0、青無き空の下の青
モック・ニュータウンの朝は、唐突だ。
月も星もない、すすけた夜が、淡い光で満ちわたっていく。
それまで、闇の中に沈み込んでいた灰色の壁が、次第に輪郭をはっきりさせた。
全高三十メートル、幅は約五メートル。
十階建てのビルぐらいあるそいつを前に、俺はたたずんでいた。
「あぁ、おはよう、おにいさぁん」
それまで、後ろでぐーすか寝ていたそいつが、むっくりと起き出す。
顔は山羊そのもので、革製のエプロンに、絵描きがよく着るかぶりものタイプのスモックで、体を包み込んでいる。
その至る所に、様々な色の絵の具やら顔料やらがこびりついていて、おまけに毛皮にも飛び散り放題。
その上、頭や腕、足などの至る所に、無数のリボンが結ばれていた。
口元にはヘラヘラとした笑み。人畜無害そうなその笑いに、引っ掻き回されたことを思い出す。
「やっぱり、俺はアーティストなんて嫌いだ」
思わず、憎まれ口が漏れる。
ヤギ特有の細い瞳が、手入れのされてない前髪の間で、笑みを浮かべて光った。
「おにいさん、それ何回目ぇ?」
「忘れた。でも、これっきりだ。もう二度と、お前の仕事は受けないからな」
「あー、うち、知ってるぅ。それってぇ、ツンデレ、ってやつだぁ」
「おーい! 孝人ぉ!」
何か言い返してやろう、と思う間もなく、壁の上の方から声がかかる。
白い狼の姿が、その隣に居るメイド姿とともに、明るくなっていく空の中で、くっきりと見えた。
「安全確認終了! いつでもいいぞぉ!」
「ホントにこんなんで、大丈夫なんでしょうねぇ!? 落ちたらぁ、脳みそぶちまけパラダイスだよー!?」
「ふへへへ、だいじょーぶ。いつも、うちだけでやってるときよりぃ、百倍安全そうだもんねぇ」
壁の縁の部分には、昨日のうちに作っておいた『足場』がある。そこには金具で接合されたロープが、下がっていた。
「お、おふあぁ、よおぅ。ごめ、おきるの、おそ、ふぁああああ」
「しっかりしてください。足元気を付けて」
荒れ果てた大地に通う道をたどりながら、よたよたと歩く太ったネコと、その手を引く鳥の二人組が、こちらやってくる。
モック・ニュータウン東側壁面、本来なら見るべきものなどないその場所に、俺たち五人の冒険者と、一人の依頼主が集まっていた。
「……すずき、ちゃん。これ、ごはん、たべて」
「おぉ、朝飯活力感謝感謝ぁ、ふへへへ」
猫の手に生成されたたおにぎりを、手当たり次第に貪ると、ヤギの模造人、隅田鈴来は地面に置かれていた長い包みを手に取った。
その封を解き、長い柄の物体を、鮮やかに手元で一回転させた。
前端についているのは、巨大なふさふさとした筆先。
柄の部分は不思議な光沢で作られた金属製。
それを一振るいすると、筆にたっぷりと、鮮やかな青の顔料が充填されていた。
「そんじゃ、始めるよぉ」
はじめはのっそりと、だが歩を進めるごとに、ヤギの体が前傾になり、速度を上げる。
まるで壁にぶつかるような勢いで、突進する。
「――うちの連作、五作目『パスティーシュ05』」
かっ、と蹄の音が響き渡り、垂直に近い壁を蹴りながら、鈴来が飛ぶ。
その身体が、一息で壁の頂上まで駆け上がり、
「製作開始、ですだよぉっ!」
達人の斬撃のように、青い一筆が白い壁面に刻まれた。
「おいおい、あんな派手に振り回して、大丈夫かぁ?」
あの筆を作るのに、俺たちがどれだけ苦労がしたと思ってんだか。
あいつと出会ってから、いろんなことがあった。
俺たち『パッチワーク・シーカーズ』の初クエスト。
その締めくくりに待っていたのは、白い壁を駆けまわりながら、とんでもない壁画を描くヤギの姿だった。
この作業を終わりまで警備して、俺たちの仕事が完了する。
「最後まで気を抜くなよ、みんな!」
そして、パッチワーク・シーカーズのリーダーにして、この現場の監督である俺。
ネズミの模造人、小倉孝人の最初の仕事が、完了するんだ。
朝焼けの紅も、薄れていく黎明の薄紫もない、茫洋とした夜明けの下で。
鈴来の青い筆が、新たな一撃を壁に刻みつけていく。
その顔にあるのは、完璧な喜びと興奮。
「……ちぇっ」
俺は掌に、くだらないこだわりを生み出す。
青の色鉛筆を手にして、目の前に立てた。
「気持ちよさそうに描きやがって」
腹立たしくて、それでもどこかスッキリした気持ちで、巨大な絵筆の後を追うように、鉛筆でなぞっていく。
「だから、アーティストなんて、大嫌いなんだ」
俺は笑う。そして、思い出していた。
ここに至るまでの出来事を。
お待たせした方も新規に見る方もこんにちはこんばんは。
れ・れ・れ、第二章開幕です。
今回はモック・ニュータウンの掘り下げとギルドのお話。今回も二話公開なので、
続きもそのままお楽しみください。
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