。それは全部オレの意志だ。ダンジョンを攻略する、みんなを守る、そういう自分でいたいから。まずは、与えられた力よりも先に、自分の力を、もっと強くしたいんだ!」
立ち上がり、俺たちの先をすり抜けていくコウヤ。
って、いつの間にだよ!?
あいつの体格は紡以上で、長い尻尾だって引きずってるのに、俺たちに触れさえしなかったぞ。
「赤点ギリギリだな。だが、まあいいや」
店の戸口に立ち、肩越しに振り返った顔には、酷薄な殺意があった。
いい加減な遊び人の仮面は剥がれ落ちて。
残ったのは、立ちふさがるすべてを殺す、人斬りの顔。
「明朝、払暁のころ、闘技場で待つ。死にたきゃ来い」
静まり返った空間に、遠い潮騒のような低音のジャズが、揺蕩っていた。




