24、ロストメモリー
「燕頷投筆!」
投げつけた鉛筆が、それぞれの影に飛ぶ。
斧使いは正面からガード、弓使いは素早くバックステップ、こっちに背を向けていた剣士をかばうように、異形が腕で攻撃を叩き落す。
「佐川さん!」
強烈な血の匂いが、白けた空間に漂い、カーペットの赤がどす黒い血の染みで汚されていく。それでも、こっちの声に答える様子がない。
ダメだ、最悪を想定するな。ただ気絶しているだけ、あるいは失血で身動きが難しいだけだ。
「紡!」
俺の叫びにはじかれたように、影の剣士がつばぜり合いを解き、バックステップ。
と、思った瞬間。
「おおおおおおおっ!?」
空間をえぐりぬくような突き。脇に構えた姿勢に転じた影が、無呼吸の三連撃をオオカミに叩き込んだ。
それでも、弾き、いなし、何とか持ちこたえる紡。
って、なんだあの影、明らかに他の個体と動きが違いすぎる!
『異常に動きのいい、日本刀らしい武器を使うのが出る。ひところ、ここのフロアにコウヤさんが入り浸ってたことがあったよ』
ってことは、あのエネミーは、コウヤがスパーリングパートナーに選ぶぐらいの、メチャ強キャラってことか!?
なんとか加勢に、
「ダメだ! 孝人!」
必死に剣を振りかざし、剣士の攻撃をいなす紡が叫ぶ。
「こいつはオレじゃないと無理だ! お前はにげ――!?」
互いの剣が絡み合い、影の一撃で紡の手から、武器が天井へと跳ね飛ばされた。
しかも、無防備になったオオカミの胴体に、振りかぶった斧の一撃が殺到する。
「つ、む」
「うがああああああああああっ!」
突然、起き上がったオーガの巨体が、体ごと影の戦士を壁に叩きつける。もつれ合って地面に倒れ伏す佐川さんに、怪異の腕が振りかぶられた。
「やめろってんだよバケモンがぁ!」
投げつけた鉛筆をガードした影の怪異。その顔のない頭部が、俺に、向けられた。
敵意も殺意もない、ただ俺を殺すという意思を、表して。
「……っ!」
霊的視覚を全身に展開、目の前のバケモノに集中。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、すべてを回避に費やすしかない。
その姿が、消えた。
「――く」
目の情報を捨てる。右半身の皮膚感に広がるおぞましい死の味。音が見える、振りかぶる赤い腕が、右の顔面をえぐる軌道で、明確に匂い立つ。
「――そ」
熱ときな臭さが俺のマズルをかすめ、一撃が空を切る。
極限まで引き延ばされた時間の中、追いすがる炎の連撃が、地面を掘り起こすように、腹を裂く軌道で振り上げられた。
「――が」
最大速度でバックステップ。
筋肉を使い潰すような神速の回避をあざ笑い、ズボンと右の内太ももが、熱の線によって切り裂かれる。
それでも、胴体は身に着けた皮鎧を破っただけ、腹も内臓も何とか無事。
「――あああああああっ!」
魔法のような動きで、俺の腕が背中の棍を引き抜き、螺旋を描いてバケモノの胴体に叩き込んでいた。
同時に、三撃目の横殴りが、俺の意識ごと体を壁に叩きつける。
「ぐうううううっ!」
たった一撃。それだけで、体が動かなくなった。
左半身に痺れと痛み、右太ももから流れる血、打撃を喰らったところに、脈打つ激痛。
右目が開かない。
左目も衝撃と痛みでかすむ。
曖昧になった世界の向こうで、俺の棍で貫かれた影が、音もなく消え去っていくのが、何とか分かった。
でも、このままじゃ、まだ。
「孝人!? 孝人! ちくしょうっ!」
紡の叫びが、ぼんやりと聞こえる。
斧使いが倒せていたとしても、無傷の弓使いが残ってる。二対一じゃ、いくらあいつでもマズい。
でも、俺ももう、いしき、が。
「――!」
誰かが、別の誰かが階段から上がってくる。
独特な足音、重さ、それが柑奈だと思った時、俺の体から力が抜けていた。
白い天井があった。
鼻の中に入り込んでくるのは、奇妙に人工的な異様な臭気。
体を起こす。
「あれ?」
見知らぬ部屋。寝ているのはベッドで、枕元に近いところにあったテーブルに、水差しとグラス。
喉が渇いていた。中身を注いで飲む。
「……なんだ、これ?」
よくわからない。
なぜと問う感覚が空転する。
「……■■!」
その時、部屋の扉を開けて、誰かが入ってきた。
大きな背と、太い体。
これは――誰だっけ。
「お、起きたの、大丈夫!? 体、痛いところ、ない!?」
「ちょ……ごめ……その」
「どきな、治療の邪魔だよ」
その姿を押しのけるように、小さな背丈の誰かが、顔を近づけてくる。
「やっぱり見当識障害だね。まったく、だからあんなもの、使いたかないんだ」
「え……なに、を」
「あんた、自分の名前、言えるかい」
自分、自分の、名前。
「ゆっくり、落ち着いて、自分に聞くんだ。いいかい、あんたの名前は?」
自分の名前、その言葉に、何かが浮かび上がって。
「こ、こくら、こうと」
「じゃあ、あんたの前にいる、このでかいのは?」
「……ふみき?」
そこでようやっと、世界にかかっていた靄が、晴れた。
「文城、お前、なんで」
「よ、よかったぁ! 孝人、ちゃんと覚えてるよね、僕のこと、わかるよね!?」
「……う、うん。でも、なんで」
突然世界が、すべてかみ合って、でたらめに記憶が浮かび上がる。
文城――模造人、三根先生――ここは病院、病室、でもなんで。
「患者の自己認識回復を確認。ほれ、あんたは外に出てな」
「で、でも」
「記憶の整復に、余計なノイズになるんだよ! とっとと下がりな!」
しょんぼりした文城が追い出され、俺は一杯に広がるでたらめな記憶の羅列に、頭を抱えた。
いろんなことがぐるぐるする。
しかも、感情のタグ付けを無視して、不必要なクローズアップや、唐突なフェイズアウトを繰り返して。
過去と現在、未来がごっちゃになる。情報の洪水で、息が詰まる。
「せんせ、せんせいっ」
「なんだい」
「おれ、どうなって」
「考えるよりも、口にしな。思考ってのは、考えたから言葉になるんじゃない、言葉にしたから、考えとしてまとまるんだ」
言葉。
「カレー」
「どう思う?」
「食いたいなって、でも、ここは、そうだ、モック・ニュータウン、ゴブリンPの奴、ほんとムカつくな。あれ、そうか、クリスさんとこなら、えっと、今、何時ですか」
言葉にしながら、それが持っていた意味や、時系列が、少しずつまとまっていく。
まるで自分という巨大なフォルダが、中に入っていた情報ごとぶちまけられ、それをひとつひとつ拾って、整理しなおすように。
「改めて聞くよ。あんたの名前は」
「……小倉孝人、ネズミの模造人。ムーラン・ド・ラ・ギャレット所属の冒険者パーティ、パッチワーク・シーカーズの、リーダー」
「時系列認識の回復を確認。まあまあだね」
「あ、あの!」
過去と今がつながり、自分が誰かも思い出した。
そして、今一番聞きたいことは。
「なんで俺、病院にいるんですか?」
三根先生は肩をすくめ、逆に尋ねてきた。
「それなら、あんた、今日の朝から何をしてたか、思い出せるかい?」
考える。
今朝の記憶、今朝の記憶、今日の記憶、外はもうすぐ夜で、今日の記憶。今日の。
「……なんで」
なんで、全然思い出せない? 俺は今日、いったい何をしていた?
ウサギの先生はため息をつき、憂鬱な顔で告げた。
「短期記憶の喪失を確認。そいつは薬の副作用だ、諦めな」
「く、薬って……なんの」
「リザレクトポーション、蘇生薬ってやつさ」
その、奇跡のような名前を、忌まわし気に告げる。
「あんたは今日、塔の攻略で瀕死の重傷を負った。そこからの生還と引き換えに、過去の一部を失ったんだよ」




